第一章 第二話
ーーいつぶりだろう。こんな風に人と会話したのは。
ーーいつぶりだろう。こんな風に笑えたのは。
ーーいつぶりだろう。あの時の事を一瞬でも忘れられたのは。
「ん? どうしたの? 急にだんまりして」
この美少年、確か名前は……
「……あなた、確か『ハク』っていう名前なのよね?」
ハク、はく、白……名前の語感的に日本人じゃない……よね? 中国とか台湾の子なのかな?
「うん。キミがそう名付けてくれたんだよ」
「…………」
私は今日で人生を終えるつもりだったから、敢えてスルーしてたけど……さっきからこの美少年、ツッコミ処満載過ぎて、何から手を付けていいかわからないじゃない!
「……やめた」
「ん? 何をだい?」
「今日は死ぬのやめた!」
こんなに頭の中をかき乱されたら、折角の覚悟も鈍るに決まってるでしょ?
「それは何より」
ーーはぁ。
「ねぇ、詳しく教えてくれない? あなたが……ハク君が何故このタイミングでここにいたのか。ハク君が私に言っていた内容は結局何が目的なのか。ただ、自暴自棄になっている人間を探してたってだけなのかもだけど……」
ちなみに私はハク君が言った『ボクの世界』や『聖女の生まれ代わり』とやらの事は一切、信じていない。
そんな荒唐無稽な話を信じるくらいなら、実は私はすでに死んでいて、死ぬ間際、事が切れる刹那に脳が見せた幻覚理論? ……走馬灯の上位版? ……的な方がよっぽど自分自身が納得出来るからだ。
「……ボクからキミに言えることはただ一つ。このままここから飛び降りてこの世界との楔を絶ち、向こうに転生するか、ボクと一緒に向こうに転移するかのどっちかだよ」
……え、なに、その選択肢?
意味が解らなすぎて、思考停止しそうなんだけど。
思考停止しそうなんだけど、なにやら聞き捨てならないワードが……
「……飛び降りて向こうに転生? あなたのその荒唐無稽な話を全く信じていないけど、全く信じてはいないんだけども……仮にそれが本当の事だとしたら、私は……私はこの苦痛から解放されないってこと……なの?」
「そうだよ」
ーー!?
「そうだよ、って何よ! あなた、人の気持ちを、人の心の傷をなんだと思ってるのよ!」
「それが分からないから、ボクは向こうで利用されてたんだよね。何だか言い方は今のキミの方がキツいけど、このやり取りは随分と昔にもキミとしたんだけどね」
ーーまただ。
「あと、その言い回し! さっきからなんなのよ、その別の誰かと私を同一視した物言いは! 勘違いなのか、嫌がらせなのか、頭がおかしいのか……一体何なの!」
……あ、言い過ぎちゃった。
でも、本当の事なんだもん……
「…………」
「……ごめんなさい……いくら何でも少し言い過ぎだったよね」
「いや、そうじゃなくて、感心してたんだ」
感心、してた?
ーーふぅ。
ダメだ、ダメダメ。少し頭をクールダウンさせなきゃ、いつまでたっても堂々巡りしちゃう。
「何を……何に感心したの?」
「キミの強さにだよ」
ーー!?
「わ、私が強い……? 皮肉もそこまでいくと、怒りを通り越して、笑えてくるよ…… まぁ、全然面白くはないけどね」
弱いから、惨めだから、悲しいから、苦しいから。
ーーだから私は……『ココニイルンダヨ?』
「キミは今、自分がどんな顔をしてるか知ってる?」
「……この世に絶望した女の顔以外ないでしょ?」
「じゃあ、見せてあげる」
「え?」
ーーそれは本当に刹那の出来事だった。
目の前にいたはずだった彼が、一人の女……高校生くらいの女の子の顔に突然なったのだ。
その女の子の顔は、とても目鼻立ちが良く、十人中十人が良い意味でも悪い意味でも無視できない様な、そんな顔立ちだった。例えそれが同性であっても。
さっきよりは収まったとはいえ、いまだに吹いている無機質な風に漂う黒くて長い髪は、とても妖艶に、いや、神秘的になびいている。
背格好は一見華奢に見えるが、見れば見るほどその印象を断続的に覆される様なそんな凛とした佇まい。
背も決して高くないのに、何故かモデルの様な高身長にも見えるのは、その頭身が人よりも一つ多いからだろう。
着ている服だけは今の私とは違うものだったけど……
「ーーぁ」
「どうしたの?」
「その顔は……」
「今のキミだよ」
「一体、どういう仕掛け……なの?」
「……ホントは気になるのはそこじゃないでしょ?」
……気になるにはなるわよ。突然目の前の美少年が美少女……になったんだから。
「……誰の顔、なの?」
「最近、自分の顔を見てなかったんだ?」
「……あの日以来、自分の部屋の鏡には布を掛けちゃってたから……」
「何で?」
「絶望に歪んだ自分の顔を見たくなかったから……」
「違うよ。自分の心と自分の見た目が、余りにも一致しなかったから、怖くなっちゃったんでしょ?」
「ーー!? な、何でそれを……」
「キミはね、確かに絶望していた。"あの日のあの瞬間"はね。でもキミは意識的に分かっていたはずだよ? 『こんな事はよくある話』だってね。でもキミはすぐにそれを意識する前に否定して、悪い方を"敢えて"過剰に受け入れたんだ」
「ど、どうしてそんな事をする必要があるのよ!?」
「キミが自分の痛みを逃したくないと感じたから」
「そ、そんなわけ……」
「他人の痛みを気付いてあげたい、分かってあげたい、癒してあげたい。ただただそれを願っていたキミはある日あることに気付いてしまったんだ。『ワタシ自身が身を引き裂かれる様な痛みを知らなければ、決して他人の痛みを等価交換で引き取ってあげれない』ってね。だからキミは無意識で心の壁を取り払って丸裸の状態で悪意という名の刃を全て受け入れたという訳さ」
「……それじゃあ、私は他人の痛みを知るために、こんなに苦しんで苦しんで、それでも堪えきれなくなったから、ここへと無い気力を全て振り絞ってやっとの思いで足を運んだというのに……それらが全て私が敢えて望んでいたものだとでも言うの!? 自ら命を絶つ人の気持ちを知るために、自分の命を私は投げ出そうとしたとでも言うつもり!? そんなの……そんなのって、最低な自己満足でただの究極の偽善者じゃない!!」
「……キミは恨んだかい?」
「……え?」
「キミは呪ったかい?」
「……い、一体何を……」
「キミはキミを傷付けた人達を、恨んで呪って傷付けようと少しでも思ったかい?」
「……そ、そんなの当たり前じゃ……当たり前……あれ?」
「それがキミという人物さ」
「……つ、強くないから傷付いて、恨みたくないから閉じ籠って、呪いたくないからこの世界に絶望したのに……自ら命を投げ出す人達はみんな多かれ少なかれ同じ様なことを思ってる……はずよ!」
ーー気持ちが弱いから、心が辛いから、他人を自分と同じ思いにさせようなんて思えるはずないじゃない。
「キミが強かったら?」
ーーえ?
「……強かったら、私が強かったら、なおさら私と同じ思いにさせようなんて思えるはずないじゃない……」
「キミのことを傷付けて恨んで呪ってた人達のことでも?」
「えぇ。だから私は死を選んだのよ」
「くすっ」
ーーえっ!? 今、絶対に笑うとこじゃないよね!?
「ハク君! 真面目に話している人に対していきなり笑ったら失礼でしょ!」
「うん。お帰り聖女様。やっぱりまた逢えたね」
ーーやっぱり話が噛み合わないのよね。
ーーでも、それとは別に、彼との会話のお陰で、私の心に覆っていた絶望という名の陰りが、少し、ほんの少しだが薄れていく気がしたのだ。
ーーそれはとてつもなく喜ばしい事の筈なのに、ほんの少し、本当にほんの少しだが、何故か名残惜しい気持ちになっている自分もいた。
ーーもしかして死を目前にして『私、いよいよ頭がおかしくなっちゃったのかな?』などと思い、何とも言えない、何とも言葉に言い表せない、そんな何とも救われない様な気持ちになってしまったのは、多分"これから先"の一生の秘密だ。