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TOY'S GARDEN

作者: 宗像竜子

 ちょっとばかり、腕が錆び付いたようだった。

 彼女はちょっとだけ顔をしかめたが、すぐに無表情に戻り、黙々と作業を続ける。

 もしまだプログラムが正常ならば、あと数時間後に雨が降るはず。それよりも先にやれる事はやってしまわなければ。


 カチン、パチン。


 規則正しい音が響く。

 彼女の手に握られている剪定せんてい用のはさみが、単調に伸びすぎた枝を落としていく。

 午後に雨が降るならば、夕刻の水撒きはしなくてもいいだろう。その分の時間は何をすべきだろうか?


 パチッ。カシャッ。


 鋏が音をたてる度に、切られた枝から微かに芳香が混じった、青臭い植物特有の匂いがたつ。

 葉のクチクラ層が、天からのぼんやりとした光を照り返している。濃い緑を封じ込めた層が、寒さや乾燥などから植物を守るのだ。

 それと似たような光沢が、彼女の肌にも認められた。

 しかし、それは決して寒さや乾燥から彼女を守るものではない。雨や風── 植物にとっては恵みとなるものから、彼女を保護するプロテクトコートだ。

 特に雨などの水は、彼女には厳禁のものだった。風に含まれる微細な埃も時として敵となる。


 パチン。──…ぽつっ。


 予定の三分の二を終えた時に、彼女の手の甲に水滴が落ちた。

 プロテクトコートに弾かれたそれは、そのまま露が零れ落ちるように、するりと手の甲を伝わって地面へと落下する。

 それが大地に吸い込まれて消えるのを、彼女の目は正確に捉え、見届けたが、すぐにその水滴がやってきた方角── 天を映した。

 そこには、いつの間にか人工的な雨雲が広がり、不吉な灰色が微風を受けてうごめいている。


(予定よりも、地上時間で3時間32分も早い──)


 メタリックな輝きを持つ瞳が眇められる。

 程なく、ぽつぽつと雨粒が落ち始めた。

 彼女は手早く剪定鋏などのガーデニング一式を片付け、本降りになる前に屋根の下へと移動する。いくら耐水性を持つプロテクトコートでも、長時間水にさらされる事には耐えられない。

 どこまでも静寂だったその世界が、柔らかな雨音に包まれるのはそれから間もなくの事だった。


+ + +


(ああ、やはり)

 ディスプレイを見つめていた彼女は、自分の予想が当たっていた事を確認した。

 天候・気温・湿度・日照── それらを調節する管理機構に、狂いが生じ始めている。

 それもそのはず── かなり長い事、このシステムを維持する機械には新しい部品の交換も、バックアップも為されていなかったのだ。

 行われてしかるべきメンテナンスなしに、余りにも精密な機械が狂いを起こしても仕方がなかった。

 肩をすくめて、彼女は困り果てたようにため息をつく。

 ごく自然に行われたそれは、余りにも自然すぎて、もし見る者がいればかえって違和感を覚えたかもしれない。

 けれど、そこは彼女以外は無人だった。

 実際、彼女はため息をつきながらもその頭脳は忙しく働かせていたし、指は常人ならば余程でないと敵わない速度でキーボードの上を動き回り、問題の解決策を模索していた。

 ── 全ては、プログラム通り。

 より人間的に、けれども人間以上の演算能力、解決力を持つように。

 相反する矛盾に、おそらく彼女は気付いていない。全てが── 彼女にそれがあるかは不明だが── 無意識のレベルで行われるが故に。

 メタリックグレーの髪を掻き揚げる仕草も、眉根を寄せるのも。全て、彼女の認識外で行われる事。

 やがて壊れかけた機械が弾き出した演算結果は、非常に単純なものだった。


『破棄セヨ』


 けれども、それは絶対に出来ない行動だった。

 彼女にとって、世界はここだけ。ここを維持する事、それだけが存在意義。『お客様』がいつ来てもいいように整備する事こそが使命。

 彼女の中で二律背反の命令が対立する。


『破棄セヨ』『維持スベシ』

『破棄セヨ』『維持スベシ』──……


 彼女の中で悲鳴にならない『意志』が軋みを上げる。

 ── そう。

 こうして何人もの『彼女』達は一体ずつ壊れていったのだ。一人、また一人と。


『破棄セヨ』


 繰り返される命令。

 ── それは管理システムが異常を訴える、何十年も昔から。


+ + +


 元々そこは、月面に作られたアトラクションパークだった。

 地球の約六分の一の重力を1Gに調整し、ドーム状の空間には数多くの人間が呼吸可能なだけの酸素を絶えず供給する。

 そして、緑。

 痩せて、宇宙線や太陽光をもろに浴びた大地でも育つ植物を作出する事は、当時の人間には可能な事だった。

 地球の照葉植物に似た外見を持つ、けれど光合成による酸素放出量は従来の地球品種のおよそ二倍という── その分繁殖能力はなく、成長は遅い── 人工の植物、『トワイライト・ムーン』。

 『黄昏の月』と名付けられたその純白の花が咲き誇る様は、一躍名物になり、人々はこぞってそこへとやってきた。

 トワイライト・ムーンは非常にデリケートな植物の為、常にコンピュータと専門知識を与えられたアンドロイドによって維持されていた。

 そのアンドロイドもまた、女性的なフォルムを与えられ、人々の目をまた楽しませた。

 生殖能力のない、その花粉が人体に有害であると判明する時まで──。



 その場所の名は『TOY'S GARDEN』。

 緑と科学と── 地球をテーマにしたアトラクションパーク。人工的に作り出されたバイオスフェア。

 トワイライト・ムーンが月の特殊な土壌でしか生育しないが故に、打ち捨てられた機械と緑の楽園……。


+ + +


 パチン。カチン。


 そして今日も、彼女はトワイライト・ムーンを手入れする。

 『前任者』が記録を残さずに『廃棄処分』になってしまった為に、一体何処まで作業が終わっているのかわからない。けれど、それは彼女にとっては些細な問題でしかなかった。

 ウエザープログラムに狂いが認められたのだ。おそらく、不慮の事故が起こり(例えば予測不可能な集中豪雨に見舞われてしまった、とか)システムダウンでもしてしまったのだろう。

 …もしくは、植物の世話が出来ない程の損傷を受けたのだとか。


 カチャ、パチン。


 規則正しく落とされるトワイライト・ムーンの小枝。残した枝には、幾分膨らんだ花芽が見受けられた。

 やがてそれは大きく育ち、そう遠くない日に花を咲かせるだろう。

 くちなしに似た甘い芳香、薔薇に似た八重の花弁。きっと、美しく咲く。そして、それはきっと『お客様』を満足させるに違いない。

 彼女の人と異なる瞳がうっとりと細まる。

 花さえ、咲けば。

 きっと『お客様』はやって来てくれる。この、花さえ咲けば── そうして自分は初めて『いらっしゃいませ』と言う事が出来るはずだ。


 パチン。


 無人の世界に音が響く。

 永遠に来ない『お客様』を待って、今日も彼女は働き続ける──。

こちらも10年ほど前の古い作品になります。

友人のHPの1000hit祝いに書いたものなのですが…お祝いなのになんでしょう、この暗さは(汗)

当時、わたしはFTよりSF系の作品をよく読んでいた為、そうした影響がこの作品に限らず、『光の子』などいくつかの作品に影響しています。

綺麗だけど儚い、静かだけど危うい── そんな物語を目指していましたが、いかがだったでしょうか?

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― 新着の感想 ―
[一言] どうもはじめまして、武倉と言います。 とても、心暖まるお話を堪能させていただきました。 彼女は破棄というオーダーを拒んでるわけですが、それは紛れも無く機械に宿った「意思」なのでしょう。 …
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