親孝行の時
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サルテカイツの執事と名乗った男は四~五人の供を連れていた。
いずれも屈強と言っていい連中で、バンズさんには及ばないものの恵まれた体躯を誇示するかのように振る舞っている。執事のボディガードだろう。
サルテカイツの者と聞いただけで俺の神経にはささくれが出来るようだ。連れの奴らがミルシェにニヤニヤした視線を向けるのもそれを加速させた。
「ミルシェに用がある? 俺達もアンタらに用があるんだよ」
放火犯かもしれない連中を前に冷静で居るには、多大な努力を必要とした。全身に力みが入るのを感じる。
「左様ですか。ですが後にして頂けますかな?」
初老の執事は意に介した様子もなく、俺に一瞥もせずミルシェの方を向く。
「この……!」
その様子に我慢の努力不足は呆気なく露呈し、執事に掴みかかろうとする。俺の敬老精神は日本に帰国したらしい。
「おいおい、俺らの執事様に無礼な真似はするなよ」
俺の手が初老男性の襟首を掴む前に、逆に手首を捻り上げられてしまう。連れの一人が立ちはだかったのだ。
「いっ……!? 汚ねぇ手で触んな!」
「お~コエーコエー。言っとくが俺らは話し合いに来たんだぜ? 部外者は黙って見とけって」
ワザと神経を逆撫でしているんじゃないかと思うほど腹の立つ言い方だ。振り払おうにもガッチリ掴まれ、悔しいが俺の腕力では解けない。
「何をしてるんですか!? ムネヒトさんを離して下さい!」
「ご案じなされますなミルシェ様、大人しくしていただければ危害は加えませんとも。お前達、あまり乱暴な真似はするな」
へいへいと気の抜けた返事が背中の方から声がする。だが押さえ込まれていることには変わらず身動きとれないままだ。
「さて、本題に入りましょう」
そんなワザとらしい前置きを言い、サルテカイツの執事は懐から一枚の紙を取りだしミルシェの前に突きだした。
「この土地はサルテカイツの所有地となりました。ミルシェ様ならびにバンズ様は近日中に退去をお願いします」
一瞬、何を言われたか理解できない。淡々と告げられた言葉が宙を漂い、何時まで経っても脳に染み込まない。
「お分かりでしょうか? この証明書が何よりです証拠です」
そこでようやくその書面が何なのか思い至った。弾かれたように部屋を見回し、それを見つけた。
昨日バンズさんが見せてくれた土地の権利書、その入れ物だ。開けっぱなしで床に転がっている古びた箱は中身を護るという役割を完全に奪われていた。
「な、な……んで……それを……」
ミルシェの震える声がそれを本物であることを補強する。王家の魔術で織られたという真っ白な紙が、俺達を責める罪状のように見えた。
初老の執事は狼狽えるミルシェを、白々しいまでに不思議そうに見た。
「バンズ様から買い取ったのですよ。正確にはバンズ様から買い取った商人から、我々サルテカイツ家が買い取ったという話でして……もしやご存知では無いのですか?」
「そ――」
「そんな馬鹿な話があるかッッ!!」
皆の視線が俺に集まる。抑えてるボディガードの男と横に控えていた別のボディガードは目を細めた。だがそんなもの気にならない。
「アンタらだって見ただろ! 牧場は焼かれバンズさんは倒れた! その証書は奪われたんだ! そもそも此処を襲った奴だってお前らの仲がッ!?」
言葉は半ばで折れる。頭に降ってきた固い物がそうさせた。頭蓋に激痛が走り目から火花が飛び出るかと思った。ミルシェの短い悲鳴が聞こえる。
「証拠も無いのに滅多な事を言うんじゃねーよ。部外者は黙ってろつっただろうが」
別の男が30センチ程度の棒切れで殴り付けたらしい。強かに打たれぐわんぐわんと目が回る。頭皮が切れたのかドロリとした液体が頬を伝った。
執事は一応ボディガードを咎めた後、話を再開した。
「経緯は存じませんな。ただ我々が商人から買い取ったというのは事実でして……その分の料金を御返し頂けるのでしたら、この証書も御返ししましょう」
証書とは別の、今度はこの国で一般的な用紙で作られた小さな紙を取り出した。
「王国金貨700枚になります。参考までにお耳に」
「なな……!?」
ミルシェが執事から受け取った紙は領収書の様な物だった。商人とやらからサンリッシュの土地を買い取った際の物で、直筆のサインが二人分記されているらしい。おそらく商人と、サルテカイツの領主パルゴアだ。
提示された途方も無い額にミルシェも俺も言葉を失う。
王国の貨幣についてはミルシェやバンズさんから基本的な事を教えて貰った。硬貨は三種類、紙幣は二種類だ。その中でも最大の単価が金貨だ。
王国銅貨100枚で王国銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚だ。そしてその各硬貨の間に紙幣がある。
市場で売っていたリンゴ(のような果物)が銅貨1枚だった。それから見ても金貨の価値がとんでもないと分かる。それが、700枚。
「こ、こんな額……払える訳ありません!」
「でしたら退去して頂くほか御座いませんな。手伝いに日雇い労働者でも手配して差し上げましょうか?」
「このジジィ! クソ離せ、離せよ!」
振りほどこうにも拘束が二人に増え、いよいよ動けない。
「やれやれ、品性の欠ける従業員ですな。このような者を雇っているとなると牧場の底が知れますぞ?」
初老の執事は俺を侮蔑たっぷりの横目で見た後、恭しくミルシェに向きなおった。
「とはいえ確かに不可解ではあります。聡明な我が主人も気にしておりまして、牧場を買い取りはしたが無償での返還も考えている……と仰っています」
「――――本当ですか!?」
不意にぶら下げられた希望に、ミルシェの顔がにわかに明るくなる。だがそれは毒入りの希望だ。時代劇などの展開ならこの後間違いなく――――
「条件としまして、今からミルシェ様がお一人で屋敷までいらっしゃる事です」
「……――!」
それはつまり、そういうことだろう。
牧場を返して欲しければ自分自身をパルゴアに差し出せと、この執事は言っているのだ。当然ミルシェだって気付いている筈だ。しつこく婚約を迫ってきている男が、女に望むことなどそう多くはないのだから。
「行くなミルシェ!! おいジジィ! どうしても行くってんなら俺も連れて行け!!」
卑劣を絵に描いたような展開に我慢など出来なかった。こんな話に乗る必要なんてこれっぽっちもない。杜撰なマッチポンプの為に馬鹿を見てたまるか!
「喧しくて敵いませんなあ……お前達、少々遊んでやりなさい。もしかしたらサルテカイツ家で新しい奴隷になるかもしれませんしね」
「りょーかいっす。オラ来い、未来のセンパイ達が教育してやっから」
口の端を歪め取り巻きは俺を雨の降り止まない屋外へ連れ出そうとする。この野郎、離せって言ってるだろうが!
「やめてください! 乱暴な事はしないって言ったじゃないですか!?」
「これはミルシェ様の為でもあるのですよ? あの程度の男に関わるべきじゃないと私は思います。切り捨てるべき時に切り捨てる、今から上流階級の考え方に慣れて頂かないと。それより……」
引き摺られて徐々に小さくなるミルシェの顔が青く、カチカチと歯の根が合わない音が確かに聞こえた。
「両親の牧場を護りたいのでしょう? ならば賢い選択をするべきです。今こそバンズ様とミルフィ様に娘として孝行する時では?」
「てめえ――! ッ――! ……!!」
俺が何を叫んだのかも自分でも覚えていない。理性など消え去り、怒りまかせて喚き散らしたからだ。だがそれも長くは続かなかった。
「はいはい、お前はコッチだよっと!」
暴力の鉄槌が俺の鼻柱にめり込む。血の味が口内を占拠した。
「さっき汚い手で触るなとか言ってたなぁ」
たたらを踏むが倒れる事はなかった。両腕を左右から掴まれ強制的に支えられていたからだ。ガラ空きの腹部に蹴りがめり込んだ。鳩尾に喰らい息が止まる。
「いずれこの汚い手で、あの女をグチャグチャに悦ばせてやる予定だから。宜しくな」
「ッ――――!」
叫び、吼え、殴りかかり、噛み付こうとして、その何倍もの反撃が俺に降り注ぐ。
それこそ未だ止まない雨のようだった。
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顔面に降り注ぐ大量の冷たい飛沫で俺は目を覚ます。
全身が痛く目を開けるのが酷く億劫だ。骨が軋む。五体の何もかもが加熱した鉛みたいに感じる。頭から被せられた何かの液体が、開くことも閉じる事も出来ない口に流れ込む。仄かに甘い、毎日飲んでいるハナ達の牛乳の味だ。
ああクソ、これ売れなかった牛乳か。勿体無いことしやがって。
起きねーな。目は微かに開いてるが聞こえちゃいねぇだろ。死んでませんよ、コイツ意外にしぶとくて――。
俺なんて顔殴られたのに、何故か胸がメチャクチャいてーし。
おいおい良心が痛むとかサムい事言うの止めろよ。そうじゃねーよボケ、マジいてーんだって。
そんなに怒んないで下さいよお嬢さん。可愛い顔が台無しですぜ? ぎゃははは!
サイレンのような耳鳴りの向こうで雨音に混じり哄笑が聞えてくる。
ごめんなさいムネヒトさん、ごめんなさい――
誰かが俺の横に屈み俺を抱きかかる。ミルシェに違いないだろう。
頬を叩く冷たい雨水の中に、異様に熱い水滴が混ざっていた。
なんでミルシェが謝るんだ。何も悪い事してないだろ。俺のことなら大丈夫だ、すぐに起きてアイツらから証書を取り返すから。
「……ぁ、み……」
言おうとして言葉にならない。
ちくしょう声すら出ねぇ。なんてザマだよ。
心配しないで下さいムネヒトさん――――すぐに戻ってきます。牧場もおとーさんもムネヒトさんも、私が守りますから。
バカ行くな。なんでそんな事言うんだよ。駄目だ、クソ、動け、なんで寝てんだよ俺。ボコボコにされて、ミルシェに守られて。情けねぇ。
――おとーさんをお願いします。もし私が帰ってこなければ、居間にあるタンスの一番上の引き出しを開けてください。きっと貴方の役に立ちます。
半分以上暗い視界の中で、ミルシェが立ち上がり俺の側から離れていく。行く先には見慣れぬ馬車、サルテカイツの使者が乗ってきたものだ。
手を伸ばすことも出来ない。一人の少女に届く声も持たない。
「…………ぁ、ぁぁぁああ……!」
やがてミルシェの姿は馬車の中へ消える。それはやがて動き出し、雨の林をゆっくり裂きながら進んで行く。
そして、完全に見えなくなった。




