狩猟祭⑫ メリーベルの剣(下)
最初に異物感、次は冷たさ、そしてやがて不思議な温かさを感じた。角にも血が通っているタイプの動物が居ると聞いたことがあるが、タイラント・ボアもそれなのだろう。身体を貫ぬかれた時に抱く感想としては平凡だろうか、奇抜だろうか。
どこがどうなった? アバラ骨の何番と何番がやられたなんて、正確な内観なんて俺には出来ない。背中から腹の中を通りすぎ右肩まで、気持ちの悪い灼熱感で大渋滞していた。
「め、リー……、ベッ」
三文字目で血を吐き出してしまった。腐ったトマトを吐き出したかのような不快感だ。
湯船のお湯が溢れるように、侵入してきた体積分が漏れ出すのは道理なのだろう。
なるほど、流れた分の血に俺の生命力が含まれているのは間違いない。間違いないよ、クソッタレ。
「ムネヒト――――――――ッ!!」
すまん、血で汚しちゃったな。お前、そんな声も出せるんだ。つーか、なんて顔してんだ。
メリーベルは折れた剣を離し、俺へと駆け寄ってくる。
ちょうどいい、女の子に抱きしめてもらいたかったところだ。戦い傷ついた体を少女の胸の中で癒すなんて、なんともドラマティックじゃないか。
このまま崩れ落ちれば、合法的にメリーベルのおっぱいに沈むことが出来る。いはやは素晴らしい。
……違う。
「……――まだだ!」
「――ッ!」
「俺じゃねえぇぇぇ!!」
お前が今掴むべきは俺の命じゃない。言っただろう、剣が折れても心が折れなきゃ負けじゃない。だったらまだ負けてない。
よく見ろ、ミスリル剣だって半分以上残っている。まだ戦える。ちょうど俺が抑えてるから、今のうちに急所を狙え。
勝ちたいとお前は声に出したんだ。ここを逃せば、お前はまた劣等感に溺れてしまう。
願いを口にするという事は、きっと弱さの発露でもあるんだと思う。自分には足りないから求める。自分で自分の弱さを認める事は勇気がいることだ。たとえその弱さが、他人からはそうじゃないとしても。
メリーベルのように、多くの人から期待されるような人間には特に難しいだろう。皆が理想とする副団長にならないといけないと感じているから、弱さを見せる事なんて出来やしない。
けど、お前はそれが出来た。だからメリーべルの願いは叶えられなきゃならない。
剥き出しになった弱さが、ズタズタに引き裂かれるようなエンディングなんて叩き斬ってやれ。
何も叶わないと決め付けて、泣きも喚きもせずに一生を終えるつもりか。
俺の命を抱きしめようとしている場合か。願いを捨てるな、剣を離すな。
「剣、を……ッ! げん、を、ぇ……」
メリーベルが鍛え続けた、メリーベルという剣を離すな。
「あ、ああ……あああぁぁぁぁ――――!」
急速に暗転していく視界の中で、メリーベルが腰に残った最後の一振りに手を伸ばしたのが見えた。
・
そもそもが無理な話だった。
剣は最初の持ち主専用に打たれている。他者が、それこそ親族子孫であっても使えないように魔術式が組まれている。だからメリーベルはおろか他の誰に抜けようハズも無い。
例外があるとするならば、剣を振り向かせることだ。
鍛え抜かれた剣の寿命は、人のそれを凌駕する。数十年で剣は主を失った。
最初の数世代は剣は讃えられ、毎日念入りに手入れされた。
次の数世代は倉庫で眠りについた。手入れも一月に一回、半年に一回と頻度を減らしていった。
何代か前には国を出て、かつてとは違う今の土地で眠りについていた。その頃には、剣が誰かの専用であったことも忘れ去られていた。
剣に意志は無い。だが魂はあった。
誰もが自分を掴み、そして諦めていく。託すとか継ぐとか言えば聞こえはいいが、結局は押し付けているだけだ。いつしか自分は、負の遺産としてこの時代を流れていくようになった。
別にそれを悪いとも思わない。そういう風に作られたのだから別に構わない。
剣は一途だった。共に駆けた彼女の姿だけを刀身に刻んで眠っているだけで充分だった。
誰かの腰にぶら下がったまま月日を歩み、やがてまた暗い場所に仕舞われる。そしてまた誰かにつかまれ、勝手に失望される。その繰り返しだ。別にいい。好きに扱えばいい。
だから今回もきっと同じ。自分こそがと張り切るのは最初のうちだけだ。自分は今日も眠り続けよう。
しかし彼女は剣を棄てなかった。
その娘が自分を手にした日から毎日腰にぶら下がっていた。手が豆だらけになりながらも毎日素振りした。手入れを怠った日は無かった。一緒のベッドで眠った。何処に行くにも一緒だった。錆び付きだと馬鹿にされても、彼女は剣を振り続けた。
己に付随する嘲笑と罵倒の歴史を自分の物として、全て引き受けた。まったく面倒な性分だよ。
どうやら今度の持ち主は随分と忍耐強いらしい。何時まで続くか見物だ。
……。
……。
……。
違う、そういう風に抜くな。抜きたいからとか、見返したいとか、神に逢いたいとか、そんな理由で何を斬るつもりだ。
呪うように? 否。祈るように? 否。縋るように? 否、断じて否。
剣は剣だ。己は、斬る為に在る。儀式や戴冠は他のキラキラな剣にでもやらせておけ。
地上で一番の剣士になる必要も、万の生贄を捧げる必要も、神に逢う事も神の血を浴びせる必要だってない。
ただ斬りたいと願うだけでいい。それがたった一つの条件だ。
ただし剣に願うな。剣を頼るな。逆だ。抜いてから何かを斬るんじゃなく、何かを斬る為に抜け。
いつしか剣は心無き身でありながら、傍観という姿勢から遠い立場にあった。
メリーベルは変わらなかった。変わったのは剣のほうだ。彼、もしくは彼女以上に赤い髪の少女は一途だったのだ。
惰性だの未練だのと賢い言葉で蓋をしていたが、少女の胸の中心には願いがあった。剣に対する誇りがあったのだ。
そうだ、掴め。貴女にはその資格がある。何もかも斬り伏せてみろ。
全ての感情が凝縮され胸の中で一つに束ねられ、斬るという決意のみに染まる。
メリーベルは苦悩も期待も嘲笑も願いも一切棄てなかった。一切を棄てず、しかし一切を振り切る。
だから剣が応えた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁあぁぁあああああああーーーー!!」
閃光が迸る。
レーザーのように斜め振り上げられた剣は、夜を裂く暁の色をしていた。
それは大理石から削りだしたような白磁の角をバターのように両断する。血も出ない。断面を一瞬にして焼き固められてしまうほどの超高温がそれを為したのだ。
『ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!?』
たたらを踏み、タイラント・ボアは悲痛な叫び声を上げた。記憶に無いほどの灼熱と激痛が神獣に襲い掛かり、右の角が永遠に失われたことを悟る。
しかし、それが怒りに昇華することはなかった。驚愕がタイラント・ボアの脳内を占めたからだ。
「抜け……た……!?」
なんの抵抗も無く鞘から放たれた剣を見て、メリーベルはむしろ呆然と呟く。
先刻のメリーベルは全くの無我夢中であり、自分が咄嗟に掴んだ剣が例の古い剣だったということにも気付いていなかった。
待ち焦がれた時が訪れた事に対し、現実感が沸いてこないのだ。また、メリーベルの困惑を更に助長させる要因が他にもあった。
現実とは思えないほど美しい剣だった。
炎を纏いながらも、濡れているかのように秀麗な刃紋を見せる刀身には、錆どころか刃毀れ一つない。
「……っ!」
瞬間、剣を通じメリーベルへ流れ込む物がある。それは今の今まで封印されていた、剣についての基礎知識だった。
刀身は純度100%同士のアダマンタイトとミスリルを掛け合わせた青色霊金という古代の合金を、オリカエシタンレンという今は失われた技術で鍛え上げられていた。
そして柄頭と鍔にそれぞれ一つずつ、計二つの『魔宝石』を搭載している。
名を収炎剣スピキュール。其は火を収め火を支配する至高の一振りなり。
「むねひと……!」
待ち望んだ剣の解放を、しかしメリーベルは意識の隅に置いて今度こそ青年の側に駆け寄った。
戒めから解き放たれ倒れた青年は、薄目を開けメリーベルと彼女の剣を見る。格好良い剣じゃんかと、血塗れの唇が綻んだ。
共に過ごした時間は短くとも、彼はそう言ったとメリーベルには分かった。
「馬鹿者! もう喋るな! くそ、止まれ、止まらんかぁっ!」
血の池の中心で、メリーベルは必死に止血を行う。
致命傷だ。手当てしてももう駄目な事はすぐに分かった。
人の腕ほどもある角が腰付近から突き刺さり、外へ貫通することなく鎖骨の方へ中を抉りながら彼を貫いたのだ。肋骨は砕け内臓は潰れ、意識を保っていたことがほとんど奇跡だった。
どこをどう止血すれば良いかも不明で、中級ポーションはおろか上級ポーションでも間に合うまい。
ましてや、彼女の手に握られたムネヒト手作りの下級ポーションなどでは。
「……っ、ぁ、……――、…………」
震える指で彼は自らの左胸を触ろうとするが、それも中断され力なく落ちる。びしゃと赤い水飛沫を立てたきり、もう動かなくなった。
「目を開けろ! これは命令だそ!? 副団長の言うことが聞けないのか!」
冷静さも適切さも失われ、ただただ呼び続けた。
通信機から『準備が完了した』だの、『今から衛生兵を向かわせます』だのと聞こえてくるが、遠くの出来事のように聞こえていた。
溢れ続けていた血の勢いが衰えていく。止血が上手くいった訳じゃない、生命の源泉が失われようとしているのだ。
「駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ! このまま死んでみろ、絶対に許さんぞ! お前には問いたださねばならないことが沢山あるんだ! 私にしたセクハラ的な治療だって、まだ弁明を聞いていない! 不名誉な行為だとされたまま居なくなるつもりか!?」
メリーベルには覚悟が足らなかったのだろうか。
彼女は自分の命を懸けてでも狩猟祭に勝つつもりだった。だが、仲間の命を懸けてまで欲しいとは思わなかった。
「……いやだ……むねひと……! せっかく、逢えたのに……なんで、なんで応えないんだ! お願いだ、目を開けてくれ……!」
出逢ってまだ十日だ。だが濃密な十日だった。
メリーベルはムネヒトという青年を十日分知り、ムネヒトもまたメリーベルという少女を十日分知った。
そしてこれからも、お互いを知る時間が山のように有る筈だった。
だがたった十日でメリーベルとムネヒトの運命は終わる。『これから』は、もう永遠にやってこない。
認めてたまるか、そんなもの――!
彼女の描いていた『これから』のに中にもムネヒトはいる。このような場所で失うなど、メリーベルには受け入れられなかった。
彼女は弾かれたように顔を上げた。
それから先の行動を後日思い返してみても、何故そのようなことをしたのか、メリーベル本人にもさっぱり分からない。
彼の口内に溜まっていた血液を除き気道を整えたのは良い。残っていた最後のポーションを取り出したのも良い。問題はその次だ。
「……んんッ!」
メリーベルは鎧を脱ぎ捨て、自らのインナーを下着共々破き胸を露出させる。それからポーションの中身を全て乳房にぶちまけたのだ。
人の目が無かったのは幸いだった。誰かに見られていたら、きっと正気を疑われたに違いない。
しかし、何故かこのときはこうすべきだと思ったのだ。肌を晒す羞恥も迷いも、彼女には皆無だった。
ムネヒトの身体を抱き起こし、頭を抱えて彼の口元へ左胸を寄せる。肌に息がかかる距離だが、その空気の流れはもう無い。
治癒薬がほんの僅かになってしまったとか、そもそも衛生的にどうなんだとか、せめて口移しではないのかとかいう異論は、全て後日の悩みの種になった。
メリーベルの曲線を流れていた白い液体は向きを変え、先端へ向かう。やがて左胸の最も敏感な部分を伝い、手作り下級ポーションは雫となって彼の口へ。
ぽたっと、たったの一適。それだけだ。
それだけで、彼には充分だった。
・
「――――ッ!」
大森林の最終決戦予定地付近から、レスティアの身を圧するほどの強烈な気配が吹き上がった。それは『能力映氷』のキャパシティを超越し、軽い圧痛を覚えるほど。
裸眼で太陽を見てしまったかのような眩しさに、レスティアは顔を伏せていた。
「……ハイヤさん……?」
その気配の色には見覚えがあった。『後悔の巨人』の時に発揮した絶大な生命力。ハイヤ・ムネヒトという個人が発する、異常なまでの高エネルギーだ。
神獣の魔力残滓が著しい中にあっても、一際強烈に光を放っていた。
明らかに先日のそれを越えている。もはや人間が、いや生物が発揮していいレベルではない。
彼に何が起きたのかなどレスティアには知り得ない。しかし圧倒的な力を前にしても、彼女は一切の恐怖を感じなかった。
理由も皆目検討が付かない。でもきっと、将来の義理の息子か弟の身にとてつもない幸運が舞い降りたのだろう。
ならば、ハイヤ・ムネヒトが負けるものか。
「……やるんですね、ムネくん!」
レスティアの呟きを聞いていたものは居なかった。残されたもう一人もまた、魔道具を片手に呆気にとられていたからだ。
「おいおい、聞いてねえよ?」
頬をひきつらせ、もはや笑うしかないという様子でジョエルは笑った。
もう一度、望遠鏡タイプの魔道具――レスティアの固有スキルには遠く及ばないが、相手のステータスを盗み見ることが出来る希少な魔道具――を覗きこむ。慎重に故障では無いかと確認した後の行動だった。
ここからでは遠すぎて、そして木が邪魔で姿は見えないが隣にメリーベルもいるらしい。
だがジョエルは、彼女のステータスが格段に強化されたことにも気付かず青年の姿を見ていた。彼も同様に遠すぎて直接見ることは出来ないが、間違いなくその場にいる。
短い期間ではあったが【神威代任者】のライジルが、うわごとのように呟いていた言葉がある。死神に睦言でも囁かれたのか、繰り返し口にしていた。
そしてそれは、ガノンパノラ団長と、自分を含めた王宮騎士団しか知らない機密コードになった。
頂を臨む者。
傲慢不遜極まる呼び名を、ジョエル達は最初、自分を倒した者を必要以上に強大に見せる自己顕示欲の裏返し、逃がした魚は大きいという現象に似た物だと考えた。
しかし誇張ではないとジョエルは理解した。デタラメだ。凄まじい強者といっても限度がある。
誰だ、ごく普通のちょっとスケベな青年なんて報告を寄越したのは。
「聞いてねぇよ……あんな怪物なんてさぁ……」
ジョエルの呟きもまた、誰の耳にも届かなかった。
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次回、決着予定です




