お邪魔します
図らずも、一度はやってみたかった一騎駆けを体験する事になり、ムネヒトは興奮に声を上げた。
「こりゃ良い! 天神、道真公になった気分だ!」
いつかムネヒトを背に乗せある貴族邸へ疾駆した時と同様に、ハナは牛とは思えないほどの速度で戦場を貫いていく。予想外の速さと荒々しさに、コレットは必死にしがみつきながら声を張り上げた。
「みちざねこうって誰ー!?」
「俺の国に居る神様だ! まあ俺は学問のじゃないけどな!」
ムネヒトもコレットも気付かなかったが、ありとあらゆるモンスター達が、彼女の姿を一目見た途端に膝を屈していた。牛よりも遥かに大きなモンスターも、本来は捕食側である筈の獰猛な肉食獣も、ハナに道を空けていたのだ。
焦点を彼の獣に合わせることすら憚られ、ただ頭を垂れて自分の影に染まる土を見るだけで精一杯だ。その影が、牛の影とぶつかるだけで恐ろしい。
遠方より召喚され今も現世を生きるモンスターも、死してなお人々に語り継がれている魔獣も、嵐が通り過ぎるのを震えて待つネズミと大差なかった。
「――! ――ッ!」
時折、ルーカスの怒号が魔力を通じて響いてくる。健気にも数頭のモンスターが、ハナ達の前に立ち塞がろうと牙を剥いた。
背の二人より早くそれに気付いた牛は、短く鳴く。
モーゥ。
それだけで充分だった。それだけで魔獣達の戦意は完全に砕け、石になったかのように立ち尽くす。中には責めを恐れる余り同士討ちを始めたり、強制的に召喚を解除して去ってしまう個体も居た。
召喚獣である以上、召喚主に従うような契約の下に此処に居る。戦えというルーカスからの命令は、常に身体を突き動かそうと忙しない。
だが、最早そんな命令に従える状況では無かった。
義理だの意地だの忠心だのは、人間のような賢い生物の戯言だ。自分達には関係の無い。この瞬間を生き残る為に、最大の努力をしなければならなかった。
勝てる勝てないの次元ではない。生物の格が違い過ぎていた。今はただ目を伏せ、彼女の目に捕まらないよう路傍の石になりきるのみ。
神獣ハナのお通りだ。
・
「で、だ。ここで間違いないんだな……?」
ハナとコレットに導かれるまま、ルーカスとアメリアが居るという会場の中心にまでやって来た。
しかし、肝心の二人の姿はない。モンスターや冒険者と思われる男達の死骸が無惨に転がっているだけだ。
「ハナちゃんに助けて貰ったとき、夢中だったから気が付かなかったけど……アメリアちゃんとルーカスの姿はなかったと、思う……」
「……ハナは何か気づいたか?」
もー、もーぅ。
ハナが言うには、此処に召喚されたとき女はコレットしか居なかったという。召喚ってなんだって訊きたいけど、今は後回しだ。
「オリくんが来てるのに気づいて、逃げちゃったのかな……?」
「……いや」
居る。
アメリアもルーカスも、この場から立ち去ってはいない。影も形もなくとも俺には見えるものがあった。前方約50メートル先に在る、二点の光。
・
【アメリア・――――】
トップ 77㎝(C)
アンダー 61㎝
サイズ 2.9㎝
22年4ヶ月28日物】
・
アメリアの乳首だ。ルーカスのは見えないが(本当は見たくも無いが)彼女のは確かに存在している。
「ハナ、このまま真っ直ぐ走れ」
モーゥ!
風を切り真っ直ぐにアメリアの居る方へ向かう。ものの十数秒も掛からない距離だ。
「……どうなってる?」
しかしどういうわけか、まったく近付けない。
星に向かって進んでいるかのように、近付けども近付けども手を触れる事は出来なかった。
おまけに一定の距離を進むと、いつの間にか二つの光を通り過ぎている。
おっぱいは簡単に手が届く物では無いんだという訓戒で無いのなら、何らかのスキルで間違いない。
最初、アメリアとコレットがルーカスに捕らえられた時も同じような体験をしたのを思い出す。あの時ルーカスは『すぐ近くで君の理解できない場所に居る』というような事を得意気に言っていた。
察するに、外からは認識出来ない結界的な物があり、アメリア達はその中に隠れたということ。
姿を消すのでもなく、幻覚を見せるのでもなく、異なる空間へ逃げ込んだのだ。
(フィールド系の魔術か? お約束だな)
女の子の乳首反応しか見えないが、この状況でルーカスがアメリアを置いて逃げたとは考え辛い。近くにいると考えるのが自然だ。
恐らくは、俺が触ったことのあるおっぱいのみが濃く映し出されているのだろう。おっぱい電話していて良かった。
ホッとすると同時に侮れない。
俺の……仮にも神の目からをも隠れる能力。それはつまり――。
「――多分だけど、アメリアもルーカスもすぐ近くに居る。何かしら入る手段があるのだろうけど、易々とは無理だろうな」
術者の許可が必要なパターンがメジャーだろうが、『入れて下さい』で『はいどうぞ』ってなるワケも無い。
とはいえモタモタもしていられなかった。
どういうワケか、アメリアの乳首反応が弱まってきている。命が脅かされているのか、別の何かをされているのか――。
「……」
不安なのだろう、コレットが俺に回している腕に力を込めてくる。
「……心配するな、アイデアはありゅ」
だからそんなにおっぱいを押し付けないでください。集中しなきゃなのに、背中に意識を取られちゃいます。
「……えっ?」
「アメリアが確かにソコに居るっていう事実だけで充分だ。ハナ、今度はゆっくり進んでくれ」
もーぅ、もー?
「そうそう、あと少し……」
壁とか『ミスリル・タワー』みたいに魔力バリアーがあれば分かりやすいのだけど、触れられない、観測できないというのは難儀だ。
だからこそ俺は、観測できるアメリアの乳首を目指す。
古の航海者達を助けた北極星のように、彼女の二つの星は俺を導いてくれる。おっぱいだから、ポラリスではなくポロリスですな。バカを言っている場合か。
「……っと行き過ぎた。一歩後ろ……あともう一歩……よし、そこだ」
ハナの歩幅で一歩分、進むと光は後方に、戻ると前方に現れる位置に立った。ゲームなどでエリアが変わるギリギリの位置みたいな場所……推定、結界の境界線だ。
「さて……『乳頂的当』『幻影乳愛撫』」
そして俺は星へ手を伸ばす。
脳裏に描くのは金髪美女のCカップおっぱい。距離も見えない障害も超えて、アメリアのおっぱいを撫でる右手をイメージした。
「――!」
瞬間、掌に冷たい感触が伝わってきた。それは柔らかい乳肌では無く、まるで硬質なガラス。俺のパイタッチを遮る、野暮な壁だ。
――無礼物が。
「最後に俺の行く手を阻んで良いのは、ブラジャーだけだ」
「……何を言ってるのか分かんないけど、世の中にはノーブラの子もニプレスの子も居るわよ?」
大してカッコ良くは無かったけど、せっかくの決め台詞の揚げ足を取らないで頂きたい。
やや憮然としながらも、俺は渾身の力を五指に込めた。
・
・
世界が一つの遊戯盤だとするなら、女神は審判であり特等席に座る観客。駒が人だ。
なら【神威代任者】は他より強力な駒。自分の意思を持つことを許された、無二の駒だ。
だからルーカスは、駒としての己の力を高めるべく様々な事を行った。
誰よりも有能になり、誰よりも稀少になれば、自分こそが女神の寵愛を一身に受けられる。
やがては駒というのは身分から脱却し、女神の代打ちとして遊戯盤の前に座るだろう。
そのためにまず彼は、王国という小さな遊戯盤から支配するつもりだ。
否、つもりだった。
「くそ、くそくそくそくそ!」
ルーカスは髪を掻きむしり、何度も地団駄を踏んだ。
冷静になれと自己を戒める事も忘れ、憎々しげに他の自分達の視野を睨んだ。
十も在った窓は既に半数以上が潰され、残された分身も第二騎士団、裏切った冒険者、そしてベルバリオの手勢に追われている。
苛立ちでゆだる頭を必死で回転させ、これからの指針を考えるので精一杯だった。
一度自分も脱出して王都に戻るか? いや、既に生き残りが帰還し、自分の『ポミケ』での行動を告げているだろう。
貴族共の力で揉み消せるか? いっそ国境を超えて王国を出るべきか? 失敗して逃げ出したとすれば、あの方はどれほど失望するだろう。
「……――、……っ、あ」
「黙れ黙れ! 今考え事をしている、邪魔をするな! 私は失敗していない!」
視界の隅で身動ぎしたアメリアだったモノにも神経を逆撫でされ、ルーカスは激昂に声を張り上げた。
(そうだ、まだ失敗じゃない!)
チェスのように美しくコトを進めるのはもう止めだ。鮮やかさも最早求めまい。
ルーカスの血走った目の先には、アメリアの肉体を触媒にして呼び出した強力なモンスター達が居る。コイツらをぶつけて、虐殺という虐殺を繰り広げれば良い。
障害になる薬師も貴族も排除し、ベルバリオだって今度こそ殺してやる。
血に汚れた王国を女神に献上するのは心苦しいが、このまま計画が潰えるよりは良い。ならばいっそ次の魔王として恐怖で王国を支配してやる。
女神から与えられた力と、アメリアさえいればどうとでもなる。
思えば、どうせ何人もこの『神隠し』を侵すことは出来ないのだ。此処に身を隠し、じっくりと体勢を整えて、そして――。
――バキン。
「――!? なんだ、何の音だ!?」
陶器が割れるような音に、ルーカスは勢い良く振り向く。召喚獣の出した物音ではない。何か、聞き逃してはならない致命的な音だった。
音の正体はすぐに見つかる。天を覆う『神隠し』のベールに、巨大な亀裂が走っていたのだ。
「ま、まさか……!? わ、私の、『神隠し』が……破られる!? 馬鹿な、魔術でも、物理障壁でもない、神の理で編まれた『神隠し』が……!? 馬鹿な、そんな、馬鹿な……! 馬鹿なぁああああああああ!」
ルーカスの悲鳴を浴びながら、大きな亀裂はやがて小さな亀裂で結びあっていく。黒い壁の裂け目から陽光が木漏れ日のように差し込み、アメリアを照らした。
「……――?」
冷えきっていた彼女の肉体に、小さな熱が戻っていく。
「――馬鹿馬鹿って言いすぎだろ、ちゃんと聞こえてるよ」
若い男の声に、彼女は顔――だった部分を上げた。五感のほとんどが消えてしまったアメリアに感じ取れたのは、ほんの少しの音と光だけ。
「お邪魔します」
気の抜けた挨拶を口にする、牛にのった青年の姿だ。
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