第1話 追放された通訳役
この物語は、「強さ」ではなく「言葉」で戦う話です。
剣でも魔法でもなく、名前や記憶を使って、人を取り戻していきます。
少しでも引っかかった方は、ぜひ1話だけ読んでみてください。
魔物は、最後まで「助けて」と言っていた。
それを理解できたのは、たぶん俺だけだった。
だからこそ、追放されたのだと思う。
◇
「アーヴェル。お前は、今日限りで外れてくれ」
焚き火の前でそう言ったのは、レグナスだった。いつもと同じ声色だった。明日の食料当番を決めるみたいな、妙に落ち着いた口調だ。
それでいて、内容だけが、ひどく現実味を欠いていた。
「……外れる、っていうのは」
「追放だよ、追放。遠回しに言う必要ある?」
横から口を挟んだのは弓使いのフェルナンだ。笑っている。正確には、笑っているように見せている。ああいう笑い方をする時の彼は、だいたい気まずい時だ。
俺は三人の顔を順に見た。
レグナスは剣を膝の上に置き、無表情。神官のミレイアは目を伏せている。フェルナンだけが、居心地の悪さを誤魔化すみたいに肩をすくめた。
つまり、もう決まっている。
「理由を聞いても?」
「足手まといだからだ」
レグナスは即答した。
「戦えない。守れない。荷物持ちとしても微妙。通訳役が必要な場面なんて、ここ半年で何回あった?」
「二回」
「細かいな」
数えやすかったからだ。必要とされた回数なんて、覚えようとしなくても残る。
俺はパーティーで唯一の通訳役だった。人間同士の方言、近隣諸国の言葉、それから魔物や精霊に近い発声まで、なぜか聞き取れる。
ただし、それだけだ。
剣は並以下。魔術は適性なし。腕力は論外。荷物持ちとして微妙なのは認める。腰を痛めると翌日ずっと機嫌が悪くなるからだ。
「今回だってそうだろ」とフェルナンが続けた。「結局、戦って終わった。お前が何か言う前に、レグナスが片付けた」
「片付いてない」
「は?」
「昨日の洞窟の群れだ。あれは襲撃じゃなかった」
焚き火が、小さく爆ぜた。
三人の視線が俺に集まる。
言うべきじゃない、と少し思った。今さら何を言っても決定は変わらない。だったら格好よく黙って出ていくべきなのかもしれない。
でも俺は、そういうのが苦手だ。理解してしまったことを、なかったことにはできない。
「あいつらは、縄張りから出ていけって言ってただけだ」
「……お前、またそれか」
フェルナンが露骨に顔をしかめる。
「魔物の唸り声が分かるとか言い出すやつ」
「言い出すやつじゃない。分かる」
「便利だな。じゃあ今度から魔狼に噛まれながら通訳してくれよ」
「その前に誰かが剣を下ろしてくれれば会話になる」
「会話で済む相手なら、最初から戦ってない」
レグナスの声は低く、揺れない。
この人はずっとそうだ。判断が速い。迷いがない。だから強いし、何度も助けられてきた。
同時に、その速さに置いていかれるものがあることも、たぶん知っている。
「本当にそうか?」
と、俺は聞いた。
「少なくとも昨日の相手は、最初から殺す気じゃなかった。威嚇だった。俺にはそう聞こえた」
「聞こえた、か」
レグナスはそこで初めて少しだけ眉を寄せた。
怒りではない。もっと面倒なものだ。――あきらめに近い。
「アーヴェル。俺はお前が嘘をついてるとは思ってない」
「それはどうも」
「だが、お前の“分かる”は証明できない」
「結果で証明できる場面もあった」
「それで誰かが死んだらどうする」
その言葉だけ、妙に鋭く胸に刺さった。
ミレイアが小さく息を呑んだのが分かった。フェルナンも口を閉じる。
今の一言には、俺の知らない重さがある。
けれど、ここで掘り下げる空気じゃないのも分かった。
「……分かった」
俺は言った。
「追放を受ける」
フェルナンが露骨にほっとした顔をした。ミレイアは目を閉じた。レグナスだけが、わずかに視線を下げた。
「荷物は今夜のうちにまとめる。共有物は置いていく」
「報酬の取り分は三割渡す」とレグナスが言う。
「いらない」
「強がるな」
「強がりじゃない。足手まといの退職金なんて、受け取りづらいだけだ」
そう言うと、フェルナンが吹き出した。
「変なとこだけ意地あるよな、お前」
「褒め言葉として受け取っておく」
少しだけ空気が緩んだ。たぶん、それが最後の情けだった。
◇
夜明け前に野営地を出た。
振り返らなかったのは未練がないからじゃない。振り返ると、たぶん足が止まる。
森の朝は冷える。背嚢は軽い。共有物を置いてきた分、昨日より確実に軽いはずなのに、肩だけが妙に重かった。
これからどうするのかは決めていない。
町に戻って、言葉の仲介でもするか。商隊に雇われるのも悪くない。誰かの罵倒を丁寧な敬語に翻訳するのは、実はけっこう得意だ。
……いや、得意なのはそこじゃないか。
俺は昔から、他人の言葉はよく分かった。怒りも、諦めも、嘘も、ほんの少しの躊躇いも。
そのくせ、自分が何を望んでいるのかだけは、驚くほど曖昧だ。
だから追放されても、すぐに怒れない。
たぶん、どこかで納得してしまっているからだ。俺は剣になれないし、盾にもなれない。じゃあ何になれるのかと問われると、返事に困る。
その時だった。
低い唸り声が、左手の茂みから聞こえた。
反射で足を止める。
葉の擦れる音。獣臭。複数。気配は三つ……いや、四つ。
魔狼だ。
昨日の洞窟にいた群れと同じ種かもしれない。灰色の毛並み、黄色い眼。腹が減っている個体の呼吸は浅い。追放初日に食われるのは、あまりにも出来すぎだ。
「はあ……最悪だな」
剣を抜く。得意じゃない。抜き方で分かる。
茂みを割って現れた一頭が低く身を沈めた。飛びかかる前の姿勢だ。逃げ切れる距離じゃない。
次の瞬間、俺は声を聞いた。
『ちがう』
『それを』
『返せ』
魔狼の喉から漏れた唸りが、言葉として頭の中に落ちてくる。
返せ。
予想していた「殺す」でも「喰う」でもなく、まるで子供の駄々みたいな一語だった。
「……返せ?」
思わず口に出すと、群れが一斉に警戒した。
通じた、という顔をした。少なくとも俺にはそう見えた。
先頭の一頭が半歩だけ下がる。黄色い目が剣ではなく、俺の腰の革袋を見ている。
革袋?
俺は片手で袋を探った。干し肉、水筒、火打ち石――その奥から、見覚えのないものが出てきた。
黒い石だ。掌に収まるほどの大きさで、薄く青い筋が入っている。
「……なんだこれ」
昨日の洞窟で拾った覚えも、荷に入れた記憶もない。
ただ、魔狼たちはその石から目を離さなかった。
『巣の核』
『盗人』
『それを返せ』
頭の中に落ちてくる言葉は荒い。けれど、意味ははっきりしていた。
盗んだのは俺じゃない。たぶん、昨日の戦闘のどさくさで誰かの荷に紛れ、そこから俺の袋に入った。あるいは最初から――
そこまで考えて、嫌な予感がした。
昨日、俺たちは「突然襲ってきた群れ」を撃退したことになっている。
でも、もし。
こいつらが追っていたのが、この石だったなら。
もし最初から、返還を求めていただけなら。
「……ああ、そういうことか」
魔狼が唸る。警戒は解けていない。俺が剣を持っているせいもある。
ゆっくりと地面に剣を置いた。
「返す。たぶん、これはお前たちのものだ」
自分でも笑うくらい無防備な言葉だった。普通なら死ぬ。
だが先頭の一頭は飛びかかってこなかった。代わりに、疑うように鼻を鳴らした。
『本当に?』
「ああ」
『人間なのに?』
「人間にもいろいろいる。俺はたぶん、かなり面倒くさい方だ」
一頭だけ、なぜか首を傾げた。
今のは通じたのか通じていないのか微妙だ。
俺は黒石をそっと前に差し出した。魔狼はすぐには近づかない。三拍ほど置いてから、先頭の一頭がにじり寄り、石を咥えた。
その瞬間だった。
後方から、枝を踏み折る音がした。
「アーヴェル! 伏せろ!」
聞き慣れた声。フェルナンだ。
反射で振り向いた視界の端で、矢が飛ぶ。
「待て!」
叫んだ時には遅い。
矢は魔狼の肩を浅く裂き、群れが一斉に吠えた。空気が張りつめる。さっきまであったわずかな対話の余地が、音を立てて砕けた。
「お前、何やってんだ!」フェルナンが叫ぶ。「食われかけてただろ!」
「違う、こいつらは――」
「後で聞く! レグナス!」
木々の間からレグナスが飛び出してくる。剣を抜いている。最悪だ。
俺は魔狼たちと仲間の間に立った。
「剣を下ろせ!」
「どけ、アーヴェル!」
「こいつらは話せる!」
「そんなものは後だ!」
違う。後じゃない。今だ。今しかない。
なのに、言葉は届く前に切り捨てられそうだった。
先頭の魔狼が、傷ついた仲間を庇うように前に出る。黄色い目が揺れる。怒りだけじゃない。恐怖だ。こいつらは戦いたくない。まだ、ぎりぎりでそう読める。
だったら、まだ間に合う。
俺は息を吸った。
「待て! こいつらは――」
助けて、と言っている。
その言葉を口にしようとした瞬間、レグナスが目を見開いた。
その視線の先にあったのは、魔狼ではなかった。
俺の手のひらだ。
いつの間にか、黒石に触れていた指先が、淡く青く光っていた。
「……何だ、それ」
フェルナンの声がひどく遠く聞こえた。
俺にも分からない。
本当に、分からない。
分からないのに――なぜか、その光の意味だけは知っている気がした。
これは鍵だ。
言葉の、もっと奥にある何かを開くための。
◇
追放された通訳役の最初の一歩でした。
「ただの追放」では終わらない違和感と、
アーヴェルがこれから何を“聞いてしまう”のかを、
少しでも楽しんでもらえていたら嬉しいです。
次話では、通じるはずのない相手と、通じたくない相手の両方が動きます。




