1:騎士団長の襲撃
長身の、左目を眼帯で隠した男が、薄暗い酒場の端に半身で立っている。しゃれっ気のない黒いブーツに、くたびれたズボンとシャツ。右手には小さな投げ矢を持ち、気負う様子もなく、右目で遠く向かいの壁に立てかけられた的を見つめている。
「今日も頼むぜ、いとしい投げ矢ちゃん」
軽口を言いながら慣れた投げた矢は、吸い込まれるように的の中心に刺さり、トンッと小気味よい音を立てた。
「あーくっそ、またかよ」
酒場の主人は苦々しい顔つきで太い指を伸ばし、矢を的からもぎ取った。
「鳥殺しさんよ、ちったぁ手加減してもらえないかね。こう毎日毎日当てられたんじゃたまったもんじゃねぇよ」
「まあまあ、そう嘆くなよご主人」
眼帯の男――アルカ・ペルセヴェランテはへらへらと口元を歪めた。
「ちゃんと加減はしてるだろ。こちとら片目のままなんだ」
そう言って、黒い眼帯に覆い隠された自身の左目を指さす。
「結局当てやがるんだから、加減になってねぇよ。たまには外せって言ってんだよ」
「それはごめんだ。当てたら一杯タダにしてやるって言ったのは、そっちじゃないか。なぁトロイ」
アルカはそのまま窓際の席に座りながら、向かいで書を読んでいる隻腕の若者に語り掛けた。
「そうだな。たしかにそう言ったよ」
トロイ・ペルセヴェランテは右手で机に頬杖をついたまま、ふわりと眼前に浮かぶ半透明の蒼白い本から目を離さずにそう答える。――それは明らかに魔導書の類であった。
「この本の記憶の章にそう書いてある。10589枚目だ」
「っち、酒の席の軽口だろうが。勝手に魔法の契約にしやがって」
主人はたまらず舌打ちをする。
「口は災いの元、ということだよ」
トロイは碧眼に紫色の古代文字を映しながら、退屈そうに答える。
「口よりも手を動かしてくれたまえ。今日は月光香のカクテルの気分だな。君はどうだ、ロコ。何を飲む」
話を振られて、トロイの隣で目をつむってにやついていた少年は、
「今日は酒はいいや」と目をつむったまま答える。「ざくぎりパンのチーズ三枚乗せで」
「なんだ、そんなんでいいのか」
「飲むと眠くなっちゃうからね。いつもなら、それでもいいけど」
「ふぅん、珍しいな。何か用事でもあるのか」
「用事がね、今向こうから歩いてきてるよ。懐かしい顔がね」
少年は細い指をぽきぽきと鳴らして、目をつむったまま何かを見送るように首を動かした。
「領事館も通り過ぎたってことは、まず間違いなくここに来るね」
「誰が来るんだ」とアルカが尋ねると、
「アルカの苦手な人」とロコはいたずらっぽく笑った。
〇
「邪魔をする」
しばらくして、酒場の戸を開けて入ってきたのは白い竜鱗の鎧をまとった騎士だった。胸当ての形状から女だと分かる。金の飾り尾のついた兜を脱ぐと、その飾り尾よりも鮮やかな金色の髪が薄暗い酒場を彩った。
女騎士は整った目鼻立ちをアルカたち三人に代わる代わる向けると、
「だらしないな」と冷たい声音を発した。
「昼前から酒場とは。他にやることはないのか」
「ない」とアルカは簡潔に答える。
「理想的な生活じゃないか」とトロイは魔導書を見つめたまま言う。
「お久しぶりですキアラ様」ロコはつむっていた目を開け、愛想よく笑いかけた。
「久しぶりだなロコ。アルジャーノは元気か?」
女騎士――キアラ・ウィワトスは遠慮なく歩を進めて、アルカの隣、ロコの向かいの席に腰を下ろした。
「彼は寿命で。でも、子供が6匹もいますよ」
「それは重畳。子だくさんはいいことだ。ところで主人、なんでもいい、軽く用意してくれ」
キアラは兜の中に銀貨を一枚放り投げ、片手で主人に突き出す。あまりのことにまごついていた主人だったが、銀貨の響く音で我に返ったのか、「お預かりします」と慌てて兜を受け取り、カウンターの中へと引っ込んでいった。
「単刀直入に言おう。当てがないならウィワトスへ来い」
前置きもへったくれもないキアラの物言いに、
「相変わらずだな」アルカは少し椅子を遠ざけて、長い脚を組んだ。
「もうちょっと愛嬌ってもんがないのか」
「貴様に振りまく愛嬌はない」キアラは冷たい視線をアルカに向ける。アルカは目をそらさずにじっと視線を返したが、
「分かった分かった、負け負け」キアラの視線の強さに、十秒と持たせることができなかった。
「コカトリスより冷たい目ぇしやがって。そんなに俺が嫌いか?」
「嫌いだな」とキアラは答える。
「金だけ貰ってすぐに行方をくらませたと思ったら、この半年でずいぶん派手に使ったそうじゃないか。帝都までの道すがら、どの色町で聞き込みをしてもすぐにお前の名が出たぞ」
「まあ、そりゃ、なあ」アルカはばつが悪そうに眼帯を指で掻く。
「傭兵が戦争終わったらやることといったら、万国共通、千人が千人ともそうだろ」
「程度というものがある。傭兵の退職金のせいで我々が幾つの復興政策を諦めたと思っているんだ。少しは申しわけなく使え」
「はいはい悪かったよ。妓楼の一つもないウィワトスに金を落とせなくて悪かった」
「……」
「悪かったって。ってか大隊長どのが色町で聞き込みなんかするんじゃねぇよ。どんだけの人間が肝冷やしたと思ってやがる」
「知ったことではないな。綱紀粛正のついでだ」
「こうきしゅく……。おいおい、まさか潰してないだろうな」
「合法な宿はな。貴様が使ったようなところは潰したよ」
そう言ったキアラの浮かべるこらえきれないような微笑みに、アルカは背筋に寒いものを感じた。
〇
「で、ウィワトスに行けば仕事があるのか?」
すっかり黙りこくってしまったアルカに代わって、トロイが尋ねる。
「俺たちもただ遊んでたわけじゃない。それなりに情報は仕入れている。帝国との和平は事もなく進んで、しばらくは平和に収まる流れだろう? 今、帝国との国境沿いの田舎に行ったところで、仕事があるとは思えないな」
「何も戦争をしろと言っているわけじゃない」とキアラは答えた。
「やってほしいことは治安の維持だ」
「ほう……。治安」
トロイは瞳を小さくくるりと動かし、魔導書のページをめくる。
「傭兵崩れの野盗でも、残っているのかい」
「それもある。ウィワトス家の威光を知らん帝国側の傭兵どもが幾らか流れてきているようだ。しかしそれ以上に問題なのが、セプス森林と山脈の獣どもだ。現役の狩人はほとんど戦争で死んだか、引退を余儀なくされている。このままでは先祖が開拓した村々が維持できなくなる」
「なるほど。狩人の代わりかい」
トロイは小さく首をひねった。
「腕は鈍らないだろうが、名声にはならないな。時間の無駄だね」
「そうかな? 働き次第では、私から騎士団に取り立てることもできるが」
キアラがそう言うと、トロイは初めて魔導書から目をそらし、キアラを見つめた。
「……だったら、今すぐ取り立ててほしいものだね。ペルセヴェランテ傭兵団の生き残りってだけじゃ不満かい?」
「これから私が持つであろう騎士団なら、それだけで十分だ。しかし、貴様を守護している戦乙女とやらは、ひどく女を嫌うのだろう?」
「――そう、だね。そこはごまかしようもないか」
トロイは無念そうにそう言って、また魔導書に視線を戻した。
「この平時に、他の騎士団にわざわざ推挙するとなると、それなりの理由が必要になる。幸い、ウィワトスは大物には事欠かんぞ。戦争に付け込んで財宝を奪っていった憎たらしい竜も何匹かいるしな」
「竜退治……。竜か。そういう名声の稼ぎ方もあるか」
トロイは納得したのか、それきり黙り込んで規則正しく魔導書を目で追うばかりになった。
〇
会話の切れ目に主人が鶏肉の挟み焼と瑞々しい葡萄を持ってくると、キアラの声音が少しほころんだ。
「青葡萄か。ウィワトス産か?」
「それはもちろん。かみさん叩き起こして買いに行かせましたよ」
「それは済まないな。わざわざありがとう」
「いえいえ、そんな。またご入り用でしたらベルでお知らせください」
主人はかしこまったまま、またカウンターの奥へ引っ込んでいく。
「いい店じゃないか。客は少ないが」
「そりゃ、昼前だからね。あと半時間もすれば常連さんでにぎわってくるよ」とロコが答えた。
「それよりさ、騎士団を持つってことは、キアラ様、騎士団長に出世したの?」
「ああ。無事、父の騎士団を引き継ぐことになった」
「よかったねぇ、おめでとう」
「ありがとう。とはいえ、かなりボロボロの騎士団だがな。しばらくは編成で手一杯だろう。王都を離れられそうもない」
「叙任式ってもうやったの?」
「それも編成が終わってからだな。一年以内にはと思っているが、まだ目途はつかん」
「そうなんだ。式にはぜひ呼んでほしいな。きっとごちそうが出るよね」
「ああ、用意して待っていよう」
「やった。じゃ、僕も契約成立ってことでいいよ。あとはアルカのご機嫌しだいだね」
ロコがそう言って話を振ると、アルカは小さくため息をついて、話を引き継いだ。
「俺はもともと狩人だから、仕事に不満はないが。問題は報酬だな。ぶっちゃけどれほど払えるんだ?」
「生活費は保証しよう」とキアラは言う。「仔細は妹に任せるが、衣食住に困ることはない。それ以上は働き次第だ」
「成果報酬か……」
「気が進まないか?」
「いや、分かりやすくていい。ただ、妹の――ソリアちゃんの金銭感覚が少し心配だな。一般的な傭兵や狩人の相場が分かってるのか?」
「心配するな。経世済民なら私よりもずっと優れた妹だ」
「私よりも……。当てにならないな」
「何か言ったか?」
「なんにも言ってません。――ともあれ、トロイとロコが納得したなら、断る理由もないか」
「ふむ、貴様にしては素直だな」
「おっと、受けるには受けるが、今すぐじゃないぜ? あと二年くらいなら余裕で遊んで暮らせるからな」
「ほう、そういう釣り上げ方か」
キアラは呆れた様子でアルカを見てから、急に無言になった。
そのまま圧力をかけるかのように手袋を脱ぎ、葡萄を手に取って、一つ、二つと頬張っていく。
アルカは視線の圧力を受け流しながら、実際のところどうしたものかと、悩んでいた。
酒場で暇を潰しているのも、キアラの提案に気が乗らないのも、深い理由はない。ただ、少しずつ盛り上がってきた国全体の戦災復興の雰囲気に、不思議と乗り切れないものを感じていた。
散々互いに消耗した挙句、痛み分けで終わってしまった戦争に。
どうにも、納得しきれない。
終わったような気がしない。
「必要がなければ、言わないでおこうと思っていた。真偽を確かめていないから」
キアラは葡萄をひとしきり食べ終わると、そう言った。
「帝国の国境沿いの集落で、魔女の姿が目撃されている」
「魔女?」
アルカは突拍子もない話に眉をひそめた。
魔女とは、死人の呼び名の一つだ。
人の魔力の源泉は神々や精霊であり、魔術師はみなそれらと魂を共鳴させることによって魔術を使う。だが、神々や精霊にあまりに近づきすぎると、人は自我を失い取り込まれ、死に至る。
そうやって死んだ魔術師のうち、女神に魂を引きずられた女魔術師のことを、魔女と呼ぶ。
「タチの悪いことに、炎の女神アポテフロスの魔女だと思われる。帝国の土地を焼きながら、駐屯部隊を誘い出すかのように、国境沿いの森に逃げ込むそうだ」
「アポテフロス……。まさか?」
聞いていたトロイとロコも血相を変える。
「今のところ、帝国側は魔女とウィワトスを結び付けてはいない。だが、少しでも時勢が変わり、帝国との和平がこじれれば――。魔女は宣戦布告の格好の材料になりうる。あるいは、魔女の存在そのものがせっかくの和平を台無しにするかもしれない。少なくとも、好戦派が帝国軍にそれなりにいるのはたしかだ。魔女一人、やろうと思えば殺せるだろう。それを半年も放置しているのだからな」
「……事情は分かった」
アルカは立ち上がって、キアラの目を見据えた。
「今すぐにでも、ウィワトスに行こう」
「――済まないな」キアラはアルカの片目を見返して、
「君らに頼むべきではないのかもしれないが、他に始末を付けられるような人材がいない」
初めて、自分から目線を切った。
「トロイもロコも、それでいいな」
「いいとも」
トロイは魔術書を閉じ、羽織っていたローブの懐にしまい込む。
「外れだろうと、魔女狩りなら、悪くない。竜ほどじゃないにしてもね」
「ほんとに、カリン姉さんなのかな」
ロコは、おそるおそると言った様子で、目を伏せる。
「まだ、決まったわけじゃないよね」
「そうだな」とアルカは答える。
「でも、その可能性がある限り、行くべきだろう。俺たちは結局、カリンの死体は見つけられていないんだからな」
アルカは終戦してから初めて、自分の心の中に燃え立つものを感じた。
魂を火にくべてでも、独りで戦い続けている仲間がそこにいるのなら、
迎えにいかなければならないと、強く思った。




