第10話 命令から外れた男
“それ”がこちらを認識した瞬間、空気が変わった。
重さが増す。
さっきまでの“空白”とは違う。
これは――埋めに来ている。
「……来るぞ!」
レグナスが踏み込む。
迷いのない一撃。
刃が振り下ろされ、“それ”を裂く。
だが、手応えは――
「……っ!」
ない。
斬ったはずなのに、切れていない。
いや、違う。
“切る対象がない”。
「下がれ!」
フェルナンの矢が飛ぶ。
“それ”を貫く。
だが同じだ。
当たっているのに、意味がない。
「……くそっ!」
レグナスが距離を取る。
「こいつは斬れない!」
「分かってる!」
フェルナンが叫ぶ。
「だからどうすんだよ!」
答えは、もう分かっている。
さっきと同じだ。
だが、今回は違う。
あれは“空白”だった。
これは――
「……“埋める側”だ」
思わず口に出る。
「何?」
「こいつ、空白を埋めに来てる」
自分でも意味が分からない。
だが、感覚ははっきりしている。
こいつは、“欠けた意味”を修復するための何かだ。
「……じゃあ止めればいいのか?」
レグナスが短く問う。
「分からない。でも――」
やるしかない。
俺は前に出る。
「アーヴェル!」
後ろから声が飛ぶ。
無視する。
止まれない。
“それ”の前に立つ。
さっきより、圧が強い。
存在が濃い。
意味がある。
だから――
「……読める」
わずかに。
ほんの少しだけ。
断片が流れ込んでくる。
“修復”
“整合”
“排除”
やっぱりだ。
「……お前、“正しくしようとしてる”んだな」
問いかける。
反応はない。
だが――
揺れる。
「……でも、それ」
言葉を選ぶ。
「間違ってる」
その瞬間、“それ”が強く揺れた。
圧が増す。
拒絶されている。
「……違うだろ」
踏み込む。
距離を詰める。
怖い。
でも、それ以上に――
分かってしまう。
「これは、“正しさ”じゃない」
断言する。
「誰かが勝手に決めた“正しさ”だ」
その言葉が、ぶつかる。
見えない何かに。
空気が震える。
「……っ!」
頭が軋む。
押し返される。
だが、離れない。
「……戻れ」
言葉を叩き込む。
「ここにいる必要はない」
“それ”が、歪む。
完全じゃない。
だが――
揺らいでいる。
「今だ!」
レグナスが叫ぶ。
全員が動く。
“それ”の横をすり抜ける。
距離を取る。
森の外へ。
“それ”は追ってこない。
境界で止まる。
ただ、こちらを見ている。
そして――
ゆっくりと、消えた。
◇
「……はあ……」
フェルナンがその場に座り込む。
「もう二度と会いたくねえ……」
「同感だ」
レグナスが短く答える。
剣を納める。
だが、その表情は険しいままだ。
「……アーヴェル」
ミレイアが静かに言う。
「今の、何をしたのですか」
「分からない」
正直に答える。
「ただ、言っただけだ」
「言っただけで、あれが止まるとは思えません」
「俺も思ってない」
だが、止まった。
それが事実だ。
「……でも」
言葉を続ける。
「完全には止まってない」
森を見る。
“空白”はまだある。
広がりは止まった。
だが、消えてはいない。
「……一時的か」
レグナスが言う。
「ああ」
短く頷く。
「根本は、まだ残ってる」
沈黙が落ちる。
状況は改善した。
だが、解決はしていない。
「……戻るぞ」
レグナスが言う。
「一度、体勢を立て直す」
「賛成」
フェルナンが立ち上がる。
「もう無理。今日は無理」
軽口。
だが、その裏にある疲労は本物だ。
ミレイアも、静かに頷く。
全員の意見が一致する。
そのはずだった。
「……待て」
俺は言った。
自分でも、なぜ止めたのか分からない。
ただ――
違和感があった。
「どうした」
レグナスが振り向く。
俺は、森の奥を見る。
さっきまで見ていた場所じゃない。
もっと――手前。
「……あれ」
指を差す。
木の影。
そこに、人影がある。
「……誰だ」
フェルナンが弓を構える。
だが、その人影は動かない。
ゆっくりと、こちらに歩いてくる。
足取りは、重い。
ふらついている。
「……おい、あれ」
フェルナンが目を細める。
「さっきの奴らじゃねえか?」
近づいてくるにつれて、顔が見える。
間違いない。
さっき、命令から外れた男たち。
「……なんでここに」
俺は呟く。
さっき印をつけた場所から、かなり離れている。
歩ける状態じゃなかったはずだ。
「……来てるな」
レグナスが低く言う。
全員が構える。
だが――
男たちは、武器を構えていない。
ただ、歩いてくる。
ゆっくりと。
そして――
隊長の男が、目の前で止まる。
顔を上げる。
目が、合う。
さっきと違う。
“揺れ”がある。
「……お前」
男が口を開く。
声は、掠れている。
「……聞こえるか」
その言葉に、全員が反応する。
フェルナンが息を呑む。
ミレイアが目を見開く。
レグナスが、わずかに剣を下げる。
俺は――
頷いた。
「聞こえる」
それだけでいい。
男の顔が、わずかに緩む。
「……そうか」
短い言葉。
だが、その中にある安堵は本物だった。
「……時間がない」
男が言う。
その声は、さっきの“命令”とは違う。
確かに、“自分の言葉”だ。
「……何が」
俺は聞く。
男は、一瞬だけ迷う。
そして――
「……俺たちは、“書き換えられてる”」
その言葉に、空気が止まる。
「……どこまで?」
思わず聞き返す。
男は、ゆっくりと首を振る。
「……分からない」
その答えは、あまりにも正直だった。
「……でも」
言葉を続ける。
「……“戻れない”奴もいる」
背後の男たちを見る。
何人かは、こちらを見ていない。
目が、死んでいる。
完全に“命令の中”にいる。
「……あいつらは、もう無理だ」
淡々とした言い方。
だが、その奥にあるものは――重い。
「……だから」
男が、こちらを見る。
真っ直ぐに。
「……止めてくれ」
その一言で、全部が決まる。
これは、ただの事件じゃない。
“選択”だ。
◇
“命令から外れた言葉”が出てきました。
ここからは、何を止めるのか、誰を救うのかが問われていきます。
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