文化祭の後には…
少し涼しくなった風が夏の終わりを知らせている。
体育館の喧騒の中をすり抜け、西日の差し込む、ひっそりとした渡り廊下をたった一人、教室棟へと全力で駆けている人影があった。
光沢ある純白のドレスの胸元には、上品な銀の刺繍とダイヤモンドに見たてた細かなガラスがいくつもがあしらわれている。ネックレスとティアラはおそろいのデザインで、うっすら鎖骨の浮かび上がる首もとと、透き通りそうなほど明るい色のブロンドヘアーの上で輝いている。白い手袋は、細く、長い腕を肘の上まで覆っていた。ドレスには肩紐が無く、首筋、肩、肩甲骨辺りまでが露出し、色白さと華奢さが、際立っている。引き締まったウエストの下に豊かに膨らむ長いドレスの裾はまくし上げられており、すらりと伸びた長い足とガラスの靴がのぞいていた。
その姿はまるでたった今、童話の世界から抜け出てきたお姫様かのようだ。しかし、その端正な顔にはどこか憂いが浮かんでいるように見える。
優は劇を終えてしまった今更ながら、靴を脱ぎ捨てて行ったシンデレラの気持ちを理解できた。
女子はこんな格好に憧れを持つらしいが、その気持ちは男には全く理解できそうにない。このガラスの靴はヒールが高い上に、硬く、つま先が曲がらないせいで、この上なく走りにくい。全く、フェアリー・ゴット・マザーのセンスを疑わざるを得ない。どうせ作るなら、軟質系プラスチックの靴でも作れば良かったのだ。更に言うならこのドレスもだ。鎖骨の辺りや、肩や、背中がすーすーする。それでいて、足元では引きずるほど長い裾が歩く邪魔をしているのだ。これを引きずらずに着こなせるほど脚の長い人はいるのだろうか。自分の身長は同年代の日本人の平均身長より高いが、このドレスを引きずらないためにはサーカスのピエロが乗るような長い竹馬の乗るより他に方法が無い。日本人の体も欧米化が進んできたと言うが、まだまだのようだ。この金髪のウィッグでさえ、やはりカールした毛先が走る度に視界の隅で踊っているのは気になってしょうがない。ともかく、一刻も早くこんな衣装、脱いでしまいたい。
昨日まで制服が恋しいなどと思ったことは一度もなかった。だがしかし、もう今後一切、制服について文句は言うまい。そう思って大股に踏み込んだ一歩を踏み外し、優は大袈裟に前のめりに転んだ。
片方の靴が美しい放物線を描きながら高く宙を舞う。
しまった、そう思った瞬間、突然、そこに現れた人物が靴を綺麗にキャッチした。ふう、っと優は胸をなで下ろす。
立ち上がり、お礼を言いながら優はその人物の顔を見上げた。
深く被ったフードの奥、顔のあるはずのその場所にあったのは光沢の無い薄い灰色の仮面だった。良く見ればその人物は真っ黒なマントで全身を覆い隠し、異様な雰囲気を漂わせている。
無言のまま、自分を見つめる仮面の奥の瞳に、優は少しの恐怖を感じた。
一時の静寂の後、仮面の人物は手にしていた靴を優の前へ突き出す。優ははっと我に帰った。
そうだ、まだ学園祭は続いている、きっと別の劇があるのだ。その出演者に違いない。
優がお礼を言い、ガラスの靴を受け取ろうと立ち上がると、突然、仮面の人物が人間業とは思えない速さで優の目の前にもう一方の手をかざした。その動きを目で追うので精一杯で、いったい、何が起こっているのか解らなかった。次の瞬間、全身に激しい痛みが走り、気付くと優は数メートル後方の床に叩きつけられていた。
優は痛みを必死で堪えながら、その人物を見上げた。仮面の人物は仮面の奥の冷たい瞳で優を見据えたまま、微動だにせずそこにいた。
やはりな、仮面の人物がそう言ったように聞こえた。優は心の中で、えっ?と思った。てっきり、仮面の人物は男だと思っていたが、その声は女性のもののようだったからだ。それも、聞き覚えのある女性の。だが、優にはそれが誰のものなのかはどうしても解らなかった。
仮面の人物は優にかざしていた手を降ろすと、ゆっくりと優に歩み寄ってきた。
いったい、この人物は誰なんだ。目的は何だ。あの衝撃は何だったんだ。どうして……
頭の中を様々な疑問が渦巻く。考えれば考えるほど分からない。そして追い討ちをかけるように全身の痛みが思考の邪魔をする。
急に、仮面の人物は敵を警戒する草食動物のように動きを止めた。優に向けていた視線をそらし、廊下の向こうを見つめる。優もその視線の先を見ようと、首を動かそうとした、しかし、突如として、耳を裂くような爆音が響くと同時に、まばゆい光が辺りを包み優は目を開けていることができなかった。
再び目を開いたとき、目の前、仮面の人物がいたはずの場所にいたのは長い黒髪を風になびかせるひとりの少女だった。この学校のものとは違う、見慣れない制服を着ている。少女は優に背を向け、仮面の人物から優を庇うように片手を広げ、凛として立っていた。仮面の人物は廊下のかなり離れた所にしゃがむような格好でいたが、すぐにむくっと立ち上がった。少女は少しだけ振り返ると、優の瞳を見つめ、大丈夫だから、と言って微笑んだ。
その瞬間、それまで確かに存在していた目の前の世界が大きな音を立てながら崩れていく気がした。
懐かしく心地よいこの声、瞳の奥の澄んだその光。確かに、トップモデルがため息をつきそうな美少女ではあるが、それとは関係なく、どういうわけか、惹きつけられる。同時に、どうしようもない哀情で胸が一杯になる。なぜだろう、自分はこの子のことをずっと、遥か昔から、知っている気がする。
突然、目の前が暗転した。
見渡す限り、一面の焼け野原が広がっている。ユウは一瞬、自分が何をしてしまったのかわからなかった。自分は漆黒の剣を握った左手を前へと突き出している。その剣の指す先には、ひとりの青年が倒れていた。
ユウは驚きに目を見開いた。目の前の光景を信じられなかった。そして自分の犯した罪に震えた。
「お兄様!」
青年の後ろから少女が駆けつける。優は足に根が生えたかのように動くことが出来なかった。少女は少年の肩を支えるようにして、上半身を少しだけ抱き起こした。
青年は傷ついても尚、その矜持を失わない獅子のように、その青く澄んだ瞳を優へ向けた。その表情に現れているのが、はたして愛なのか、憎しみなのか、もしくは安堵なのか、不安なのか、はたまた憐れみなのか、悲しみなのか、ついには希望なのか、絶望なのか、それを優が理解する前に青年は目線を少女に移してしまった。
「…アオ、すまない。俺は…皆を守るどころか、たった一人の妹さえ守ることができなかった…許してくれ……」
「お兄様、私、私…」
青年は震える手を伸ばし、涙に濡れる少女の頬をなでた。
「アオ。自分を責めたりするなよ…お前は…お前はもう、自由なんだ。」
「違うの!私が欲しかったのはこんな自由じゃない!」
青年は目を閉じた。その手がふっとおりる。
「お兄様ー!」
そうか、…この子だったんだ。
再来のリリックをご愛読頂き、誠にありがとうございます!今後ともよろしくお願いします!
ここでは作者の言いたいことをちょこっと書かせて頂きます!
さて、再来のリリック一巻を書き始めまして、今考えていることは、三巻目をどうやって終わらせようかな~ということです。というのは半分くらい冗談で、まず、一巻の今後の展開をどう進めていくべきか、主人公の二人と相談中です!
注意!
ここからはちょっとだけネタバレ要素を含みます!
では、この物語について少々語りたいと思いま~す。
まず、最初に考えていた作者が考えていた話は第一章以降登場する、天然美少…………年という事になっている東雲空色メインのものでした。今は空色と優二人が主人公的役割を果たしていますが、そういうわけもあって、作者的には何となく空色中心に物語が展開していってしまうような気がします。
それから、ちょーっとニヒルなイケメンの卵、木更津優について、あらすじでは、ごく普通の男子中学生と紹介されるのですが、実は彼は、彼自身も知らないとんでもない過去を持っているようですよ!
まだまだ、書きたいことは沢山あるのですが、今回はこの辺りで……
今後とも再来のリリック、並びに優と空色をよろしくお願いします!