予定外の寄り道
長い鐘の音が響いた。
一日の授業が終わった合図だ。
今日は午前で終わり。疲労感は少ない。
しかし隣の海月は違った。
「火花!」
海月が立ち上がる。
「授業終わったよ!ご飯行こうよ!」
「はい、約束でしたね」
火花は荷物をまとめながら答える。
「この辺り、詳しくないんですけど……おすすめの店とかありますか?」
「お姉さんに任せて!」
海月が胸を張る。
「めちゃくちゃ美味しいお店、知ってるから!」
火花は小さく笑った。
授業が終わったことは、隣にいたから分かっている。
年齢もたぶん同じだ。
「お姉さん」というほどでもないだろう。
けれど——
こういうことを口にすると、大抵良い反応は返ってこない。
火花は、その手の指摘を胸の内にしまっておく。
「バスで25分くらいなんだけど、大丈夫?」
「繁華街ですか。いいですよ」
火花は頷いた。
「せっかくの、お友達からのお誘いですし」
海月の動きが止まった。
「……!?」
顔が、少し赤くなっている。
「ほ、ほんと!?」
「はい」
「よし!」
海月が拳を握る。
「そうと決まれば、出発!」
二人が通う学校は、郊外にある。
商店街はあるが、店の数は少ない。
選択肢を考えれば、繁華街まで出た方がいい。
バス停の周りは、住宅街らしい落ち着いた雰囲気だった。
火花は、この穏やかさが好きだった。
騒がしいより、静かな方が性に合っている。
この高校への転校に前向きだった理由の一つだ。
一番の理由は——AIにそう言われたからだが。
歩きながら、隣を見る。
海月が、小さく呟いている。
「お友達……お友達って……」
嬉しそうに、繰り返している。
火花は少し不安になった。
(嫌がられた……?)
だが、海月の表情は明るい。
どうやら、違うらしい。
バス停が見えた。
ちょうどバスが停車している。
「急ごう!」
海月が走り出す。
火花も後を追った。
バスに乗って、しばらく。
運転席から、アナウンスが流れた。
もっとも、そこに運転手の姿はない。
AIによる自動運転。
流れてきたのは、機械音声だった。
『前方信号機の異常を検知しました』
火花は顔を上げる。
『安全確認のため、運行を一時停止しております』
バスが、止まった。
『状況が解消され次第、運行を再開いたします』
火花は窓の外を見た。
信号が、消えている。
「おかしいですね……」
火花が呟く。
「信号のトラブルなんて、最近はほとんど起きないはずなのに」
隣を見る。
海月の様子が、変わっていた。
先ほどまでの明るさが消え、真剣な表情で、端末を操作している。
仮想スクリーンに、文字を打ち込んでいた。
数十秒。
海月は、画面を見つめたまま動かない。
やがて——
彼女は立ち上がった。
「すみません!」
運転席のAIに向かって声をかける。
「ここで降ります!」
ドアが開く。海月が飛び出した。
火花は一瞬迷った。
だが——すぐにバスを降りた。
「火花」
海月が振り返る。
「私、ちょっとやらなきゃいけないことがあって」
「……何を?」
「すぐ戻れると思うから」
海月は答えない。
「ここで待っててくれる?」
「いえ」
火花は首を振った。
「僕も行きます」
「でも——」
「バスが動いたら、面倒じゃないですか」
火花は海月を見た。
「それに……危ないんでしょう?」
「……っ」
海月の表情が、揺れた。
「なおさらです」
火花は続ける。
「心配なので。自己責任で構いません」
海月は、しばらく黙っていた。
難しい顔で、考え込んでいる。
やがて——
「……分かった」
海月が頷く。
「じゃあ、私の指示に従うこと」
「分かりました」
「待機って言ったら、許可が出るまで動かないこと」
「了解です」
海月は少し笑った。
「AIへの指示みたいになっちゃった」
「プロンプトエンジニアリング、必修ですもんね」
火花も小さく笑う。
「人間相手でも、同じですよ」
「海月さん」
歩きながら、火花が聞く。
「どこに向かってるんですか?」
「制御盤」
海月は前を向いたまま答える。
「信号のトラブル、この辺だけみたいだから」
制御盤。
地震や台風で電柱が倒れる問題に対処するため、電線は地中化されている。
かつて電柱にあった変圧器などの設備は、地域ごとに制御装置へ集約された。
それが制御盤だ。
一部地域だけのトラブルなら、そこに原因がある可能性が高い。
だが——
火花の疑問は消えない。
(なぜ、女子高生が信号トラブルの場所を把握してる?)
(なぜ、対応に向かう?)
考える余裕は、なかった。
海月の走る速度が、速すぎたからだ。
火花は、必死についていく。
息が上がる。
(速い……)
火花の体には、チップが装着されている。
人間の神経系に干渉し、身体能力を拡張する装置。
一般的なものでは、筋力強化や健康管理などがある。
火花も、健康管理用のチップを入れている。
だが——海月の速さには、ついていけない。
「海月さん」
火花が息を切らしながら聞く。
「速度強化のチップ……入れてるんですか?」
「ん?」
海月が振り返る。
走りながら、笑っている。
「私、チップ入れてないよ?」
「……え?」
火花は驚いた。
チップなしで、この速度?
それが強化によるものでないとすれば——
彼女は、いったい何者なのか。
「あ、速すぎた?」
海月が立ち止まる。
「ちょっと速かったよね。ここで休憩してなよ」
「いえ、大丈夫です」
「私だけで行くから」
海月が笑う。
「もともと、そのつもりだったし」
足だけでなく、喋る速度まで速い。
火花がそう思った、その時
——海月が、跳んだ。
翼が生えたわけではない。
ジェットエンジンでもない。
ただの跳躍。
だが——
海月の体が、宙を舞った。
二車線道路を、一跳びで越える。
信号が止まり、渋滞している車列の向こうへ。
軽やかに、着地した。
「行ってくる!」
海月が手を振る。
「待っててー!」
そう言い残して——
海月は、車列の向こう側へ消えた。
火花は、立ち尽くしていた。
呆然と、海月が消えた方向を見つめる。




