十四 選ばれし者
湖底に、光が奔った。
銀狐の袖から放たれた銀の稲妻が、墨色の影を真っ二つに裂く。
薄墨は崩れ落ちながらも、最後まで微笑を崩さなかった。
「……忘れられることこそ、救い。あなたも……いずれは」
墨の髪が散り、闇は水の中に霧散した。
湖底には、ただ銀の光だけが残った。
荒れ狂っていた湖は、少しずつ静まりを取り戻す。
だが銀狐は振り返った。
そこに沈んでいるのは――重三郎の体。
「……重三郎!」
駆け寄って抱き起こす。
その顔は蒼白で、唇は紫色に染まり、もう息はなかった。
湖面近く、必死に風を操っていた天狗がその様子を見下ろし、叫ぶ。
「やめろ銀狐! もう遅い! そのまま眠らせてやれ!」
だが銀狐は首を振った。
「吾は……もう何も失いたくない。
……いやだ! 失わせてなるものか!!」
光が両手からあふれ、重三郎の胸に注がれる。
水が震え、空気が裂けるような音が響いた。
重三郎の指が微かに動いた。
次の瞬間、大きく咳き込み、湖水を吐き出す。
「……っはぁ……っ!」
彼は生き返った。
だがその瞳には銀の光が宿り、肌には薄く妖の気配が滲んでいた。
天狗は歯を食いしばり、空を仰いだ。
「……馬鹿野郎。あいつを、人と妖のはざまにしちまった……」
銀狐は震える手で重三郎を抱き締めた。
「……生きろ。吾が共にいる。隣に立つ……それが、吾の選んだ在り方だ」
湖は静まり返り、雨もようやく止んでいた。
夜空に浮かぶ月だけが、三つの影を照らしていた。