前編:ラベンダー
数年前に放送していたドラマ「日暮旅人」の嗅覚版あったら、でそれがフツーの女の子だったら?みたいな。
日常生活恋愛版になるだろうなと言う妄想でつくりました。
「また?」
「また、だねえ。」
高くも安くもない、特別美味しいわけでもない普通の居酒屋。
店内は週末ということもあって賑やかだ。あら、あそこのおにいさんいい体してる。
おっと、何度目かもわからぬ店内観察を遮って正面を見やれば、腕を組み足も組んで座る友人の姿。ああ、これは呆れていらっしゃるようだ。
「今度は何の?」
顔を上げれば、深く細く吐かれる溜息。同時に漂うふわっとした甘い香りは私の気持ちを落ち着かせてくれる。知っている、こんな時、彼女の匂いは特別甘く優しく香る。
「・・・ラベンダー」
また視線をずらして呟くと、不思議な顔をされた。解せぬ、とな・・・
「ラベンダーなら悪くないと思うけど・・・」
そう。ふんわり匂ってくるラベンダーなら何の問題もない。問題が起きるのは・・・愛情の強弱に比例して匂いがきつくなるからだ。加えて、
「うちのばあちゃんの家のね・・・」
「うん」
「トイレの消臭剤がね・・・」
「まさか!」
「そのまさかよ。」
「それはキツイ」
「わかってもらえてうれしいよ」
あろうことか、幼き日にかいだトイレの芳香剤の匂いだった。ふんわりならいい、リラクゼーション効果もあるというし。ただ、近づいた瞬間にむわーっと漂ってくるのはいただけない。そういえば、あのトイレはラベンダーの香りが充満していた・・・なんて一緒に思い出してしまう。三つ子の魂百まで、刷り込みによって、ラベンダーはトイレの香りなのだ。
「建前は?」
「毎度おなじみ」
性格の不一致。あら、芸能人の破局理由みたじゃない。これを飽きたと言う言葉で包んで差し出すのだけど…
この大学らいの友人には洗いざらい話している。というより、なんかあったんでしょう話しなさいオーラがビシビシ襲って来る。故に、この無言の圧力に耐えられた試しがないという方が正しい。
大学卒業から早2年。特別マメとは言い難い私が居住も業界も違う柚果と2、3ヶ月に一度呑む会が続いているのは、昔の私を知る人にとって驚愕すべき事由だろう。
気があう以上の、生き方そのものに対する意識が似ているのだろうと納得しあったのは卒業間近だった気がする。
「好き度が増すと続けられないってのは、ある意味拷問ね」
ま、私には想像でしかないけど。そう続ける姿は間違いなくいい女、私の理想。
「でもよかったじゃない?前の前の…誰だっけ…商社マンみたいにならなくて」
「それが唯一の救いよ」
顔合わせなくて済むんだから。
知ってる?
愛の裏返しは無関心だと誰かが言っていた。ならば無臭だろうに、別れて少し経つとヘドロの匂いに変わる。運河のヘドロ。これが無関心の香りというのだろうか。わからない。
むせ返るような愛情から、吐き気を催す腐臭へ。
学校内でしか出会いが無かった時代は、別れてからが苦痛でしか無かった。
「それを憎悪って言うのよ」
はい、ありがたいお言葉頂戴しました。
「今回は私もちょっと責任感じてるかも」
ふむ、責任とな。
「取り次いだの私だもん」
「いい人だったよ」
「知ってるよ」
いい人だったのだ。理知的な表情、よく笑う明るい顔、理詰めで寄ってくるくせに、こちらの話を蔑ろにしない。ルックスだって理想を体現したような。細くも太くもない、強いて言うならやや背が高いくらいで。大人の男とは彼のような人を指すのだろう。私にはもったいないと思ってしまうほどの、いい人だったのだ。
テーブルにプリントされた木目を眺めながら呟いて
「あれで、ムックの香水付けてなければまだ頑張れた」
「匂いのミックスは辛いね」
「充分頑張ったよ、あんたは」
「うん」
「クサクサしないの」
「あの人には、いい彼女ができると思う」
難儀なものだ。好きになればなるほど、苦痛になるだなんて。苦痛を感じるのは、私だけだなんて……。
どうして、私が、私だけ。
24歳にもなって安い居酒屋で、うだうだ文句を並べてはヨシヨシと慰められていた。私を気遣う仕草と匂いが重なる。甘い優しい香りの良い友をもった。
週明けのプレゼンなど頭の片隅からも追いやって、存分に甘えるのだ。
もう一話だけ続きます。
おつきあいくださいませ。