巨人vs.ミルシェ守り隊と恋する乙女(上)
レスティアは見た。
建造物と見紛うゴーレムが右拳を振り上げるところと、その足元に居るムネヒトを。
重力に沿って叩き落される巨人の攻撃は、もはや土石流と呼べる規模だ。それを迎え撃つのは黒髪の青年の、腰に据えられた拳。得物は無い。それはアッパーカットというより、斜め上に撃ち出すスマッシュブロー。
まさか、それで対抗しようというのか。愚かというより見ている自身の目の方が間違いじゃ無いかとさえ思える光景だ。
やがて一体と一人は同時に攻撃モーションに入る。一方は振り下ろし、もう一方は振り上げた。拳対拳なんて形容詞は似つかわしくない、比較など無意味な質量差だ。そして一瞬の後激突する。
「――――ッ!」
辛うじて音となる叫び声は、耳を劈く轟音にかき消される。訪れる烈波に目を伏せ身を縮ませた。
『なっ――にぃぃいいぃい!?』
次に目を開けたときに彼女が見たものは、右腕を肩から喪した巨人の姿だった。たたらを踏み、地を揺るがしながらゴーレムは後退する。
大小様々の岩石が雨を奏でながら、アカデミーの正門前に降り注ぐ。
その中で傘も差さず拳をゆっくり戻す男がムネヒトだ。どしゃぶりだというのに、彼の口には白い三日月が浮いている。笑っているのだ。
「嘘――……」
レスティアは見た。
【ハイヤ・ムネヒト】
『サンリッシュ牧場第二区画管理者』
『王立統合アカデミー非常勤教員』
『???』
レベル 1
体 力 810/810
魔 量 211/211
筋 力 744
魔 力 411
敏 捷 347
防御力 999
圧倒的、その一言しか無い。
レスティアのこの枠外スキル、かつユニークスキルが裏切ったことはない。それでも疑わずにはいられないかった。
正確な数字は情報で大きなウェイトを占めるが、それを鵜呑みにすることの愚はレスティアも当然知っている。単純な数値では測れない強さの種類という物は確かに存在するからだ。
だが、この青年の身体能力はなんなんだ。レベル1に許された力量ではない。
更に驚くべきは防御力の999という数値だ。どうやらこれは自分に観測可能な限界であるらしい。確実なことが言えないのは、三桁まで計測できる己の能力が不足だったことなど一度だって無いからだ。意図せずレスティアは自分の能力の正確な限界を知ることが出来た。つまり自分のスキルでは彼の全容を知ることが適わない。
例えば薬品の調合に使う秤で、山の重さを計測しろと言われても出来ないように。
一メートルのメジャーで、空を行く雲の長さを測れと言われても不可能なように。
これが真実だとするならムネヒトの頑強さは常軌を逸している。999と表示されていることは、それ以上という可能性すらあるのだ。
なんだそれは。本当に彼は人類なのか。
ムネヒトは、不敵を通りすぎ獰猛な笑みを浮かべたまま走り出した。
初動から最大加速。一歩目から弾き出した速さはレスティアの視力を以ってようやく視認できるほど。二歩目で彼女の視界から彼が消えたかのように見えたのは、最大速度と思われる物を易々と凌駕したからだ。
黒の軌跡がL字を描く。跳躍だ。ハエを払うように石の巨人が左腕を振るう。しかし、その男はハエではない。
宙を横切った左腕を足がかりにムネヒトは巨人の頭部らしき場所へ飛んだ。
筋力や体力を牛達から分けられている彼だが、体重は分配されていない。前々からムネヒト自身も思っていたことだが、この力に自分の身体は軽すぎる。
「おお――ッ!」
跳躍の勢いをそのまま拳へ。ゴーレムの体躯に比べれば針のよう細さだが、内包する威力は絶大だ。ボールでも投げるかのような振りかぶりから打ち出された右手は、確かに音の壁を越える。
追撃。銅鑼を鳴らしたような異音が響き、頭部が爆砕される。
『あぁぁああああぁあぁああああ!? ば、バカなぁぁあああああああああっ!?』
品性も個性の無い叫びを瓦礫と共に撒き散らしながら、巨人は背から煙の絨毯へと叩きつけられた。
音もなく着地したムネヒトは両腕を大きく広げ、更に角度を計算し前傾姿勢で突撃した。残心をとるという高尚な精神も技能もムネヒトには無い。怒りに任せ巨人を破壊するだけだ。
レスリングで言うところのタックルは、地面と抱擁する時間すら許さずゴーレムを大きく揺する。
『ぐ、あ、っが、ぎぃ、ガがガ、ァナァあ、ああが、が――!?』
立つことも腕で突っ張ることも出来ず、巨人は出来の悪い泥団子のように坂を勢いよく転がりあがっていく。さながら高速のブルドーザーで撤去される瓦礫だ。目指すはノーラが設定した中庭という特設のリング。
「おおおおッ!」
瓦礫の山に埋もれ前など見えないが、例によって行くべき場所は分かっていた。最寄の四つの赤い点、BとEのツーペアを目掛け、記憶にある正門から中庭までの順路を思い起こし、道中に人影が居ない事を確認しながら猛進する。
体格差を考えるなら子猫と成人男性ほどはあるだろうが、この程度の重量など何の痛痒にならない。
今のムネヒトの身体能力は、サルテカイツの屋敷で大暴れした時とは比較にならない。あの時から牧場で世話をしている牛も増えたことと、それぞれからの『乳深度』も大きく進展していることが主な原因だ。
かつて分け与えられていた『乳深度』は二人と17頭の牛達から平均して50%だったが、現在はバンズとミルシェに加えリリミカとレスティアから平均して70%、25頭の牛からは平均200%の付与を受けている。人からの最大値はミルシェの117%、全『乳深度』最高値はハナで、その数値は現在280%を上回る。
矛盾は無い。『乳深度』の最高値は100%ではないからだ。例えば人の乳房は双つあるのだから、個人から与えられる最高値は200%となる。『おっぱいってのは二房一対でありながら、左右で趣が大いに違う』とは彼の持論であり、右胸も左胸もそれぞれを知り尽くしたいという、貪欲だが正直なムネヒトの願望だ。
牛達にしてもそうだ。乳房の形状は人間と大きく異なり一つが腹部に大きく備わっているという物だが、実際に100%を越えている。このことから、乳房の数を乳首の数と定義しているらしいことが分かる。
牛の乳首の数は一般的には四つ、牛一頭から与えられる『乳深度』の最大値は400%だ。
頑強さも怪力も、あの時とは文字通りケタが違う。
「ぬんっ!」
最後の一押しにと、巨岩を前蹴りで弾き飛ばす。
巨人は胴体と脚だったらしき部位を粉々にされもんどり打ちながらし、ようやく中庭で停止した。横たわってもなお高さは成人男性の身長を遥かに上回るが、この場合見下ろすのはゴーレムより小さい青年だ。
『ひ、ぃぃ……ばぁ……バケモンがぁ……!』
ムネヒトは粉塵を煩わしそうに手で払いながら、そこで少しは冷静になったのか自身も中庭に足を入れた。一瞬、透明のカーテンのような物が空中に揺らめく。多分これがノーラの言っていた魔力による結界なんだろうと、ムネヒトは頭の片隅で思った。
「まったく、あんなに暴れて……結界も場の再構築術式も完璧じゃないんだがなー……」
決闘用の設備を最大稼動させながら、ノーラ女史は唖然としているレスティアの隣で呟く。元は学業用のものであり模擬戦や授業などで利用され、外に被害が及ばないようするための防護壁や、破損をある程度は修繕できる魔術式が組み込まれている。
しかしこれはある程度で済むだろうか。ノーラは学長に提出する反省文を考え始め、ハイヤ先生に書いてもらえばいっかと考えを中断する。
「ここなら存分にやれるな……と言いたいところだが、まさかもう決着か?」
視線の先には四肢をもがれたゴーレムの姿だ。頭部や手足がないと、左右上下の区別もつかない。完全に死に体だ。
だがそれは楽観というものだった。異変は直ぐに起きる。
バラバラになっていた瓦礫が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように巨人へ集まっていく。
「再生系とか、ファンタジーっぽいな……」
軽口を叩きながら、時々再合体を邪魔する為に集まる瓦礫を蹴飛ばしたりしてみるが、いかんせん効率が悪い。妨害は困難と判断し大人しく再構築を待つことにする。
『は、は、ははははっははハハあははははははは! どうだァっ!? 俺様は無敵だ! どんな攻撃だろうが通用しねえんだよォ!』
やがて歪ながらも歩行が可能になったらしく、起き上がりムネヒトを高い位置から見下ろしてくる。どうやら身体と一緒に自尊心も立ち直ったらしい。
鼓膜を叩く何重奏かの哄笑を聞き流しながら、黒髪の青年は首を鳴らす。
「いいぞ別に。お前が完全にぶっ壊れるまで、何時間でも何十時間でも付き合おう。砂粒になるまで磨り潰してやる」
歯を剥き不遜に言い放つ。虚勢でなどではなく、不眠不休で何日間も戦うことが今のムネヒトには可能だ。
「すまん、それは無理だハイヤせんせー! せんせーの力に耐えるだけの白煙壁と結界の併用で魔量消費が半端ないんだ! もってあと10分そこそこなんだよー!」
「マジかよ!?」
結界の外に居るノーラ女史からもたらされた情報に、瞠目するムネヒト。せっかくカッコよく――少なくとも彼の中では――決めたのに、とは口に出さなかった。
『はははハハハは! どうやら勝利の女神は俺達に微笑んでるらしいなァ! そういうことなら悠々と過ごさせてもらうぜ!』
しかも巨人の耳にも聞こえていたらしい。
時間制限があるなら悠長に破壊活動をしている場合ではない。もっと効率のいい解体方法を探さねばと、記憶の鉱山を掘り進む。
「確かゴーレムには有名な弱点があったよな……額に書いてあるDって文字を消せば良いんだっけか……いやEだっけ? それともF? G? H? ええい! 巨乳になっていくばかりで全然思い出せねぇ!」
しかし2.5センチも真実には近づけなかった。
「それは伝統的な自律型ゴーレムの話さー! アレは炉心に生身の人間が存在しているのだろう? だったらそれが核だ!」
見かねたのか、ゴーレムのアドバイスを飛ばしたのはEのノーラだ。
なるほどとムネヒトは頷き巨人を見据える。核を破壊するというのがセオリーだが、それはつまりあの少年を排除しなければなりないということ。
出来れば命を奪うまではしたくない。上手い具合に摘出とか出来ないだろうか。
(あの能力は少年のものでも、騎士科の授業で習う物でもないと言っていたな……何がしらかの装備? 強力な魔術書? それを取り除けば……)
リリミカとレスティアの話を思い出しながら、ムネヒトは方針を練る。核、もしくは力の源に後悔の力を集積する物があるとするなら、それこそを破壊すれば良い。だが仮にそれが完全に少年と同一化していた場合は――。
その時は、俺が血にまみれた泥を被ろう。
希望的観測を持ちつつ最悪の事態も想定し、ムネヒトは拳と覚悟を固めた。
「少年はゴーレムの左胸だな……」
巨人の心臓の位置に青い二点の光を見つける。何ともメジャーな収まり場所じゃないかと呟いた。
「殻を剥いて中身を取り出す。まずは、それを試してみるか」
足裏で地面を均しスタンスを肩幅より広めに取る。腰と膝を落とし自分だけの呼吸を計り、溜めた筋力を足の裏からを爆発させた。
ゴーレムも黙ってみていたワケではない。時間稼ぎが方針になったとはいえ、自分がこんな矮小な存在から逃げ惑うなど考えられない。僅かに少年の残った自我は、自分としては正当な理由から反撃を行う。
ムネヒトは強力だが鈍足な踏みつけを難なくかわし、ほとんど垂直の巨人の脚を大股で駆け上がる。このノミ野郎! と大声で罵られたが、当然相手にしない。
「ふんッ!」
節足昆虫では有り得ない馬力を肘に乗せ、巨人の分厚い左胸を突く。ぼ、と突風が吹き抜けるような音と共にゴーレムの左胸に大穴を穿った。ちょうどムネヒト程度ならすっぽり入る程度の輪が向こう側まで貫通する。
「いない――!?」
その孔に片腕を引っ掛け、覗き込むが目標の心臓部分が見当たらない。
一瞬中身までくり貫いてしまったかと吹き飛ばした瓦礫を目で追うが、そこにも少年の反応は無かった。
その時、視界の端に青い光が動くのを見た。
視線をそちらに向けると、一対の反応が右足のほうまで驚くほど素早く移動していく。
「中を移動してるのか!?」
ちょこまかと器用なと、いかにもな台詞を吐き捨てながらムネヒトは斜め下に意識を向ける。しかし、今度は巨人のほうが早い。まるで竹の子が盛り上がるように左肩の岩石が盛り上がったと思うと、それは丸太のような腕の形を成し、ムネヒトの背面から後頭部を強かに殴りつけた。
「がッ――!?」
ムネヒトは空を行く流星と化し、数秒の空中遊泳のあと中庭に墜落する。寒天のような煙と保護された芝生を捲れさせながらようやく止まった。レスティアの短い悲鳴が響く。
「いちち……クソ、油断した……」
外傷も痛みも皆無だが、五体を揺らす振動は如何ともしがたいらしく頭を何度か振り立ち上がる。
『ひゃははははははは! 馬ァ鹿がッ! 弱点をそのままにしておくわけがねえだろうが!』
勝ち誇ったような笑い声を聞きながら、ムネヒトは再び目を凝らす。例の青い光が右足の辺りにあったとか思えば、今は右肩に。視線をそこに向けると再生した頭部にと、一秒も留まっていない。
核を守るためとはいえ、なんとも乱暴な回避行動だ。密度からいって巨人の内部は空洞などでは無いだろう。その中をピンボールゲームのように跳ね回っているのだから、無事では済むまい。少年の生命は巨人の維持には無関係ということだろうか。
だとすれば、巨人と少年の関係は少なくとも一心同体ではない。少年の摘出がゴーレムの解体に繋がるというのも楽観し過ぎかもしれない。
「やっぱり地道にバラバラにするしかないのか……?」
戦闘力自体はムネヒトが圧倒的に上だ。しかし件の少年を取り出すにしても呪いのアイテムだかを破壊するにしても、全ての手段を試すには時間が足らない。
『ほらほらぁ! 来ないならコッチから行くぜぇッ!!』
とはいえゴーレムも時間も待ってはくれない。暴れるだけの巨人と、急所を見つけ出し破壊するムネヒトとでは、どちらが時間的に有利かを問うまでもないだろう。
小さく舌打し、ムネヒトは向かってくる瓦礫の主と相対する。巨人そのもののの圧力より、時間的余裕の無さが黒髪の青年の神経を尖らせる。
「切り裂きなさい、我が眷属!」
ムネヒトの射程に入る直前、飛来した何かが巨人の腕を横から切断した。それは青い半透明の、成人男性の身の丈ほどある氷の剣。
「右肩でドーンッ!」
そして切られながらも慣性の法則で飛来する瓦礫を、ショルダータックルでバラバラに散らす大柄の少年がいた。
『は、ぁぁあーっ!?』
バランスを崩し体勢を立て直している間に、ムネヒトも精神にゆとりを与えることが出来た。
誰らの仕業か直ぐに分かる。いずれとも、交戦経験ありの二人だ。
「やっふー! ムネっち! 可愛い援軍とオマケはいかがかしら!?」
「リリミカ! ……と、カンくん!?」
「カンくんって言うんじゃねぇハゲオヤジ! つか誰がオマケだチビクラアッ!?」
ハゲてねーし、オヤジでもねーし、と悲しげに否定しながらムネヒトは援軍の姿を見やる。
短い亜麻色の髪と快活な晴天色の瞳、小柄な肉体にエネルギーを凝縮させた少女、リリミカ・フォン・クノリ。
そして短い金髪に赤いピアス、実年齢よりだいぶ年上に見られそうな強面の少年で、こちらの肉体には同年代の平均を上回るであろう筋肉が搭載されている。
先にアカデミーに向かうとは言っていたが、ダルカンとも合流していたらしい。
「しっかし、ホントにデカいゴーレムね……ダルカン、逃げるなら今のうちよ?」
「――ッハ、言ってろ。テメェらこそ、危なくなっても助けてなんねぇからな?」
リリミカは先ほどの氷剣とレイピアを構えながら、ダルカンは筋肉を更に肥大化させながら軽口を叩きあった。
「一応訊いておくが……お前らも戦う気か?」
訊くだけ無駄だなと思いつつ、ムネヒトは二人の学生に問う。
「あったりまえでしょ。お姉ちゃんを苛めてくれたお礼、百倍にして返してやるんだから」
「あれ第三騎士科の生徒なんだろ? 先輩の恥は後輩が雪がねぇとな」
わかもの二人はそれぞれの理由を淀みなく答えた。ふぅと、小さくムネヒトはため息を漏らす。
「……お説教が三分の一になれば儲けものだな……」
「……いいえ、四倍になるかもですよ」
ムネヒトの冗談に別の誰かが答えた。
「レスティア……!」
「お姉ちゃん!?」
新たな援軍の到来を、今度は明らかに案じるような声色で迎えた。
レスティアは黒髪の青年と妹に弱々しいが決意に満ちた笑みを返す。
「私にも手伝わせて下さい。私の能力なら、ゴーレムの弱点を正解に捉えることができます」
ムネヒトは更に後方に居て、様子を見守っているノーラに目を向ける。
向けられた方は肩をすくめてみせた。あえて台詞を付け加えるなら『やれやれ』だっだろうか。
「……頑張り屋さんどもめ」
称賛とも文句とも付かない台詞を吐き、肩と首を回してみせる。
「それじゃ、皆でジャイアントキリングってのをやってみるか!」
後悔の巨人との戦いも、最終章だ。
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猫が花粉症みたいです




