第4話 書き換えられたもの
視界が、裏返る。
壁に刻まれていたはずの線が、ただの模様じゃなくなる。
意味が、浮き上がる。
重なっていた何かが、剥がれるみたいに。
「……っ」
息が詰まる。
これは――読む、なんて生易しいものじゃない。
流れ込んでくる。
言葉としてじゃない。もっと直接的に、“意味”が押し込まれてくる。
頭が、軋む。
「アーヴェル!」
誰かが名前を呼んだ気がした。
でも遠い。
今、ここで離れたら、たぶん二度と分からない。
だから、踏みとどまる。
「……これは……」
言葉を探す。
だが、出てくるのは断片だけだ。
“襲撃”
“侵入”
“排除”
違う。
違う違う違う。
その奥に、別の意味がある。
重なっている。
上書きされている。
「……“追い出せ”」
口から零れた。
その瞬間、空気が変わる。
背後で、誰かが息を呑んだ。
「何だって?」
フェルナンの声。
俺は振り返らない。
視界を外したら、全部消えそうだった。
「これは……“襲撃”じゃない」
「さっきも言ってたな」
「違う。さっきのは、ただの解釈だ」
今は違う。
確信だ。
「ここに書かれてる」
「……書かれてる?」
レグナスの声が低くなる。
疑っている。
当然だ。
俺だって、こんな話を他人から聞いたら信じない。
「本来の意味は、“追い出せ”。縄張りから出ていけ、だ」
「……それが、どうして“襲撃”になる」
「書き換えられてるからだ」
自分でも、言っていることの重さが分かる。
だが、それでも言葉にしないといけない。
「誰かが、“意味を変えてる”」
沈黙が落ちる。
洞窟の奥で、水滴が一つ落ちた。
その音だけが、やけに大きく響く。
「……証拠はあるのか」
レグナスの問いは、短い。
だが重い。
「ある」
俺は壁に触れたまま、答える。
「ここに残ってるのは、“上書きされた跡”だ」
線が二重に見える。
表と裏。
本来の意味と、書き換えられた意味。
「……説明できるか」
「無理だ」
即答した。
フェルナンが「おい」と声を上げる。
「できない。言葉にすると、たぶんまた歪む」
「じゃあどうやって――」
「感じるしかない」
自分で言っていて、どうかしてると思う。
でも、それ以外に方法がない。
ミレイアが一歩前に出る。
「……貸してください」
「何を」
「その、“視点”を」
意味が分からない。
だが、彼女の目は本気だった。
「どうやって」
「分かりません。ただ――」
彼女は壁に手を伸ばす。
触れる直前で、こちらを見る。
「アーヴェル。あなたが見ているものを、共有できるかもしれません」
「そんな都合よく――」
言いかけて、やめる。
さっきから、都合のいいことしか起きていない。
魔物の言葉が分かる。
意味が見える。
なら、その延長もあり得る。
「……試してみる価値はある」
レグナスが言った。
短く、だが迷いなく。
ミレイアが頷く。
そして、壁に手を触れた。
「……っ」
小さく息を呑む。
だが、それ以上は何も起きない。
少なくとも、見た目には。
「どうだ」
「……何も」
ミレイアが首を振る。
「ただの岩にしか見えません」
当然だ。
さっきまでの俺も、そうだった。
「アーヴェル」
彼女がこちらを見る。
「あなたは、どうしてそれが見えるのですか」
答えられない。
分からないからだ。
「……分からない。ただ――」
言葉を探す。
何が違う?
何が引っかかっている?
何を、俺は“理解しようとしている”?
「……これが、“正しくない”って分かるからだ」
それだけだった。
根拠も、理屈もない。
ただの違和感。
だが、それが決定的だった。
「正しくない……」
ミレイアが呟く。
その言葉に、何かが引っかかったようだった。
「……なるほど」
「分かったのか?」
「いえ、確信ではありませんが」
彼女はゆっくりと目を閉じる。
「“意味の正誤”を基準にしているのかもしれません」
「基準?」
「はい。本来の意味と、書き換えられた意味の“ズレ”」
言っていることは難しい。
だが、感覚としては近い。
「違和感、か」
「ええ。それを、あなたは拾っている」
俺は何も言えなかった。
そんなものが、能力なのか?
ただの気のせいじゃないのか?
だが――
「……待て」
レグナスが低く言った。
全員の視線がそちらに向く。
彼は、壁の一部を見ている。
「そこ、何かおかしくないか」
俺も視線を向ける。
何もない岩肌。
だが――
「……ある」
さっきより、はっきり見える。
“ズレ”が。
「そこだけ、違う」
「何が違う」
「……“意味がない”」
言ってから、自分でも奇妙だと思う。
意味がない、という意味。
だが、それしか言いようがなかった。
「そこだけ、“何も書かれてない”」
沈黙。
レグナスが一歩近づく。
剣の柄で、その場所を軽く叩く。
鈍い音。
他と変わらない。
「壊せるか」
「待て」
思わず声が出た。
「壊すな」
「なぜだ」
「分からない。でも――」
嫌な予感がする。
これは、ただの壁じゃない。
ここだけが、“空白”だ。
意図的に残された何か。
「ここ、触らない方がいい」
レグナスがこちらを見る。
判断を求める目だ。
ほんの数秒。
そして――
「……分かった」
剣を下ろす。
その判断は、正しいと思った。
だが同時に。
“触れなかった”ことが、何かを逃した気もした。
「……一度戻るか」
フェルナンが言う。
「ここ、なんか気味悪いし」
「賛成です」
ミレイアも頷く。
レグナスは少しだけ考え、そして言った。
「撤退する」
決断は早い。
それで助かることも多い。
だが今回は――
それが正解かどうか、分からない。
◇
洞窟の外に出た瞬間、空気が軽くなる。
息がしやすい。
それだけで、さっきまでの場所が異常だったと分かる。
「……なあ」
フェルナンが俺の横に並ぶ。
「お前、あれ見えてたのか」
「ああ」
「マジかよ……」
呆れたように笑う。
だが、その笑いはどこか引きつっている。
「で、どうするんだ」
「どうするって?」
「このまま帰るのか、それとも――」
言葉を濁す。
だが、意味は分かる。
“関わるのか”ということだ。
俺は少しだけ考える。
そして、答えはすぐに出た。
「……関わるしかないだろ」
自分でも、驚くくらい自然に出た言葉だった。
フェルナンが目を丸くする。
「お前、そんなキャラだったか?」
「俺も知らなかった」
本当に、知らなかった。
でも、もう戻れない。
あれを見て、知らないふりはできない。
「……そうかよ」
フェルナンは肩をすくめる。
「じゃあ、付き合うしかねえな」
「え?」
「一人で行かせて、後で死なれても寝覚め悪いし」
軽い口調。
だが、その裏にあるものは分かる。
こいつなりの、責任感だ。
「……ありがとう」
「礼はいいから、ちゃんと説明しろよな」
「それは無理だ」
「だろうな!」
笑い声が、少しだけ軽くなる。
その時だった。
森の奥から、足音が聞こえた。
人の足音。
複数。
レグナスが即座に振り向く。
「……誰か来る」
ミレイアが目を細める。
「この時間に?」
不自然だ。
この辺りは人が来る場所じゃない。
足音は、まっすぐこちらに向かってくる。
やがて、木々の間から姿が現れた。
見知らぬ男たち。
装備は統一されている。
軽装の鎧、短剣、そして――
「……紋章付きか」
レグナスが低く呟く。
俺もそれを見る。
胸元に刻まれた印。
どこかで見たことがある気がする。
だが、思い出せない。
「ここで何をしている」
先頭の男が言った。
冷たい声だった。
感情がない。
まるで――
決められた言葉を、そのままなぞっているみたいに。
◇
「誤解」から「意図」へ、一歩踏み込んだ回でした。
そして、新しい“関わり”も始まりそうです。
もし少しでも先が気になったら、続きを読んでもらえると嬉しいです。
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