ありきたりな展開
「騒がしくなってきた……もう気付かれたのか?」
裏口より侵入した俺は、先ほどの三人がサボっていた部屋のーー召使い用の休憩場所だと思われるーー食器棚の影に身を隠し、壁に耳を当て聞こえてくる足音や会話に耳を澄ませていた。
『警備は何をしていた!?』『休憩中の奴も叩き起こせ!』『向かってくるなら殺しても構わん!』
ここまで届く喧騒は穏やかではない。壁の向こうに透けて見える青い点は忙しなく動き回っている。
話の内容から俺が潜入したことはバレたと考えた方が良い。
(誰にも見つからずに上の階まで行けると考えるのは楽観しすぎだよな)
人の居ないタイミングを見計らって此処を出たとしても、いずれは気付かれる。周りは全て敵だ。接触は避けられないだろう。
とはいえ全く勝ち目が無いとも言い切れない。俺にスパイ映画の主人公の如き技術は無いが別のスキルがある。さっきの三人が計らずも良い練習になってくれた。
自身のステータス上昇は結局確認できなかったが三人の記憶からサルテカイツの悪事の内容、ついでにこの屋敷の簡単な構造を把握できた。
欲を言うならもっと詳細な情報が欲しい。従業員の数や、錬度、そしてライジルとかいう男。外見と実年齢に大きな隔たりがあるヤツは大体只者じゃない。人とは種族が違ったり強力な魔法使いだったりとファンタジーではお約束だ。
コツコツコツ……
(! 誰か来た、見つかったか!?)
ドアから死角になるように身を縮め息を潜める。
右手にはバンズさんのナイフを持ち、左手は半開きで構える。場合によっては乳首を攻撃する為だ。スキル『乳頂的当』も発動しておく。
足音は徐々に近づき、懸念通りここのドアをやや乱暴に開けた。
「……ちっ、まったく何処に行ってしまったのだ。肝心な時に役に立たない連中だ」
中に入ってきた人物は部屋の中を一瞥し、苛立ち気に舌打ちする。
牧場にも来たサルテカイツの執事だ。どうやらここの連中を呼びに来たらしい。
この初老の男性を改めて見る。年齢は75歳で、先ほどの連中とは違いここに長く仕えてきたのであろう風格がこの老人には見える。
ん……? 長く?
「まあ居なくても良い……暴力以外能の無い連中だ。もとよりサルテカイツ家の護衛に相応し――」
「牧場ではどうも、あとスンマセン」
「くなぃ!?」
振り返り部屋を後にしようとした初老の執事を、後ろから締め上げた。締め上げたのは首とかではなく乳首だが。
「きさ、ま!? サンリッシュの……ぉぉう!?」
「おう。急いでるから挨拶は無しだ」
「ぐぅっ何を……!? おほぉっ!!」
「お前らイチイチ喘ぐんじゃねぇよ!」
ナイフを首に突き付け反対側の手で老人の乳首をつねる俺。
いやもう悲しくなるくらい変態だよ。俺が触りたいのは女性のおっぱいであって男のじゃないんだよ。今してる事をメイドさんにしても駄目だけどさ。
「ぉ……あ、ひぃ……」
現実逃避している間に終わってくれたらしい。意識を失い、ぐったりと横たわる。
同時使用していた『奪司分乳』は執事の体力と経験値と更に今度は記憶を奪った。
「ぐっ……!」
自分の胸に手を当て再びスキルを発動した。
脳に流れ込む他人の記憶。単なる映像よりも鮮明に、この男の歴史を高速で追体験する。
とはいえ全てを追体験するつもりはない。出来るだけ必要だと思うものを選択し、頭に叩き込んでいく。
「――ぷはぁっ、はぁ……はぁ……」
脳を通る毛細血管が膨張したようにジンジンと熱く、初めての使用だったからか僅かに頭痛もする。
だが効果はあった。
今までの知らなかった屋敷が、まるで自宅のように感じる。初めて見るという俺自身の感覚もあるのに、その全てが見慣れた物という感覚は何とも不思議だ。
「おっとそうだ。これ借りますよ」
横たわる男の上着から、丸い金属の輪で繋がれた鍵束を取り出す。二十個の鍵とそれと一致する二十ヶ所の部屋、もしくは金庫なども全て把握できる。
しかも俺に都合の良い面白い仕掛けがこの屋敷にはある。それを利用しない手は無い。
「よし……!」
小さく気合を入れ、執事長の入ってきたドアから身を乗り出す。人の気配は無い。
音のしないように扉を閉め壁伝いで上に続く階段へ向かう。外壁に面する廊下なので窓から見えないように隠れれば、少なくともそちら側から気付かれる危険性は少ない。
(しかしクモの巣が多いな……さっきの庭もそうだったし、ちゃんと掃除してるのか?)
顔に掛かる目に見えないほど細い糸を手で払いながら内心舌打ちをしたい気分だ。
あばたもエクボとは言うが、今はその逆だ。サルテカイツのありとあらゆる物が悪く見えて仕方ない。
(それにしても静かだ)
さっきまでの喧騒が嘘のように静まり返ってる。ミルシェの周りで集団になり俺を待ち構えているかと思ったが、そうじゃない。
理由は分からないがほとんどの侍女や召使いは屋外、一番近くても庭園にいる。
さっきまで殺しても構わんとか騒いでいたというのに屋敷を出ていくとか不自然極まりない。
中に残っているのはミルシェ、パルゴア、ライジル、そして未だ名前の知らない連中だ。執事長の記憶を奪っても正体が判明しないということはサルテカイツの召使いでは無くライジルの仲間、『夜霞の徒』とかいう連中だろう。
(明らかに罠だよなぁ……)
俺をおびき寄せる罠にしては大袈裟だが、単独での侵入である以上俺の為と自意識過剰になってしまう。
ハナは上手く隠れているだろうか。
(! ミルシェが動いた……!)
斜め上の天井方面、三階に居たミルシェの気配がパルゴアとライジルと共に動き出した。先頭はライジル、やや離れてパルゴアとミルシェだ。部屋を出て下に向かう螺旋の階段に向かっている。
(外に連れ出す気か?)
壁に背を向けたまま六つの点の行く末を見守る。パルゴアはともかく、ライジルを相手にするのは危険だ。執事長の記憶からも正体は分からなかった。
二階まで降りてきた所で三人は足を止める。
『……聞こえるか異邦人、そこに居るのは分かっているぞ』
「――!?」
声がしたのは後ろからだ。
弾かれたように振り返るが人影は皆無。ミルシェ達は二階から動いてない。
『スキルを用いて直接話し掛けているだけだ。出てこい、話をしようじゃないか。サルテカイツの召使い共は下げさせた』
「……」
完全に気付かれてるし完全にナメられてる。お前など俺一人で充分だと言っているように聞こえる。
観念して、俺は声のした方に返事をした。
「……ミルシェは無事なんだろうな?」
『ああ、君のお陰でね』
何言ってるんだ? 出ていくのは危険だというのは分かっている。しかし隠れているだけじゃミルシェが何をされるか分からない。
腹に力を入れ呼吸を整え一階の玄関前、ホテルでいうロビーに足を踏み入れた。
サーキュラー階段というんだったか? は広い室内の両側から豪奢な手摺を伴い、半円を描きながら二階へ繋がっている。
俺を迎えたのはその二階から見下ろす三種類の視線。一つ目は興味。二つ目は憤怒。三つ目は驚愕と悲哀。
誰がどの視線かなんて考えるまでも無い。
「ようこそ我が屋敷へ。薄汚い平民の分際で、よく僕の前に顔を出せたなぁ……!」
最初に口を開いたのは憤怒に顔を赤らめた若い男、パルゴア・サルテカイツだ。牧場で見たときより更にムカつく顔をしている。
なんでこんな怒ってるんだ? いや、こんな奴を相手にするより……。
「無事かミルシェ! 痛い所は無いか!? 酷いことされてないか!?」
わざとらしく無視しパルゴアの隣、俺と別れた時のままの服装をしたミルシェに呼び掛ける。両腕ごと半透明の黒い鎖で縛られていて、その鎖の端をパルゴアが握っている。
「ムネヒトさん!」
ミルシェは泣き出しそうな顔を更に歪めて悲痛な叫びを発した。
「なんで、なんで来……」
「ストップ!」
「たんです……え?」
「『なんで来たんですか』とか『私は大丈夫ですから』とか、そんな自己犠牲に溢れた台詞なら言わなくて良い」
栗毛の少女のなんともテンプレな台詞を遮り、俺は続けた。
「既にありきたりな展開なんだから、これ以上ありきたりを重ねる事はない」
「ありき……? あの……?」
「『悪者からお姫様を助け出す』とか昔からよくあるお話だ」
俺は身分を偽った高貴な者でも、天下に名を轟かせる実力者でもない。それでも今、彼女の為に立ち向かえるのは俺だけだ。
「今、行く」
勧善懲悪の時代劇、その主役になったつもりでやってやろうじゃないか。ちょっと自分に酔っているような台詞だが、少しでもミルシェの不安が消えるならなんだって言ってやる。
「おいクソ貴族、さんざん卑怯な手を使いやがって。仕返しに来てやったぞ」
そこでようやくパルゴアの目を見返してやった。無視され面白い筈も無い金髪の青年の目には敵意が満ちていた。気が合うな、多分俺も似たような目をしているだろうよ。
ちょっと考えて、正確には考えていた言葉を投げかける。
それは焼かれた牧場の修繕費にも、バンズさんとミルシェの慰謝料の足しにもならない。
「代金として、その首を貰う」
つまりただの宣戦布告だ。
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