第5章
格納庫の照明が一段階明るさを上げる。
マース・ユニバーサル・ダイナミクス(M.U.D)通称マッド社。掃除機から戦艦までを手がける総合技術企業として、科学技術の最前線を走る。宇宙船や核融合炉に至るまで、全ての製品においてトップクラスの技術力を持つ。
ステラ・ヴィアに搭載されているリムも同社製である。MUD-H102 コモナー。汎用作業用リムである。
8機のリムが並ぶ中で、ノアの機体だけが激しい主張をしていた。
黒の標準外装に対してダークレッドを主体に金色のアクセントが光る外装。
純正よりも大型で外側へ張り出した推進ユニット。
推力偏向ノズルは再設計され、可動域が広い。
姿勢制御スラスターも増設済み。標準品の面影が皆無だ。
そして側面。
無駄に光沢のある、大きめのステッカー。
LISA FRAMEWORKS
セレナが歩みを止める。
視線がそこに吸い寄せられる。
「……リサ?」
ほんのわずかに声色が変わる。
冗談めかした調子が抜ける。
「有名な名前ね」
ノアはゆっくりと振り向いた。
その顔には、隠しきれない満足がある。
「そうですよ」
一拍置いて、静かに言う。
「あのリサです」
格納庫の空気が、ほんの一瞬だけ静まる。
整備クルーが小さく息を吐く。
「有名なチューニングショップで、そこのフルカスタム機ですね。」
リサ・カルミナはマナ発見の英雄の1人として誰もが知る人物。そしてリサフレームワークスはリサの娘が立ち上げたカスタムショップである。マッドの製品を原型が残らない程のカスタムを施すので有名だった。リムの改造もお手のものである。
ノアは機体の外装を軽く叩く。
鈍い金属音が響く。
「そうですよ。最高のリムですね」
ルカが機体を覗き込む。
「具体的に何が違うの?」
ノアはすぐに答える。
「推力応答の最適化。入力と出力の間の補正を極限まで削ってます。安定化アルゴリズムは最小構成。遅延はほぼゼロ」
「つまり速い?」
「速いというより、鋭い。思った瞬間に動く」
セレナは腕を組む。
「作業機よ?」
「作業機だからです」
即答だった。
「小天体表面は不規則です。重力は弱い。接地の瞬間に姿勢がズレたら、そのまま跳ねる。操縦者の感覚と違うとかえって危ない」
整備クルーが静かに口を挟む。
「作業用リムにそんな性能は必要ありません」
「いや、作業用とは言っても妥協はできませんよ」
「コモナーは誰でも安全に乗れるように設計されてるんです」
「完璧じゃない」
二人の視線がぶつかる。
整備クルーはため息をつきながら呟く。
「整備が大変なんです」
全員がそちらを見る。
「色々純正部品が使えないんです。制御ソフトはオリジナルで解析が大変だったんです。推進剤消費もやたら多いし」
「えっ何?燃費悪いの?」
セレナが反応する。
ノアは悪びれない。
「フルカスタムですから」
整備クルーはため息をつきながら呟く。
「壊れなければいいんですけど」
「壊れません」
「機械は壊れます」
即答だった。
セレナはもう一度、ステッカーを見る。
リサ。
子供でも知っている名前。
教科書の欄外に載っている顔写真。
記念講演のホログラム映像。
その名が、今は作業用ポッドの横に貼られている。
「ずいぶん誇らしげね」
ノアはわずかに肩をすくめる。
「当然です」
マルコが腕を組む。
「作業用リムなんですけど」
整備クルーの発言にノアは即座に返す。
「ロマンです」
ノアはキラキラした目で話す。
「反応速度が20%向上してます。各部にカスタム配置した追加スラスターで姿勢が安定するんです。更にオリジナルCPUと特注のマナドライブ搭載です」
オスカーが淡々と問う。
「お前以外乗れないな」
ノアは迷わない。
「俺専用です」
整備クルーがぼそりと言う。
「すごく整備しにくいんです」
リムの起動シーケンスが始まる。
低い振動音が格納庫の床を伝う。
1500光年。
未知の恒星系。
拠点建設という、ひたすら地味な作業。
それでもノアは、自分の機体の側面に貼られた名前を一度だけ見上げる。
「あのリサです」
もう一度、静かに呟く。
その声には、尊敬と、少しの誇りが混ざっている。
セレナはその横顔を見て、小さく言う。
「私には分からないわね。」
ノアは微笑む。
「女性には分からんのです」
「俺にも分からないぞ」
すかさずオスカーが返す。
かつての英雄の名は伊達ではない。
時として一部の人間には、強力な荷電粒子砲よりも
強く刺さることがある。
そんな人はかつて中二病と呼ばれたこともあったが、当人には全く関係ないことである。
リムがゆっくりと浮上する。
小惑星群は、ゆるやかに星を囲んでいる。
探査艇とリム3機が小惑星群に近づいていく。
セレナ、イーサ、ミレイ、ノア、エヴァ、メイの6人は拠点に必要な資源採掘用小惑星の調査に来ていた。
リムはマナドライブによりパイロットの思い通りに動かすことができる。しかし相応のマナ操作適正すなわち「魔術師」の能力が求められる。
「私にはあんなのを動かせる気がしない」
イーサが呟く。
イーサの魔術師としての能力は著しく低い。
科学者である彼には無くても問題ないのだが、やはりマナテクノロジーが随所に使われる昨今では不便な体質である。
「イーサにはイーサにしか出来ない役目があるからいいのよ」
セレナはすかさずフォローする。マナ操作適正の良し悪しは差別の対象となる事も少なくない。それはマナという技術が生んだ闇の側面でもあった。
岩塊の影と光が交差し、探査艇のセンサー表示に淡い反応が増えていく。
点滅するマナコアのシグナル。ひとつ、またひとつ。
想定より多い。
ミレイが小さく息を吐く。
「……結構ある」
それだけ。
セレナは画面を拡大し、群の広がりを確認する。
反応は点在しているが、無視できない量だ。偶然の偏りではない。恒星系そのものが“当たり”の匂いを持っている。
イーサは無言でデータを整理している。
感情は表に出ない。ただ事実が積み上がる。
モニターの別窓に、リム三機の映像が映る。
その中で、ノアの機体だけが異質だ。
旋回が鋭い。
姿勢制御の戻りが異様に速い。
岩塊の隙間を、まるでそこに道が見えているかのように抜けていく。
エヴァの声が小さく入る。
「速いわね」
ノアの返答は短い。
「当然です」
推力が一瞬強く噴き、機体は群の中心へ踏み込む。
カスタムスラスターが白く瞬く。応答性は本物だ。機体が意志を持っているかのように反応する。
その先、マナコア反応がさらに増える。
イーサが淡々と告げる。
「凄いマナコアの量だな」
ノアが興奮した声で呟く
「報奨金もだいぶ跳ね上がるんじゃないでしょうか」
エヴァが続く
「距離の問題さえ解決できれば凄い事になりそうね」
探査艇の画面端に、アニマの軌道が小さく表示されている。
青い点。静かで、遠い。
セレナの視線がそこに一瞬止まる。
ミレイも気づいているが、何も言わない。
資源が豊富という事実は、未来を一方向に押し出す。
押し出された先に何があるか、想像しないわけにはいかない。
メイがさらりと言う。
「私たちだけでやれるんじゃない?」
誰もすぐには返さない。
冗談だか本気だか読めない軽い調子で続ける。
「火星は遠いわ。今なら独立できちゃうんじゃない?」
その言葉は小さな波紋を残す。
リム側の映像が揺れる。
ノアの機体が急制動をかける。
わずかな間。
通信に、小さな呟き。
「あっ……推進剤」
静寂。
探査艇のモニターに推進剤残量警告が表示される。ノアの機体だ。
鋭く、最短で、誰よりも速く群の中心まで辿り着いた機体だったが、今はスラスターの光が弱々しい。
セレナが静かに言う。
「すごく燃費悪いのね」
それだけ。
エヴァが無言で目を逸らす。
メイは手を叩いて笑っている。
「うける。追加プロペラントタンクが必要じゃん。コモナーなのに。私がおんぶしてあげようか?」
ノアの機体はゆっくりと回頭し、探査艇へ向かう。
「補給をお願いします」
「少ししか積んでないわよ」
セレナは冷たく言い放つ。
マナコア反応は、想定よりもはるかに多いようだった。
拠点建設の候補どころでは済まない。
重要拠点――戦略上、手放せない場所になる可能性が高い。
その事実は、数字としては喜ばしい。
だがセレナの胸に浮かんだのは高揚ではなかった。
視界の隅に、アニマの軌道が小さく表示されている。
青く、静かで、まだ何も知らないように見える星。
資源が豊富であるということは、放っておかれないということだ。
調査は増え、船は集まり、施設が建ち、やがて恒久的な存在になる。
重要拠点。
その言葉は、発展と同義だ。
同時に、不可逆でもある。
一度、旗が立てば、もう後戻りはできない。
セレナはモニターの光を見つめたまま、わずかに呼吸を整える。
喜ぶべき成果。
成功の証。
それなのに、胸の奥に薄い影が差す。
それは恐怖というほど強くはない。
後悔でもない。
ただ、静かな予感だ。
この恒星系は、きっと変わる。
アニマも、例外ではいられない。
豊かさは人を呼ぶ。
人は人を呼ぶ。
その連鎖が始まる音を、セレナだけが先に聞いているようだった。
艦長室
中央に、小惑星群の立体投影が浮かんでいる。
無数の岩塊が、ゆっくりと主星の周囲を巡っている。静かな公転。だがその内部には、高純度金属、希少元素、そして広範囲に分布するマナコア層が眠っている。
赤い反応マーカーが点滅するたび、経済価値と軍事価値が同時に跳ね上がるのが分かる。
ヴァルグレンの姿が結像した。
外域拡張局――
外域拡張局(OED)
通信開始早々の第一声
「第一陣は既に出発している」
「随分早いですね」
レオンは驚きを含んだ声で返す。
航跡が表示される。
長距離輸送艦、資源採掘プラットフォーム、精錬モジュール、居住ユニット。小惑星帯に展開するための基礎構造一式。
そして。
「今回はマナドライブ製造設備も送ってある」
レオンの表情がわずかに変わる。
マナコア単体でも使用は可能だ。しかしそれ単体を使いこなすには相当の魔術師能力の高い人物に限定される。
マナドライブがあって初めて「文明の動力」になるのだ。天然のマナコアは貴重なため、通常は人工マナコアを利用する。マナドライブ製造設備には人工マナコアの製造能力も含まれる。
その製造は現在は火星及び地球でのみ行っている。
それ以外での製造は禁止されている。理由は単純だ。マナドライブが無管理で増産されると戦略的均衡の崩壊をもたらす可能性があるからだ。
それを外域へ。
レオンはゆっくりと言葉を選ぶ。
「ずいぶん思い切ったことをしますね」
非難ではない。驚きでもない。
純粋な事実確認に近い声音。
ヴァルグレンは淡く頷く。
「それだけの価値があると踏んでいる」
投影が拡大される。
小惑星群の一部が断面表示され、マナコア反応層が帯状に広がるのが示される。
「現状では供給が追いつかない。HD-4721は遠い。早急な航路策定のためには星系での現地生産が必要と判断した。作業効率は飛躍的に向上するだろう。」
合理的だ。
数字で見れば、反対する理由はほとんどない。
「もちろん君達を信頼しての決定だ」
その言葉には、形式的な響きはない。
だが国家の意思決定は、信頼だけで成立するものでもない。
通信が切れる。
室内は静まり返る。
投影された小惑星群だけが、無音で回転を続けている。
レオンは腕を組み、軌道図を見つめた。
製造設備そのものを送る。
それは単に効率を上げる措置ではない。
技術の重心を、一部とはいえ外域へ移す決断だ。
もし自分が管理者ならどう考えるか。
設備に監査機能を持たせるだろう。
技術者の選抜を厳格にするだろう。
あるいは、状況次第で追加人員を送る準備もしておくかもしれない。
価値が高いほど、統制も強くなる。
居住可能惑星、豊富な資源、特に豊富なマナコアがある。
マナドライブ製造技術はトップシークレットだ。それ故、厳格に中央で管理されてきた。今回はそれを破るという破格の決断だ。前進と言えるのかもしれない。
だが前進とは、常に均衡を揺らす行為でもある。
ここは本星から遠い。
もし反旗を翻す者が現れたらどうするのか。
レオンは考えずにはいられない。信頼とは何の抑止力にもならない言葉だからだ。
「大丈夫なのか」
星系は静かだ。
だが静寂の中で、世界の構造は変わり始めている。
そして変化は、常に波紋を伴う。
GC320.6.10
約一ヶ月かけて牽引された小惑星は、ゆっくりと自転を減じながら安定姿勢に入った。
ステラ・ヴィアの船体に映る影が、わずかに揺れる。
その向こうで、フェイズアンカーの拘束フィールドが淡く発光している。
直径約900メートル。
数字にすると控えめに見える。
だが実際は違う。都市の一区画ほどの質量が、推進と計算と忍耐によってここまで引き寄せられたのだ。
岩肌は黒く、複雑に割れ、深いクレーターを抱えている。
分光分析が次々に結果を投影する。
高純度鉄ニッケル。
レアメタル群。
そして内部深層に、帯状に広がるマナコア反応。
当面の資源供給は問題ない。
むしろ、採掘処理能力の方がボトルネックになる可能性が高い。これだけの量を一気に扱えば、精錬系統が悲鳴を上げる。
「フェイズアンカー、共振域安定。拘束場に乱れなし」
報告が入る。
フェイズアンカーは位相固定装置だ。
巨大質量体がもたらす局所的な空間ゆらぎが許容値を超えるとワープ航行へ干渉し、重大な事故を引き起こす可能性がある。それ故にフェイズアンカー周辺の重力計測は重要だ。
質量分布に偏りはある。
内部空洞も確認された。だが補正範囲内。
つまり、問題はない。
さらに別の解析窓が開く。
表層部に揮発性物質の反応。
「ドライアイスと水氷を確認。推定量、想定値を上回ります」
二酸化炭素氷と水氷。
分解すれば酸素と水素が得られる。化学推進剤の原料として理想的だ。電力さえあれば、その場で燃料を製造できる。
リムから小型の探査艇に至るまで、マッド社自慢の小型核融合炉が搭載されている。しかし小型融合炉では十分な動力は得られるものの、推進力は不十分なため、推進剤を利用している。推進剤の原料は主に水素やメタンだが、外域において重要なのはそれらの資源を確保できることだ。ワープの中継地点には必ず推進剤の製造、貯蔵施設が建設され、それらを製造、販売する企業も必ず集まってくる。
特に恒星系であればヘリウム3を製造する企業も進出するため、一大プラントとなるのが通例だ。
「宇宙要塞みたいじゃん。」
メイが無邪気に言う。
資源は十分。
しかも天然マナコアも相当量が眠っていると思われる。
まるで理想通りの条件だ。
レオンはゆっくりと岩塊を見上げる。
900メートルの質量が、無言でそこにある。
この小惑星だけで、かなりのマナドライブを製造できるだろう。しかも天然物だ。もしかしたらフェイズアンカーを製造できるほどのマナコアもあるかもしれない。
計り知れない可能性がある。
「至れり尽くせりだな」
その言葉には、安堵が混じる。
ここまで都合よく資源が揃うなんてそうある事ではない。
何かが欠けているのが常だ。
岩の要塞は静止し、
フェイズアンカーの場に縛られ、
星の光を反射している。
岩塊には人工構造物は少ない。
だがすでにここには、拠点の条件が揃っている。
ブリッジ前方。
視界いっぱいに広がるのは、静止した小惑星と、その近傍で淡く光を放つフェイズアンカー。
数値上は理想的な配置だ。距離、質量、位相安定率。どれを取っても教科書的と言っていい。
レオンが短く切り出した。
「マナドライブ製造設備も動かすそうだ」
報告としては簡潔だ。
だが、その一文が意味するところは大きい。
OEDから直接的な表現はなかったが、すでにこの宙域が単なる調査拠点の域を超えている可能性すらある。
シグはすぐに返答しなかった。
航路図を一度だけ拡大し、フェイズアンカーと小惑星の相対位置を確認する。
その後、ようやく口を開いた。
「……それは大事ですね。それだけ重要案件ということなんでしょう」
抑制された声。
合理性は理解できる。距離、資源量、輸送効率。
本星が判断を急ぐ理由は、数字の上では明確だ。
だからこそ、あえて深掘りはしない。
イーサは腕を組んだまま、スクリーンを見続けている。
小惑星の内部構造解析図が、ゆっくりと回転していた。
「簡単には喜べないな。国家機密を動かすんだ」
視線は動かない。
「何かしら、楔は打ってくるだろう」
それは警告というより、確認に近い。
科学者として、技術が持つ“重さ”を知っているからこそ出る言葉だ。
善意だけで運ばれる種類のものではない。
セレナは少し間を置いた。
呼吸を整えるように、一拍。
「そうね。マナドライブ製造を外域でやるなんて聞いたことないわ。ここは1500光年も離れてるのよ」
声音は落ち着いている。
だが、その静けさは警戒の裏返しでもある。
「そもそも……安全保障のために禁止してたはずよ」
語尾を強めない。
断定もしない。
ただ事実を並べるだけだ。
その時点で、会話は自然に途切れた。
誰も否定しない。
誰も同意もしない。
レオンは前方スクリーンを見つめたまま、ゆっくりと息を吐く。
肩の力が、ほんのわずかに抜ける。
「判断は早いが……本星の決定だ」
それ以上は言わない。
信じるとも、疑うとも言葉にしない。
指揮官として、今はそこまでが限界だった。
シグは無言で表示を切り替え、次の作業項目を確認する。
イーサは腕を解かず、視線も動かさない。
セレナはスクリーンの端に映る小惑星から、しばらく目を離さなかった。
フェイズアンカーの光は安定している。
拘束場に乱れはない。
センサーも、計算結果も、すべて正常だ。
問題は何も起きていない。
それでも――
会話の途切れた場所に、
誰も言葉にしなかった“別の可能性”だけが、静かに沈んでいた。
それは疑念というほど明確ではない。
だが楽観とも呼べない。
ただ、確実にそこにある。
変化しているのは状況ではなく、
それをどう受け取るかという、人の側の重心だった。
ブリッジには、言葉にならない違和感だけが、
低い重力のように、静かに漂っていた。




