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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

屈折した俺の未来と、歪んだ祖父の顔

作者: 暇太郎

 俺の人生の歯車が狂いだしたのは、恐らく高校受験の失敗からだろう。俺はその地域で三番目ぐらいの学校を目指していた。中学一年生二年生とぐうたら過ごしてきたからか、俺の成績はお世辞にも良いと言えなかった。当日のテストだって恐らく、ずば抜けて良いわけでもなかったと思う。

 俺は落ちた。

 そして、滑り止めに受けていた私立へ入学することになった。親戚のおばさん――そのおばさんの娘はその地域で一番の進学校に受かり、有名大学に行った――や家族は俺を慰めてくれたが、多分みんな心の中では見下していた。その私立は所謂底辺高校だったからである。俺だって受験勉強をしている期間はその高校を『大きな赤ちゃんの託児所』と言って馬鹿にしていた。

 俺は一応、その高校の『特進』というクラスに編成されたが、進学実績は悲惨なものだった。早稲田大学の推薦枠が一つあったが、俺の実力で取れるわけもない。クラスの中でも中くらいの成績で、将来への不安は段々と増えていった。

 特進のクラスからだって、国立の大学に行けるのは毎年三人程度。その私立に入学するのに、親にはたくさんのお金を使わせてしまったから、馬鹿みたいに金がかかる私立の大学など許されるわけもなかった。

 俺は自分の成績が伸びないのを環境のせいにした。自分が勉強をできない鬱憤を家庭にぶつけた――と言っても、親父の理不尽な行動に頭の中で罵詈雑言を浴びせるという、陰湿なものだった。

 学園祭が終わり、俺は代休で家に居た。こう一日中暇だと、逆になにをやっていいか分からない。外に出て、アクティブに遊ぶということは嫌いだったから、家でパソコンをしていた。

 パソコンは居間に設置されており、それもストレスの一つだった。祖父や祖母が客人と喋っていると、パソコンが使えないからである。客人を招くのは大体祖母で、しかも決まって長話をする。祖父はというと、八十九歳にして腰をうち、骨にヒビが入って、ベットで寝たきりになっていた。だが、リハビリなどを重ねていくうちに家族全員が驚く程の回復を見せた。なににも掴まらず、歩くことはまだ出来なかったが、車椅子を使えばすいすいと歩いた。

 その日、祖父はまた自分で歩いてきては、居間に来てごろんと寝ていた。両親は仕事に行き、祖母は畑仕事に行っていた。

 小腹が空いて、俺は祖父に何かないか、と尋ねた。

「ん?」

「なんかお菓子ない?」

「なんだって? 証?」

「お、か、し」

「知らないよぉ」

 祖父は顔に何重にもある皺を寄せて、穏やかな笑みを作った。そこで、俺の何かが爆発した。骨が炎を纏ったような、そんな熱を腕の中に感じた。

 全身が痺れ、すべての血が上半身にのぼっていく。無償に叫びたくなり、俺はその衝動を拳に乗せた。

 肘枕をしていた祖父の頭は厭な音を立てて、地面に叩きつけられる。

「ひやぁ」――祖父はそんな間抜けな声を出し、動かなくなった。

「死んだフリしてんじゃねえぞ! ボケ老人!」

 俺は足で思い切り、祖父の背中を蹴った。多分、骨が折れたと思う。

「ぐぎぃぃぃぃ」

 祖父は黒く腐ったような歯をむき出しにして、苦しさを顔面に表した。

「いたぃい。いたァい」

 その声が俺の衝動に拍車をかける。日頃の様々なものに対する様々な不安が俺の頭の中で破裂しては、散った。

 祖父は蚯蚓のように全身をくねらせ、這いずって俺から逃げようとしている。腰を押えている手を掴んで、関節とは逆の方向に曲げてやる。

「ぐわああ! 博、痛い! 痛い! 何をする。博ィ」

「うっせえんだよ! ぎゃあ、ぎゃあ喚くな! この粗大ゴミが!」

 鈍い音がして、祖父の腕はあり得ない方向に曲がった。しわしわの指がピンと張って、祖父は絶叫した。祖父の多量の涎が畳みに染み込んでいく。

「きったねえ! きったねえ! おい、コラ! 自分で舐めろ! おい、コラ!」

 もう、戻れない。だが、俺はそんなことどうでも良かった。

 一万円ものお小遣いをくれる祖父。そして、その金で買った漫画やゲーム――様々なものが頭を横切った。

 頬に涙が伝い、心臓で何かが蠢く。気持ち悪さが喉元まで込み上げ、不味い味が口の中に広がった。

 祖父は殺されるとでも思ったのか、畳を舐め始める。

 ご飯の時、楽しそうに話している祖父の面影はない。俺がただいま、と言って手を差し出すと、嬉しそうな顔をして握手してくれる祖父の面影はない。

 ただ、そこには生に執着した醜く、皺だらけの肉の塊があるだけだ。

「ふざけんな!」

 俺はもうほとんど髪の毛の残っていない祖父の頭を鷲掴みにして、畳に叩きつけた。

「ふざけんな! ふざけんな! ふざけんな!」

 その言葉を繰り返す度、俺は祖父の顔を押し付けては離し、また押し付けては離した。何かが折れる音がした。

 祖父の顔を覗き込んでみると、鼻の先が変な方向を向いて、大量の鼻血が出ている。祖父は口をぱくぱくと動かし、潰れたような小さな目が俺を見た。

 その目は潤い、俺に懇願している。

「ふぃろし」

 祖父が俺の名を呼ぶと、口から何かが抜け落ちた。祖父の汚れた歯が地面にころころと半円を描くように転がって、俺の足許で止まる。見れば、祖父の口の中は血だらけである。

 そして、その口元が綻びた。

 まるで主人に阿る犬のようだ――祖父にどんな意図があったのかは不明であるが、俺はそう思った。

 祖父の鼻血がぽたりと地面に垂れた。

 その瞬間、涙が溢れ出る。

 それは後悔なのか、そうでないのか――ただ、祖父に対する何らかの情が激しく取り乱すように、動いたのである。

 俺は意識が遠くるような、記憶が全部焼けていくような、不思議な感覚にとらわれる。

 そして途方もない哀しみと、途轍もない将来の不安に襲われた。

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