ヒーロー変身恐怖症。
悪はいつも自分の中にある。どんなにいい人間でも必ず悪は心の中にあるのだ。それはどんな些細なことでもいい。些細なことでも悪なのは悪である。
人に暴力をふるったり、犯罪を犯したり。正直、悪という定義はよくわからないが、広く解釈すると本当にたくさんの悪があるように思える。
さらに言うと悪、というものは他人に対するものだけではなく、自分に対する悪もあるのだ。自分が挑戦しようとしているところに「どうせ失敗する」という諦めの感情。これは自分の挑戦する心を踏みにじる悪であり、自分に対する些細な悪なのだ。
悪というものを倒すことはとても難しい。テレビ番組ではよく変身して悪を倒しヒーローが勝つということを毎週のように行っているが、現実ではそんな些細な悪を倒すことすら難しい。
人は変身恐怖症なのだ。
変身して悪に打ち勝つのが怖い。悪を倒すということは「失敗するかもしれない」という保険を自ら壊すということなのだから。
変身恐怖症を克服するためにはそれ相応の勇気が必要。すべての保険をかなぐり捨てて、丸裸の状態で全てのことに挑戦する勇気が。
もちろん、私にはそんな勇気がない。
悪を倒して自分にかかっている保険をなくすことが怖い。私は人一倍勇気がないのだ。変身して悪を倒す勇気がない。
そんな私にはある能力があった。そんな私だからこそ、かもしれないが、私は人の葛藤を見ることができる。人の葛藤を、テレビ番組のようなヒーローものの映像として見ることができる。
勇気がない私への当てつけかと最初は思ったものだったが、今ではそうは思わない。もちろん当てつけのような意味合いもあるのだろうが、誰が私にこの能力をくれたのかも分からないのだから、考えるだけ無駄というものだ。
そうして黒板を見る。授業中だ。やっている内容は数学で、今日も教師が黒板に数式を書いていく。そして私たちはそれを機械のようにノートに書き写す。
いつも通りの作業で、いつも通り退屈なものだった。
私はあちらこちらを見渡す。私の能力はまるで発動しない。ここにいるクラスメイト達は葛藤などせず、疑問など持たず、ただひたすら黒板を書き写しているだけみたいだ。
「・・・・・・」
私も無言でまた書きうつしていく。
すると、教師が手を止め、こちらを見た。
「えー、ではこちらの問題を誰か分かる人、いますか」
質問である。
まぁ、まず手を挙げる人なんていないのだろう。そのまま待てば教師がいないようなら・・・と自分で答えを書いてくれるはずだ。
しかしそこで私の能力は発動した。そう、いつもそうだ。いつも授業中、先生が問いかけるといつも発動する。葛藤している人はクラスでも目立たない立ち位置の眼鏡の子。可愛らしくはあるのだが、いかんせん自分から発言をしないため本当に目立たない。
しかし毎回のようにこの子は葛藤しているのだ。ここで手を挙げるべきなのか、どうなのかを。自分の中の悪が「間違えたら恥ずかしいぞ」「ここで手を挙げれば悪目立ちする」とでも言っているのだろうか。
私はここで彼女の葛藤を見ないこともできるのだが、どうせ暇だしいつものように能力を発動することにした。
〇
ファンシーな場所だった。いちごなどの果物が転がっていたり、大きな熊のぬいぐるみがあったり、足場がケーキで出て来ていたり、壁がクッキーでできていたり。ここはあの眼鏡の子の心の中。今日もまた悪との戦いが始まるというわけだ。
私は心の中を覗いているだけであり彼女の心の中に入ったわけではない。だから実際、この心の中にいるのは彼女自身と、悪だけだ。
人の心の中を覗くのはあまりいい趣味ではないが、そんなこと特に今まで気にしたことはなかった。
ケーキの地面の上には人が1人いる。眼鏡の子だ。
そして辺りを見ると、そこかしこに人間の影のような真っ黒い何かがたくさんいる。あれが恐らく彼女の悪なのだろう。
完全に取り囲まれている。しかしこれはいつものことだった。いつも彼女は葛藤していて、こうして影に囲まれる。そして・・・影に取り込まれる。悪に負けて終わりなのだ。
私は暇だから見ている光景ではあるけれど、こんなの毎週テレビで放送していたら確実に苦情が来ると思う。変身しないままやられるヒーローなんてつまらないだけだ。
こうしている間にも影が近づいてくる。
「恥をかくぞ・・・」
「間違えるかもしれない・・・」
「調子に乗っていると思われるかもしれないぞ・・・」
影が呟く。
それに対し彼女は下を向いて、悲しそうに地面を見ている。
ああ、今日も同じだ。今日も今日とて彼女は悪に負けてしまうのだ。
悪が、影が手を伸ばす。いつものようにとりこまれると思い、ここで私は見るのをやめようとした。しかし彼女はその手をひらりとかわす。
「私は・・・確かに弱いけど・・・変わりたいって思ってるの・・・」
彼女が言葉を紡ぐ。
私はその初めての光景に完全に目を奪われていた。
「私が変わることなんてできないかもしれない・・・でもやってみなきゃ分からない・・・」
影は「無理だ」「お前にはできない」「永遠に」そう呟いている。あの影は自分自身。自分自身の悪。だからこそ影の言葉は誰よりも彼女に刺さっているはずだ。
しかし彼女は顔を上げる。
「今まで保険をかけて、怖くて、何もできなかったけど・・・少しずつ小さなことから変えていきたい」
彼女は力強く言った。
「私も変身したい」
影がその言葉に反応して一斉に襲いかかる。
「変、身」
彼女のその言葉が聞こえた瞬間、光が発生し、影が消えていく。彼女の眼鏡は消え、髪の毛はピンクになっている。ふりふりのスカートにピンクのブーツ、手袋、そして綺麗な黄緑色をしたマント。目にはピンクのアイガード。
ヒーローというより魔法少女といった感じではあるが・・・。
まだ影はいる。
それに対し、ヒーローは動いた。手から大きないちごを出し、それを影に投げつける。するとそのいちごは爆発して影を吹き飛ばした。
「無理だ・・・無理だ・・・」
影も先ほどとは違い、焦ってきているのか必死に訴えかける。全ての影がヒーローに伝える。
「無理じゃない。自分で無理と思っているうちは無理なんかじゃなく、ただ、諦めてしまっているだけなんだ。挑戦することはデメリットの方が多いからただ、それから逃げているだけ」
次はでかい鉛筆を5本登場させて、それを影に投げつけ、破壊する。
影が襲いかかろうとしたときに大きく飛びあがり、影の少ない安全地帯へと移動する。そこから影のたまり場に大きな熊のぬいぐるみを落とした。影は潰れ消えていく。
「私は変わったんだ。昔の私から変身したんだ」
黒い影が手を伸ばそうとした瞬間、ヒーローは地面を軽く蹴る。それによって地面が盛り上がり、大きな壁ができる。影の手は届かないまま、上から降ってきた熊のぬいぐるみで押しつぶされる。
「鉛筆!」
今度は手で持てるぐらいの鉛筆が出てくる。それを剣のように構え、素早いステップで相手を攻撃していく。危ないと思ったら大きく飛びあがり、そのまま落ちて、踵落とし。大きく鉛筆を振りかぶり野球のバットのように振り回す。あたりの黒い影が一気に消えた。
「はぁああ!」
でかいいちごを投げて、また爆発させる。今度は黒い影の間を縫って、小さないちごを投げ捨てた。それは影の足に当たり、破裂する。どうやら相手を足止めさせるもののようだ。
「これでお前たちはもう動けない」
手をあげて、上を指さす。
「ありがとう。私はあなたたちのおかげで今までこうして生きてこれた。だからこれからはゆっくり休んで。私はなるべくあなたたちに頼らないように頑張るから」
そう言ってにこっと笑うと地面全体を覆うほど大きな熊のぬいぐるみが落ちてきた。
「ばいばい」
〇
「はい」
高らかな声が響く。
それが人の声で、またその声の主が手を挙げているということに気付くまで少し時間がかかった。どうやら先生も驚いているようだ。
「えー・・・ではこの問題お願いします」
そう言うと眼鏡の子は立ち上がり、恥ずかしそうにしながらも黒板に答えを書いていく。
「・・・・・」
私はそれを眺めていた。
なんとなく、なんとなくではあるが私にこの能力を与えた理由が分かった気がする。私に変われ、ということなのだろう。悪を打ち破って変えろと。
こうして他の人の葛藤を見せつけることで私に勇気を与えようとしたのだ。どこの誰かは分からないが、余計なお世話である。
しかし、まぁ、きっかけにはなったかな。
私は再び目を閉じた。
〇
暗い。
黒い。
ここは恐らく、私の心の中だ。先ほどのファンシーな世界とは違って醜く、とても暗い。しかし一筋の光が天から降り注いできた。いや、一筋だけじゃない、徐々に世界が明るくなっていく。
「・・・・・」
私が見ていた暗さも黒さも全部悪、影であった。とてつもなく巨大な影が私の心の中を覆っていたのだ。少し移動したおかげで光があたり、ある程度は見えるようになった。
それは当然かもしれない。
私が今から戦おうとしているのは授業中手を挙げるか否かという問題ではなく、それよりも巨大な、勇気を出せるかどうかの問題なのだから。
当然敵も強いだろうし、この1回で勝てるとは限らない。勝つまでにはそれこそたくさんの時間が必要だろう。けれど、いつか変わってみせる。私は人が変わる瞬間を見てしまった。変身する瞬間を見てしまったのだ。きっかけでいい、何か変われる些細なものを見つけるために、
「変、身」
私は悪と戦う。
変身ものを書いてみたいと思って書いたものでしたが、変身よりも葛藤の方に重きをおきすぎた気もします。
例によって思いつきで書いたものなので、クオリティはご了承ください。
悪を倒すという王道ストーリーにしようと思ったらこんな感じになりました。バトルものは特に難しいです。
ふとアイデアを短編にしたくなるときがあるのでその時また書こうと思います。
ではまた別の物語で。