第一話 偶然の出会い?
世の中はきっと、偶然で出来ている。
あの日ボクが図書館の裏手で困っていたのは偶然であったし、その時中谷さんが出勤したのも偶然だ。
なにせ中谷さんは普段なら深夜の勤務。
夕方に困り果てていたボクとは顔を合わせることもなかったはずだ。
たまたまボクはそこにいて、中谷さんはそこに来た。
夏休みとはいえ高校生を夜勤で雇うバイト先は中々お目にかかれないだろうし、ましてやそれが図書館勤務となれば尚更だ。
それを中谷さん――初老の気の良いおじさんはたった一言。
「仕事が無いならうちにこんか? ワシもこの夏は帰省したくての」
たった一言、ものの数秒で仕事が決まってしまったのだ。
世の中はきっと、偶然で出来ている。
中谷さんから言われた仕事は図書館の夜勤としては実に真っ当だったが、常識からすれば異様な内容だった。
彼が言うには、
「夜間警備を募集しておった」
との事で、そこまでならば納得がいった。
なんやかやと流されるままに通された警備室は不自然な事に図書館の中枢にある。
裏手口側の警備室は別会社の人達が担当していて、そことは別口の仕事を行っているためだそうだが、その違和感もボクの知らない社会の仕組みと納得できる。
あつらえたようにしっくり来る警備服もたまたま偶然。納得できる。
通りすがりの高校生を夜勤に誘う。人手が足りず慌てたため。納得でき難いが、納得しようと思う。
だが、連ねて彼が言った言葉は不可思議きわまりないものだった。
「深夜利用者の誘導と、後は資料探しなんかの手伝いじゃて。何も難しいことはありゃせんよ」
何を言っているか、ボクにはさっぱりわからない。
「ここ三日はワシがついとるが、四日目からは坊主一人でな。鍵はほれ、ポッケにいれとくわい」
「――あ、あの。仕事が貰えるのは嬉しいんですが、警備員が資料探しとか、深夜で利用者とか……」
当然の疑問といえば疑問だ。
まだ深夜利用というだけなら返し口でもあるのだろうと思えるが、資料探しとなると夜の夜中に利用者……お客さんといったほうがいいのか。そんな時間に、お客さんが図書館に入ることになる。
それにそれは断じて警備員の仕事では無いだろう。
「若いうちから細かいこと気にしとると、ほれ。シャチハタみたいにペタンと同じ顔になってしまうぞ。かあちゃん説得した時のように気概をもたんか」
――しかも、ボクの事情まで分かっているようだ。ボクはまだ、何一つ話していないのに。
「全ては偶然じゃて。坊主がここに来たことも、これから見ることも。本来はありもしない偶然が、運よく坊主のとこに来ただけのこと。さて、弱気に当てられて気が変わる前に案内しようかい」
疑問も何も、混乱した頭で意味の分からないまま呆然と着替えたボクは、中谷さんに引きずられるように館内をいつの間にか歩いていた。
ここ、中原図書館は東京都の多摩地区にある中原市で一番大きい図書館だ。
5階まである、敷地面積を大きくとったビル型で、うち1階と2階は市民会館の機能を持っている。
3階には一般書。4階は技術書や地図など専門性の高いもの。5階には禁退出の資料が並べられている。
他にも読書ルーム、学習ルーム、小さい子のための絵本コーナー、朗読部屋などなど。
様々なサービスの為に作られた部屋が用意されていて、あまり図書館に馴染みのなかったボクにとってはいろいろな発見があって面白い。
地下には驚くほど巨大な書庫があり、その間を縦横無尽に機械のアームが駆け巡っている――予定。
今日は休館日。しかも職員さんも業者さんもいないとの事で、案内された時には残念ながらぴくりとも動いていない。
とはいえ高くそびえる書棚の間に鎮座するタワーのようなアームが動きまわるのを想像すると、不安な気持ちもやわらぎ、少しだけ心が躍る気がした。
ちなみに中谷さんに通された警備室は4階中央。一階のエレベーターから直接あがることができ、廊下と扉をはさんだ先はガイドブックの棚がある。
2類の位置あたりとかなんとか――まだ専門用語はよく理解できないが。
そんなこんなで解放され、家に帰った僕はその件を母に報告した。
きちんとした場所だから問題ないよ。夏休みの間だけだから。健康にも気をつけるから心配しないで。
幾ら言葉を重ねても不安を呷るだけにしかならないと分かっている。
夜勤を高校生が行うなど、真っ当な親であれば反対するに決まっているのは分かりきっていた。
でも何度も、不安になる部分は隠しながら何度も言葉を交わす。いや、投げつける。
無理にでも承諾して貰わなければならない。これ以上、苦労をかけさせるわけにはいかない。
――その時のことは余談でしかないし、中谷さんと一緒の夜勤も余談。
ただ、初めのうちは誰もいない図書館の広さと暗さに身震いして、中谷さんが一生懸命ボクを励ましてくれたことだけは記しておきたいと思う。
たった三日ではあったけれど、一通りの仕事を教え込まれたボクはなんとか恐怖心も乗り越えたし、ある程度かたちにもなったと思う。
初めのときに聞いた深夜利用者については一度もそんな事はなかったし、意味も分からないままではある。
いよいよ明日……いや、今夜、ボクは一人でここの警備を受け持つことになる。
中谷さんとの最後の日という事もあって、思い切ってその疑問をぶつけてみた。
「中谷さん。ご利用……お客様の案内とか手伝いとかって、なんだったんですか?」
「なんだ、本気にしておったのか。あれはワシの冗談だよ」
なんだ、冗談か――。
冗談にしてはタイミングも奇妙ではあったが、ボクはその言葉にとても安堵した。
気がついてはいた。
その時、中谷さんが悪戯者の笑みを浮かべながらボクを見ていたことに、気がついてはいた。
でもその笑みを、冗談を真に受けたボクを笑ったものだと考えた。
意味に気がついたのはその夜。
初めて、ボクが一人で図書館の警備を始めた、あの日だった。
「……やっぱ、一人だと勝手が違う、な。ひ、一人だし、う、歌っても怒られない、し、ははっ、歌でも歌おっか! まずーしさにー負け、ってそれじゃ暗くなるって! なーんて……ははは。うわ、定番ネタ。恥ずかしいなあ。あはは……はぁ~」
正直、怖い。
電気の節約とのことで灯りは懐中電灯一本分しかない。
本棚の間、カウンターの下、時折窓に反射してうつるボクの顔。と、その後ろの真っ暗な部屋。
三日間とかやっぱり短すぎる。
休憩自由にとっていいっていったって、怖いから引きこもりっぱなしです。……なんてそんなわけにもいかない。
何故ボクはここでこうして懐中電灯片手に図書館をうろついているのか。
他にいい仕事があったんじゃないのか。
いやこれも自由に休憩とれて週5日で夜勤だけど肉体労働まっしぐらではないし給金もそりゃーもうべらぼうに高いし最高の職場とは思う。
が、怖い。眠い。寒い。昼寝れない。その他もろもろ、もっと良い仕事あったのではと弱気の虫に集られる。
仕事といえば働くとは人が動くと書いて働くなのだな。ならば人が動けばそれは働くということであり故に最近話題のニートも動いてればうんぬんかんぬんと、妙な空想世界にすら飛び込みたくなってくる。
――怖い。
あまりの恐怖から空気が一層冷たく感じられ、薄く浮かんだ涙が視界をぼやけさせる。
その為かぼんやりと懐中電灯の光がにじみ、緑色のうっすらとした光が周囲を覆ったようにすら感じられた。
がたん、と時折風が窓をうつ音には流石になれたものの、やはり心臓に悪く、聞こえるたびに身をすくませてしまう。
「はぁ――怖くない怖くない。大丈夫。ボクは大丈夫。そうだよ、台所で黒い悪魔だって退治したじゃないか!」
何が大丈夫なのかは分からないが、とにかく勇気を搾り出そうと努力し続けた。
そのかいもあってか、先ほど驚かされた風の音も気にならなくなりはじめ、
「――あっちに、窓……あったっけ」
そして疑問。
先ほどから鳴っている音は、明らかに窓からのものではない。
まるで鉄柵を揺らすような音。
窓からの物では明らかになく、それ以上に人為的なものさえ感じられる規則さだ。
言うなれば檻を手で掴み、こじ開けようとするような、そんな音。
「な、何この音……。それになんで、こんなに明るいの?」
周囲は電気もついていない。手元には懐中電灯一本。
だというのに、今現在警備らしき進行をしている4Fのフロアは薄緑色の光が覆っている。
懐中電灯もいらないほどの光量で照らされた図書館は、異界を思わせる神秘的で異常な光景を彼の目に焼き付けていく。
「なんだよ……なんだってんだよ!」
涙目。もとい、滝涙。
恐怖は限界点を超え、つい荒げた口調が走り出る。
臨界点を超えた恐怖が人間に起こす作用は数種類。
その一つはこの場からとっとと逃げ出すこと。
「誰か、いるのか! そこにいるのは、誰だ!」
逃げ出す不採用。
ならば別の作用といえば、
「待ってろ!動くなよ!」
意味不明な高揚感と、獰猛化。
彼は生来の臆病な性格のための反動か、躊躇することもなく音のした方向へと足を進めていった。
そこにあるのは外部エレベーターホールと図書館部分を遮るシャッター。
網の目になっているシャッターは内部の様子を窺いやすくし、同時に予算削減にも貢献する優れものだ。
朝方開館前であればシャッターの前で待つ利用者を窺えしれようものだが、今は生憎夜も夜中。
しかも嫌なことに丑三つ時の真っ最中だ。
当然シャッターの向こう側には誰もおらず、輝くような明かりの図書館側と違いシャッターの向こう側は深い闇に閉ざされている。
彼はその闇に、果敢に挑んだ。
手元にある武器は闇をも切り裂く伝説の剣、懐中電灯。
不審者であれば即通報。聞き間違いなら万々歳。
勇気を振り絞った彼は闇へと剣を恐る恐るながら振りかざし、
「……ぎゃぁああああああああああああああああああああ!」
シャッターにしがみつく、向こう側が見えるまでに透き通った青白い手と恨みがましくこちらを窺う、皺のよった老人の顔を目にしたのだ。
黒く深い虚のような瞳がじっと。ただ、じっと。
だというのに透き通った手は荒れ狂うようにガシャガシャとシャッターを揺らしている。
その全てに悲鳴をあげて腰を抜かした彼を、その虚ろな瞳で、値踏みでもするようにねめつけていた。
殺される――。
そう直感しながらも腰が抜けて立ち上がることも、這って逃げることも不可能。
恐怖に引きつり、今にも気を失いかけている彼に向かって、亡霊はぽつり、ぽつりと、現世の恨み言を絡みつかせるように、怨念という負の感情を分かち合おうとするかのように、低くしゃがれた言葉を彼へと向けて放った。
「――そこの君。開館時間過ぎてるよ。開けてくれないと」
意味が分からなかった。
何やら幽霊の爺さんが、意味の分からないことを言っている。
既に理性も恐怖も限界をぶっちぎっていた彼には、そもそも一字一句の言葉の意味が分からない。
その言葉に彼は暫し呆然としていたのだが――。
「新しい、警備員さん? シャッターを開けてくれますか。ごめんなさい。変な所に鍵がかかってて、遅れちゃって」
細く、繊細で女性的な声音が、4階のカウンター位置からかけられたのだ。
驚いて振り向けば、そこには銀髪の透き通るようなロングヘアーをした、何処か愛嬌のある小柄顔で笑いかける、眼鏡をかけた女性の姿がある。
「おおエイリちゃん、遅かったね。早くここ開けてくれ。今日こそ目当ての物を見つけたいんだよ」
「少しお待ちくださいね。えっと、警備員さん。――高橋君、だったかな。早く開けてあげてくださいね。鍵は持っていると中谷さんから聞いていますけど」
少年、高橋正一郎は偶然の仕事をみつけた。
そして今、偶然の出会いを果たした。
現実と非現実のハザマにあり、無数の霊魂が蠢く深夜の図書館で、彼は今日、エイリと名乗る司書と出会った。
これから始まるひと夏のアルバイト。
出会いにも仕事にも胸をときめかせる暇さえなく、物事は偶然の名の下転がるように進んでいく。
「それと、開館中はさっきみたいなのは無しですよ? 図書館では、お静かに」
そんな異常な偶然でも、暗闇の中で一人懐中電灯と戯れるよりはよほどマシ。
高橋は、そういって微笑んだエイリの顔をぼんやりと見つめながら、そんな風に考えたのだった。




