火と雨
08月1日(おっぱいの日)に投稿出来ませんでした……
異変に気付いたのは、荷を牽引するマルだった。大きな鳴き声を上げ身体を何度も揺する。
「わ!? おいどうした、こんなところで暴れるなって……」
俺はいつものヤンチャが発揮したものと思っていたが、次のミルシェの声で深刻さが増した。
「ムネヒトさん!」
ほとんど悲鳴のように聞こえた声に従い、指の指されたほうを見ると丘のほうで煙が上がっているのが見えた。
曇天より更に黒い煙が牧場のある場所からーー。
「マル、ウメ! 急げ!」
途端に二頭は土埃を巻き上げながら荷と俺達を運ぶ。
悪い予感が泥のようにこびり付き剥がれない。
(大丈夫だ。野焼きの可能性だってあるし、それにバンズさんだって居る……)
そう言い聞かせても不安は一向に消えない。ここ一週間近く通った帰路に、不吉な黒煙が見えるだけでこんなに息苦しくなるのか。
「……おとーさん」
隣のミルシェも同じような気持ちなのだろうか。心配するなと声をかけたかった。大丈夫だ、バンズさんが若い頃の黒歴史メモでも焼いてるんだろうと言いたかった。
あるいはそれは俺が言って貰いたかった事かもしれない。
徐々に近づく牧場と黒煙が無関係であって欲しいと、杞憂であってくれと俺達は願った。
呆気なく裏切られるまで、願っていた。
「……嘘」
牧場が見える位置にまで来ると直視し難い現実が俺達を迎えた。
煌々と夕焼け色の火が牛舎を覆い呑み込まんとしていた。
「おとーさん! みんな!」
「あっおい!?」
彼女は荷台から飛び降り火へ走り出す。
「マルとウメは此処に居てくれ! ミルシェ待て!」
慌てて飛び降りミルシェを追う。何度も草に足をとられそうになりながら、ようやく彼女の手をとった。
「離して! 離して下さい! みんなが……おかーさんの牧場が!」
「駄目だミルシェ! 」
離せば火の中へ飛び込んでしまいそうな勢いだった。まだ距離があるいうのに、熱波はここまで押し寄せ牛舎に近づくことも困難だ。
火の丈は建物のやがて倍まで伸び、曇天に新たな雲を供給しているかのようだった。
「いや、いやだよ! おとーさん、おかーさんッ!」
悲痛な叫びをどうすることも出来ない。必死にミルシェを引き留め火の熱から庇うように前にたった時、視界の隅に見えるものがあった。
「ミルシェ! あれ!」
ハナだった。ハナは何か大きな物を引き摺りながら、火から逃れている所だった。俺とミルシェを見ると一際大きな鳴き声を上げる。
「おとーさん!!」
「バンズさん!!」
二人の声が同時にハナの引きずって来たものを言い当てる。
ミルシェと俺はハナの元へ駆け寄り、地面に突っ伏したままのバンズを抱えようとする。
「……ッ!」
一瞬それを躊躇ったのは、あまりに酷い状態だったからだ。
煤にまみれ、火傷がバンズさんの全身を我が物顔で占拠していた。肉の焼ける匂いと滲んだ血が衣服に張く様子に目を覆いたくなる。反してバンズさんの顔は青い。
「おとーさん! おとーさん!」
ミルシェも傷を心配したのだろう。手を触れずに、だが必死に父の名前を呼んでいる。
「早く安全な場所へ! バンズさん、すみません!」
火傷が痛むだろうと思いながら、彼を背負う。しなだれかかる太い両腕には、いつもの豪腕の欠片もない。
ゾッと最悪の予想に心臓を冷やしながら俺とハナは必死に、ミルシェは何度も振り返りながら火を背にしながら野原の方へ駆ける。
・
「『乳治癒』!」
原の真ん中にバンズを寝かせ、両手を両胸に当てる。青白い光が手から肉体へ伝わる。
「おとーさん……!」
ミルシェは溜池から汲んできた水を傍らに置き、様子を見守る。
どこからか牛達が現れ俺達三人を囲う。
バンズさんが逃がしたんだと確信する。最後まで残り皆を助けたんだと疑いようもない。
(死なせるものか!)
ありったけの集中力を乳治癒に注ぐ。
火傷が塞がっていくのが分かる。だが煙を多く吸い込んだのだろう、呼吸は浅く意識は戻らない。俺のスキルがどこまで癒せるのかが問題だ。
ミルシェは硬く絞った濡れタオルをバンズさんの額に、もう一枚で俺の額を拭いてくれる。
「ムネヒトさん、おとーさんは……」
「大丈夫だ。絶対に助ける」
バンズさんから目を離さず応える。こんな時の為のスキルだろう、ここで力を尽さないでどうする。
そこでミルシェは少しだけ安心したのか、立ち上がった。
「火を、消さないと……牧場が、無くなっちゃう……」
いや安心などしていなかった。うわごとの様に呟きながら、別の水入りバケツを持ちフラフラ燃え盛る牛舎に近づいていく。
「!? 戻れミルシェ、危険だ!」
慌てて声を上げるが俺がここを離れるワケにはいかない。消防署なる機関はないのか? 警察や医療機関は? 緊急時の連絡先や対処法などを講じておくべきだったと、どうしようもない悔いのなんと苦いことか。
そして今、火に飛び込もうとするミルシェに対してテンパって呼び掛けるしか出来ない。
そんなミルシェを制したのは一頭の牛、マルだった。
壊れた牛繋ぎの棒をお腹にぶら下げながら、ミルシェの服を噛んで離さない。配達に一緒だったもう一頭の牛、ウメもミルシェの前に立ち塞がるようにして行く手を遮った。
「――! ぅぅう……!」
ミルシェは前に立つウメにしがみつき、嗚咽を漏らし始めた。肩を震わせ顔をウメに押し当てて、ミルシェは地面にへたり込んでしまった。悲痛なその声が俺に届くことはなかった。ポツポツと俺でもミルシェでも無いものが涙を溢し始め、その音に紛れたからだ。雨が降ってきたのだ。
次第に勢いを増しやがて慟哭となった雨は、この牧場の誰とも問わず等しく冷たく濡らした。
・
どしゃぶりの雨により、ようやく火は消えた。
バンズさんの雨水を拭い、新しい服に着替えさせベッドに寝かせる。少なくとも外傷はほとんど治したが、意識は未だ戻らない。
不幸中の幸いか住居側に燃え移らなかった。だが牛舎は全焼だった。炭となった柱が何本か残り、干し草が積んでいた場所は灰が黒い水たまりを作っている。
幸いだったのはハナ達に怪我がなかったこともだ。俺とミルシェは少しでも雨に濡れないようにと原の隅にある木の影に連れていったり、体の弱い牛は家の中へ一緒に連れてきた所だ。全ての牛を家に入れてあげたかったが、スペースがそれを許さない。
「…………」
重い無言が室内を占め、砂利を転がすような雨音のみが耳に届く。何故かドアが壊れて居たからよりダイレクトに鼓膜を叩かれた。
俺は半分濡れた髪を乾かしながらミルシェの用意してくれたホットミルクを見つめていた。猫舌でも十分飲める温度まで下がった頃、ミルシェが口を開いた。
「牛舎に火の出るような物はありません……」
「……」
「それに、おとーさんが居ながら火事になるってことは考えにくいです」
「……」
ミルシェが言おうとしていることは分かった。俺も同じような考えに至ったからだ。
これは誰かが悪意を以て火を放ったのだ。
「……バンズさんも上半身の火傷が特に酷かった。誰かにやられたんだと思う」
全身の火傷が、牛舎からハナ達を避難させた時によるものだとするならだ。その前にバンズさんは襲撃者と相対し、そして敗北した。
誰が何の為になんて、今さらだった。
パルゴア・サルテカイツ。あの野郎――!
「こんなの酷いよ……! なんでこんな事が出来るんですか!? おとーさんが……ハナ達が何をしたって言うんですか!?」
彼女には悪意に満ちた人間の考えなんてミルシェは理解できないのだろう。俺だって理解したくない
「これからどうしましょう……」
彼女が言っているのは今後の牧場のことだろう。牛達は無事だったが、餌の備蓄も燃やされ道具の大半も灰になった。修理するにしても多くの費用が必要だろう。そんな余裕はサンリッシュ牧場には残っていない。
「バンズさんの知り合いに会えないか? 王都に行って、事情を話すんだ」
温くなったミルクを飲み干し立ち上がる。ミルシェの顔が俺へ向く。
「出来ることはしておきたい。バンズさんを王都の病院へ連れていって俺達は騎士団へ行こう」
傷ついたバンズさんを残していくのは危険だ。治療したとはいえ襲撃者がまたやってこないとも限らない。ミルシェを一人残していくのも不安だ。
バンズさんの知り合いに会えた後はミルシェを保護してもらおう。そしてサルテカイツの屋敷に乗り込んでやる。証拠など出ないかもしれないが、泣き寝入りなどするものか。
「バンズさんは荷台に載せるとして、雨が降ってるから屋根みたいな物でも付けないと……またマルとウメに引いてもらって、ハナ達は近くの森の中にでも避難出来ないか……」
「…………ムネヒトさん」
「病院ってどの辺りにあるんだ? それとも医者に来てもらうか? ……あ、ごめん。なんだ?」
「ムネヒトさんが居てくれて良かったです。一人じゃきっと何も出来ませんでした」
そうしたら彼女は焼けてしまった牧場に取り残されていたかもしれない。バンズさんが助かった保証もない。それから色々行動しろと言うのは酷な話だ。少しでもミルシェの助けになったのなら俺が居た意味もあったということだろうか。
「そういってくれると嬉しいよ。それに大丈夫だ。バンズさんだってすぐに目を覚ますだろうし、そしたら雨が止んでからでも三人で……」
その時、雨音に混じりドンドンとドアあった場所を叩く音が室内に響いた。
「ん? 誰か来た?」
こんな雨の中、お客さんか?
もしかしたら、バンズさんの知り合いが約束の時間になっても現れない彼を心配して来てくれたのかも。
そう早合点して俺は入り口に足を運び、それは都合のいい妄想であることを思い知った。
「お忙しいところ恐れ入ります。私はサルテカイツ家で執事を勤めさせて頂いている者で御座います。ミルシェ・サンリッシュ様にお話が御座いまして参りました」
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