狩猟祭⑨ 騎士達の決断(下)
神獣タイラント・ボアはムネヒトとメリーベルが下層に落下した後、悠然と立ち去ってしまった。残された第二騎士団へは興味を失ったのか見向きもしなかった。
彼らの胸にあったのは副団長とムネヒトを倒された怒りなどではなく、生き残れたことに対する安堵だった。そして、安堵を抱いてしまった自分に対する怒りと不甲斐なさに苛まれる。
それからは端的に言って散々だった。
タイラント・ボアの行方はレスティアが追跡していたが、彼の獣が撒き散らす魔力が濃すぎて『能力映氷』でもマークしきれず見失ってしまった。
もちろん神獣にばかり意識を裂いてはいられない。モンスターや魔獣を発見し、現場の実働部隊に伝える仕事もある。
しかし、最大戦力のメリーベル失った第二騎士団の行動が精彩を欠いていたのは言うまでも無い。
討伐のペースは明らかに落ちたし、普段なら容易に回避し得た怪我まで負うものも居た。
何より、恐るべき神獣が森林を徘徊しているという恐怖。命を脅かすほどの存在に、また何時どこで遭遇するかもしれない。そうなったとき自分達は戦えるのか。いや、生き残れるのか。副団長を倒されてホッとしている自分たち如きに。
それほどまでに彼らが受けた精神的なダメージは大きかった。
メリーベルとムネヒトが無事という報せは彼らにとって喜ばしいものだったが、タイラント・ボアと再戦したいかといえば、答えは単純にはなりえない。
メリーベルもゴロシュもドラワットも、密かに噂されていたムネヒトですら太刀打ちできなかったのだ。
その事実を知ってもなおリベンジしてやろうと息巻く輩など、騎士ではなく蛮族の類だろう。
・
「棄権すべきって……本気で言っているんですか!?」
『ハイヤ君もいたのか……ああ、聞いての通りだ。これ以上、継戦するメリットは無いというのが我々とC部隊の結論だ』
「待って下さいよ! まだ結果は出ていないってのに、何で――」
メリーベルは俺の抗議を無言で遮る。小さく首を横に振ったのだ。
「棄権……そうか、それが皆の結論か…………」
そして俺の背中で抑揚の無い声で呟く。メリーベルは驚いていないのか、酷く冷静だった。
「……理由は、やはりタイラント・ボアか?」
『……それが最大の理由ではあります。まだ装備も充実し、疲労も無い最序盤で接敵しておきながら、結果はあの通りでした。それに――……いえ、何でもありません……』
歯切れの悪い返答だ。第二騎士団の本隊でどのような会話が行われたのか、俺とメリーベルが知るはずも無い。けど何となく、この狩猟祭の結果を悟らせる通信内容だった。
皆は敗北を受け入れてしまっている。
討伐ポイントはまだ俺達が上回っているはずだ。もしかしたら、ここで魔獣の狩りを中止しても俺達の勝利で終わるかもしれない。皆はそれを予期、あるいは期待して危険を冒してまで狩猟祭を続けるべきでは無いと言ってるのだろうか。
いや、きっとそんな甘い話ではない。
アザンさんは棄権と言った。例えば神獣が出現した事により、祭り自体が取り止めになったというのではない。
だったら、俺達がこれ以上続けても無駄な理由が他にあるのだろうか?
『……ご決断を。副団長から仰っていただければ、皆も諦めがつくでしょう。第一騎士団への交渉はジョエルさんとレスティア副官が赴くと仰っています』
俺を思考の海から引き上げたのは、アザンさんの熱湯を氷で蓋をしているような声だ。よくよく耳を澄ませばアザンさん以外の団員も通信機に耳を寄せているらしく、息遣いや鎧の擦れる音がする。
彼らの表情など窺い知れないが、無理矢理心情を押さえ込むような気配が伝わってくるようだ。それだけで、これがどれほどの苦渋の決断だったか分かるような気がする。
皆だって不本意な結論に違いない。それでも、優先すべきことを守ろうとしている。生命を賭してまで勝ち取ることではない。
「……気まで使わせてしまったか……そうだな、私が決めなければならないよな……皆がそう結論を出したのなら、私は――」
「ああ~通信機の調子が~~ぷつん」
『え、ちょ、ハイヤく――』
それを受け入れるかどうかは別だけど。空気の読める日本人は一時帰国だ。
「……って、おい!? コラ、返せ! きゃあ!?」
俺は後ろ向きのままメリーベルの手から通信機を引ったくった。彼女は慌てて手を伸ばすが、高所であることを思い出したらしく腕はすぐに首に戻ってきた。
「なんの真似だ!? 危ないじゃないか! 私が落ちたら、ちゃんと拾いに来てくれるんだろうな!?」
拾うって、栗とかじゃないんだから。
「いや、ほら、まあ、うん。上手くは言えないんだけど……本当にそれで良いのか?」
実は俺も自分で何が言いたいのか分かっていない。言ってしまえば、何となくメリーベルの答えを先延ばしにさせたかった。
俺はともかく、副団長抜きで結論を出すとは何事か! と追求することも出来ただろう。でも、彼女はそれをしなかった。
「……団員の意見に耳を傾けるのは、副団長として当然のことだ。彼らが話し合い結論を出したとするのなら、私からは何も言うまい。無理に戦おうとしても、皆を危険に晒すだけだ……」
メリーベルの表情は分からないけど、少なくとも声に覇気はない。
「確かにな。俺も出来れば、あんな化け物と二度とやり合いたくは無い」
「…………」
「でも、まだ全部を出し切ってない。俺は一人でもやるぞ」
俺の背でメリーベルが震えた。
対哺乳類に対しては無敵だった俺のスキルが通じなかった。けどまだ拳骨が残ってる。
もしかしたらそれはか細い希望なのかもしれない。一条の光に縋ってズルズルと更に悪い状況に陥った例は、歴史の中にいくらでもある。
でもたまには良いだろ? 皆が無理だと叫ぶ事に挑むのは、異世界召喚者のお約束だ。そうさ、俺はまだイキり尽してない。
それに全てを出し切っていないのは俺だけじゃないはずだ。
「メリーベルはどうしたいか、聞かせてくれないか?」
「……なに?」
「ここには俺しか居ない。たまには普段言えないような事を口に出すのも大事だ」
「…………」
逡巡の沈黙。崖の上から吹き下ろされる一種の山風の音すら聞こえるほどの静寂。
駄目か、と諦めかけたとき小さな溜め息が俺のうなじを撫でる。
「…………勝てると思うか?」
「それは――……」
何に? と聞き返してはいけないような気がした。きっと、そんな単純な質問じゃない。
彼女が戦っている相手は俺が思うよりもずっと多い。第一騎士団か。神獣か。貴族達からの根も葉もない悪い噂か。それとも、その抜けない剣か。
「……分からない」
なんて頼りない返答だ。もうちょっと気の利いたことが言えないものかね。
でも、その全てに戦いを挑み勝利できると無条件に言ってやれるほど俺は強くない。誰かの強さを保証出来る強さが存在するのなら、それは一体どんな種類の強さなんだ。
「…………情けないことに、負けることが怖い。嫌とか苦手とかじゃなく、怖いんだ」
「……そうか」
やがてポツリと彼女の言葉が零れた。首に巻きつく彼女の腕は力み過ぎているからか、小さく震えていた。
「いや……それ以前に、私もあのモンスターが恐ろしい。神の名を冠する、あの獣の巨躯を思い出すだけで、手が震えるんだ」
「……」
「そして、ここで退いてしまえば、皆の期待を裏切ることになってしまう。でも……私の見栄なんかで、騎士団を危機に晒すべきでは無いという事も分かっている……」
「……」
「…………結局のところ、私は臆病者なんだ。団長が……父上が指揮を執っていれば違う形になっていただろう。単純な実力も指揮の能力も、私とは全く違う。それに引き換え私は『今年こそは』と息巻いくだけで、また口先だけで終わってしまう……」
ふと、王都で巡回任務に勤めた時の事を思い出す。
都の皆はメリーベルの事を『錆付き娘』などとは呼ばなかった。彼らは全員メリーベルを慕っているのだと、俺でも分かる。人望と言い換えてもいい。あれだけ多くの人に応援されている事は、誇りに持ってもいいはずだ。
だがそれが当人のプラスになるかと言えば、必ずしもそうとは言えない。善意の雨、応援の嵐、それを無条件で愉しむにはメリーベルは責任感が強すぎる。思いが重いなんて、なんと無個性な台詞だ。
俺にもなんとなく分かる気がする。好かれると言う事は怖い。自分はそれに足る人物なのだろうかと思うと、いつも不安だ。
一時の感情で好意を向けられ、それが勘違いと分かった時、俺達はどう傷つけば良い?
大切な人たちに好かれて、愛されて、そして最終的に失う。俺も、きっとメリーベルも大切な人に失望されるのが何よりも怖いんだろうと思う。
それを臆病だとメリーベルはいうのか。
「……父上にも負けて、第一騎士団にも負けて、この剣にも負けて……私はきっと、これからも負けっぱなしなのだろうな……」
「馬鹿を言うな」
だからこそ俺はメリーベルを否定しなくてはならない。
そんなの誰でも怖いに決まっているだろ。俺はそれを弱さと言いたくない。そんなのあまりに淋しすぎる。
俺は剣を何本も駄目にしている位じゃガッカリなんてしない。ブロッコリーが嫌いでも、誤解から喧嘩をふっかけてきても、胸にパッドを詰めてても嫌いになんてなるものか。
勝者にばかり擦り寄り、敗者に嘲笑を与えてくるような有象無象など知った事じゃない。手の平返しなんて、むしろちょうど良い篩だ。
でもメリーベルが期待に応えたいと思っている人達はそうじゃないんだろ?
第二騎士団の皆はもちろん、毒ネズミに困っていた婆さんも、腰を痛めていたオッサンも、孫を婿に進めてきた爺さんも、団長に負けてないとメリーベルを称えたおばさんも、メリーベルを勝敗で判断しているわけじゃない。
そんな彼らの期待にこそ応えたい彼女の気持ちも分かる。けど、彼らこそが勝ち負けを越えた価値観でメリーベルを慕っているのだ。
「……俺は団長さんに会ったことないから知らないけど、メリーベルの父親は美少女か?」
「……――はあ? いきなり何バカなことを言ってる。そもそも父が女の訳ないだろ?」
「じゃあ美少女勝負ではメリーベルの一勝だな。第二騎士団の副団長はなんと可愛い」
「お、おまっ!?」
「しかも料理だって少なくとも俺より上手い。朝飯に食べた麦粥も絶品だった。メリーベルは良いお嫁さんになるな」
「なぁ――!?」
俺はまだ良い。でもメリーベルには比較対象がある。その偉大な父親の存在は終生メリーベルに付きまとう。善意、悪意に関わらず記憶に有る限り比較され続ける。誰よりも、メリーベル自身が自分と父親を比べ続けるだろう。
あるいは勝敗とは相対的なものだ。サッカーでも野球でも、点数が多い方が勝ちだ。なんて分かりやすい。
じゃあ人は? 顔にスコアでも書いてるのか? なんだそりゃ、いったい誰に落書きされたんだ。
「団長の顔すら知らない俺でも、間違いなくメリーベルが勝ってる点なんて幾らでも見つけられる。あとは、俺的には何と言ってもおっぱいが――」
「えぇい、その口を閉じろ! そ、そんな物は勝った内には入らん!」
「そう? じゃあ、お前の言う事も負けた内には入らないんじゃ無いか?」
「――!?」
彼女の生真面目さや厳しさは自身にも向けられ、足りないところばかりに目が行っている。
メリーベルが言っているのは、野球選手がサッカー選手とPKで勝負して負けた事を嘆くようなものばかりだ。悲しむくらいなら自分の得意分野に持ち込んで完勝してやればいい。ホームラン連発してサッカー選手を驚かせてやれ。相対的な周りの判断基準など知った事か。
「他人は他人、自分は自分なんて当たり前だ。メリーベルにはメリーベルの良いところがある。けど……」
誰もが特別なオンリーワンなんて、何度も漫画にもアニメにも採用された真理に違いない。きっと、メリーベルだって自分自身に言い続けてきたのだろうと思う。
「……けど、そんな簡単に割り切れ無いってのも分かる」
もう言葉じゃ覆せないほどメリーベルは傷ついている。だから哀れむな。彼女へ与えるべきは慰めでも言葉でもない。具体的な結果だ。
相対的にも主観的にも何人にも、それこそ自分にも否定しようの無い実績を叩きつけろ。積み重なり続けた敗北が、全て気のせいだったと思えるくらいの圧倒的な勝利こそが必要なんだ。
俺はメリーベルを勝たせたい。いや、勝たせなきゃならないんだ。
「最初の話に戻るけど、本当にこのままで良いのか? また負けたって、来年は頑張ろうって繰り返すのか? 今年こそはなんて、言い飽きたんじゃないのか?」
「……ッ!」
真に恐れるべきは、負けを怖がることじゃなく負けに慣れてしまうことだ。いずれ磨耗し、どうせ全部上手くいかないなんて、閉じこもって自己憐憫に浸るような真似はさせたくない。
「俺はたった十日位しか働いてないけど、結構頑張ってきたと思うんだ。それでも、こんなところで終わるのは悔しい。メリーベル達はそれ以上に沢山準備してきたのに、でかい猪に邪魔されて、第一の連中に笑われっぱなしで、メリーベルは悔しくないのか!」
俺はまだメリーベルの声を聞いていない。白旗を上げるなら実力も本音も全て吐き出してからだ。
引き際を見極める事は大事だ。行き過ぎた敢闘精神が危機を及ぼすことも知っている。メリーベルがもう戦いたくないと心の底から思っているのなら俺はそれに従おう。
でも俺はそうじゃない方を期待していた。
「…………悔しいさ、悔しいに決まっているだろう!」
時計の針が一周半したころ、彼女の唇がようやく割れた。腕にも力と熱が篭り、俺の首ごと戦慄かせる。
「第二騎士団の皆がどれだけ苦しんでいるかも、私がどんな思いだったかも知らないクセに、勝手にブツブツブツブツと……お前ら一体何様のつもりだ!」
愚痴というには苛烈な叫びは大音量で俺の耳をキンキン震わせるが、むしろ心地の良い痛みだった。メリーベルのいう『お前ら』が一体誰を指すのか、訊くような野暮な真似はしない。
「そうだそうだ! 何様だボケが!」
「金持ちがそんなに偉いのか! 貴族とはそんなに偉いのか! 生え抜きの王国民がそんなに偉いか! お前らは、産まれてから一度も悪い事をしたことが無いのか!」
「悪い事をしたことの無い人間なんて居るもんか! 俺なんて毎日ワルいことしてるぞ!」
妄想の中ではミルシェもリリミカもレスティアも時々ノーラだって、どこをとは言わないが何回も揉み揉みしてやってるぜ! メリーベルに至っては、今朝見た姿を帰ってから密かにスケッチする気マンマンだしな!
「だいたい最近王都の剣が値上がりしているのは誰のせいだ! 大して剣の練習もしないくせに、上等な装備ばかりを欲しがる貴族のヘタクソが多いからだろう!? 素材も鍛冶職人も無限じゃないのに、ヘタクソな自分たちばかりが優先されて当然だなんて思うなーッ! このヘタクソー!」
一度決壊したダムは、溜め込んだ水を吐き尽くすまでその勢いを止めようとはしない。今までよほど腹に据えかねていたのか、聞いたこと無いような汚い罵詈雑言を喚き続ける。
しかし罵倒の語彙力は乏しいらしく、ヘタクソという単語が何回も登場していた。悪口が苦手な副団長が可愛すぎる。
「いいぞメリーベル! じゃんじゃん言ってやれ!」
「抜けない剣を持ち歩いているのがそんなに変か! これは私の宝物なんだ! 一族に伝わる剣だからじゃない、生まれて初めて貰った剣なんだ! 大事にて何が悪い!?」
未練とか惰性とか言ってたのに宝物か! そりゃあ良い!
「悪いことなんて何一つ無い! それを馬鹿にするヤツの方が馬鹿だ!」
「私の、私の第二騎士団を馬鹿にするなあああぁぁぁぁ!」
なあああぁぁ……。
なあぁぁ……。
ぁぁ……。
……。
「はーっ……はー……はぁ……ふぅ……」
「スッキリしたか?」
肺活量の限りを尽したのだろう。メリーベルが返事したのは最後の叫びがヤマビコし、永遠に森へ溶けた後だった。
「……ああ、たまには人目を憚らずに喚き散らすのも悪くないな……耳元で叫んで悪かった……スマン、ハイヤ衛生兵……」
「だってさ、皆」
「……………………えっ」
『…………あぁ、その……』
顔は見えないが、ぽかんとしているであろう彼女に握ったままの通信機を振ってみせる。俺の手の中から、返答に窮しているらしいアザンさんの声が聞こえる
別に返答を求められたわけではないのだが、そりゃあ困るよね。彼の後ろでもヒソヒソと内緒話をする物音がする。やっぱり、全員で聞いていたっぽい。
「き、き、きさ、きさまぁああああああー!? 此処には自分しか居ないっていっただろー!?」
「嘘じゃないだろ? 断崖には俺とメリーベルしかいないし、通信機の調子が~……とはやったけど、切れたとも言ってない。最初からしっかり繋がってる」
小型犬のように、大声だが迫力の欠けるメリーベルに対し用意していた言い訳を並び立てる俺。ついでに、にししと意地の悪い笑みを浮かべてみる。
「お、おま、おままま……あ、あぁぁああぁ……ば、ばかものぉぉ……」
メリーベルは顔を俯かせてしまった。この場合のバカってのは褒め言葉だぜ。
『……副団長、その……』
彼女が俺の首を弱弱しくチョークしていると、アザンさんがおずおずと言った感じに声を掛けてきた。気のせいか、俺の肩に押し当てている彼女のオデコが酷く熱い。
「……違うんだ……いまのは、えっと、ハイヤ衛生兵が私のモノマネをして叫んだだけなんだ……」
誤魔化し方まで下手すぎる。もにゅもにゅ唇をまごつかせるメリーベルに微笑ましさを覚えながら、俺は通信機へ口を寄せる。そして緩んだ頬を必要以上に引き締め、出来る限り意地の悪い顔と声を作った。
「じゃあそういうわけで、俺は一人でもあのイノシシとやる。皆さんは棄権するんだって? お疲れ様でした」
『……――』
たまには悪役ムーブだってしてみたい。先輩方の苦悶など知った事かと、新入り団員の空気読めない言動とかで憎まれ役に徹しようじゃないか。
「副団長はおろか、自分たちも既に負けてると思ってる腰抜けは本営に帰ってのんびり茶でも飲んでて下さい。副団長の好感度は俺が独り占めだ、ざまぁみろ」
『……黙って聞いていれば、良い気になりやがって……!』
返ってきたのはアザンさんの声ではなく、双子騎士のどちらかのものだ。
『入団したての新入り風情が、生意気言ってんじゃねえぞ!? 副団長が可愛いとか料理が上手いとか、すぐに分かることばかり並び立てて偉そうに語ってんじゃねえ!』
「!?」
「――ハッ! だったら一人一人、メリーベルの良い所を言ってみろ! 俺に先を越されたいのか!?」
いつかのミルシェとパルゴアの時とは逆だ。
俺の知らないメリーベルの良い所を教えてくれ。彼女は負けっぱなしで終わるような存在じゃないと、確信を深めさせてくれ。それは皆にしか出来ないことなんだ。
『俺らが金欠だったとき副団長が作ってくれたパン、旨かったっす! 見た目は死にかけのヘビみたいでしたけど、味は最高でした!』
「死、へび!? いや私はウサギさんを作ったつもりだったんだぞ!?」
『ウサギ!? 贔屓目に見てもせいぜいウナギだったスけど!? ほれ、ドラワット!』
「ウナギさんのパンを作るワケがあるか! あっオイ、聴け!」
『おっとナイスキャッチ! 副団長。貧民街ではじめて会った時、俺と兄貴をよくもボコボコにしてくれましたね!?』
「酷い言いがかりを言うな! ちょっと小突いただけだろうが!」
『いやいや! 俺も兄貴も骨にヒビとか入ってましたよ!? マジでパンパンに腫れ上がってたんですから!』
「そ、そうだったのか!? てっきり虫刺されかなんかと……」
『でも、お陰で薄汚いチンピラから足を洗えて騎士団にも入れたんでさあ! あ、っちょ、通信機返せコラァ!』
『やかましいわクソ双子が! 俺だってあるぞ! 仕事でミスしたとき王宮騎士団に頭下げに行ってくれたッしょ!? 俺のために謝ってくれる人なんて、死んだおふくろ以外に居ませんでしたよ! ほれ次だ!』
『俺達の給金を支払う為に、副団長が経費を使わず装備を揃えてるなんて誰でも知ってます! 領収書を持ってこないって、ヒヨコの奴がぼやいてましたよ!』
『副団長の財布、いつ見てもフニャフニャしてて可哀想なんですよ! もーちょっと入れても良いんじゃないですか!?』
『知ってます!? 水に栄養は無いんスよ! 腹が膨れんのは錯覚っす錯覚!』
「お、お前ら……いい加減に……!」
『つーか、水臭いじゃないですか副団長! ムネヒトを連れて行くんなら、俺達も連れて行ってくださいよ!』
『そうですよ! まだまだ俺達だって役に立てます! 私について来いって言って下さい!』
『俺達の副団長が負けるもんか! なあ皆!』
『当たり前だ! 副団長!』
「……――」
誰一人、それこそ俺だってメリーベルが負けてるなってカケラも思ってない。
最後までゲス顔を維持しようとしたけど、駄目だこりゃ。どうにもニヤけて仕方ない。あんまりだらしなくニヤけてしまうから、俺は恥かしくて振り返らなかった。
当然、メリーベルがどんな顔をしているかも見る事はできない。
「……なあメリーベル、一番早くおっぱいを貰えるのはどんな赤ん坊だと思う?」
「……? それは……」
突然の、しかも俺らしい問いは彼女を小さく悩ませた。真面目に考えなくても良い、謎かけでも何でも無いからな。
「これは持論だが……きっと一番早く、そして一番大きな声で泣いた赤ん坊だ」
成長してしまえば人は泣かなくなってしまう。泣かない強さというか、精神の成熟とか、涙への恥とか。
大人になってしまえばおっぱいなんて必要ない。残念だが当たり前のことだ。いつまでもワンワン泣いておっぱいを探すなどありえない。それに限らず、ただ泣いているだけで与えられる時間は人生の中で短いものだ。
やがて誰もが誰かの庇護を離れ生きていく。自立、自尊、自律のなんと困難なことか。
それでも、
「たまには、泣くように願っても良いんじゃないか?」
「――ッ!」
それでも俺はメリーベルに泣いて欲しかった。たった十日程度の付き合いだが、コイツが今まで涙も愚痴も見せずに頑張ってきたんだろう事は容易に察せられる。
だから、それくらいは許されるはずだ。もちろん俺だって許す。なんせ神様だし。
「俺達であのクソデカい猪をぶっ倒して『魔宝石』かなんかを回収して、気に食わない連中のド肝を抜いて、ザマぁみやがれって、皆で大笑いしてやろう!」
私は誰にも負けていない、私は凄い副団長なんだと胸を張って叫べ。その為ならなんだってしてやる。
「勝ちにいこう、メリーベル!!」
俺達はこの祭りに勝ちに来たんだ。
言いたい事は全部言った。背にメリーベルの熱を強く感じながら俺は彼女の返事を待つ。通信機から聞こえる副団長を呼ぶ声も、鳴りを潜めていた。
「……この一回だけでいい。私の我儘を聞いてくれ」
俺の肩を掴む彼女の手にも力が篭もる。
「勝ちたいんだ。だから……」
一言一句を聞き漏らすな、我らが副団長のお願いだ。だから、
「皆の力を貸してくれ」
だから俺達は戦うことを選んだ。
・
第二騎士団本営に待機していたC部隊は沈黙に包まれていた。それは悲痛な感情が作り出す物ではない、噴火直前のマグマ溜まりを思わせる沈黙だった。
「……聞いたかよ?」
「ああ、聞いたよ……」
第二騎士団員のほとんどが、いずれも軽度とはいえ罪を犯した者達だ。
彼らは盗賊にも犯罪組織にもならず、しかし真面目に働くこともなく、辛うじて日々を食い繋ぐだけの存在だった。
誰かの言葉を借りるなら中途半端なチンピラだ。薬物、殺人、強姦などに手を出したことは一度として無いが、例えば喧嘩沙汰や小銭程度の物取りは数え切れない。
善良な王国民にも、筋金入りの悪人にも蔑視されるどっちつかずの薄汚い自分たち。当時は誰もが行き場のない苛立ちのぶつけ先を求めていた。
「……副団長、こんなハンパな俺達の事を私の第二騎士団って言ってくれたぜ」
「……そうだな」
それぞれに訪れた転機は誰の胸にもある。
更正団員制度は昔からあったが、積極的に用いられるようになったのは割と最近だ。帝国と王国間で休戦協定が結ばれると不要になった戦力、臨時の兵や騎士が解雇され野に溢れたのだ。
才覚やコネのある者達はそのまま雇用され続けたが、そうで無い者の方が圧倒的に多かった。冒険者になってダンジョンに挑んだり、故郷に帰れた者は幸福だ。
王都に残ったのは中途半端な者たちだ。そんな帰る場所も縁者も無く街でぶらつくゴロツキが、やがて野盗などに身を落とすのは決して珍しいことではない。
事態を重くみた王国は、積極的な秩序回復を行う為に更正団員制度を強く推奨し多額の予算も出した。
もとより資本の潤沢な第一部隊も更正団員を表向きは招きいれているらしいが、その更正団員達が書類の中から登場した事はない。
実際に自分たちへ手を差し伸ばしたのは第二部隊だ。
初めは偽善者の優越だとか哀れみだとかと勝手に解釈し、わざと反発したり問題行動を起こしたりもした。今にして思えば何という幼稚な振る舞いだったのだろうと、羞恥の念に絶えない。
それでもメリーベルは自分達を見捨てなかったのだ。
そんな彼女が勝ちを捨てていない。だというのに自分達が諦めていいのか。
馬鹿にするな。俺達はそこまで恩知らずじゃない。
「あそこまで言わせておいてよ、知らん振りなんて出来るか! くそったれが、新入りに言われちまったじゃねえか! 情けなくて泣けてくるぜ!」
「俺達の副団長が負けるものか! いいや、俺達だって負けてねえぞ! 第二騎士団は色男揃いなんだぜ!」
「ああそうさ! なんせメリーベル副団長を勝たせることが出来るからな! 第一騎士団の連中には真似できねえだろ!」
「副団長がやっと我儘言ってくれたんだ! 男ってのは女の我儘を叶えてナンボだろ!」
「ははーん!? だから女房の尻にしかれてんのかよお前!」
「うるせぇわボケ! 俺はケツフェチなんだよ!」
口々に罵倒交じりの軽口を叩き合って立ち上がる。重かった尻がどうにもムズ痒くて座ってなど居られない。
彼らの熱気に満ちた輪より少し離れた場所で、やれやれと現騎士団最年長の男は小さく溜め息をした。仕方の無いヤツらだとボサボサの髪を掻き毟る。
隣のレスティアも似たような顔で肩をすくめていた。困っているような表情だが、どこか笑っているようにも見える。
ジョエルは更に隣で俯いている青年に声を掛けた。
「ま、そういうわけだ。悪ぃな、せっかく忠告してくれたのに。第二はバカばっかりなんだ」
木箱に腰掛けていた青年――第一騎士団のフィリップは顔を上げ首を横に振る。目を伏せてはいるが、口元には微笑が浮いていた。
「お気遣いありがとうございます。ですが、気を悪くしたとかそういうのじゃありません。ただ……」
目の前にはゴロツキやチンピラと蔑まれ続けた男達が、年齢も秩序も無くバカ騒ぎしている。
帯びている装備は古くデザインなどもバラバラで、統一性は一切感じられない。寄せ集めの自警団と言ったほうがまだ信じられる。
それでも第一騎士団でいくら年数を重ねようと、得られない物がここにはあるような気がした。
「ただ、羨ましいだけですよ……」
呟きは男たちの喧騒に消えていった。
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お鍋の中では水炊きが一番好きです




