第11話 戻れない境界
――止めてくれ。
その一言が、やけに重く残った。
風が止まる。
森の音が、遠くなる。
「……何をだ」
レグナスが低く問う。
剣は下げているが、完全には構えを解いていない。
当然だ。
目の前にいるのは、ついさっきまで敵だった人間だ。
「……“命令”を」
隊長は答える。
視線は逸らさない。
だが、その奥にあるものは――覚悟に近い。
「……具体的に言え」
レグナスの声が一段低くなる。
曖昧な言葉を許さない。
「……俺たちに入ってる、“書き換え”を止めてほしい」
沈黙。
フェルナンが小さく舌打ちする。
「無茶言うな」
「分かってる」
隊長は頷く。
「でも、時間がない」
その言葉に、違和感があった。
「……何が起きる」
俺が聞く。
隊長は一瞬だけ迷う。
その迷いが、逆に“本物”だと分かる。
「……段階がある」
「段階?」
「最初は、違和感だ」
指で、自分の頭を軽く叩く。
「言葉が、少しずつズレる」
「……それは見た」
「次に、“命令”が入る」
さっきまでの状態だ。
動きは制御される。
言葉も、決まる。
「……その先は?」
聞きながら、嫌な予感がした。
隊長は、ゆっくりと後ろを見る。
仲間たち。
さっきから動かない連中。
「……“空白”になる」
空気が凍る。
フェルナンが思わず後ずさる。
「おい、待てよ」
「……あれは、人間だ」
隊長は言い切る。
迷いなく。
「元は、俺たちと同じだ」
森の奥に広がっている“空白”。
あれが――
人間。
「……嘘だろ」
フェルナンの声が震える。
冗談じゃない。
あれは、何もなかった。
意味も、言葉も。
ただ削るだけの存在だった。
「……証拠はあるのか」
レグナスが問う。
冷静だ。
だが、その声は少しだけ硬い。
「ない」
隊長は即答する。
「でも、分かる」
その言い方に、俺は少しだけ納得した。
俺と同じだ。
理屈じゃなく、“分かる”。
「……戻れなくなるのか」
俺が聞く。
隊長は、ゆっくりと頷いた。
「段階が進むと、言葉が消える」
「……じゃあ」
「最後には、“意味が消える”」
その先は、もう言うまでもない。
“空白”だ。
「……じゃあ、お前は」
フェルナンが指を差す。
「まだ戻れるのか?」
「……分からない」
隊長は苦く笑う。
「今はまだ、“外れてる”」
自分の言葉で話している。
それが証拠だ。
「でも」
続ける。
「長くは保たない」
その言葉に、全員が黙る。
時間制限。
それは、この場の空気を一気に重くする。
「……どれくらいだ」
レグナスが聞く。
「分からない」
また同じ答え。
だが、今度は少し違う。
「……でも、近い」
確信があった。
それだけで十分だ。
「……つまり」
フェルナンが言う。
「助けるなら今しかないってことか」
「そうだ」
隊長は頷く。
そして、俺を見る。
まっすぐに。
「……お前なら、できる」
その言葉に、少しだけ引っかかる。
「なんでそう思う」
「さっき見た」
短い答え。
「俺を戻した」
完全じゃない。
でも、戻した。
「……だから」
隊長は言う。
「頼む」
その一言は、重かった。
命令じゃない。
依頼でもない。
ただの、願いだ。
◇
「……どうする」
レグナスが言う。
視線は、俺に向いている。
判断を委ねている。
追放したはずの相手に。
「……決まってるだろ」
俺は答える。
考える必要もない。
「やる」
それだけだ。
フェルナンが大きく息を吐く。
「だろうな」
「嫌なら止めてもいいぞ」
「今さらかよ」
軽口。
だが、その裏にあるものは変わらない。
「……手順は?」
ミレイアが静かに聞く。
実務的な問い。
ありがたい。
「分からない」
即答。
「おい」
フェルナンが突っ込む。
「いや、本当に分からない」
正直に言うしかない。
「でも、さっきと同じだ」
隊長を見る。
「言葉を、取り戻す」
「……それだけか」
レグナスが言う。
「それだけだ」
簡単なことじゃない。
でも、それしかない。
「……やるぞ」
レグナスが決断する。
全員が動く。
隊長を中心に、円を作る。
「……準備はいいか」
俺が聞く。
「いつでもいい」
隊長は答える。
その声は、少しだけ震えている。
怖くないはずがない。
自分が消えるかもしれないんだから。
「……いくぞ」
俺は、息を吸う。
集中する。
さっきと同じように。
でも、今回は違う。
対象が、“人間”だ。
「……お前は」
言葉を選ぶ。
慎重に。
「誰だ」
問いかける。
シンプルに。
余計なものを削って。
「……俺は」
隊長の口が動く。
「……ガルドだ」
名前。
それだけで、空気が変わる。
意味が、戻る。
「ガルド」
繰り返す。
「お前は、何をしたい」
短く。
核心だけ。
「……帰りたい」
同じ答え。
でも、さっきより強い。
「どこに」
「……家に」
その言葉に、わずかな温度が宿る。
「誰がいる」
「……娘がいる」
空気が、揺れる。
フェルナンが顔をしかめる。
ミレイアが目を伏せる。
レグナスは、動かない。
「……何歳だ」
「……七つ」
具体的な情報。
それだけで、“意味”が濃くなる。
「……名前は」
一瞬の間。
そして――
「……リナ」
その瞬間だった。
空気が、弾ける。
見えない何かが、崩れる。
「……っ!」
ガルドが頭を押さえる。
苦しそうに。
「来るぞ!」
フェルナンが叫ぶ。
後ろの男たちが動く。
目が変わる。
“命令”に戻る。
「排除――」
言いかけた瞬間。
「違う!」
俺は叫ぶ。
「お前はガルドだ!」
その言葉が、ぶつかる。
強く。
直接的に。
「……っ!」
ガルドの体が震える。
「お前は父親だ!」
さらに言葉を重ねる。
「帰る場所がある!」
空気が、歪む。
命令と、言葉がぶつかる。
「……俺は……」
ガルドが呟く。
「……帰る」
その瞬間。
“命令”が、崩れた。
完全ではない。
だが――
確かに、外れた。
◇
沈黙。
誰も動かない。
ガルドが、ゆっくりと顔を上げる。
目が――戻っている。
「……戻った、のか」
フェルナンが呟く。
「……一部だな」
レグナスが答える。
冷静に。
だが、その声にはわずかな驚きが混じっている。
「……ありがとう」
ガルドが言う。
小さく。
だが、確かに。
その時だった。
ガルドの表情が、歪む。
「……っ」
再び、頭を押さえる。
「おい、どうした」
「……来る」
ガルドが言う。
震える声で。
「……次が」
その言葉と同時に。
森の奥で、“空白”が揺れた。
さっきよりも、はっきりと。
そして――
その中心に、“人の形”が見えた。
◇
少しだけ、「戻る」ことができました。
でも、それで終わりではなさそうです。
ここから先、どこまで救えるのか。
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