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再来のリリック  作者: 天羽紫苑
第一章
2/2

転校生は悪の組織に追われてる!?

 その日は突然やってきた。

 優がいつもと同じように登校すると、どういうわけか教室にはいつもより高揚した雰囲気が漂っていた。

 今度はいったい何だ。優はため息をつきながら自分の机に鞄を下ろす。

 良い予感はしない。こういうときはたいていあまり歓迎できないことが起こるのだと優は経験上知っていた。例えば、転校生が来るとか……


 数人がおはようと声を掛てくるが、ぞんざいな言葉ばかりを返して、優は一人、自分の席についた。それから、いつものように、クラスメイト達が騒ぐ声をどこか冷めた表情で聞き流しながら、ぼうっと頬杖をつく。しばらくするとチャイムが鳴り、深谷先生が勢いよく引き戸を開け放って入ってきた。

 生徒たちは一斉に席につき、先ほどまでの騒々しさが嘘だったかのように静まり返る。

「お、どうしたみんな、今日は静かだな」

 教卓に立つ深谷先生を見つめる皆の間には、静けさの中にも、やはり、その不思議な高揚感が漂っている。

「起立、礼、着席」

 いつも通りの、いかにも優等生らしい西条の号令に、皆がきびきびと従った。

「はい、みんな、おはよう。 実は、突然なんだがな、今日からこのクラスに新しい仲間を迎えることになった」

深谷先生はあっけなく静水に石を投げ込み、さざなみを立ててしまった。


「やっぱり」

「本当だったんだ」

「だから言ったでしょ」


 やはり皆は、転校生の話題で盛り上がっていたらしい。だいたい想像はついていたが、そんなことか。

 優はつい、心の中でため息をついた。

 クラスメイトの一人や二人、増えようが減ろうが興味は無い。

 そもそも、こんな時期に転校とは、それまでいた学校でトラブルでもあったのか、今や社会問題にまでなっているらしいいじめか、いずれにせよ、何かしらの理由があることは確定条件である。また面倒な事になりそうだ。


 そして、ガラガラと乾いた音をたてながら引き戸を開け、その人物は入ってきた。おそらくこの瞬間誰もがそれまで美少年という言葉の意味を間違って理解していたことに気づいただろう。誰かが息を呑むのが聞こえた気がする。

 可憐という言葉は、本来女性を形容するためのものなのかもしれないが、まだ、あどけなさを残しているその端正な顔立ちにはまさにその言葉がぴったりだ。

 優はその転校生に見覚えがあるような気がした。

 こんな美少年、一度会ったら忘れられないだろうに。

 その転校生は、堂々とした足取りで、教卓の前まで進むと、チョークを手に取り、流れるような美しい字で東雲空色と書いた。そしてくるりと振り返ると、深谷先生に促され、自己紹介を始める。


「はじめまして東雲空色です」

優は心臓が大きくどくん、と脈打つのを感じた。声の記憶などあてになるものではないとわかってはいるが、それでも、心地よいこの声の響きには、聞き覚えがある気がするのだ。

「えっと、好きな食べ物はメンマと納豆です。 あ、でも納豆は食べたことないし、食べられません。 好きなキャラクターは納豆マンです。 どうしても転校する事になったかと言うと、実は僕は正体不明の悪の組織に追われていて、それで、ん~、まあ、いろいろあってこの学校に転校する事になりました。 細かいところは僕にもよくわからないので気にしないで下さい。 今日から、よろしくお願いします」

 少年はそう言ってぺこりとお辞儀をした。

 優は一瞬、思考停止状態になりかけた。

 おそらくは、クラス中が同じように感じたのだろう。一瞬の沈黙のあと、どっと笑いが巻き起こった。当然である。こんな自己紹介など聞いたことがない。

 まず、食べられないものは嫌いな食べ物に分類されるべきものではないのか!? というか、食べたことも無いのに食べられないって、そういうことを世間では食わず嫌いって言うんじゃないのか!?

 そして公然と納豆マンが好きだと言ってしまっていたが、納豆マンとは、あの、幼稚園児のヒーロー、大人気ファンタジーアニメ(絵本)のキャラクターである納豆マンのことなのか!? だとすればこの転校生は素晴らしい勇気の持ち主である。 日曜朝のあの特撮スーパーヒーロー番組、仮面ドライバーでさえ、小学校の高学年程度になれば、恥ずかしくて、友達に対して見ているなどと口が裂けても言えないというのに、中学生にもなってこんなにも堂々と納豆マンについて語れる者がいようとは。

 更に、悪の組織に追われているという謎の設定に至ってはもはや手の付けようがない……

 希にみる美少年であるだけに、自己紹介が残念すぎる……


「好きな食べ物食べたこと無いってなんだよ」

「それに正体不明の組織とか、どんな設定?」


 皆は深谷先生が制するまでしばらくの間笑い続けていた。

 その様子を東雲空色はきょとんとした表情で見ていた。まさか本気で言っているはずはあるまいに。


「それじゃあ、東雲の席は~」

深谷先生がクラス中を見渡したその時優は東雲空色と目があった気がした。

 その瞬間、突然目の前の光景が揺らぎ、周囲の音が遠ざかっていく。


 辺りは一面の火の海だった。あちこちからパチパチと炎の燃える音と、金属と金属のぶつかり合う高い音、剣士の狂気に満ちた雄叫びや、人々の悲痛の叫び声が聞こえる。

 目の前には一人の剣士がこちらに背を向け、立っていた。剣士の持つ剣は炎が揺らめくたびに鋭く輝く。剣士は優に気付いたのか、振り向いた。炎を背にしているため、顔がよく見えない。剣士は優に向かってまっすぐ剣を向けた。炎の光を反射して剣が怪しげにきらめく。

 突然、一陣の風が吹き、火の粉が舞う。

 優は思わず目をつぶった。


 気が付くと、もう、そこにはただの教室で、先ほどまでと何ら変わらないクラスのみんなと、深谷先生と、そして転校生がいた。


 今の光景は一体……?


「空いてるのはそこだけか。 それじゃあ、東雲、あの席だ」

そう言って深谷先生が指したのは優の隣の机だった。


 それが、俺と空色の出会いだった。

 そして、嘆かわしい事に、哀れな木更津優は空いている席がたまたま自分の隣しかなかったというだけの理由で、クラス中の女子の顰蹙(ひんしゅく)を買う事になったのだった。

 そして結局それ以降、あの、忘れていた過去の記憶のように、生々しく、かつ、鮮明で、そしてどこか恐ろしい光景は見ていない。

 優は前世の記憶や、予知夢などという、非科学的な事を積極的に信じるタイプでは無いが、見てしまったものを見なかったことには出来ない。今のところ、最も有力な仮説は、あの光景は単に優の想像力の作り出したもので、特に意味はないと言うものではあるが、そんな理由で片付けられるほど簡単な問題ではないという気もする。つまり、あの光景のことについて納得出来る考察は全く出来てはいなかった。


 だが、そんなことよりも、今まず優を悩ませているのは東雲空色という生物の常人には理解不能な生態だった。自己紹介の時点で、薄々気づいてはいたのだが、個性派揃いのこのクラスの中でさえ、他のみんなとは一線を画す程、空色の変人さは際だっている。来年の夏休みの課題で、空色の観察日記を提出すべきか本気で悩むレベルである。

 そして今日も空色の変人っぷりは炸裂していた。


「じゃあ、この問題は東雲」


 氷上先生が空色を指名したのは、丁度空色が熟睡モードに入った頃だった。

 空色は自分が指名されている事も知らず、呑気に、ごにょごにょと寝言を口にしている。その幸せそうな寝顔はまるで幼い子供のようだ。優にはどうしても空色のこんな寝顔を見るのが初めてとは思えないのだが、いくら考えても思い出せない。


 水の底に何かがあるのは見えているのに、その水面に触れるとさざ波が立って揺らいでしまう。どんなに手を伸ばしても、水はあまりに深く、決して届かない。それでも尚、身を乗り出して近づこうとすると、静かな冷たい水に呑み込まれてしまいそうだ。


 優はそのままずっと考え続けていると頭痛が始まりそうな気がして、首を振った。

 氷上先生は苛立ちを隠そうともせずに黒板をチョークで叩いた。

「おい、東雲、聞いているのか」

勿論、空色が聞いているわけがない。優は仕方なく空色の肩を揺すってやった。

「おい、空色、当てられたぞ」

「何? もうお昼?」

空色は欠伸をしながら体を起こし、間の抜けた声で尋ねた。優はため息をつく。

「まだ四時限目だって。 そうじゃなくて、当てられたんだよ」

「ふーん」

空色はまるで他人事のようにぼうっと黒板を見ながら返事をした。その瞳はまだとろんとしている。


 転校してまだ三日だというのに、空色はこれまでのところ、先生達の注意や、他人の目線などは完全にお構い無しで、授業という授業を睡眠に費やしていた。

 空色については、転入以来、様々な噂が飛び交っている。転入の理由から、家族構成、編入試験の結果まで 、どこから入手したかも分からないものや、にわかには信じがたいものもある。確か、中には数学の編入試験で満点を取った数学の鬼才という噂もあった。それはおそらく冗談だろうが、それでも少なくとも編入試験を経てこのクラスに入ってきたのだ、それなりの頭脳は持っているはずだと思っていたのだが、これではただの居眠り常習犯だ。

 転校初日の最初の授業から机に突っ伏し始めた時は驚いたのだが、今ではもはや呆れを感じる。とは言うものの、優は普通、そんな奴に感じるような嫌悪感や苛立ちを空色には抱いていなかった。どういうわけか優は空色を憎めないのだった。もしかするとそれは空色が今までのクラスメイトとは完全に異なるタイプだったからかもしれないし、その無邪気な寝顔のせいかもしれない。

 一方で空色は、そんな態度をとっているのだから当然と言えば当然なのだが、一部の先生からは、目をつけられているようだった。その他の半分以上の先生は、早くも、空色には何を言っても無駄だということを悟ったようで、大抵空色がどんなに堂々と眠ろうと、見て見ぬ振りだった。

 言うまでもなく、この場合、氷上先生は前者に分類される。優は今日まで空色が氷上先生から何の『指導』も受けなかった事にむしろ驚きを感じていた。氷上先生は不真面目な生徒に対しては容赦が無いと評判なのだ。クラス一のお馬鹿キャラを演じている慧也ですら氷上先生の授業では大人しくなるほどだ。

「こんな問題も解けないのか」

教室は静まりかえっていた。誰も空色に助け船を出すつもりは無いようだった。そういう自分も何をしてやるわけでもないのだが。

 確かに、普段の授業内容よりは難易度が高そうだ。しかし、冷たい言い方かもしれないが、この程度の問題が解けないようなレベルなら居眠り以前に、このクラスにいるべきではない。ここはそういうところだ。

 優は横目で空色を見た。空色は今度は完全に目覚めきったようで黒板をじっと見つめている。優はその凜とした視線にドキッとした。

 優はその目を知っていた。正確に言うなら、そういう目をしている奴がどんな奴なのか知っていた。

「先生、この問題は解けません」

 空色は真剣な表情だった。優ははっとした。

 まさか……

 だが、氷上先生は最近しわのより始めた頬を歪めて勝ち誇ったように笑った。

「こんな問題も解けずに居眠りとはな。 そんなことで…」

「でも、先生にもこの問題は解けません」

 空色は氷上先生の言葉を遮るように言った。物怖じしない空色の言葉に氷上先生は急に顔を赤くするが、空色は全く、気にする様子もない。

「何だと!」

「まず、α≧2である事は自明と考えて良いですよね。 それから、題意より…

…(中略)…

…このことより、α+β<2に矛盾します。 よってこの問題は成立しません」

 刹那、クラス中が先ほどまでとは別の意味の静寂に包まれた。氷上先生は黒板を見つめて呆然としている。その手はわなわなと震えていた。

 確かに、空色の言ったことは正しい。優は黒板をじっと見つめた。この短時間で、この問題の矛盾に気づき、そして、更にこれほど華麗に説明してみせるとは。

 編入試験の数学で満点を取ったという噂は本当かもしれない。優は鳥肌が立つ思いがして、再び空色に背を目を向けた。しかし、空色は既に机に突っ伏し、何事もなかったかのように、すやすやと安らかな寝息をたてていた。

 結局、誰かが口を開くより先に、辺りの沈黙を破ったのは授業終了を知らせるチャイムだった。


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