狩猟祭⑪ メリーベルの剣(上)
初めて父から剣を貰った時のことを今でも覚えている。
五つの誕生日に本物の剣が与えられたのだ。今まで使っていた木剣が折れてしまったから、丁度良かったというのもあるだろう。
私の体には大きすぎる剣を腰に下げて、得意気に王都を走り回った事もある。私に向けられる皆の微笑ましそうな顔、苦笑い、そして何処か馬鹿にしたような顔。
当時の私には分からなかった。それがどんなものだったかなど関係なかった。
家に伝わる剣を授けられた事が、本当に嬉しかったのだ。
私も父のように立派な騎士になるのだと、神に逢い剣を抜くというファイエルグレイ家の大願を私が成就させてやろうと誓った。
あの時から剣を振ることを一日たりとも欠かしたことは無い。鞘のまま剣を振る私の姿は、きっと端から見ても滑稽だっただろう。
習慣から惰性に変化したのは何時の頃からだろう。
任務中、この剣以外の得物を全て失い大怪我を負った時か? 『錆付き娘』などという蔑称が生まれてからか? 母が家を出たときからか?
磨耗した願いを胸にまたこの剣を取る。きっと、明日も明後日も来月も来年も。それこそ、何もかもが錆び付くまで――。
馬鹿か私は。一体いつまで拗ねているつもりだ。
私にはこの剣は抜けない。だからどうした。この剣が私の宝物であることには変わらないのだ。
願いも悩みも抱えたままで良い。何もかもが私が戦う理由になる。それが重荷になるなら誰かに……それこそ、あの能天気な男にでも持って貰おう。
そうやってアイツに預けても良いと考えると、胸が軽くなるような気がした。
まだ神獣は怖い。目を合わせるだけで怖気が沸き上がってくる。
でも戦える。不出来で中途半端で、劣等感にまみれた私でも戦えるのだ。
剣は一人で振るものだが、剣を振る理由が一人のものであるべきと理由など無い。
・
白く煙るなか、大小の影が何度目かの接近を果たす。
「『徹拳!』」
突進するタイラント・ボアに対しムネヒトは右拳を振り抜いた。しかし、目算では直撃するはずだった攻撃が空を切る。
寸前、タイラント・ボアは歩幅を縮め突進の向きを変更、頭部を横へ直角にスライドさせたのだ。
眉間を狙ったムネヒトの拳は必然、タイラント・ボアの首付近に辛うじて届くかどうかの空間を突いただけで終わる。拳打により発生した衝撃波が獣の側面を撫でるが、なんの効果も得られなかった。
タイラント・ボアは頭を揺り返し、ムネヒトの懐へ左下から掬い上げるように一撃を繰り出す。
(この図体でなんてスピードだ!)
ムネヒトは歯噛みし、強烈な角戟を左腕で受ける。
擬似的な鍔迫り合いは長く続かなかった。渾身の右を回避され体が流れていた所への一撃、おまけに体重差は分かりきっている。
「うぉッ!?」
黒髪の青年は地面から引っこ抜かれ弾き飛ばされた。背中で木や岩を幾つか砕きながら、なんとか体勢を立て直そうと手足を伸ばす。
途中、レスティアから貰ったステータス隠蔽用の指輪が壊されてしまうが構っている余裕は無い。
タイラント・ボアの筋力値は推定600前後、対しムネヒトは――自分自身は知らないが――今や800を超えている。
ステータス自体はムネヒトが勝っているが、当然そんな単純な話でも無い。
これが魔力や魔量なら、魔術という現象として発現するので比較しやすいのだが、筋力や敏捷といった主に物理的な項目は、本人の体格が大きく影響する。
極端な話、赤ん坊の100と竜の100では差が生じるということだ。
身長、体重、リーチ、手足の数などがステータスに見えない補正を加えるため、人とモンスターとでは同列に比較することが難しい。
ましてや彼とタイラント・ボアでは戦闘の経験値が違う。
ムネヒトだって楽な相手ばかりと戦って来たわけではないが、タイラント・ボアの戦歴には遠く遠く及ばない。
神獣は野生に生まれ落ちてから今日に至るまで多くの戦いを経験した。自分より強いものは勿論、自分より弱い相手とも。
相手を殺す戦い方から逃げる戦い方まで。そして雨の日、風の日、雪の日、暑い日、寒い日にも生きるために戦ってきた。
ステータスが総合力で上回っていても、タイラント・ボアを圧倒できない理由はそこにある。
ムネヒトはムネヒトという超高性能の肉体に振り回され、タイラント・ボアは自分を完全に制御している。悪夢の中であってもそれは変わらない。
『オオオオオオオオオオオオ!』
ようやく地に足を着けられたムネヒトへ追撃。咄嗟の判断でムネヒトはジャンプし木の上へ避難したが、直ぐに後悔する。神獣の猛撃により圧し折られた木が倒壊し、彼を大地へと乱暴に送り返した。
「あ、あぶな……ッ!」
ハエが叩き落されるようなスピードでムネヒトは五体接地する。やや遅れて降ってきた大木に巻き込まれなかったのは、僥倖といって良い。
タイラント・ボアは一旦そのまま走り抜け、円を描くようにして再びムネヒトに猛然と向かってくる。たた全力で向かってくるだけ、嫌になるほど単純で男らしい戦法だ。
「これならどうだ!」
ムネヒトは共倒れになった大木の腹を片手で掴み持ち上げた。木刀として振るう為じゃない。こんな森の中で長すぎる得物は邪魔になって仕方無い。
空いていた逆の手で収納袋から虫除けくん煙用の薬剤を取り出し、素早く着火させた。アザンが片手でも火をつけられるように改造した即席の目潰しだ。
ムネヒトはそれを『乳頂的当』でコントロールを補い、タイラント・ボアの鼻へ投げつける。四つ足の獣なら乳首は腹部にある。正面を向いているなら、投げる角度によっては乳首への延長線上に顔があると踏んだのだ。
『オオオ――――!?』
目論見は成功し、強烈な刺激臭を伴う噴煙がタイラント・ボアの視界と嗅覚を一瞬奪う。
更にムネヒトは、向かってきたタイラント・ボアに対し水平に構えていた巨木を二本角に突き刺した。まるで巨大なウインナーの腹をフォークが貫いたようにも見える。
それでも止まらないタイラント・ボアだったが、横に長すぎるウインナーは乱立する木々に阻まれる。衝突の勢いが木の数だけ分散され、タイラント・ボアの突撃が止まった。
「――よっしゃあ! メリーベル!」
アザン達の準備完了まであとどれ位かムネヒトは知らないが、チャンスが到来すれば黙っているわけにもいかない。彼女の準備が出来ていなければ再び時間を稼ぐ必要があるが、もし整っているのなら――。
「ああ、こっちも準備完了だ。ここで決める、行くぞ――!」」
いつの間にか、赤髪の少女がムネヒトのやや後ろで剣を上段に構えていた。
皆から贈られた純ミスリルソードは煌々と紅蓮を噴出し、触れもしないのに落ち葉を瞬時に煤に変えている。溜めに溜めた炎の一太刀は、解放の瞬間を待ちわびていた。
「『上級炎系活用法、ひとひらの赤――――』!!」
炎の落雷と化した剣は、未だ視界の晴れないタイラント・ボアの首へ振り下ろされた。
不発に終わった昨日を上回る、全身全霊の必殺剣。おまけに高級品とされる純度100%のミスリルソードで、硬度も切れ味も魔力伝達率も今までとは全く違う。
間違いなくメリーベルの今までの生涯で最強最高の一撃だった。
「え――……?」
だがその一撃は、ミスリルソードもろとも半ばから圧し折れた。
ガラスの砕けるような音と共に、灼熱のミスリルソードは刀身を三分の一ほど失う。砕けた切っ先が宙に火の輪を描いた。
その軌跡が紅色の瞳に残像するが、メリーベルはそれを目で追う事もできなかった。呆然と、剣を振り下ろしたままの姿で硬直していた。伝わった確かな手ごたえは途中で消失し、行き場を完全に失う。
「そんな、馬鹿な……!」
目の前の光景を受け入れられないのはムネヒトも同じだった。彼女の剣の威力はよく知っているし、ミスリルで出来た剣は、岩を切り裂いても刃こぼれ一つしない強靭な金属なのだ。
だがタイラント・ボアの筋肉と体毛の強度はそれすら上回り、メリーベルの一撃すら受けきった。
『オォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!』
神獣とはいえ流石に無傷ではなかった。
首には浅くない切り傷が刻まれ血が滲み、炎の残滓が茶色の毛を広く焦がしている。
だがそれだけだ。決定打にはなり得ない。神の獣の命は遥かに遠方にあった。
角に突き刺さった大木を振りほどき、タイラント・ボアは多少の苦痛に身を捩じらせたが、すぐにその双眸をムネヒトへ向ける。そして、
『――――――――――――――ッ!』
音無き咆哮を発した。
ムネヒトは咄嗟に両手を交差し顔と上半身をガードする。タイラント・ボアの雄叫びはムネヒトの全身を満遍なく叩いた。世界の音が一色に染められ、暴風に煽られたかのように一瞬息が出来ない。
「が、ハぁッ!?」
深刻な異変は、両胸の先から全身へ鋭い痛みとして訪れた。視界の隅で青いウインドウがアラートを発している。
――『不壊乳膜』停止。使用可能まで、あと81秒――。
(『不壊乳膜』が破られた! これは、まさか『戦場の咆哮』か!?)
それは、自分も使ったことのある戦士系スキルの一つ『戦場の咆哮』に似ていた。しかし、威力はムネヒトもバンズすら大きく上回っている。
戦闘力の二大骨子である怪力と頑強さのうち、一柱が突破された。彼の圧倒的な防御力は、同時に両乳首を攻撃される事により効力を失う。
ムネヒト自身が試していた事でも有るが、攻撃のタイミングが一秒ズレても『不壊乳膜』は解除されない。それにソコを同時に攻撃されることなど、通常は有り得ない。
だがその有り得ないという考えこそが既に油断だったのだと、ムネヒトは不心得を思い知らされる。
モンスターはスキルを使わないだろう、仮にどんな攻撃だろうと大したダメージにはならないだろう、もしもの時は防御すれば回避は容易だろう、
数々の無意識下の先入観をことごとく裏切られ、ムネヒトは音速のダメージを受けた。急所を攻撃された時間的なズレは、一秒を遥かに下回る。
「やべぇ! 早く――」
一分半弱という短い時間は、この場においては致命的過ぎる隙だ。ムネヒトは『不壊乳膜』が回復するまでは回避に専念するべきだと即決する。
神獣の『戦場の咆哮』効果で酷い眩暈がするが、幸い動けないほどのダメージは無い。多少視界が歪む程度だ。
だがその視野の端で、ペタンと膝を付く少女の姿があった。彼女はここが何処で何時かすら自失してしまったのか、折れてしまったミスリルの剣を抱え呆然としている。
「ぁ、……ぁぁ、ご、ごめん……み、んな……ごめ、ん、なさ……い……」
「――ッ! メリー――……」
ムネヒトの胸中に沸騰したような感情のうねりが沸きあがる。だがそれが形になる前にタイラント・ボアが冷や水を浴びせた。
自身を傷つけた下手人が彼女だと気付いたのか、その巨躯をメリーベルへ向け発射したのだ。
赤の瞳はそれを映しているのかどうかも分からない。回避の間に合うタイミングではなかった。
「この期に及んで、メリーベルに浮気してんじゃねぇぞ! イノシシィー!!」
ムネヒトもほぼ同時に飛び出していた。
メリーベルを守るつもりか、タイラント・ボアに攻撃するかも決め兼ねた余りに無謀な行動。ムネヒトに出来たのは自分の身体を一人と一匹の間に滑り込ませたことだけだった。
潜在意識下での逡巡の報いは、あっという間に訪れる。
・
ばしゃり。水にしては生温かい液体がメリーベルの顔を叩いた。
それでハッと、彼女は現実へ帰還する。顔も髪も、古い剣もべったりと濡れていた。赤くだ。
「……ハイヤ? ……――!」
息を呑んだ。
数秒にも満たない自失から回復したメリーベルが見たのは、自分の前に立ち塞がる黒髪の青年だった。
「ムネヒト――――――――ッ!!」
背から神獣の角に貫かれたムネヒトの姿だった。
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クリスマスが今年もやってくる……




