王都にて(中)
「か、ここき、み、みるる、みるるししし……」
男は焦点の合わない瞳をミルシェに縫いつけた。
目の前に憧れの少女がいる。笑いかけようとして隣にいる男が目に入った。例の淫行教員だ。
男の胸中に嫉妬と殺意の黒い靄が渦巻いた。
何故お前が彼女の隣にいる、お前はミルシェに相応しく無い。いや、誰であれそれは同じだ。彼女達は俺にこそ相応しい。花束は英雄にこそ捧げられるものなのだ。
なんて憐れな。あの男に慰み者にされ嫌々付き従っているのが俺には分かる。すぐに解放し、その傷を慰めてやらないと。
そうか――これは神が与えてくれたチャンスなんだ。
俺と彼女が既に切っても切れない関係にあることを知らしめる機会なのだ。
ならば、あのような小物に関わるなんて時間の浪費でしかない。今すぐミルシェちゃんを救い出し、この場を……いや王国を去ろう。
帝国でも貿易国でも良い、俺の力なら何処に行っても平気だ。いや、むしろ国家のしがらみを受けないフリーの冒険者になり荒稼ぎをするのはどうだ。
リリミカちゃんを連れ去れないのは残念だが、その機会はいずれまたやってくるだろう。
呼び動作無くアカデミーの生徒は地面を蹴る。
まるでラグビーボールのように不規則な起動を宙に描きながら、少年は唐突に距離を潰した。
「――え?」
ミルシェは自分に降りかかる脅威をただ呆けて眺めていた。咄嗟のことで身体が反応しないのだ。まるで獣のような挙動で、大手と大口を開いたままほとんど真上から彼女に襲い掛かる。
「ミ――」
涎にまみれた口が名を呼ぼうとする。力いっぱい抱擁しようと勢いを全身に乗せ、そして。
ムネヒトに叩き潰された。
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「ごっ、ぎゃぐぅ!?」
ノミのように飛んできた男を地面とキスさせると、俺はミルシェを背に隠す。思わず殴り落としちゃったけど、不味かったか?
「驚いたな……ミルシェの友達か?」
首だけを向け一応確認してみる。
「えっと……一つ上の第三騎士科の先輩です……二三回、話した事はありますが……」
戸惑いながらそう応えるミルシェ。確かに顔は知ってるが会話したことがあるだけ人物を友達と言うべきかどうか、悩ましいところだ。
「でもまぁ、友達ならあんなジャレ方はしないよな」
そもそもコイツは傷害事件の現行犯だ。コイツより、コイツに叩きのめされた店の人や通行人が心配だ。
「ぐ、ぎ、ぎぎ……じゃ、じゃまままをするな……!」
土に汚れた顔を歪めながら少年は立ち上がる。よく見ればアチコチ怪我をしているように見えた。特に肩と右足の太ももが酷い。
「邪魔って……いきなり突っかかってきたのはそっちだろ。ミルシェに何のようだ?」
「み、みみ、みるしえと俺は、し、しし、将来をやくそそそくくく……」
振り返るとミルシェは首をブンブンと横に振っていた。俺は視線を男に戻す。モテる女は辛いぜってか? 全く、なんでミルシェにはロクな男が寄ってこないんだ。パルゴアにしかり、コイツにしかり、俺にしかり。
相手がまともなら趣味、休日の過ごし方、好きな食べ物、酪農の仕事についてどう思うかなどを尋ねるんだが……そんな場合じゃないらしい。
「俺の後ろから離れるな。でも近すぎて怪我するといけない、五ミルパ――五メートルくらい離れててくれ」
「だだだだから……きききえろ……変態教師ぃぃーぃいいいいい!」
変態教師……やっぱりまだそのイメージなのね……。これがおっぱい教師なら頷くところなんだけど……でも待てよ? それじゃ俺自身が巨乳教師みたいじゃないか? それは不要な誤解を招く原因になるし、青少年達の期待を裏切るようなマネはしたくない。
もし胸板が逞しいことを巨乳というにしても、バンズさんくらいじゃないと――……。
「があぁぁっ!!」
腰から木刀を引き抜いた生徒が横凪に振るってくる。線の細い外見からは想像できないほど迅い剣撃だった。
剣技の心得はないが、力任せに振るわれたと思われる粗暴な剣は横凪に俺に襲い掛かる。狙いは首、とっさに腕を立てて防御する。
「が、はぁあ、ぎぃい!?」
破裂するような音と共に少年の手から木剣が弾け飛ぶ。地面に落ちる前からその得物は半ばからくの字に折れていた。
「危ないな。そんなもん街中で振り回すんじゃ、ない!」
「ぼっご――ッ!?」
剣と一緒に意識まで飛ばしてしまったのか、一瞬硬直する男の腹辺りを蹴り飛ばした。
二秒ほどの空中遊泳の後、地面を二転三転したが、その勢いを利用し器用に立ち上がる。半開きの口から吐瀉物が溢れ地面に点々と跡を残す。
「きぎゃあぁぁああぁぁあ――!」
奇怪は声を発したかと思うと、男は走り出す。不気味な動きだが獣染みた速度だ。猫のように姿勢を低くし、剣は諦めたのか素手で俺へ吶喊してくる。
俺と間合いが混ざる瞬間、騎士科の先輩は急に角度を変える。ほとんど直角の鋭いカット。背後に回る気か?
いや、俺は無視して狙いはあくまでミルシェか。その積極性だけは評価したいような気もするが、それは許さんよ。
少年がミルシェに近づくより早く斜め後ろへ飛ぶ。そしてその勢いのまま横っ面に拳骨を叩き込んだ。
「がァッ――!?」
直進の運動エネルギーを多分に乱され、男はベリーロールしながらゴミ捨て場に突っ込む。露店とかじゃなくてよかった。
ところでこれ、正当防衛が適応されますよね?
恐る恐る周りを見て殴った方の手を意味なくプラプラさせてると、わっ! と歓呼の声が上がった。
「やるじゃねえか兄ちゃん! 見かけによらず、たいしたもんだ!」
「名の知れた冒険者だったのか!? いやいやびっくりしたぜ!」
「おいアンタも殴られただろ! 傷は無ぇか!? 治癒薬は持ってんのか!? コイツを飲みな!」
「お、うん、どーもどーも。怪我は大丈夫ですから、治癒薬は別の機会にどうぞ」
犯罪者扱いされるのはゴメンだが、持て囃されるのも照れくさい。やんややんやと騒がしい野次馬の中にミルシェがいた。ほっとしたような笑みの中に『どうだ』と若干のドヤ顔が見える。
まあ正当防衛の証人を山ほどゲットしたし、ミルシェも無事だし良しとしよう。
「よし。俺がアイツを捕まえておくから誰か――……」
「ハイヤさんッ!」
怪我した人の介抱を手伝ってくれる人を探そうとしたところで、聞き覚えのある声が俺を呼んだ。
声のした方に顔を向けると、レスティアが路地裏から飛び出してきた。彼女らしからぬ焦燥を顔に浮かべ、肩で荒く息をしている。
「レスティア! ちょうど良かった。いまココで暴力事件が」
「ミルシェさんを連れて逃げてくださいハイヤさん! その少年は普通ではありません! 皆さんもどうかこの場から離れてください!」
俺を遮りそう叫ぶと、レスティアは喧騒に包まれたままの野次馬を逃がそうと更に声を張り上げた。回りの人々は、ざわざわと彼女を異分子のように見ていたが、徐々にレスティアの緊迫感が伝染していく。
「何かよく分かんないけど……レスティア、大変なら俺にも手伝えることが……」
そう申し出た俺を、レスティアは驚くほど厳しい顔で取り下げた。
「これは騎士団の……我々の仕事です! 一般人は早く避難を!」
「避難って、お前は一人でどうすんだ。応援は居ないのか? ……おい待て、怪我してないか?」
「こんなもの何でもありません! それより早くここから……」
「ぁぁああああああぁぁああぁーーーーーーーーーーーアァアァァア!」
彼女が言い終わるより早く、ゴミ置き場から少年が立ち上がった。奇怪な雄たけびを上げ纏わりつくゴミ袋を鬱陶しそうに振り払った。
俺の殴った跡はハッキリ残っているが、怒りの炎を些かも弱めていない。むしろヤル気まんまんだ。
その気迫に人だかりはニ三歩後ずさり、俺は一歩前に出る。
「存外タフだな……見かけよりずっと打たれ強いのか?」
俺の拳を受けてまだ動けるのか、なんて強者ムーヴをしつつ少年に向き直る。
「早く逃げてください! ハイヤさんではあの子を止められません!」
レスティアは俺をかばう様に前に身体を持ってきた。よく見ると彼女の服は土埃や血で汚れている。
ふと少年の姿を捉えると、青い瞳を一杯に広げた。驚愕がありありと浮かんでいる。
「そんな……ステータス・アベレージが100を超えた……? いったい、彼に何が起こってるというの?」
少年を見つめ呆然と呟く。アベレージ? 王都ではボウリングでも流行ってるのかな?
「あ、ぁぁが、ぁぁああ、ぎ、こ、ころす、ころすてやる、害虫ぅぅ……、おれ、の未来を、邪魔するクソ虫が、ぁああ、ああ!」
お酒でも飲んでるのかってくらい支離滅裂だ。お酒と言えば昨日のミルシェ(飲酒未遂)を思い出すが、エロさとおっぱいが足らない。
しかし初対面でここまで悪印象だったことなんて記憶に無い。実寸大おっぱい図鑑を見ていたのをクラスメートに目撃された時だってあれほどじゃ……いや総合的には匹敵するか? あの時の女子、ゴミを見るような目だったもの。
「レスティア、確かに俺は一般人だが応援が来るまではお前手を貸すよ。それに、あの生徒は俺に用があるみたいだし」
「だったら尚更ここから離れてください! あの少年は先日の事件の容疑者でもあるんですよ!? 巻き込むわけにはいきません!」
そこまで言ってレスティアは苦々しく顔を歪めた。調査中の機密情報を俺に漏らしてしまったからだろう。
先日の事件と聞いて連想されるのは一つしかない。冒険者達の惨殺事件だ。当初は犯罪組織か凶悪な魔獣が侵入したという話もあったが、あの少年はその犯人かもしれないのか。
「それを聞いたら余計に逃げられないって! リリミカから戦闘力自体は大したこと無いって聞いたぞ! 意地を張らずにココは協力してだな!」
「意地なんて張っていません! 騎士でも冒険者でもない貴方はただの部外者、はっきり言ってしまえば邪魔です! 私達は貴方達を護る義務があるんです!」
「怪我してるお前を置いて離れられるわけないだろ! それにその傷、アイツにやられたんじゃないのか!? 一人で手が余るなら緊急時ってことで俺も一緒にやるって!」
「緊急時だからこそです! 応援だってすぐ来ますから、ハイヤさん達は早く逃げてくださいッ!」
「すぐ来るなら、手伝うのだってちょっとだろ! ほんの数十分くらい粘って見せる! 前々から思っていたが、レスティアは何でも一人だけで抱えすぎだ! アカデミーの仕事だって、ほとんど自分だけで片付けているじゃないか! ノーラとか逆に俺に何でも押し付けて――」
「いまそんな話をしている場合じゃないでしょう!? 来てます、来てますからぁッ!! くっ……! 『下級――」
「がぁ、あぁぁ、あぁあぁーーーーあああッ!! 死ねエェェェーーーー!」
そんな耳障りな叫びを俺とレスティアに届け、恐るべき速さで飛び込んでくる事件の容疑者少年A。
「今レスティアと話してんだから引っ込んでろ!」
「ぅごぉぁッ――!?」
蹴った。
「氷系攻――って、えええええええええ!?」
騎士科の少年は再び同じゴミ山に突っ込む。勢いよく散乱するチリを見るとこの辺りを掃除してくれた人に申し訳なくなってきて、それがそのまま生徒へ追加の怒りになった。
「おいお前! とんでも無い罪を犯しやがって! 家族が悲しむだろうが!」
埋もれた少年には聞こえないかもと思いつつも、そう言わずにはいられない。
「いやあの……えぇぇ……? 変ですね……た、確かにリリミカやダルカン君と立ち合った時のステータスでは……」
何が納得がいかないのか、レスティアの呆然が延長されている。
「とりあえずあの生徒を捕まえればいいのか?」
「……ハッ!? そ、そうです! 些か釈然としませんが好機! 直ぐに彼を……」
「ぎ、い、いいぃい! ぁ、あぁぁ、あぁあぁーーーーあああッ!!」
「うぉ!? また立った!」
バキバキガサガサとゴミ踏み荒らしながら、しっかりした足取りで俺に向かってくる。血だかトマトだか飲み物の残りだか分からないものを身体に付着させ制服はボロボロだが、目だけは鋭く光っていた。
どんだけ俺が嫌いなんだ? もしくはそんなにミルシェが好きなのか?
「き、きさ、きさまぁぁ、ああ、あああぁあああああああ! よ、よよよよくも、この俺を、こここコケにしやがってぇ、ええ!」
この俺ってどの俺だよ。だから、突っかかって来たのはお前であって……いやもう酔っ払いに何を言っても駄目か。
「あ、アベレージ120……130!? これはもはや上級冒険者に匹敵します! こうなったら第一騎士団に応援を、いや団長を……! ハイヤさん何をしているんですか!? もうマグレなんて通じません! 早くここから――ッ!? あッ、あぶ――」
レスティアの言葉が終わるより早く、少年が到来する。これ以上ないってくらい目が見開かれ、暴風雨のように襲い掛かってきた。両の手が猛獣の爪の様に構えられ、それが俺を裂こうとするようだ。けど、
「だから話し中だボケェッ!!」
「ぶぎぁ――ッ!?」
「なええええええええええええええ!?」
また蹴った。逆再生のように少年の身体は宙を泳ぎ、三度ゴミ山に舞い戻り埋没する。もうソコに住んじまえ。
「なんなんださっきから!? ミルシェに気があるのは分かったけど、そんなデートの誘い方があるか! せめてラヴレターとか薔薇の花束くらいは用意しろよ! 真っ赤なヤツな!」
「いや、あの……だから……ええぇぇ……?」
レスティアも随分表情豊かだな。いいからさっさと捕まえよう。
「ムネヒトさんムネヒトさん! 今時花束もってデートに来る人って居ませんよ!」
「………………………………本当に?」
「いや、ミルシェさんも何を言って……ええぇぇ……?」
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暖冬とは言いますが、まだまだ寒いです
追記
またもや誤字報告ありがとうございました!
しかも同じようなミス……穴に埋まってしまいたい……




