3.仕事が終わったときが定時だ。
人間はどうして働かなければいけないのだろう。
学校で二次関数とか平方根を教える前に労働の意義を説明してほしかったと大人になってから思う。まあ、私の歴代担任教師の目はいつも死んでいたので無理な相談かもしれないけれど。
「私、なんのために生きてるんだっけ」
驚異の二十連勤に身体よりも心が悲鳴を上げている。
人体改造手術のおかげで常人ならばとうに過労で倒れるところも乗り越えられてしまえるこの身体が憎い。
「ほれ、差し入れ」
ポンッと私のデスクに置かれたのは翼を授けるタイプのエナジードリンクだ。
同じく二十連勤中の下っ端構成員であるタナカ先輩はその目の下に消しようのないクマをつくり、血走った瞳でにっこり笑った。……怖い。
「ありがとうございます」
「あんまり根詰めんなよ。せっかくMr.パワハラがいないんだからちょっとはのんびりしようぜ」
「そう言えば、上司はどこに?」
あの人がいないから心の悲鳴を感じ取れる余裕があったのか。
「会議だよ」
「あれ、会議の予定なんてありましたっけ?」
「次の会議の内容を決めるための会議だよ。ほら、先月末にこれからは毎月五回以上会議を開けって通達が来てたろ。そのためのやつだよ」
なんという無駄。
開く意味がないどころか、開くことそのものが意味になってる会議っていったいなんなのだろう。我が組織の上層部は大丈夫か。
タナカ先輩がコンビニで一緒に買ってきたらしい転職情報雑誌を私も見せてほしい。
「お前はあとなにが残ってんの?」
「延々と仕事が追加され続けて今自分がなにしてるのかもわかりません」
「そりゃ重症だ」
今月の頭にあった大規模戦闘のせいで、我が組織は大打撃を受け、現在通常業務に手一杯の状態だ。
上位戦闘員も数名大怪我をしたらしいが、下っ端構成員はその十分の一ほどの数が殉職してしまっていた。
私は運良くナカムラさんと同じチームに入れたので怪我一つない。さすが人体改造手術レベル8の怪人。頼りになり過ぎる。
「なんだ、残っているのはお前たちだけか」
Mr.パワハラのお帰りだ。
無駄な会議で離席していたが上司もなかなかに疲れた顔をしている。そんな顔を見るとこの人も所詮私と同じ社畜なんだなと思う。親近感は湧かないが。
上司は“お前たちだけか”なんて言い方をしたが、我が部署の精鋭はすでに過労で二人病院送りになっているし、一人は先週遺書を残して蒸発したし、辞めると口にした三人は研究所で人格改造手術の順番待ちをしている。
残っているのは私とタナカ先輩、人格改造手術済みのヨシダ先輩三号だけだ。
「なんかあったんスか?」
「先程の会議で緊急出撃が決まった。我々は怪人タムヌンに同行し大通りでの戦闘だ」
本当に、会議ってろくなことが決まらない。
悪の組織の襲撃パターンは大きく分けて三つある。
一つは、所謂単純な破壊活動。
これは日々上司に虐げられている下っ端構成員が中心となって行っている悪としてのデモンストレーションのようなもので、ストレス発散にもなる気楽で比較的人気の業務だ。
もう一つは、悪の組織という企業としてのお仕事である。
例えばとある大企業が古くなった自社ビルを建て直したいとする。そう言った場合に我が組織に電話一本入れると、あら不思議、破壊活動の一環としてそのいらなかった自社ビルを壊してくれたりする。もちろん、それなりの料金は発生するが、その大企業はビルを壊す費用が浮いて、ビルにかけていた保険金まで手に入るので結果的には儲かることになる。
こちらも“大人って汚い”という気持ちにはなるがミスも出にくく、生命の危険も少ないのでそう悪い業務ではない。
だが、最後の一つは違う。
これこそが我ら悪の組織の本分という人もいるだろうけど私は嫌いだ。だって危険だから。
「お前たちの悪事もここまでだ!」
「マネーの力が世界を救う! 正義の味方“黄金レンジャー”参上!!」
いくら人体改造手術を受けていたって所詮はレベル1の下っ端構成員。
雲の上の存在である上位戦闘員たちと互角に戦うヒーローなんて人外と戦うとか冗談じゃない。
「金力こそすべて。現金の力を見せてやる、札束レッド!」
「不労所得こそ最強。金とは頭を使って手に入れるのだ、FXブルー!」
「男なんてATM。金持ちの男を掴まえれば人生安泰、玉の輿ピンク!」
シュタッと格好よくポーズを決めて見せたのは、最近ヒーローランキング急上昇中の黄金レンジャーの三人だ。上司から渡された事前情報によると三位一体の“マネー・ロンダリング”という大技を持っているらしい。
間違っても下っ端構成員が戦いを挑むような相手ではない。
しかし、これが今回の標的だった。
「金など、社会情勢が安定していなければただの紙切れも同然なので〜す!」
「なに!?」
「お金の力を馬鹿にしないで!!」
怪人タムヌン様はまずは挑発し相手のペースを崩すことにしたようだ。
タコの怪人たるタムヌン様はその八本の触手を自在に操り、三人がかりのヒーローたちの攻撃を華麗に止めてみせる。
「ディス! ディスディス!!」
「デ、ディス!」
上司がヒーローたちの後ろに回り込みロケットランチャーを撃ち込んでやれと叫ぶ。
それをすると彼らの近くにいるタムヌン様も木っ端微塵になる気がするが大丈夫だろうか。というか、私たち下っ端構成員は基本的に戦闘中“ディスディス”言っている賑やかしのはずだが、そんなに積極的にヒーローを攻撃するのは就業規則違反では?
「ディス!」
しまった、上司がお怒りだ。
ここは問題になったら全責任を上司が取ってくれるだろうことを祈って、彼の言う通りにしておこう。
「ディスディス!」
「私に構うことはありません。やってしまうので〜す!」
タムヌン様にも一応声をかけたがまさかのオーケーをいただいてしまった。
悪の組織に就職してはや半年。
自分の人生で人様にロケットランチャーを撃つ日が来るなんて、小学校の卒業文集に“将来の夢は公務員です”と書いたあの頃には想像もしなかった。
「嘘だろ!?」
「平和大国日本にそんな兵器持ち込むなんて正気か!?」
「銃刀法違反よ!」
「ディス!」
ヒーローたちには悪いが、私は社畜。
上司の言うことは絶対!
私の撃ったロケットランチャーはしっかりヒーローたちに着弾したようだ。
当たってよかった。
もし外せば、その無駄になった弾丸分の値段が給料から天引きされてしまう。失敗は私のミス、成功は組織の成果。……本当にどこまでいってもブラックだ。
「見事に吹き飛びましたで〜す」
戦隊物のテレビドラマのような爆発のあと、木っ端微塵になったヒーローたちの残骸を踏みつけながらタムヌン様が私たちのもとへとやって来た。
ところどころ焦げてはいるが大きな怪我はないようだ。
「ディスディス?」
「ノンノン。ワタシはタコの怪人で〜す。多少木っ端微塵になったくらい、すぐに再生するのでへっちゃらなので〜す」
「ディス!」
「アナタ方もよく頑張りました。……さあ、定時で〜す。帰りましょう!!」
タムヌン様の言葉に私たちはほっと肩を下ろした。
定時ってなんだっけ、と言う湧き上がった疑問は心の奥底に沈めておく。上司の言うことは絶対!
作者の今の勤め先は十五分単位でしか残業代は支払われません。しかも申請制。タイムカード押してようと申請しなかったら無給です。それでも前の職場よりはマシなんだよ。