第12話 選べない救い
“人の形”が、空白の中に浮かんでいた。
はっきりとは見えない。
だが、確かに“そこにいる”。
「……あれ、人だよな」
フェルナンの声が掠れる。
「……そう見える」
俺も答える。
見える。
でも、それが“人間”なのかは分からない。
ただ一つ確かなのは――
「……戻りきってない」
ガルドが、苦しそうに呟いた。
額に汗が滲む。
呼吸も荒い。
「……あれは、俺たちの先だ」
その言葉が、静かに落ちる。
先。
つまり――
「……あれは、“戻れなかった”人間だ」
ミレイアが、ほとんど確信のように言った。
フェルナンが、息を止める。
「……おい、じゃあ」
「まだ、分からない」
レグナスが遮る。
だが、その目は鋭い。
現実を見ている。
「……だが、可能性は高い」
誰も否定しなかった。
できなかった。
“空白”は、ただの現象じゃない。
過程だ。
そして、その先に――あれがある。
「……来る」
ガルドが低く言う。
視線は、森の奥。
“それ”を見ている。
“人の形”。
ゆっくりと、こちらに近づいてくる。
足取りは、不安定だ。
だが、確実に。
「構えろ」
レグナスが言う。
全員が動く。
俺も――
動けなかった。
違う。
動きたくなかった。
「……アーヴェル」
ミレイアが呼ぶ。
小さく。
「……あれ、どうしますか」
答えは、分かっている。
選択だ。
ここで決めるしかない。
「……まだ」
言葉が出る。
「……まだ、間に合う」
根拠はない。
でも――
そう思ってしまった。
「……無理だ」
ガルドが言う。
はっきりと。
「……あそこまで行ったら、戻れない」
その言葉は、重かった。
経験者の言葉だ。
「……でも」
俺は言う。
「“完全”じゃない」
さっき見た。
命令は、崩れる。
言葉で、揺らせる。
なら――
「……まだ、残ってる」
“人の形”が、少しずつ近づく。
輪郭が、少しだけはっきりしてきた。
顔がある。
だが――
表情がない。
空白だ。
「……やるのか」
レグナスが聞く。
短く。
確認だけ。
「……やる」
答える。
迷いは、ない。
怖いけど。
でも、それ以上に――
見てしまった。
ここでやらない理由がない。
「……分かった」
レグナスはそれ以上何も言わない。
剣を構える。
支える位置に入る。
フェルナンも、弓を構える。
ミレイアが、後ろで詠唱の準備をする。
全員が、“やる前提”で動く。
◇
“それ”が、目の前で止まる。
距離、数歩。
近い。
圧がある。
だが――
“空白”よりは、分かる。
「……聞こえるか」
俺は言う。
反応はない。
当然だ。
でも――
「……お前、誰だ」
問いかける。
意味を、与える。
ほんの少しだけ。
空気が揺れる。
ほんのわずかに。
「……名前は」
重ねる。
「……」
沈黙。
だが――
何かが、動く。
内側で。
「……っ」
頭に、断片が流れ込む。
途切れた言葉。
壊れた意味。
“任務”
“排除”
“維持”
違う。
もっと奥に――
「……違う」
口に出す。
「それじゃない」
さらに踏み込む。
「お前の言葉で言え」
圧が増す。
拒絶される。
だが、押し込む。
「……何がしたい」
問いを変える。
核心だけ。
余計なものを削る。
その瞬間。
“それ”の輪郭が、揺れた。
「……っ!」
フェルナンが息を呑む。
「効いてる!」
ミレイアが言う。
確かに。
揺れている。
「……続けろ!」
レグナスが叫ぶ。
俺は、さらに言葉を重ねる。
「……帰る場所はあるか」
沈黙。
長い。
だが――
「……」
何かが、動く。
ほんのわずかに。
「……あるなら、言え」
さらに押す。
その時だった。
“それ”の口が、動いた。
「……な」
音が出る。
意味にならない。
でも――
「……名前だ」
俺は言う。
「名前を言え」
空気が歪む。
命令と、言葉がぶつかる。
「……な……」
もう一度。
音が出る。
今度は、少しだけ形になる。
「……ナ……」
その瞬間。
ガルドが息を呑んだ。
「……あいつ」
小さく呟く。
「……ナイルだ」
名前が、与えられる。
その瞬間。
“それ”が、大きく揺れた。
「……ナイル」
俺は繰り返す。
「お前はナイルだ」
断定する。
意味を固定する。
「……ナイル」
その言葉が、届く。
確かに。
“それ”の中に。
次の瞬間。
“それ”の目に、わずかな光が宿る。
ほんの一瞬。
だが、確かに。
「……っ!」
フェルナンが声を上げる。
「戻るのか!?」
だが――
次の瞬間。
その光が、消える。
完全に。
「……排除」
声が出る。
無機質な。
命令の声。
「……くそっ!」
レグナスが踏み込む。
剣が振るわれる。
だが、意味はない。
“それ”は止まらない。
前に出る。
圧が増す。
「……戻らないのか」
思わず呟く。
さっき、確かに届いた。
名前を呼んだ。
光も戻った。
なのに――
「……足りない」
ガルドが言う。
苦しそうに。
「……“一つじゃ足りない”」
その言葉が、胸に刺さる。
名前だけじゃ足りない。
なら――
何が必要だ?
「……くそっ」
思考が回らない。
時間がない。
“ナイル”が迫る。
完全に敵だ。
「アーヴェル!」
レグナスの声。
決断を迫る声。
止めるか、斬るか。
どっちかだ。
中途半端は、許されない。
「……っ」
歯を食いしばる。
答えは、出ない。
でも――
選ばないといけない。
◇
あとがき
「名前」だけでは、届きませんでした。
何が足りないのか、まだ分かりません。
この先、救うのか、切るのか。
選択の重さが増えていきます。
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