バンズvs.ライジル
「流石は【剛牛】だな。一線を退いてなおも実力は健在か」
「自己紹介は不要みたいだな。誰だてめぇ」
そこまで言ってバンズは不意に笑う。
「いや馬鹿なこと訊いちまった。なるほど、お前らサルテカイツの犬か」
ふんだんに侮蔑を込め犬と言ったことに、怒気が目の前の男以外から上がる。その態度が暗に自分達の身分を証明していることになるが、それをライジルは咎めないことはしない。既にそれを隠す必要が無いからだ。
「あのような無能を主に据える事は本意ではないのでね。犬とは心外だ」
「ふーん、じゃあ寄生虫か? どの道良いモンじゃねえな」
安い挑発だと知りつつ、ライジル以外は不快感を隠せない。
「お前に恨みは無いが、崇高な目的のために犠牲となってもらう」
「ありきたりな台詞だな。お前ら実は劇団かなんかか? それであのクソガキが出資元か」
軽口を叩くが目は笑っていない。油断のならない相手だと即座に見抜いたからだ。
対してフードを深く被ったライジルは悠然と見える。
「出資元というのはあながち間違いでは無いな。だが劇団でもサーカスでも無い。私達は」
言葉は最後まで発せられなかった。瞬間、5メートルほどの距離を削りバンズが戦槌を上から振り下ろす。正確な一撃は必殺の威力を以て男の頭蓋に叩きつけられる筈だった。
「ぬぅっ!?」
困惑のうめき声がバンズの口から発せられた。戦槌が、いや全身が動かない。振り上げた不自然な姿勢のまま空間に癒着する。
「まったく、貴様は人の話を聞かないのだな。まあ暴れ牛に人語を理解させるのが無理というものか」
「ぐっ……て、めぇ!」
返された挑発に怒っているのではない。渾身の力を込めているのに、体は持ち主の意思を反映しない。その事実がバンズを歯噛みさせるのだ。並の魔術なら、バンズは筋力のみで引きちぎる事が可能だ。
「……!? なんだこりゃあ!?」
辛うじて動く視線をやると、黒色だが半透明の鎖が幾数もバンズの手足に巻き付いている。それは地面から突如として出現していて強靭な肉体を絡め取っていた。
「先日、此処に来たときに仕掛けておいたのだよ。檻でもあれば完璧だったがやはり猛獣は繋いでおくに限るな」
薄ら笑いを浮かべながら、懸命に脱出を図る【剛牛】にライジルは近づいて更に言った。先週ミルシェとムネヒトが会ったというパルゴアと共に居た怪しい男、ライジルの話は二人から聞いていた。年齢を偽っているかもという話も。バンズは警戒し準備をしていたのだが、それでも足らなかったかと内心で悔いる。
「改めて名乗ろう、私はライジル。まあ偽名だがもう三十年は使っているから本名でも構わんだろう」
右手に杖を抜いた。魔術士としては最もありふれた道具だが、使用されている材質や先端の赤い珠は安物では決してあるまい。
「だが『夜霞の徒』くらいは聞いたことがあるだろう?」
「なんだと……!? じゃあ、貴様……!」
『夜霞の徒』の名前は知っている。騎士ともギルドとも違い、国に属しない独立した集団。目的も規模も不明だが、王国の内外を問わず暗躍している、という話だ。
噂の域を出ないのはバンズはおろか、騎士団時代の同僚は先輩なども実際に会ったことは無いからだ。
「そして私は【神威代任者】だ。貴様らでは最初から私の相手にはならなかったのさ」
バンズは絶句する。
【神威代任者】とはその名の通り、神の威光を代わりに任せられた者だ。つまり神の力を借りて、その力を行使する許可を与えられている。
並の魔術士では到底ありえない実力を持つのは当然として、このライジルは神威により他とは比較にならない領域にいるのだった。
「何が目的だ! 俺達の牧場の、何が狙いなんだ!」
体を乗り出そうとするが、魔力で編まれた鎖はビクともしない。これも神威により強化された魔術だとするなら、単純な腕力では破壊できないというのか。
「知る必要は無い。お前が目を覚ます頃には全てが終わっている」
杖の先を暴れるバンズに向けた。赤い珠の光が濃くなり魔力が渦巻いているのが知覚できる。
「だが、最初の問いには答えよう。全ては我が神の為よ」
血の気が引き、腹の底が急速に冷えていくのが分かる。自己の身を案じての事じゃない。
『三連中級火系攻撃法』
(ミルシェ……!)
一人娘の姿を最後に描きつつ、バンズの意識は奈落へ叩きつ落とされた。
・
魔術による鎖が解除され、重力の引くまま崩れ落ちた【剛牛】を尻目に、ライジルは部下へ指示を出す。
負傷の無い者が中心に動き出した。それぞれ仲間の救護、家の中へ。
「殺さなくて良いんですか? 後々の障害になり得るのでは……」
バンズに手酷く返り討ちにされた男はそう進言する。
「理由があって今は殺すことは出来ん。私の考えが正しければだがな」
ライジルは部下へ頭を振る。するとタイミングよく家の中に居た男が飛び出して来た。
「ありましたライジルさん! これです!」
走り寄る部下からライジルは目的の物を受けとる。古びてはいるが重厚な造りの箱だった。中身を確かめライジルは頷く。
「間違いない、この土地所有者の証明書だ。やはり王家秘伝の『証明』で織られている」
集まる部下達へ教義するようにライジルは続けた。
「つまりだ、今バンズ・サンリッシュを殺すと『証明』が無効になり効力を失う」
バンズを殺せない理由はそれだ。『証明』により作成された書状は、王家の魔力により護られている。今の所有者が命を失うと、この紙面は魔術の効果を失う。具体的には文字が消えるか書状自体が灰になるかだ。
「目的は達した。退くぞ」
短く次の指示を飛ばす。それから一度振り向き、ああそれとと口を開く。
「牛舎に火を放っておけ。牧場が無くなれば諦めもつくだろう」
それは直ぐに実行された。
・
「ぐぅ、が……!」
土に伏していたバンズの顔が茜色に照らされる。揺らめく光源は絶えず同じ形をしていない。
放たれた火は揺らめく赤い手を勢いよく振るい、牛舎を蹂躙していた。
ライジル達が去った後、バンズは彼らが思うよりずっと早く目を覚ましていた。だが魔術の直撃を受け意識は朦朧としている。逞しい肉体が酷い損傷を負い、今や荷物にすら感じていた。
「はぁっ……はぁっ……ちくしょう……ッ!」
這うように進む。目の前にはジワジワ火が広がっていく牛舎があった。火と熱に恐慌し、けたたましい叫びを上げる牛達。
「ぐっぅおおっ!!」
バンズは杖のようにしていた戦槌を乱暴に振るい、躊躇い無く牛舎の壁を破壊した。それはハナ達を逃がすためだ。
「早く逃げろ! 火の届かねぇ所まで、走れ!」
バンズこそ恐慌しているかのように、外壁や牛囲いを乱暴に壊しながら牛達を外へ出していく。餌の干し草に火が移り、パチパチと拡大しながらバンズを襲うが意に返さない。既にライジルの魔術を受け上半身は酷い火傷を負っていたが、それも無視した。
灰と煙がバンズの意識と体力を侵食する。いや意識は半分以上無かった。
逆に戦槌に振り回されるように空振りを何度も繰り返しながら、今朝まであった牛舎を壊していく。
最後の一頭を外に出した時、バンズは完全に気を失った。
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