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1.業務準備は業務には含まれない。

 なにが悪かったのかと訊かれたら、今どき電信柱に貼られた求人広告なんていう怪しげなものに応募してみようと思ったことが間違いだったとしか言えない。

 でも、一般企業はおろかバイトの面接にだって落ちてしまうような私に他の選択肢があったのだろうか。




 就業一時間前。

 エントランスの掃除を終えて、次は上位戦闘員の皆様が利用されるトレーニングルームの掃除と備品のチェックをしようと廊下をのろのろと歩いていると、通りすがり上司に声をかけられてしまった。


「おい、新入り。ちゃんと業務用通信用語は覚えたんだろうな」


 面接のときは優しげで私の就職失敗話を穏やかに頷きながら聞いてくれたあの人はどこに行ってしまったのか。同一人物であるはずのこの上司のあだ名がMr.パワハラなんてあんまりだ。


「あ、えっと、一応。……まだ全然自信ないんですけど」

「返事は?」

「ディス!」


 私の答えに上司は不機嫌そうな顔をさらに歪ませ、あろうことか手に持っていたパワードスーツを投げ渡してきた。

 装着重量30㎏超えのそれは普通に受け取れば私の腕が間違いなく複雑骨折しかねない代物である。しかし、しがない下っ端構成員の腕とは比べ物にならないくらい高価なパワードスーツを床に落とすなどということが許されるはずもなく。


「……っ!」


 瞬間、私は自分の腕の死を覚悟した。

 労災は間違いなく下りない。ともすれば、両腕ギプス固定で働かされる可能性すらある。それどころか、恐ろしいことに作業効率が落ちたという理由で給料を下げられかねない。

 なんというブラックさ。さすが悪の組織。


「俺のスーツを粗末に扱ってんじゃねぇ」


 しかし、覚悟した衝撃は訪れなかった。

 無意識にギュッと瞑っていた目を開ければ、私にぶつかる直前のところで顔見知りの怪人ナカムラさんがパワードスーツを受け止めてくれているのが見えた。

 これ、彼が止めてくれなかったら顔面直撃コースだったと気づきサーッと血の気が引く。

 いくら一般人よりは強化されていると言っても私は所詮下っ端構成員。パワードスーツなんて顔面に喰らえば殉職(たいしょく)待ったなしだ。


「ナカムラ……怪人ランクが上がったからってでしゃばるなよ」

「別にでしゃばったつもりはねぇよ。アンタももう、上位戦闘員じゃねぇんだ。口には気をつけろよ」

「……チッ」


 しばしの睨み合いの後、上司はさすがに分が悪いと思ったのか、それ以上ナカムラさんに絡むことなく研究所の方へと歩いて行った。


「すみません。ありがとうございました」

「いや……お前も大変だな。あの人が上司だとキツいだろ」

「えへへ」


 答えようがないので笑って誤魔化しておく。

 Mr.パワハラは地獄耳で有名だ。基地内で声に出された彼の悪口はなぜかすべて本人のもとに届いてしまうという恐ろしい逸話の持ち主である。

 “困ったことがあったら言えよ”と私の頭を撫でてくれるナカムラさんは、少し厳つい顔をしている以外はどこにでもいる普通のお兄さんといった感じだ。この人が一度パワードスーツを来たら、ヒーローたちを千切っては投げ千切っては投げする悪の怪人だなんて信じられない。


「そう言えば、ディス語は覚えられたのか?」

「うーん。覚えられたと言うか、なにを覚えたらいいのかわからないと言うか」


 ディス語とは先程上司も言っていた“業務用通信用語”のことだ。

 上位戦闘員として怪人ナンバーをもらっている一部の構成員を除き、ほとんどの人が基地外ではこのディス語を使用しなければならない。

 星の数ほどある就業規則の一つである。

 私のような新入りはまずこのディス語を覚えることから始めるのだが……これが非常に厄介だった。別に覚えられないわけではない。英語はおろか、母国語であるはずの日本語でさえときどき怪しい私だって五秒もあればディス語を覚えることはできる。

 なにせ、“ディス”という一つの単語しかないのだから。


「まあ、フィーリングだよ。使ってればそのうち慣れるさ」

「そうなんでしょうか。ディスディス言ってても自分がなに言ってるかわからないですけど」

「最初はみんなそんなもんだ」


 そう言うナカムラさんは身体適性検査をすべてパスして入職当日に改造を受けることのできた超エリート構成員だ。彼がディス語を使ったことがあるとは思えない。


「ナカムラさんは今からお帰りですか?」

「ああ。夜間の襲撃任務だったからな。基地にはタイムカードを押しに戻ってきたんだ」


 各地で戦う戦闘員の皆様が私たち下っ端と同じようにタイムカード制なのは絶対におかしいと思う。この組織に直帰という概念はないのだろうか。


「戦闘員の方たちもわざわざタイムカード押さないといけないんですね」

「うちのタイムカードなんて押す意味ほぼないけどな」


 我が組織は三交代制を導入している。

 朝八時から夕方十七時までの日勤と、夕方十六時から夜一時までの準夜勤、夜零時から朝の九時までの深夜勤だ。これは上位戦闘員も下っ端構成員も研究職員も変わらない。

 ちなみに、“押す意味がない”というのはまさにそのままの意味で、何時にタイムカードを押そうが退勤時間は必ずそのときの勤務終了時間になっているからだ。

 我が組織に残業という概念はない。

 就職面接時の“残業ゼロを目指しています!”という言葉の闇を、入職してしまった今ひしひしと感じている。


「お前はいつもこんなに早く出勤してるのか? 今日は日勤なんだろ?」

「いつも七時前には出勤してますね」

「下っ端構成員ってそんなに忙しいのか……」

「いえ、忙しいのは忙しいんですけど。早く出勤するのは業務準備のためです」


 なにそれ、というように首を傾げるナカムラさんはエリート構成員ゆえに下積みというものをご存知ない。

 下っ端構成員の仕事は多岐に渡るが、そのなかでもさらに新入りである私は雑用全般を任されており、それはとても八時間の労働でこなせるものではないのだ。

 下っ端とは言え、悪の組織の構成員。

 お茶汲みや電話番だけが仕事ではないし、戦闘員の方たちについて行き街で一暴れすることももちろんある。そして、たちの悪いことに掃除や備品のチェックなどは本来の業務には含まれていない。

 では、その業務外の仕事――すごい矛盾だ――をどうしたらいいのか。

 答えは簡単。

 業務外のことは業務外に行うしかない。無給の早出と残業の無限ループに嵌っている私を誰か助けてください。ヘルプミー、労働基準監督署。監査はまだですか?


「……大変だな」

「正直言ってもう辞めたいです」

「そんなこと言うなよ。ようやく手に入れた正職だって喜んでたじゃねぇか」

「働くって、こんなにツラいことなんですね」


 この組織のヤバさは働き始めてすぐに気づいた。

 ナカムラさんに“辞めたい”などと言ってみたがそれが無理なことは私にだってわかっている。

 実は、優柔不断な私にしては自分でも驚くほどの速さで上司へと辞表を持っていったことがあるのだが、目の前でその辞表を破られた上に、“お前のようなろくに資格も持っていない底辺大卒の女を雇ってやっているのにつけ上がりやがって”と怒鳴られたときに心が折れてしまっていた。

 私は無能な社会のゴミです。


「社食で飯奢ってやるから元気出せ、な?」

「うう、ありがとうございます」


 勤め先は悪の組織だし、上司はMr.パワハラだし、同僚はときどき殉職(たいしょく)するし。唯一の癒やしが悪の怪人。

 本当に私はどうしてこんなところに就職してしまったんだろう。





 就業開始とともに十全に仕事に取りかかるために、就業開始時間の一時間前に出勤する作者。ちなみにその時間は無給です。

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