第8話 増殖する空白
“空白”が、増えている。
さっき一つだったものが、今は三つ、四つ――いや、もっとだ。
木々の間に、歪みのように浮かんでいる。
「……おい、冗談だろ」
フェルナンの声が引きつる。
「さっきのが増えたのか?」
「いや……」
俺は首を振る。
「“増えた”っていうより、“見えるようになった”」
「どっちでもいいだろ、それ!」
確かにそうだ。
結果は同じだ。
逃げ場がなくなる。
「数、いくつだ」
レグナスが低く言う。
「分からない」
正直に答える。
視界の端で、さらに一つ増えた。
いや、増えたんじゃない。
そこに“あった”のに、今まで気づけなかっただけだ。
「……囲まれてるな」
フェルナンが呟く。
その通りだった。
前だけじゃない。
左右にも、後ろにも。
じわじわと、距離を詰めてくる。
「どうする」
レグナスの声は冷静だ。
だが、その奥にある緊張は隠せていない。
普通の敵じゃない。
斬れない。
読めない。
止められない。
「……逃げるか?」
フェルナンが言う。
「無理だ」
即答だった。
「速度が違う。あいつら、地面無視してる」
「じゃあどうすんだよ!」
叫びに近い声。
だが、それも無理はない。
状況は最悪に近い。
俺は、視線を一つに絞る。
一番近い“空白”。
あれは――
「……さっきより、濃い」
「濃い?」
「うん」
意味のないものに、“濃さ”なんて表現はおかしい。
だが、そう感じる。
さっきよりも、“存在している”。
「……来るぞ」
レグナスが構える。
一番近い個体が、距離を詰める。
ゆっくり。
だが確実に。
俺は、息を整える。
さっきの感覚を思い出す。
“意味がないなら、ここにいなくていい”。
あれは偶然じゃない。
きっと、何かの条件がある。
「……アーヴェル」
ミレイアが小さく呼ぶ。
「さっきと同じこと、できますか」
「分からない」
正直に答える。
「でも、やるしかない」
前に出る。
「おい! 一人で行くな!」
フェルナンが叫ぶ。
だが、止まらない。
止まったら、全部崩れる気がした。
“空白”の前に立つ。
さっきより近い。
圧がある。
存在しないはずのものに、押されるような感覚。
「……お前」
言葉を探す。
意味がない相手に、何を言う?
分からない。
でも――
「……ここにいる理由、あるのか」
問いかける。
返事はない。
当然だ。
だが――
“揺れる”。
ほんのわずかに。
「……やっぱり」
効いている。
完全じゃない。
だが、反応はある。
「……もっと、強く」
言葉を重ねる。
「ここにいる意味がないなら、消えろ」
その瞬間。
“空白”が、歪む。
さっきより大きく。
だが――
「……来てる!」
フェルナンの叫び。
後ろから、別の“空白”が迫る。
「くそっ!」
レグナスが斬り込む。
意味はない。
だが、時間は稼げる。
「アーヴェル、早くしろ!」
分かってる。
でも――
一つだけじゃ足りない。
増えている。
全部に同じことを言う?
間に合わない。
「……違う」
呟く。
違う。
やり方が違う。
こいつら一体ずつじゃない。
もっと根本に――
「……“ここ”だ」
地面を見る。
空白が生まれている場所。
そこが、歪んでいる。
「……ミレイア!」
「はい!」
「ここ、何か分かるか!」
「……っ」
彼女が目を閉じる。
集中する。
「……あります」
「何が!」
「“欠けている場所”です」
やっぱりだ。
「そこ、壊せるか?」
「分かりませんが――試します!」
短い詠唱。
光が走る。
地面に刻まれた紋様が、輝く。
次の瞬間。
“空白”が、揺れた。
全部が。
「……効いてる!」
フェルナンが叫ぶ。
囲んでいた“空白”が、一斉に歪む。
不安定になる。
消えるわけじゃない。
だが――
“保てなくなっている”。
「今だ!」
レグナスが叫ぶ。
「抜けるぞ!」
全員が動く。
囲みの薄い方向へ。
“空白”が追う。
だが、さっきより遅い。
追いつけない。
森を抜ける。
枝をかき分け、走る。
肺が焼ける。
だが、止まれない。
そして――
開けた場所に出る。
「……止まれ」
レグナスの声。
全員が足を止める。
振り返る。
“空白”は――
森の境界で、止まっていた。
それ以上、出てこない。
「……はあ……はあ……」
フェルナンが膝に手をつく。
「助かった……のか?」
「……一応な」
レグナスが答える。
だが、その顔は晴れていない。
当然だ。
問題は、何一つ解決していない。
「……あれ、なんなんだよ」
フェルナンが言う。
誰も答えない。
答えがないからだ。
ただ一つ、分かることがある。
「……あれ、自然じゃない」
俺は言う。
「全部、“作られてる”」
ミレイアが頷く。
「ええ。あれは現象ではありません」
「じゃあ何だよ」
「“処理”です」
その言葉に、全員が反応する。
「処理?」
「はい。不要なものを消すための」
背筋が冷える。
「……不要って、何だ」
「分かりません」
だが、その可能性は一つだ。
俺たちだ。
この場所に入った、俺たち。
「……やっぱり、これ」
フェルナンが言う。
「国、絡んでるよな」
誰も否定しない。
否定できない。
あの紋章。
あの命令。
そして、この“空白”。
「……戻るか」
レグナスが言う。
「一度整理する必要がある」
当然の判断だ。
だが――
俺は、動かなかった。
「アーヴェル?」
ミレイアが振り向く。
俺は、森を見る。
“空白”は、まだそこにある。
境界の向こうで、揺れている。
そして――
「……あれ」
指を差す。
「増えてる」
さっきよりも、確実に。
森の中で、“空白”が広がっている。
じわじわと。
確実に。
「……冗談だろ」
フェルナンの声が震える。
俺も、同じ気持ちだった。
これは――
止めなければ、終わる。
◇
“空白”の正体に、少しだけ近づきました。
でも同時に、状況は悪化しています。
ここからどう動くのか。
続きを気にしていただけたら嬉しいです。
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