第7話 誰の命令か
“意味”が動いた、気がした。
錯覚かもしれない。
だが、この場にいる全員が、ほんの一瞬だけ同じ方向を見た。
森の奥。
何もないはずの空間。
「……今の、見たか?」
フェルナンが低く言う。
「見えた、というより……」
「感じた」
ミレイアが言葉を継ぐ。
レグナスは無言のまま、その方向を睨んでいる。
俺も、同じ場所を見た。
何もない。
だが――
「……ある」
口に出る。
「何がだ」
「分からない。でも、“意味がある”」
「意味って、またそれかよ……」
フェルナンが顔をしかめる。
当然だ。
俺の言葉は、まだ誰にも説明できていない。
だが今は、それでもいい。
「行くぞ」
レグナスが短く言う。
「おい、ちょっと待て。こいつらはどうすんだよ」
フェルナンが後ろを指す。
地面に座り込んだままの男たち。
まだ意識はあるが、立ち上がる様子はない。
「……運べないな」
レグナスが言う。
数も多いし、ここで足を止める方が危険だ。
「印をつける」
ミレイアが短く詠唱し、地面に小さな紋様を刻む。
「これで、後から追えます」
「……便利だな」
「最低限です」
そう言って立ち上がる。
全員の視線が、森の奥に向く。
さっき“何か”が動いた場所。
「……行くか」
レグナスが踏み出す。
俺も、それに続いた。
◇
森は、妙に静かだった。
鳥の声がない。
風の音も弱い。
さっきの洞窟よりも、むしろこちらの方が不気味だった。
「……嫌な感じだな」
フェルナンが小さく呟く。
俺も同じだった。
ただの静けさじゃない。
“何かが削られている”ような感覚。
音だけじゃない。
匂いも、温度も、全部が少しずつ薄い。
「……ここ、変だ」
俺は言う。
「さっきから言ってるだろ」
「違う。もっとはっきりしてる」
立ち止まる。
足元を見る。
落ち葉がある。
だが――踏んだ感触が、軽い。
「……薄い」
「は?」
「全部が、薄い」
うまく言えない。
でも、確かにそう感じる。
ミレイアがしゃがみ込み、地面に触れる。
「……確かに」
「分かるのか?」
「完全ではありませんが……通常より“情報量”が少ない」
フェルナンが頭を抱える。
「分かるように言え」
「“削られている”という表現が近いでしょうか」
「余計分からねえよ!」
やり取りが、少しだけ軽くなる。
だが、その軽さも長くは続かなかった。
前方の木々が、不自然に揺れる。
風はない。
それでも、枝が揺れている。
「……来るぞ」
レグナスが低く言う。
剣を抜く。
フェルナンも弓を構える。
俺は――動けない。
違う。
動くべきかどうか、分からない。
揺れているのは、敵か。
それとも――
次の瞬間、木々の間から“それ”が現れた。
「……何だ、あれ」
フェルナンの声が、わずかに震える。
人の形をしている。
だが、人じゃない。
輪郭が、曖昧だ。
揺れている。
存在そのものが、安定していない。
「……近づくな」
レグナスが言う。
だが、“それ”はゆっくりとこちらに歩いてくる。
足音はない。
地面に触れているのかも分からない。
ただ、距離だけが縮まる。
「……言葉が、ない」
俺は呟く。
「は?」
「こいつ、何も言ってない」
今までなら、何かしら“意味”が流れ込んできた。
魔物も、人間も。
だがこれは――
何もない。
空白だ。
「……やばいな、それ」
フェルナンが小さく言う。
レグナスが一歩前に出る。
「止まれ」
短い命令。
だが、“それ”は止まらない。
ゆっくりと、確実に近づいてくる。
「……アーヴェル」
ミレイアが小さく呼ぶ。
「これは、“読めますか”」
「……無理だ」
即答だった。
「何もない」
「何も?」
「意味が、存在しない」
その言葉が、重く落ちる。
フェルナンが舌打ちする。
「最悪じゃねえか」
レグナスが剣を構え直す。
「なら、斬るしかない」
「待て」
反射で言う。
だが、今度は自分でも分かっている。
これは、さっきまでと違う。
“止められる”気がしない。
「……無理だ」
自分で否定する。
初めてだった。
ここまで、はっきりと。
できない、と認めるのは。
「……そうか」
レグナスが頷く。
迷いはない。
剣が振るわれる。
“それ”に向かって。
刃が、触れる。
だが――
「……っ!?」
レグナスが後退する。
手応えがない。
斬ったはずなのに、“切れていない”。
「何だこれ!」
フェルナンが矢を放つ。
だが、矢も同じだ。
当たっているのに、貫通していない。
“そこにあるのに、ない”。
「……意味が、ないからか」
俺は呟く。
自分でも意味が分からない。
だが、それしか説明できない。
「どういうことだ」
「こいつは、“意味の外”にいる」
言った瞬間、理解する。
だから読めない。
だから止められない。
そして――
だから、ここにいる。
「……じゃあどうすんだよ!」
フェルナンが叫ぶ。
正解はない。
だが、選ぶしかない。
俺は一歩前に出る。
「アーヴェル!」
「待て!」
後ろから声が飛ぶ。
だが、止まらない。
“それ”の前に立つ。
何も感じない。
恐怖も、敵意も。
ただ――空白。
「……お前、何なんだ」
問いかける。
答えはない。
当然だ。
意味がないのだから。
それでも。
「……何もないなら」
言葉を続ける。
「――ここにいなくていい」
自分でも、何を言っているのか分からない。
だが、その瞬間。
“それ”の輪郭が、わずかに揺れた。
「……え?」
フェルナンが呟く。
ミレイアが息を呑む。
レグナスが、動きを止める。
“それ”が、崩れる。
完全ではない。
だが、確かに“薄く”なる。
「……効いてる?」
誰かが言った。
俺かもしれない。
“それ”が、ゆっくりと後退する。
一歩。
また一歩。
そして――
消えた。
◇
沈黙が落ちる。
誰も、すぐには動かなかった。
「……今の、何だ」
フェルナンが呟く。
「分からない」
「分からないでやったのかよ」
「そうだ」
正直に答える。
だが、それでいい。
さっきのは――
「……意味がなかった」
だから、言葉を与えた。
それだけだ。
「……アーヴェル」
ミレイアがこちらを見る。
「今のは……」
言いかけて、止まる。
言葉にできないのだろう。
俺も同じだ。
だが、一つだけはっきりしている。
「……あれ、また来る」
森の奥を見る。
さっきと同じ場所。
今度は、はっきりと分かる。
“空白”が、増えている。
さっきよりも、多く。
そして――
「……あれ、こっちに来てるな」
フェルナンが、乾いた声で言った。
◇
“読めないもの”が出てきました。
そして、それは一つではなさそうです。
ここから先、通じない相手とどう向き合うのか。
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