女と女(下)
こっそり、検索除外解除してみます。
※やや鬱、残酷な描写があります。ご注意下さい。
この時間帯を草木も眠るウチミツドキと言うらしいが、詳しい由来は分かっていない。ともかく、草も木も眠る深夜という解釈で概ね間違いはないのだろう。
「……」
しかしその時間においても、アメリアは一向に寝付けないでいた。
同じベッドで横になっている気に喰わない女のせいもあろうが、目を閉じると、炎に嬲られる屋敷や、軽蔑の目で見てくるルーカス、そして血に濡れたベルバリオがフラッシュバックしてはっ、と目を覚ますのだ。
ムネヒトはああは言ってくれたが、憤怒や絶望が簡単に整理出来るわけが無い。人は魔道具とは違う。スイッチ一つで、起動と停止が切り替えられるわけもない。
寒くも無いのにアメリアは胎児に様に身体を縮め、静かに朝を待った。
初めてのことじゃない。
アメリアは、母を亡くしてから幾晩もこうやって過ごした夜を思い出す。
彼女はいつも嫌がるアメリアを抱きしめ、暗い路地裏に藁を敷いて眠っていた。明日こそはと娘を励ましながら、二人で夜風を偲びながら幾つもの夜を過ごした。
ある日、母に朝が来ることはなかった。
明日の食い扶持を得るために、またアメリアの薬を探す為に奔走した母は、疲れ果ててしまったのだ。
「……ッ」
その時のように、キツく目を閉じて朝を待てば良い。やがて苦しさにも慣れる。そうすれば――。
「――眠れないの?」
背から声を掛けられて、心臓が弾んだ。もそりと背後で人の動く音がした。
「……別に、考え事していただけよ」
ムネヒトが寝室ではなく向こうの部屋のソファを使っている以上、声の主はコレットに違いない。
「……何処か痛いの? それとも、辛いの?」
「余計なお世話よ。貴女こそ私の相手をしていないで、ムネヒトの所にでも行けばいいじゃない」
「そうしたいのは山々だけど、それじゃ意味が無いの。それに――」
「――!?」
いきなり彼女は身を寄せ、後ろからアメリアを抱きしめた。同じ女でも驚くほどの肉感的な柔らかさが背中で潰れる。久しぶりに感じる人の体温だ。
「泣きそうな娘を放って夜這いに行くほど、私は薄情な女じゃ無いつもりよ?」
「は、離して! 貴女なんかに心配される覚えなんて無いのだけれど!」
「わっ、わっ、凄い抵抗。もしかして……誰かに触れられるのが怖い?」
「――っ」
よりによって綺麗なだけの女に自分の弱い部分を見られているような気がして、アメリアは唇をかみ締めた。
抱きしめられるという事を、アメリアは憎んでいた。嫌いではなく、苦手でもなく、憎悪の対象だった。
看護婦も使用人も、父親ですら彼女を抱きしめる事はなかった。
治療という名目で閉じ込められた部屋から、父が自分の腹違いの妹や弟を笑いながら抱きしめている光景を何度も目撃している。
アメリアには決して与えられなかった光景が、今も瞼に焼き付いて離れやしない。
唯一、母だけはアメリアを抱きしめてくれた。彼女は娘の身体を何でもないように抱擁し、頬に何度もキスをしてくれた。
でも今にして思うのだ。母がこの世を去ったのは、自分を抱きしめた為に毒が感染したのではないかと。
妹や弟にばい菌扱いされ、石を投げられたのも数え切れないほどある。愛人兼後の■■■■■家の正妻は、自分の子供達を窘めこそすれ積極的に止めようとはしなかった。父親も同様だ。
母は違うと言ってくれたが、幼心に刻み抉られた汚物というレッテルは、今もそのままだ。
自分という汚い生物に何度も触れていたから、母まで病に蝕まれてしまったのだ。
アメリアの為に家を追い出され、アメリアの為に高いポーションや治癒魔術士にかかり、アメリアの為に病に冒され、アメリアの為に死んだ。
いつしかアメリアは、他人との接触を拒絶するようになっていた。重要な書類も手渡しなどしないし、ジェシナだって不必要に近づけさせない。
思えば一昨日、ムネヒトの手を掴んだのは不覚だった。無意識のうちに他人の優しさや暖かさを求めていたのだろう。そう思うと、なんて浅ましいのかと自分を情けなく思う。
後ろから伝わる人の温もりが、怖かった。
「そっか……」
何も言わず身体をバタつかせるアメリアを抱きしめたまま、ポツリと呟いた。
「私と、同じね」
アメリアを抱く腕に、僅かに力が篭ったような気がした。
「――私ね、もう赤ちゃん産めないんだ」
「…………!」
独り言のように、アメリアを抱きしめる女性は語り始めた。
コレットは辺境の小さな準男爵家に生まれた。四人兄弟の二番目であり、上に兄、下に弟が二人居た。誰もが目を見張るような美少女であり、十代半ば頃には夜会の招待状や見合いの申込書が毎日山のように届いた。
それで私も家族も調子に乗っちゃったんだろうと、コレットは語る。
コレットという可憐な花は、参加した社交界のほとんど名のある貴族の子息達を夢中にした。王国の中枢に位置する彼らに囲まれ、コレットも女としての自尊心を増長させていく。コレットの気を惹くために、彼女にも家にも豪奢な宝石や美術品が贈られ、彼女の家は煌びやかに飾り立てられた。
面白くないのは他の参加者である令嬢たちだ。
貴族にとって大切な出会いの場を潰され、脇役に押し遣られた彼女達の憤怒は当然のようにコレットへ向かう。
ある日、事件が起きた。コレットがある社交界に参加した際、彼女の飲み物に毒が盛られたのだ。
犯人はとある伯爵家の令嬢であり、婚約者をコレットに寝取られたと思い込んだ故の凶行だった。当時、参加していた他の令嬢や夜会を取り仕切る使用人たちを買収し、事に及んだという。
コレットは三日三晩生死の境をさ迷い、そして生殖器の機能を永久に失った。
彼女も悲嘆にくれたが、諦め切れなかったのはむしろ彼女の両親のほうだった。貴族とは云え準男爵程度では、領地も無く持っている特権も極僅かだ。
娘が王国の上級貴族と縁を結べば、彼らも一躍王国の有力者になれる。そう考えていたからこそ、コレットに貴族としての教育費や社交界費を他の兄弟たちより多く注いだのだが、先の事件で台無しになってしまった。
いくら見目麗しくとも、跡取りを埋めない女の価値は貴族社会において絶望的だ。事実、彼女に婚約を申し込んでいた有力貴族たちのおよそ八割がそれを取り下げた。
家族はコレットを責め抜いた。自分達が没落したのはお前のせいだと口を極めて罵った。
理由の一つに、コレットを地獄へ叩き込んだ令嬢が自分たちより遥かに上位者であったため軽い罰で済んだというものがあるだろう。皆は理不尽のぶつけ先として、コレットを選んだのだ。
コレットも彼らの感情を理解していたからこそ、悪辣な虐めに耐えることを選んだ。
それでも諦め切れなかった家族達は、コレットに唯一残った美貌を利用して将来の栄達を得ようとした。子が産めない体と知りながらコレットを自分の館へ招く王国の有力者は、かつて程でないにしろ多かった。
理由など、敢えて言うまでも無いだろう。
多額の交際費と引き換えに、両親と兄弟は泣き喚くコレットを引き摺って迎えの馬車に乗せた。何度も何度も、繰り返させた。
ディミトラーシャと出逢ったのは何もかもが擦りきれる直前だった。三日月の女神はコレットを仲間として迎え入れ、件の伯爵令嬢と共犯者達、そしてコレットを買った貴族共々を財産剥奪の上、国外追放へと追いやった。
当時既に冒険者を引退していたディミトラーシャだったが、未だ影響力は大きくその程度の事は造作もなかった。
それからはあっという間だった。コレットという働き頭を失った家は、贅沢により腐りきった金銭感覚を修正する事もできず、やがて破滅を迎えることになる。
風の噂で両親が病気で、兄弟達がダンジョンでそれぞれ命を落としたと聞いたとき、コレットは自分がどんな顔をしていたのか今でも思い出せない。
「因果応報、自業自得、調子に乗った私への罰。そうやって、自分を納得させるのに何年もかかったわ。ふふふっ、アメリアさんに綺麗なだけで楽に生きてきた女って言われた時、かつての自分を思い出しちゃったの」
「…………ッ」
「ごめんさない、嫌味を言ったわけじゃないのよ? だから彼……あの夜にオリくんに『綺麗なままだ』とか『誰にも傷つけられてない』って言われたのが本当に嬉しくて……少しでも彼に喜んで貰いたいって色々やったんだけど……全部、空回りしちゃった」
貴女の言うとおり自分は可愛く生まれただけだ。少し男受けする容姿に育っただけで、異性は呼ばずとも向こうから寄って来た。
だから、自分から意中の相手へアプローチする方法を知らない。男を悦ばせる方法しか知らないのだ。
男の人と一緒に幸せになる方法など、自分には一切分からないとコレットは言った。
コレットが今『クレセント・アルテミス』を離れて金を稼いでいるのは、ケジメのつもりだという。
今まで通りあのギルドで働けば、ムネヒトの借金などものの数日で完済できる。でもそれじゃダメなのだと、コレットは思ったという。
ムネヒトを自分たちの美貌で陥れておきながら、美貌で楽に金を稼いでは駄目なのだ。
そう思ったからこそ、コレットはギルドを離れて仕事を探したのだ。
求職期間はたった二日程だったが、働き先はいつも直ぐに見つかった。しかし『雇って欲しければ――』『給金を上げて欲しかったら――』と、雇い先の責任者は最終的にコレットの肉体へ目を向ける。
それら全てを振り払い、ほとほと嫌になって王都をウロウロしていたとき、あのような事態に巻き込まれたという。
「――ケジメと言ったのは嘘じゃないけど、別の理由もあるの」
「……理由……?」
いつかアメリアは暴れるのを止め、コレットの語りに耳を傾けていた。
「……見た目に頼らなくても、汚れてても、女は幸せになれるんだって証明したかった」
「……!」
コレットの囁きに、アメリアは応える言葉を持てないでいた。
美しくなれさえすれば幸せになれると信じていたアメリアの思い違いは、ルーカスに残酷に正されてしまった。
アメリアを抱きしめるこの女性も同じだ。美しく産まれてしまったばかりに自分も家族も不幸にしてしまった。綺麗なだけでは幸福にはなれないのだ。
自分は何という愚か者だ。
不細工に生まれた自分ばかりが不幸者のように感じて、見目麗しい女性達の苦悩を知ろうともしなかった。器量良しに降りかかる災難など、全て取るに足らない物だと決め付けていたのだ。
「……散々可愛いとか綺麗とか褒められて好い気になっていた私が言うなんて、変よね」
「変じゃないわ。ちっとも」
腹部辺りを抱くコレットの腕に、小さな力が篭った。
「――誰だって、幸福を求めて良い筈よ」
それは、アメリアが誰かに言って貰いたかった言葉そのものだ。苦難に立たされても、侮蔑に晒されても、お前は幸せになって良い存在だと認められたかった。
「……ありがとう、アメリアちゃん」
「別に。抱き締められたまま暗い話をされるのがイヤだっただけ――待ちなさい、アメリアちゃんって何よ」
「え? アメリアちゃん年下でしょ? ちゃんで良くない? ちゃんのがカワイイじゃない」
「良くないのだけれど。年齢とか関係ないわよ。親しき仲にも礼儀有りというんだから、知り合ったばかりの私達なら……ぅひゃぁっ!?」
「いけずー。こんなに仲良くなったんだから良いじゃない。あむあむ」
「ちょ、あ、誰が! そも、何で耳たぶを――んひィ!」
生まれつきの美人は違う生き物のように感じていたアメリアにとって、コレットとの出会いは痛みとともに鮮烈な出来事として心に刻まれた。
此処に、境遇は違えど傷ついても迷っても生きる事を諦めない女達が居る。美しくなるだけじゃ幸福に成れないと知っている女達が居る。自分とコレットという女性は何もかもが違うが、願う事は同じだ。
全く、幸せになるってのは大変だ。
・
「ふわぁ……お早う、二人共……」
ソファから身体を起こし背伸びをする頃には、既にアメリアもコレットも着替えを済ましてコーヒーを啜ってた。どうやら、何事かを談笑していたらしい。そこで何となく違和感を覚えるが、ボンヤリした頭ではハッキリとした形に出来ない。
「遅いわムネヒト。朝の浪費は一日の浪費よ」
金髪の方の女性がカップを置き、溜め息をつく。
「ざーんねん。もう少し遅かったら、アメリアちゃんとお早うのキスでもしようと思ってたのに。お砂糖は何個?」
オレンジ色の髪をした女性の方が、俺の分のコーヒーを用意しながらからかってくる。
「ああ、じゃあ一個で。スマン、ちょっと昨日は考え事を……は? アメリアちゃん?」
「朝っぱらからはしたないわよ、レティ。そんなことしたら、ムネヒトが今日一日使いモノにならなくなるじゃない」
「おい、それってどういう意味……レティ?」
えっ、なんで仲良くなってんの? 昨日は寝る前まで険悪ムード一色だったじゃんか。
「どうしたのよムネヒト。いい加減、顔でも洗ってきたら?」
「ふふふっ! いっそ三人でシャワーでも浴びちゃう? 背中、流してあげようか?」
「だからはしたないわよ! ムネヒトも鼻の下を伸ばさないで!」
二人の娘さんは、まるで数年来の友人のようにじゃれ合っていた。昨日のキャットファイトが猛獣同士の闘争なら、今朝は子猫同士の喧嘩だ。
いったい何があったというんだ。互いの地雷を踏み抜いた相手と、たった一夜で関係が劇的改善するものなのか?
アメリアとコレットにどんな事が起きたのかは知らないが、コレだけは分かった。
やっぱり、女って怖い。




