1番目の雲
私の好きなような物語を作っていきたいです。
不定期更新ですが、何んとか頑張って完成させるので、お願いします。
9番目の雲を探していた。
月へジャンプして行けたなら、更にその彼方まで行けたなら。そこからの景色を見てみたい。子供の頃から、そんな夢を見ていた。
“On cloud nine”
よく母が私に対して、言っていた。
母は私に色々な事を教えてくれていたが、その中でも、このフレーズが特に私の心に残っていた。
その当時は意味が分からなかった。
今は、意味を知っているし、確かにあるものとして認識はしているが、それでも、それを実感したことはない。
私はこのまま、実感せずに死んでいくのだろうか。
そんなことをぼんやりと考える。
「それにしても、今年の夏も暑い」
声に出すと同時に、煙草の煙を吐き出す。
紫煙が宙を漂い、目線の先にある東京湾に浮かぶ積乱雲のように膨張し、霧散する。
積乱雲を割るように、羽田から離陸した飛行機が奔る。
停滞した夏の青空に突風が吹き、雲を押し流すと同時に、背後から扉が開いた音がした。
まるで、風に呼応するように、新たな風を運ぶ男が現れた。
######
広い空の下と東京湾の上を走るモノレールからの景色は爽快だった。
日本ではあまりない、建物が密集していないエリア。土地を広々と確保した場所とあり、これから働く場所としては悪くないなと、沈む気分が僅かに上昇する。
「ご乗車のモノレールをご利用くださいまして、ありがとうございます。
まもなく、整備場駅です。出口は右側です。お忘れ物にご注意ください」
そういって、寄りかかっていた扉が開く。
「通ります」
整備場駅で下車する大人の出口を遮る形で、立っていたため、即座に退く。
「すみません」
どうやら、緊張とかで、気が逸ってしまっているらしい。
落ち着け、落ち着け。
自分に言い聞かせて、遊園地のアトラクションの様な座席に座る。
「これも全部、藤原先生のせいだ」
俺に余計な仕事を押し付けた大学のゼミの先生の名前を口にする。
発端は7月21日、大学4年生前期のゼミ最後の授業だった。
就職活動のせいで、死ぬほど学業を疎かにしていた俺は、単位取得が危ぶまれた。おかげで、なんとか就職先は確保する事が出来たのだが、根本である卒業の危機に瀕したのだ。そこで、俺は恥を忍んで藤原先生に単位を頂けるように、直談判した。当然、断られると思っていたが、意外にも藤原先生は単位取得に意欲的であった。しかし、それには条件があった。それがーー
「世界有数の科学者である御舟マリア先生のお手伝いか」
どうやら、その御舟マリアは、もともと藤原先生の教え子であったらしく、俺の直属の先輩になるという事だ。正直、まったく知らなかったのだが、お手伝いが決定した際に、少しネットなどで、調べてみたのだが、御舟マリアについての記事が国内外問わず、様々な記事が掲載されていた。その中の一つには、最もノーベル賞に近い科学者であるという記事もあった。
とにかく、御舟マリアは凄いらしい。
俺がそんな有名科学者である御舟マリア先生のお手伝いになった理由として、現在、非常に大きな研究に取り組んでいるらしく、日常生活をサポートしてくれるような存在を探していると藤原先生に持ち掛けたらしい。また、研究や実験に協力してもらう事もあるとのことなので、それが家政婦を雇わない理由であると言っていた。
そんなわけで、俺は今、御舟マリアがいる研究室へ向かっているのだ。
「ご乗車のモノレールをご利用くださいまして、ありがとうございます。
まもなく、流通センター駅です。出口は右側です。お忘れ物にご注意ください」
と、気づけば、モノレールはトンネルを超えて、目的の駅に到着した。
俺はモノレールを降車して、ホームに降り立つ。
憂鬱な仕事ではあるが、これから毎朝、乗れるのだと思えば、少しは悪くないと思える。
乗車時間は僅かな時間であったが、俺はもうこの東京モノレールの事が好きになっていた。
SF映画や漫画、アニメに登場する景色に似ているからだ。まるで、その物語の登場人物になった気分になる。
俺はホームの階段を下りて、改札をくぐり、駅の外に出た。
「クッソ、あっついな」
人間の外側から溶かすように照り付ける夏の太陽に悪態をつきながら、研究所まで歩く。
みんみんみんと鳴くセミの大合唱を耳にしながら、時折、スマホの地図アプリの道を確認しながら行く。
新平和橋を渡り、東京港野鳥公園を超えると、目的の研究所は建っていた。
「…………」
ガラス張りの長方体が水上に浮かんでいた。
全面がガラス張りのためか、海の水と太陽の光を反射し、青く光っていた。
俺は数舜、圧倒されながらも、研究所に足を踏みいれる。
素早く開閉する自動ドアを通り、フロントへ行く。
フロントで作業をしていたお姉さんは、俺の存在を視界に収めると、声を掛けてくる。
「いらっしゃいませ。本日はどのような御用でしょうか?」
「ええっと、御舟マリア先生のお手伝い出来ました星野悠吾です」
「少々お待ちください」
お姉さんは、視線をパソコンに移し、カタカタ動かすと俺に戻す。
「はい、確認できました。こちらの名札を首からかけて、そちらの改札をお通りください」
「ありがとうございます」
「はい、頑張ってくださいね」
お姉さんに礼を言って、改札を行く。背後から、お姉さんの励ましを受けて。
研究所の中には、多くの白衣を着た大人の人がいた。
まるで、ショッピングモールのように中央は吹き抜けになっており、建物の内壁に沿うように、複数の部屋が置かれていた。
俺はスマホにある情報をもとに、目的の研究室をマップから探す。
「ええっと…………あった。特別研究室だ」
特別研究室は、5階の最上階にあった。
その他の研究室は「107」「219」のように、1や2の部分が階数になっており、07や19の部分が右手から順番にある部屋となっていることが分かった。通常は、そのように表記されているはずなのに、俺がこれから行く研究室は、番号で表記はされていない。それだけで、どれだけ、この研究所にて異質な存在か分かる。
俺は近くにあったエレベーターに乗り込む。エレベーターの中身は白衣を着た大人で埋め尽くされており、その中に一人、汗だくのガキが紛れ込んでいるといった状態だった。
めちゃくちゃ居心地悪いな。
そんな感想を抱きながら、エレベーターは2階、3階、4階と止まるたびに、少しずつ人が減っていき、5階に着くころには、俺一人となっていた。
「フゥ着いた」
慣れないビジネスフィールドとあって、たったエレベーターに乗るという行為すら、緊張する。
「それにしても、本当にここにあるのか?」
5階はそのほかの階に比べて、かなり閑散としていた。というか、色んなものがそこら中に放って置かれており、1階を使った物置部屋のようであった。
少し、周囲に視線を遣ると、目的の研究室が目に入った。
「あった」
この閑散とした5階の中でも、さらに端っこにある特別研究室。
まるで、腫物のように扱っていると言わんばかりの場所にある。
もしかして、御舟マリア先生って、ヤバいのだろうか。
そんな不安をいだきながらも、部屋をノックする。
しかし、返事はない。
もう一度、2,3回ノックする。しかし、またもや返事はない。
「おかしいな、いないのか?
この時間に来いって、書いてあるのだけど」
いくらノックしても返事がないことに、やきもきした俺は、勝手に扉を開けて部屋をのぞき込む。部屋は電気が点いておらず、明瞭に把握する事はかなわなかったが、薄闇の中でも、僅かに部屋の惨状を知る事が出来た。研究室の中は、服や紙の資料やらが散乱しており、中には下着も混じっていた。
どうやら、御舟先生は自活能力がゼロらしい
これは、大変面倒くさい仕事になりそうだ。
心の中で、
とーー
「君、なにしてるの?勝手には入っちゃだめよ」
声を掛けられる。
俺は急いで扉を閉め、声がした方に向き直る。
「すみません」
「いい、この研究所には沢山の重要な資料や情報があるから、勝手な事しては駄目よ?」
「はい、ごめんなさい」
素直に謝ると女研究員は頷く。
「それで、どうしたの?こんなところで?」
「あの、御舟先生って、どこにいるか分かりますか?
御舟先生と約束をしているのですが、いなくて」
「ああ、御舟先生は多分、屋上にいるわ」
「ありがとうございます。行ってみます」
「ああ!そこの階段からじゃないと屋上には行けないから!」
「了解です!」
元気よく、そう返して、走り出す。
俺は屋上に続く階段を上る。
途中、色んなものが乱雑に放置されており、まるで高校の廊下のようだ。
数段、上ると扉が目に入る。俺は扉の取っ手に手をかけて捻り、扉を開く。
「うっ………」
扉を開けると同時に、突風が襲う。僅かに、目を閉じ、突風が止むと、目を開く。
そして、青一面の世界が広がっていた。
東京湾の青と夏の青空が混ざり合った世界に、白い飛行機がまっすぐに走る。
その中で、一人、美しい女性が海を眺めながら、煙草をふかしていた。
「あの人が御舟マリアか」
一目見て、分かった。
ホワイトブロンドをポニーテールにした30歳くらいの女性。
身長は180cmほどで、スラっと足が長く、コーカソイド特有の白い肌が眩しかった。御舟先生の出自を窺わせた。また、臀部や胸部の肉付きは、日本人離れしているものがあった。というか、西洋人離れもしている気がする。非常に魅力的だった。さらに、鼻梁はスッと通り、釣り目から、彼女の意思の強さを感じた。
思わず見とれ、硬直していた俺は、御舟先生の視界に俺が入り込んだと同時に、解かれる。
「誰だ、お前?
ここは、私の領土だ。よそ者が来るんじゃない」
こわっ!
女の人はジロリと視線を遣りながら、敵対的に告げる。
俺は若干気圧されながらも、素性を明かす。
「あの、藤原先生の紹介で、本日からアルバイトに来た星野優胡です」
「あん?…ああ、そういえば、今日だったか」
すると、伝わったのか、御舟先生らしき人は、綺麗なホワイトブロンドを搔きながら、吸っていた煙草を携帯灰皿に押し込み、俺の元に歩き出す。
「邪魔だ、どけ」
押しやられ、扉から建物に入る。
何だ、俺の元に来たわけではないのか。
「何してる。早くついてこい」
「ハイ」
元気よく返事をして、御舟先生の後に続いた。
#######
見晴らしの良い屋上から、先ほど来た特別研究室に場所を移す。
やはり、部屋は脱ぎ捨てられた服や下着、研究で使われていただろう紙の資料、カップ麺のゴミなどが散乱している部屋で、執務机に垂直になる形で、ローテーブルが置かれ、そして、ローテーブルを挟んで対象にソファーが置かれていた。俺は、御舟先生から見て右手側のソファーに座る。視線の先には窓ガラスがあり、東京湾を相変わらず、一望できる。
本当に、良い場所にあると思う。
研究の息抜きで、海を見る事が出来るのだ。ここで、研究したいという科学者は多くいるだろうし、様々な発想が生まれそうだ。これお、全ては有数の大企業出る御舟重工業だからだろう。
なんて、御舟の力を再確認していた所で、御舟先生の声が耳に入る。
「私の名前は、御舟マリアだ。それで、お前は誰だ?さっき名前は聞いたが、もう一度、自己紹介を頼む。手短にな」
「えっと、S大学から来た藤原ゼミの星野優胡です。
出身は京都です。好きな物は寿司です。趣味はバスケです。よろしくお願いします!」
「よろしく」
御舟先生は、興味なさげに、コーヒーを飲みながら言う。
「もうちょっと、興味持ってくださいよ、御舟先生」
「いや、無理だな。あたしはガキには興味ないんだ。
あと、私の事はマリアと言え。御舟先生はやめろ」
うそでしょ。
これから、自分の下で働く人に興味持てないって、駄目だろ。
心の中で、呆れながら、話を続ける。
「それで、俺は何をすればいいのでしょうか?
藤原先生からは、家政婦的な事が仕事内容だと聞いてはいるのですが」
「そう。なら、ほとんど、その認識で間違いはないわ。
これから、私は大きな研究に取り掛かる。それは、もし成功すれば、歴史に名を残せるほどのものよ。私はその研究を絶対に成功させたい。させなきゃいけないわ。
だから、あなたには私が万全の状態で研究に専念できるようにしてほしい。その為に、あなたには私の衣食住環境を整えてほしいのよ」
――歴史に名を遺すような研究
その言葉が重くのしかかる。
そんな大切な研究の一端に僅かでも、俺が関わるのだと思うと、怖気づく。絶対に、もっと他に適切な人材がいる。そう思った。
「わかりました。でも、一つ質問してもいいですか?」
「ああ、いいぞ。何だ?」
「なんで、俺なんですか?
もっと、適任は他にいると思います。それこそ、しっかりとした家政婦をやっと他方がいいんじゃないですか?」
正確には藤原先生が決めた事だが、ほとんど同じだろう。
「当然、考えたよ。でも、何があるか分からないからな」
「何かあるんですか?」
「はぁ」
ため息つかれた!しかも、めちゃくちゃ鬱陶しそうな目で見てくる。
そんな、目で見ないでくださいよ。落ち込んで、いつものパフォーマンスを発揮できなくなる。
「もしかしたら、産業スパイ的なのが、紛れ込んでくるかもしれないじゃないか」
「え!?スパイ?そんなことあります?」
「知らん!私はどうでもいいが、上の連中が煩いのよ。
だから、信頼できる藤原先生の伝手でお願いした。
あと、ちなみに、最近、この研究所内で、一人スパイ容疑で、連行されていったぞ」
「こっわ。俺、疑われないように頑張ります。
靴も舐めれる覚悟で、忠誠を誓うんで、連行だけはやめてくださいね」
「ぷっあははははは」
半分冗談で返したのだが、マリア先生に思いのほかウケた。
「いいね。覚悟あるじゃないか。何なら、首輪をつけてやろうか」
「いや、それはやめときます」
「ふっ、まぁ、なぜ、私がお前を雇うかは分かっただろう。それで、他に質問はあるか?」
「そうですね。やっぱりもう少し、詳しく仕事内容を話してもらってもいいですか?」
流石に、「家庭教師的な仕事」では、何をすればいいのか、分からない。
「う~~ん、と言っても、私も分からないんだよな」
マリア先生は、足を執務机に乗せて、頭をひねる。
「まぁ…………そうだな、朝の9時くらいに出勤して、18時に帰れ。
その間に、3食私の為に作れ。あとは偶にだが、私の事件を手伝え。以上だ」
「何ですか、その雑な勤務体系………………あと、追加で、土日は休みにしてください」
「わかった。ああ、そうだ。これは絶対だが、そこの奥にある部屋だけは開けるなよ」
「了解です。ちなみに、理由を聞いてもいいですか?」
マリア先生は居住まいをただす。
「別に大した理由はないさ。
あそこには、私個人でやっている研究の成果が眠っているのよ。
だから、勝手に見るなってこと」
「わかりました」
と、とりあえず、話が一段落したところで、ちょうど時計を見てみると、単身が12時を超える時間帯であった。
「私お腹すいた。早速、ご飯を作ってほしいわ」
「そうですね。俺もお腹がすきましたし、早速、働きますか」
「そこに、台所があるから」
「了解です」
俺はソファーから立ち上がって、部屋の奥にある台所に行った。
それにしても、この部屋には何でもそろっているな。
まるで、この部屋自体が一つの家のようだ。もしかしたら、マリア先生はここに暮らしているのかもしれない。
そんなことを考えながら、冷蔵庫を開けた。
######
「ほう、結構、美味しいじゃないか」
マリア先生はそう言いながら、俺が作ったカレーを頬張る。
クールビューティで、仏頂面のマリア先生の口角が僅かに上がる。
作り甲斐があるってものだ。
「ありがとうございます。
それにしても、眺めがいいですね。オーシャンビューってやつですか」
「ふん、だろう。この研究所の特等室だからな。
一番に私が占領してやった」
「あはは」
思わず、苦笑いが浮かぶ。おそらく、その際もひと悶着あったのだろう事が、想像できる。まだ、会って数時間だけだが、それでも、この人物の性格的に考えられた。
「おい、苦笑いするな」
「いてっ」
それを悟られた俺は、机の下から、マリア先生に蹴飛ばされる。
「やめてくださいよ」
「はんっ」
マリア先生は鼻を鳴らしながら、そっぽを向いて、カレーを口に運ぶ。
それにしても、本当に良い景色だ。一緒に仕事をするマリア先生も正確に難はありそうだが、楽しくなりそうだ。
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昼食後、テーブルから立ち上がり、マリア先生は先ほど座っていた執務机の椅子に座り、紙の資料をペラペラと読みだす。
マリア先生は緩やかに、仕事に向かった。
それを見届けて—
「さて、何をしようか?」
家政婦と言っても、何をすればいいのか………。
初めての仕事過ぎて、まったく分からない。しかし、やることはいっぱいありそうだ。片付けに洗濯、掃除とやることはある。
でも、まぁ、まずは、皿洗いから始めるか。
「よし」
自分自身に一声かけて、立ち上がった。
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「よっし、これで終了」
そう呟きながら、最後の下着を洗濯機にぶち込み、洗濯開始のボタンを押す。
途中、山のように積み上げられたマリア先生の下着軍に圧倒され、右往左往しながらも、何とか片付け・掃除・洗濯を終了させた。朝、この部屋に訪れた際に比べて、大分スッキリするようになり、都内一等地に建つタワマンにも負けないほどの、この部屋本来の美しさや大人らしさを取り戻していた。
「それじゃあ、今日はこれで帰りますね」
「待て、エントランスまで、送ってやるよ」
マリア先生は煙草を咥えながら、ぼさぼさの頭で言った。
どうやら、見送ってくれるらしい。
意外と優しい人物である。
「ありがとうございます」
感謝を述べ、来た道と同じ道を行くと――
「おい、どこ行ってるんだ?」
マリア先生は、俺とは反対に屋上へ続く階段の方向に身体を向けていた。
「どこって、エレベーターですけど…。
マリア先生の方こそ、どこ行こうとしてるんですか?」
「こっちからも、階下に降りれるんだよ。てか、こっちの方が速い。こっちから行くぞ」
無理やり、道を決められ、俺はアリア先生の後に続く。少しずつ距離を縮め、隣を歩く。
お互い無言で、研究所の暗く清潔な階段を降りる。
とっ、ずっと抱いていた疑問を思い出し尋ねる。
「そういえば、家政婦役は俺で大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない」
「即答!
いやいや、しっかり考えて発言してくださいよ。マリア先生みたいな美人に言われると、すごく傷つきますから」
言葉が足りない俺が悪いのだが、それにしても即答すぎる。もっと、考えてほしかった。じゃないと、俺が傷つく。
「俺が本当に聞きたかったのは、家政婦的な役回りは俺みたいな男でいいんですかってことですよ。
もう、今更ですけど、会って数時間の男に下着を触られるのとか、嫌じゃないですか?」
「そういう事か。
そうだな、めちゃくちゃ嫌だ。なんの躊躇もなく、私の下着を触って洗濯機に入れていた所を見たが、普通に引いた」
「そうなんですか!だったら、もっと早く行ってくださいよ」
「はんっ、まぁ、別にいいんだけどな。そんなに気にしてはないよ。
ただ、その時はそう思っただけさ」
「はぁ」
謎だ。
いくらマリア先生が稀代の天才科学者であり、浮世離れした存在だとは言え、女である以上、普通は男である俺に、そうやって下着を勝手に触られるのは嫌なのではないだろうか。理解できない。男のおれではなく、別のゼミの女性に変わって貰った方がいいのではないだろうか。
「やっぱり、別の女の人に変わって貰いましょうか?
そっちの方が男の俺よりもやりやすいんじゃないですか?」
「いや、いい。私はお前がいいんだ」
マリア先生は確かな声で、そういった。
「お前は顔が良いからな。いわゆる美少年という奴だ」
ハリウッド映画の大女優にも負けない顔の良さを持つマリア先生に褒められて照れる。正直、自分の顔の良さにコンプレックスを抱いていた俺だが、この時ばかりは嬉しかった。
「毎日見る顔はそういう顔が良い。
それとも、お前は初日から根を上げたか?」
マリア先生は、俺を見上げながら、挑戦的な笑みを浮かべる。
俺はその笑みに、「ばちこーん」と射貫かれた。
可愛すぎて、胸が熱くなる。この人に会いに来るだけで、この仕事をやる価値がある。
「はい、頑張ります」
俺は半ば無意識に、元気よく答えていた。
「いい返事だ」
まるで、しっかりと言いつけを守る犬にするように声を掛ける。
と、雑談をしていると、エントランスまで来た。
時間は20時。
研究所の外は僅かに、明るい。
「今日はありがとうございました」
「ああ、こちらこそ、ありがとう。さようなら」
俺はマリア先生に会釈して、研究所を後にした。