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【ハイファンタジー 西洋・中世】

辺境の招き猫

作者: 小雨川蛙

 その黒猫が私の酒場にやってきたのは一年程前のことだ。

 人懐っこい猫で何度か追い払っても、のこのことやってきてごろりと腹を見せては「にゃあ」と鳴く。

 やがて私はその猫にすっかりと絆されて餌をやるようになった。

 当然と言えば当然だが黒猫はそのまま私の酒場に住み着いてしまった。


 さて、それからというものこの酒場は大盛況となった。

 こんな辺境の村にある酒場だから来る客といえば馴染みの者達ばかりだったと言うのに、冒険者や巡礼者、乞食に騎士、時には貴族に至るまで様々な身分の者が訪れるようになった。

 やって来る種族も様々で普通の人間から亜人、そして中には魔族と呼ばれるような者達までもやって来る。

 人間と魔族が和平を結んで随分と経つが、流石に初めて魔族が訪れた時には心臓が飛び出しそうだった。

 しかし、彼らは姿形こそ違えど中身はほとんど人間と変わらない。

「私は魔族というのは『人間を殺したくて仕方ない』のだと聞いていましたが」

 馴染みとなった魔族の青年にそう問いかけると彼は笑いながら答えた。

「そりゃ、ヘイトスピーチって奴だろ。そんなこと言ったら俺らは『人間は魔族を滅ぼすことを願っている』だとかって聞いていたぞ」

 そんなものだろうか。

 いずれにせよ、人間と魔族が和平を結んだ現代においても偏見は未だ蔓延っている。

 そんな中で辺境にあるこの酒場はいつしか最も世界の理想に近い酒場……なって呼ばれるようになっていた。

 当の黒猫はそんなことを知ってか知らずか、今日も人と魔族が入り混じる酒場で気ままに歩いては撫でられ、軽く欠伸をしてその場で眠るマスコットと化していた。

 ・

 ・

 ・

 ある日の夜中。

 酒場の主人は勿論、村中の者が寝静まった頃に一人の大魔族が現れた。

 彼は姿を消す事は勿論、気配さえも完全に消失させることが出来る恐ろしいほどに強い存在だった。

 並みの技量の持ち主では彼に気づくことは決して出来ない。

 それこそ、魔王や勇者でもない限り。

 暗闇の中、大魔族は酒場のカウンターで眠る黒猫に近づくと、黒猫にしか聞こえない声で言った。

「探しましたぞ」

 その言葉に黒猫は目を覚まして大魔族を見つめた。

「こんな場所で一体何をなさっているのですか。魔王様」

 そう。

 酒場でも有名な招き猫の正体は魔王だったのだ。

 とはいえ、酒場の主は勿論のこと、この酒場に来ている人間から魔族に至るまで誰一人その事実に気づいていない。

 何せ、魔王は今この場に居る大魔族よりも遥かに凄まじい強さを持つ存在である故に真実を隠すのもまた造作もないことなのだ。

「あなたは魔王としての使命をお忘れなのですか。こんな場所でだらしなく過ごしているなど……」

 人や魔族が無意識の後にこの場所に来るのも当然だ。

 どれだけ巧妙に隠そうとも魔王の持つカリスマは決して消すことは出来ない。

 だが、しかし、その偉大なる力を招き猫という形で使っているなどとあまりにも歯がゆいことではないか。

 苛立つ大魔族を尻目に黒猫は欠伸を一つしてまた横になる。

 その様を見て大魔族は怒りを必死に抑えながら尚も告げる。

「嘆かわしい。魔王様ともあろうものがこんなにも腑抜けてしまって」

 そのまま彼は思いつくままに罵詈雑言を黒猫へ言ったが、黒猫はその全てを無視してしまった。

 やがて、大魔族は諦めると背を向けて捨て台詞を吐く。

「私が魔王となる。お前はそこで腑抜けていろ」

 その言葉と大魔族は姿を消した。

 それを見送った後に黒猫が再び欠伸をする。

 大魔族の言葉を聞かなかったかのように。

 大魔族の存在もその決意も黒猫は僅かにも気に留めていなかった。

 自分のように圧倒的な存在が率いるならばともかく、あの程度の力の持ち主ではあっさりと滅ぼされるのが目に見えていたからだ。

 人間だけが戦うならばいざ知らず、人間と魔族が和平を結んで随分と時が流れた。

 彼らは共に平和を望む。

 そして、平和を望む故にあのような存在が現れれば結託する。

 そんなことも分からぬ故にくだらないことを考えるし、そして実行する。

「二流が」

 黒猫はぽつりと呟いていた。

 それと同時に酒場の主である女性が眠気の残る目を擦りながら歩いてきた。

「ねぇ、そこに誰かいた?」

 黒猫は「にゃあ」と鳴いて答えた。

「気のせいか……それじゃ、お休み」

 そう言って女性は黒猫の背中を軽く撫でて欠伸をしながらその場を去っていった。

 その背を見送りながら黒猫はまた呟く。

「勇者の方がよほど世界を分かっている」


 その翌日も、そのまた翌日も、辺境の招き猫は穏やかに日々を暮らし続けるのだった。


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