最期の恩返し(上)
今日の仕事は我ながら集中して取り組めたと、アメリアは自分で思う。
新部門のため仕事を増やしたと責任を取る為ということもあるが、彼女は鬼気迫る勢いで業務に勤めた。向こう二週間は、自分やベルバリオが居なくても商会の運営に支障はないだろう。
「ここで良いわ」
ベルバリオの館に到着すると、アメリアは御者にチップを渡し馬車から降りた。無論、ベルバリオに会うためだ。
ルーカスから来るなとは言われていたが、どうしても会って話をしたかった。肉体が健康になったから、何事にも積極的になっている気がした。
ほんの数分間の会話でも説得できる自信がアメリアには有ったし、場合によってはこの身体の事を明かしても良い。そうすれば説明など不要だろう。
ベルバリオは喜んでくれるだろうか、それとも驚くだろうか。
様々な養父の顔が浮かび、自然と口元が綻んでいた。
きっと今まで見たことのないような反応が返ってくるだろうと予想できた。どちらにしろ、彼は我が事のように喜んでくれる。
廊下を踏む足が自然と早くなり、オペレッタのようなリズムを刻んでいた。
結婚式の時にサプライズを仕掛けられないのは残念だが、その時は彼にも共犯者になって貰おう。ジェシナとベルバリオと自分とで、皆を驚かせてしまおう。
これから何でも出来る気がした。
生真面目な秘書を引っ張って流行の服を買いに行こう。
優しく陽気な養父と話題の歌劇を観に行こう。
夫となった男を連れてハンバーガーを食べよう。
何もかもが上手くいく。アメリアはそう信じて疑わなかった。
虹色の未来図を描きながら、ノックも忘れてベルバリオの部屋のドアを開けた。
「……え――?」
視覚よりも早く彼女の感覚を刺激する物がある。濃い、血の匂いだ。
「…………ベルバリオ様……?」
部屋の中央に、朱に塗れたベルバリオがうつ伏せに倒れていた。
目の前に広がる光景を、彼女は現実の物として受け取る事が出来なかった。フードの下に浮かべていた微笑がそのまま凍りつく。
声が震えなかったのは、理解が追いついていなかったからだ。受けた衝撃を肉体や頭脳が未だ反映しきれていないのだ。
「ベルバリオさまッ!」
ハっとなってアメリアは養父の元へ跪いた。夥しい出血に、彼女の手やフードが鮮血に染まる。体中の血液が全て冷水に置換されたような恐怖を覚えた。
「ベルバリオ様! どうなされたのですか!? しっかりしてください、ベルバリオ様!!」
恐慌の一歩手前で彼を呼び続けるが、ベルバリオはピクリとも動かない。逞しい肉体には何の力も感じられなかった。
「……アメリア。あれほど来るなって言ったじゃないか」
声を掛けられてようやく、アメリアはベルバリオの他に数名の男が居る事に気付いた。大半は知らない顔ばかりだったが、たった一人だけ彼女の知る顔がある。
今日、此処でベルバリオと打ち合わせをするといっていたアメリアの婚約者。ルーカスだった。
何故かは分からない。アメリアは自分が居ない所で、何もかもが終わっていた事を悟った。
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「本当に君というヤツは……どうしてこう、私の思うように動かないんだ」
婚約者は端正な顔を見た事もない位に苦々しく歪め、唾を吐き棄てるように呟いた。アメリアは一瞬何を言われたのか判らなかったが、フードの下で眉を急角度に跳ね上げた。
「ルーカス! 早くお医者様を呼んで! はやくっ! このままじゃベルバリオ様が……!」
「そんな無駄なことするハズないだろう。今、ようやく殺した所なんだから」
「――こ、ろした……?」
意味が分からなかった。ルーカスは確かに殺したといったのか? 誰が誰を?
呆けるように、あるいは縋るように周りを見ても、アメリアを混乱から救ってくれる者は現れなかった。
それどころか居合わせた男達は、顔を見合わせて酷薄な笑みを浮かべている。
「頭の悪い女だ。私がベルバリオを殺したと言ったんだ」
出来の悪い教え子を諭す教師のような声色だった。普段の彼となんら変わらない様子に、底知れない不気味さを覚えた。
「何を……言っているの……?」
「言っておくけどね、私は誰かに操られている訳でも脅迫されている訳でもない。彼らを呼び寄せたのも、全て自分の意志によるものだ」
呆けたままのアメリアに、ルーカスは先んじて言葉をぶつけた。説明するのも面倒といった風に、周りの男から受け取ったハンカチで頬に付いた血糊を拭っている。
「ッ、そ、んなわけないじゃない!!」
自らの口を突いてでた叫びに、ようやく理性が追いつく。しかしその理性も直ぐに憤怒と混乱に塗り替えられてしまった。
「ルーカスがそんな事するハズない! 貴方が、貴方はっ私の婚約者で……何かの間違いよ! ベルバリオ様だって、死んでしまうわけないじゃない! ベルバリオ様、しっかしてください、ベルバリオ様!」
身体を必死で揺すりながら何度も彼の名を呼んだ。重傷者をあまり動かしてはいけないという基本的な事すら頭から抜け落ちたアメリアを、ルーカスは嘲弄を含んだ瞳で見つめてくる。
「ルーカスさん、どうします? 見られてしまった以上、コイツは消した方が良いんじゃないんですかい?」
周囲の男達の中で最も大柄な――恐らくはリーダー格――に呼びかけられ、ルーカスは首を横に振った。
「――いや、確かに本来の計画とは大きく乖離してしまったが、この女はまだ必要だ。正確には、この女の身体をだがな」
ただし、と付け加えてルーカスは再び狂乱に陥っているアメリアを冷めた目で睥睨した。
「生きてさえいればいい。むしろ、多少傷ついている方が説得力が有るだろう。お前達の好きなように痛めつけてやれ」
下卑た口笛が各所から上がった。それは暴力と欲に彩られた獣のものだった。
「そりゃあ良い! 目の前で育ての親を殺され、押し入った暴徒どもに慰み者にされたとあっちゃあ心を病むには充分だわな! おい野郎共! この屋敷でお預け喰らった分、存分に嬲ってやろうや!」
「流石だぜお頭! 話が分かる!」
「この館にゃあメイドも全然居なかったし、全員ぶっ殺しちまったからなぁ!」
歓呼に沸く男達を、ルーカスは苦笑いして窘める。
「おいおい止めておけ。この女は元より女としての役割を果たせやしない。おまえ達は、毒と呪いに塗れた■■■■■家の娘の話を聞いたこと無いか?」
品の無い笑い声を上げていた男達の一部とアメリアが肩をビクつかせた。何年ぶりかに他人の口から聞く、アメリアと母の家名だった。
「女なら後で追加の報酬として幾らでも用意してやる。まあ、自慢のモノが腐り落ちても良いというのなら止めやしないがね」
揶揄混じりに言われ、流石の男達も腰を引かせた。誰もイチモツを毒に突っ込む性癖など無いので、自然な反応だった。
「……なんで、こんな事をするの……」
ようやく搾り出した言葉は、俯きながら吐かれたものだ。それでもルーカスの耳に届いたらしく、彼は片方の眉だけを上げた。
「こんな事をして貴方に何の得があるというの!? 【ジェラフテイル商会】の為を思って居るといったのは、嘘だったの!?」
「もちろん嘘じゃない。本心さ」
婚約者の言葉は簡潔だった。
「私は心から【ジェラフテイル商会】の事を思っている。いずれ世に冠たる大商会にするため、私はいかなる犠牲も努力も支払う。これまでも、これからも」
「じゃあ、どうして!」
「――本当に頭の悪い女だな。君やベルバリオが【ジェラフテイル商会】にとって邪魔だからさ」
ルーカスの言葉に嘘も冗談もなかった。彼は真っ直ぐ、深いフードに隠れたままのアメリアの瞳を見つめる。本心から、彼はアメリアとベルバリオを邪魔だと言った。後ろめたさなど一切無い。
「何度も駄目だといっているのに、君は高額なポーションばかりを買い求める。浪費した金を考えると、本当にため息が出るよ。金を有益に使えない愚図が私の婚約者だというのは、必要なことだったとはいえ屈辱の極みだったよ」
「――」
「このジジイもだ。君の行いを掣肘しないし、下らない理想や精神論ばかり掲げて王都で人材育成や発掘にばかり感けている。そんな無駄なことより、商会を大きくするために必要な事がまだまだあるというのにさ」
「――――」
「私なら、二年で【ジェラフテイル商会】を今の倍の規模に出来る。だから今日、ベルバリオを説得したのさ。私を次期代表にしてくれとね」
瞬間、ルーカスの顔が屈辱にどす赤く染まった。
「けどこのジジィは、代表をアメリアから代えるつもりは無いと言いやがったッ!! この私より、君のような女を支持したんだ! 女としても、商売人としても、最低最悪の君を!! この私より優先したんだ!! 今まで私がどれだけ商会に捧げてきたか!!」
激したルーカスは周囲の家具を手当たり次第に蹴り飛ばした。癇癪を起こす幼児と変わらないレベルの精神レベルなのか、小さな暴風として荒れ狂った。
やがて、というほどの時間も経たない十数秒後、肩で激しく息をしているが、ルーカスは冷静さを取り戻す。
「…………本当に馬鹿な男だよ。素直に頷いていれば、もう少し長生きできだだろうにさ」
ルーカスが視線を横へ向けると、男達のリーダーが小さく頷く。そして流れるように、後ろの部下達に顎を向けた。
「頃合だな。オイ、お前らは屋敷に火を付けて先に退路を確保しておけ」
「お頭ぁ、火元は此処の倉庫で良かったっすよね?」
「おう。騎士団の連中が『魔石』の件を嗅ぎまわってるらしいからな。このベルバリオサマに身代わりになって貰おう。『火の魔石』を使う事も忘れるんじゃねえぞ」
男達のうち数名が部屋の外へ出て行く。残った男達はアメリアに近づいてくる。女を見る目ではない、ゴミを見るような目をしていた。
「……じゃあ、アレはなんだったの……」
うな垂れたまま、それでも話しかけてきたアメリアに辟易しきった様子でルーカスは溜め息をついた。
「『姿がどうあろうと、君の価値は変わらない』って、言ってくれていたのは……!?」
「それも嘘は言ってないだろう? 君は常に軽蔑の対象だったのだから」
「……っ、じゃあ、じゃあ……ぁ……」
訊いては駄目と、アメリアの冷静な部分が彼女の感情の部分を制止した。その答えを聞いてしまえば、きっともう堪えられない。
「私を、愛してるって言ってくれたのは……?」
「――これ以上、失望させないでくれアメリア。君も商売人ならば、口約束を軽々しく信じちゃあならないよ。君のような醜い女を欲する男が本当にいるとでも思ったのか?」
心底冷え切った瞳は、嘲弄に歪んでいた。
「それとも、私が『君を愛する』っていう契約書にサインでもしたかい?」
アメリアの心の中にあった何かが砕けてしまった。ずっと護り続け、育ててきた大切な何か。
それがたった今、音を立てて壊れてしまった。
「あ――……」
健康な肉体になりたかったのは、ルーカスの為でもあった。愛しているといってくれた婚約者は、自分の見た目など気にしないと言ってくれた。
本当に嬉しかったのだ。こんな自分でも愛されていいのだと、彼の言葉や態度はアメリアを励まし続けていた。
だからこそ、アメリアは健康な肉体を手に入れてルーカスの隣に立ちたかった。
婚約者は気にしないと言ってくれても、周囲の好奇の目はどうにもならない。商会の中核を担う人物の隣が自分のように汚い女だとすれば、彼は余計な注目を集めてしまうだろう。
ルーカスに恥を掻かせたくない気持ちもあったからこそ、アメリアは必死だった。
恋というものも愛というものもアメリアにはまだ分からなかったが、ルーカスの為に何でもするつもりだった。彼に尽しているうちに、愛は勝手に生まれるものだと思っていた。
思っていたのに。
「あ、あ――……ああああああぁぁぁ……」
全部、自分の独り善がりだったのだ。
粉々になったアメリアの大切なモノは、涙を断末魔として溢れた。流れる度に心が冷えていくのが分かる。
「耳障りな……おい、その女の顎を砕いておけ。逃げるときに騒がれても鬱陶しいからな」
彼女に一瞥も与えず、吐き棄てるように元婚約者は言った。小さく頷いた男達はアメリアに近づき、手を掛けようとする。
血の暴風が吹いた。
「――――ぁがっ!?」
彼女を害そうとしていた男は、逆に跳ね飛ばされて床に転がってしまう。
代わりにアメリアを抱いたのは、冷たくて太い腕だ。
「ベルバリオ様……!?」
伏していた養父がいきなり立ち上がり、死に瀕していたとは思えない腕力で狼藉者を殴り飛ばしたのだ。
「――チィ、この死に損ないが!」
悪態とともに他の賊が二人に殺到するが、アメリアを抱く手とは逆の手の中で何かが燃える。
「『転移符』か!」
マッチの擦れる様な音とともに『転移符』から白煙が噴き出した。ものの数秒もしないうちに、アメリアもベルバリオも煙のように消えてしまう。
「くそ、何処へ行きやがった!? 早く追え!」
「――いや、その必要は無い。ただし出入りできる箇所だけ固めておけ」
リーダーの男が周りの部下達に指示を飛ばすが、ルーカスは冷静にそれを遮った。
「この屋敷には最初から転移を阻害する物と、通信を妨害する魔道具を展開してある。見たところ発動だけはしたから『中級』以上は間違いないだろうが、『上級』であろうとも此処から出る事はできない」
「……なるほど、流石に周到っすね。だから唯一の逃げ道である入口だけを見張っておけと」
「火も直ぐに回る。どの道、あの傷と出血では長くは持つまい。頃合を見て私達も撤退するぞ」
「了解だ。けど、あの女は良かったのか? 多分……いや、十中八九焼け死ぬぜ?」
リーダーの指摘に、ルーカスは顎を摘んで考えこんだ。
「さて、どうかな。ベルバリオも用意周到な男だ。自分はともかく、あの女だけは逃がす可能性もある。そうしたら私は、尊敬する恩人を殺された哀れな被害者として婚約者を探せばいい。商会の従業員も騎士団も必死になって探してくれるだろう」
「ははは! アンタ、とんだ悪党だな! 自分を慕う連中まで利用するのかよ!」
ツボに入ったらしく、ルーカスに雇われた男は愉快そうに大笑いした。
「覚えておくといい、信頼感は日頃から培っておくとこういう時に役に立つ。まあジジイの信頼を得るのに数年も費やしてしまったがね。ベルバリオもジェシナも居ない今、あの女を護れる者などいない」
仮にアメリアが商会館に戻った所で、既に自分の息の掛かった者が控えている。
話を聴くフリして捕えるのも容易だろうし、此処で起きた事を証言したとしても、ベルバリオが殺されたショックで気が変になったという事にも出来る。
それでも死んでしまったのなら……と、ルーカスは歩きながら考えた。
「もし死んでしまったのなら……残念だが仕方無い。死んでいない方が都合が良かっただけだ。その時は死体でも利用するさ」




