手習い騒動
女王になったアデルが、手習いをしようとしているようです。
「手習いを始めたい……?」
エテルティ城・女王の私室での夜。
キングサイズのベッドでイザークと二人、横になりながらうっかり漏らした一言に、アデルは頬を赤く染めてそっぽを向いた。
「女王になって、何かやりたいことはないのか」と聞かれたから答えたら、これだ。
言うんじゃなかったと後悔するアデルの体を、イザークの両腕が優しく絡め取って引き寄せる。
目が見えないアデルの耳元で、イザークの声が穏やかに響いた。
「恥ずかしがらないで、私のアデル」
「しかし……文武両道なあなたが、この上何かを習いたいとは、意外です」
「必要に迫られて、必要な科目を詰め込んできただけに過ぎん。生きていくためにな 」
元々は武術も魔法も学問も、盲目と侮られ、命を狙われないための武器に過ぎなかった。
今は亡き大賢者マーリンと、大将軍ダリウスという最高の師を得たことで、研鑽の日々はとても楽しかったけれど。
けれど、それとは別の何かを始めてみたいと、アデルはイザークに打ち明けた。
だが、盲目の自分に何ができるだろう。
強化魔法に伴う肉体への負担と消耗を避けるため、強化魔法ありきでの手習いではいけない。
この時点で、刺繍や楽器は除外。
最後に残るのは……歌と剣舞、くらいか。
「歌と剣舞なら……なんとかなりそう、か…?」
「それは、ようございます。 ピアノ伴奏は私にさせていただけるんですよね?」
「お前がいると気が散るから、嫌だ」
「えっ」
剣舞は剣術繋がりで、習得に苦労はするまい。
女王になった今、最優先すべきは公務。
王女だった頃のように頻繁には、大将軍ダリウスに稽古をつけてもらいにくい。
剣の腕を鈍らせないためにも、うってつけの手習いだった。
歌はというと、楽譜を確認して覚えてしまえば、あとは自分の声次第。
楽器を演奏するよりは、負担が少ない。
(決まりだな……)
翌日。
アデルが剣舞の練習用として装飾重視の剣と、衣装を買いたいと言ったことは瞬く間にエテルティ城中に広まった。今日は休日であるせいか、あの女王様が……としみじみと呟く声がよく聞こえる。
話を聞きつけたニーナが目を輝かせ、何故か化粧道具一式を持ってアデルのもとにやって来た。
「聞きましたよ、アデル様! やっと、女の子らしい趣味に目覚められたようで、ニーナは嬉しいです!」
「お、おう……」
「歌にしろ剣舞にしろ、歌い手や舞い手が美しいに越したことはありません!美こそ力!」
「ニーナ……ちょっと、落ち着いてくれ……」
だが、千載一遇の機会に恵まれたニーナは止まらない。
その迫力たるや、百戦錬磨のアデルすら怯ませるほどだった。
何となく後ろに下がっていると、背中でイザークとぶつかった。
助けてくれ、というアデルからの視線を向けられた、その上で。
彼女の両肩を後ろから支えたイザークは、笑顔でこう言い放った。
「美こそ力、仰るとおりです」
「国一番の美姫をお願い致しますね、ニーナ殿」
イザークに逃げ場を塞がれたアデルは、ニーナが追加で呼び集めた侍女達に手を取られ、風呂場へと連行される。
侍女達に手を取られると、彼女達に怪我をさせることを恐れるアデルは、自分からは手を振りほどけない。
それをよく知っているニーナの、作戦勝ちだった。
まだ午前中にも関わらず、風呂場で磨かれる気配を察知したアデルは「こんな時間から風呂に行くのか!?」と声をあげたが、ニーナは「いいじゃないですか、たまの休みの日くらい」と取り合わない。
「あなたの事だから、剣舞の練習用の剣と衣装は個人資産から調達するんでしょう?」
「そ、そうだけど……!」
「ちょうどいいですから、お風呂の後にゆったりお茶菓子でもつまみながら、どんな衣装がいいか話しましょうよ。ね~、アデル様?」
「うっ……!」
「血税が絡まないなら、どれだけ贅沢しようとお構い無しですね」
「女王の手習いにふさわしいものを調達しましょうね」
にっこりと笑うニーナの前で、アデルは完全に無力だった。
「後で、お茶菓子をお持ちしますね」
などと言いながら、穏やかに手を振ってこちらを見送るイザークに「裏切り者」と呟くのが精一杯。
始める前から大騒ぎの、アデルの手習い騒動だった。