流れ者
冷たい風が肌に纏わり付く。
ベルバリオの館から隠れ家へ転移したアメリアは、彼が用意してくれた現金だけを持って直ぐにその場を離れた。
ルーカスのことだ。ベルバリオの隠れ家の事は調べ上げているだろうし、いつまでも此処に隠れているのはむしろ危険だとアメリアは判断した。
理性の判断ではそうだったのだが感情では違う。あの部屋に居ると、かつてベルバリオと過ごした記憶が溢れてきて仕方なかったからだ。
「……」
騎士団や商会館へ向かうのも憚られた。ベルバリオ殺害、館の放火の話は既に【ジェラフテイル商会】にも伝わっているだろうし、自分が帰ったら彼らは善意からルーカスを呼び出すだろう。
今になって思うが、もしかしたらジェシナもルーカスの罠に嵌って王都から引き剥がされたのではないだろうか。
婚約者のルーカスが裏切っていたという事実は、アメリアに疑心暗鬼の芽を呼び起こさせていた。
幼少の頃から晒され続けた差別と好奇の瞳の他に、親切心を持って近づいてきた者達もいた。アメリアの身体を親身になって案じていたように見えたが、彼らは結局■■■■■■家の財産が目当てだったのだ。
母や、ベルバリオやジェシナという信頼できる存在に支えられ、幼少の頃にあった気質はすっかり息を潜めていたが、ルーカスに乱暴に掘り起こされてしまった。【ジェラフテイル商会】の従業員達も裏切っているのではないかという恐怖が拭えなかった。
(いえ、違うわね……きっと私は皆に疎まれていた……裏切ったというよりは、正直になっただけ……)
そう考える方が自然だ。ルーカスの言うように、無駄な出費を繰り返す浪費癖を持つ代表より、表面上は真面目に商会の利益を考えていた彼に信望が集まるのは自明だろう。
増してや自分は必要以上に彼らを――ジェシナやベルバリオすら自分に近づけないようにしていた。醜かった肌を見せたくなかったというのもあるが――。
自分のような流れ者が一流商会の代表に収まっていた事は憎悪の対象だったのだろう。
情けなくて悔しくて悲しくて、そして申し訳なかった。
「本当に馬鹿みたい……全部、私の招いた種じゃない……」
腫れた瞼からまた涙が滲んだ。自分の愚かさが母とベルバリオを殺して、ルーカスを裏切らせたのだ。結局、自分は元の流れ者に戻ってしまった。母もベルバリオもジェシナもルーカスも居なくなってしまった。
だったら自分は、いったい何のために綺麗になりたかったんだ。
「よぉ、そこの姉ちゃん。夜遊びかい?」
ふと俯いて歩いていた彼女に近づく影があった。切れかかった魔力灯に照らされた六名ほどの男達。二十代から四十代くらいの……恐らくは冒険者だろう。
自分の境遇から外見だけで人を判別しないようにと心掛けてはいるが、彼らはワザと嫌悪感を呷るような身なりをしているのじゃないかと邪推してしまう。それほどまでに生理的な嫌悪感をアメリアは覚えた。
聞えないフリして足を早めるが、行く手を阻まれあっという間に囲まれてしまう。経験したことの無い男達からの下卑た視線に、アメリアは身を堅くした。
「おいおいおい、無視はねぇだろ無視は。こんな夜更けに一人でウロウロしちゃあ危険だから声を掛けてやってんだよ。もしかして行く所ねえのか? だったら俺達の宿にきなよ」
「……結構よ。宿に泊まる位の手持ちはあるわ」
鬱陶しさを隠そうともせず毅然と言い放つが、男達はヘラヘラと薄い笑いを貼り付けたままだ。
「いやいや、見過ごせないんだよなぁ。俺達はアンタみたいな美人サンを見過ごせないタチでねぇ」
あれほど聞きたかった言葉だというのに、美人と言われてもアメリアには何の感銘も呼び起こせなかった。それどころか気色の悪さが足下から上がってくるのをどうしようもない。
「ま、とにかく来いって。温かい飯や酒、ベッドだってある。悪いようにゃあしねえよ」
最も体格の大きな男が太い腕を延ばし、アメリアの細い腕を掴む。男の手は、彼女の手首を完全に囲うほど大きかった。
「は、離して! 痛っ! 汚い手で触らないで頂戴!」
「ギャハハハハ! アニキぃ、手が汚ねぇってよ!」
「おー、こえーこえー。じゃあお嬢さんと言うとおり、ちゃーんと手を拭かなぇと、なぁ!」
男の手はアメリアの襟首を掴み、そのまま服を真下に引き裂いた。簡素なドレスは真っ二つにされ、アメリアの素肌を晒してしまう。肌着ごと破られ、シルクで出来た下着のみが残された。
「――きゃぁぁあッ!?」
一瞬、自分が何をされたか分からなかったが、服を裂かれたという事実と、名も知らない男達に肌を晒している恐怖と嫌悪感に叫ばずにいられなかった。
色めき立ったのは男達だ。アメリアの半裸に遠慮なく視線を走らせ、興奮に鼻息を荒くしている。
「ぅっひょぉぉぉ! コイツはとんだ上玉だ! 美味そうな身体してんじゃねえか! しかもこの反応、間違いなく生娘だぜ!」
「ひひひひひ、やりましたねえアニキ! 肌とか真っ白ですし、いいトコのお嬢様かもしれやせんよ! たっぷり愉しんだ後は丁重にお宅に届けてやりましょうや! 謝礼とかたっぷり弾んで貰いやしょうぜ!」
「ぎゃはははははっ! そりゃ良い! 俺達にも運が向いてきたなぁ!」
脊柱を氷のナイフで突かれたような怖気を覚えた。男達の目的が自分という女で醜い欲求を満たす事にあると、アメリアはようやく理解した。
「い、いや……」
そういう対象にされた経験のないアメリアにとって、彼らの瞳は未知だった。アメリア自身、先天性の毒によりあらゆる五感や欲求などが薄く、性欲というものを知らずに育ってきた。
判断の遅さを自覚した時は既に手遅れだった。
アメリアは必死になって抵抗するが、別の反対の手も掴まれ背中から地面に倒されてしまう。背に伝わる石畳の固さや冷たさも無視し手足を振り回して男達を払いのけようとするが、アメリアの反抗は非力に過ぎた。
そんな彼女の様子を見て、加虐的な笑みを浮かべて愉しんでいる節すらある。アメリアは諸手を上げた状態で二人の男に腕首を踏まれ、体を隠すこともできない。バタつかせていた脚もリーダー格の男に跨られて動かす事もできなくなった。膝の上に伝わる男の体温が気持ち悪いほど熱い。
ゴツゴツした埃っぽい手が彼女の剥き出しの肩を撫で回し、ブラのベルトを弦楽器のように弾く。鎖骨の滑らかさを確かめながら、それでも暴れているアメリアの細い首を掴んだ。圧迫感に息が出来ない。
「こんなトコを一人でウロウロしてたお嬢さんが悪いんだぜ? 諦めて、俺らを気持ちよくしてくれよ。なぁに、お前さんも直ぐによくしてヤるからよぉ」
脂ぎった瞳はアメリアの身体を上から嘗め回していく。彼女の瞳を見たのは一瞬で、あとは白い肌に夢中になっていた。
カチャカチャと何かを外す音がする。暗がりでよく見えないが、男はアメリアの首を絞めているのとは逆の方の手で自分の股座を弄っていた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……! お願い、こんなことやめて……ジェシナ、お父様ぁ……!」
悪くないのに謝罪するという屈辱を知りつつ、アメリアは必死に懇願した。
「そうそう、しっかりごめんさないしなよ~? ひゃははははははははっ! ぜぇんぶ、お嬢ちゃんの自業自得なんだからなぁ?」
まばらに抜けた歯を剥き、酒と煙草と獣の肉の混じった吐息をアメリアに吹きかけてくる。悪臭と恐怖に、何度目か分からない涙を滲ませた。
男の太い指がアメリアのショーツの淵に掛けられた。最後に残った肉体と女の尊厳が失われてしまう。何もかもを犠牲にして得た筈の美貌が、最悪の形で失われてしまう。
今度こそ、何もかもを失ってしまうのだ。
「これも貴重な人生経験だったと思って俺らに感謝しろよ?」
「授業料は今から身体で払ってもらうけどな! ぎゃははははははははははは!」
上から降り注ぐ男達の目は夜闇にギラギラと光り、アメリアを愉快そうに見下ろしていた。誰も彼女を醜いと思っている者はいない。それ以上に悪い感情を孕んでいた。
「いや、いやぁぁああああああああああああ!」
未来も利益も善悪も問わない、自分達の今の欲さえ満たせれば良いと考える、女を殺す獣だ。
「じゃまぁ、いただきまぁす!」
涎と欲でドロドロの舌でアメリアの白い頬を一舐めしようとした時だった。
「なにしてんだこのボケェェェェ!!」
「ゴッ――!?」
第三者の一喝とともに、アメリアを組み敷いていた男が目の前から消えた。
「あ、アニキィ!?」
アニキと呼ばれた男は臀部を蹴飛ばされたらしく、アメリアの頭上――仰向けにされていたので後ろの方――へ勢い良く飛んで行き、壁に頭からめり込んだ。ちなみに下半身は丸出しだが、アメリアからは見えない。
突然の事態に鼻白んでいた男達だったが、狼藉者が一人である事を確認すると顔を真っ赤にして相手に詰め寄った。
アメリアを汚そうとしていた男を蹴り飛ばしたのは、黒髪の青年だ。
「テメェよくもやりやがったな! 俺らの邪魔する気か!?」
「邪魔? 邪魔なのはテメェらだろうが!」
何かが青年の気に障ったのか、怒髪天を突く勢いで猛然と冒険者達に襲い掛かってきた。
脚が生み出した風切り音は、アメリアの腕を踏み付けていた二名の男を道連れにする。トードーを潰した時のような音が二人の口から漏れた。
「テメェらのそういう行い一つ一つが! 俺の目指す『嬉し恥ずかし幸せおっぱい世界カッコはぁと』の途上を邪魔してるんだ! 恥を知れ恥を!!」
「な、なんなんだこの野郎!? ワケの分かんねえ事ほざいてるクセに、ワケ分かんねえくれえ強ぇぞ!?」
彼我の実力差に気付いたときには既に彼らの命運は決まっていた。
一人が腰から引き抜いた剣を慌てて振りかぶるが、青年は蚊でも払うように腕を振るう。それだけで剣は半ばから刀身を失ってしまった。
「今から神直伝の『パイタッチ三教典』を叩き込んでやる。ありがたく拝聴しやがれ!」
「パイ!? 三!? 何を言って――」
「一つ、手を洗って爪を切れ!」
「ひぃ――ギィッ!?」
四人目の両腕が枯れ枝のように圧し折れた。
「二つ、髭を剃って歯を磨け!」
「ぽじゅ!?」
五人目の顔面が地面で潰される。
「三つ、体臭や服に気を配れ!」
「ごぼッぉ……!」
六人目は腹を打たれ、血の混じった吐瀉物を撒き散らした。
「そして四つ! ちゃんと女の子に『おっぱい触って良いですか?』って確認しろ!」
「数が違う上に最後は特にカスみたいな条件じゃねぇか!? 雰囲気や女の機微を察ない童貞かよ!?」
「童貞で何が悪い!!」
「んごじゃばッハ!?」
最後は特に強烈だった。下から突き上げられた拳打は男の顎、歯、鼻柱を砕き、顔を下半分を完全に陥没させてしまった。
おびただしい血潮と黄ばんだ歯をばら撒きながら、男は白目を剥いて昏倒してしまう。上半身は妙な形で硬直し痙攣させ、首はダランと垂れている。頚椎までも折れてしまったらしい。
――強い。それも尋常なく。
荒事に慣れていないアメリアでも、青年の強度が一目にして分かるほどの圧倒的な戦力。
「ちくしょう……何でこの世界も童貞に冷たいんだよ……童貞が何をしたんだよ……つーか、ナニもしてないから童貞なんだよぅ…………あっ」
その青年は拗ねた様に呟いていたが、やがてアメリアの姿に気付いたらしい。服が破かれ下着姿になっていたアメリアに近づくと、着ていたジャケットを肩に掛けた。
冷え切っていた心身に、青年の体温が染み入るようだった。
「……男が怖かったら言ってくれ。女の人を呼んでくるから」
言われて身体が震えている事に気付いた。男の醜い情動に晒されて、異性へトラウマを持ってしまう女性は少なくない。彼はそれを案じているのだろう。
「…………冷えただけよ」
アメリアは寒さのせいにして、震える声と身体を必死に制御して気丈に振舞った。弱い自分をこれ以上、誰にも見せたくは無かったからだ。青年から見えないように、そっと涙を拭う。
そんな彼女の様子を男は黙って見つめていたが、やがてアメリアの前に腰を屈めて手を差し出した。
「――……」
やや迷ったが、アメリアは青年の手を取る。
危機を助けてもらったということもあるが、彼がもし自分に害を及ぼすつもりなら、逃げることなど出来ないと諦めに似た感情があったためでもある。
「動けるか?」
黒髪の青年――ムネヒトの手は暖かかった。




