消えない炎
「……今日はこの宿に泊まるか…」
ヴィクターが夜のうちに小屋を出発してから、丸一日が経った。
初日は夜通し移動を続け、昼も少し休憩を挟みつつ移動を続けたおかげで、明日のキャサリンの命日を前に、王都まで三分の一くらいの所まで進んでいた。
やはり、懸念していた通り、魔力制限のブレスレットを付けたままでは、魔法を使っての長距離の移動は難しく、困難を感じていた。
ちなみに地属性が得意なヴィクターは、地面に潜るといった移動手段を使っていた。普通に歩くよりはいくらか早いのだが、ブレスレットのせいで距離が稼げないことがもどかしかった。
そして、日が沈みそうな頃、ちょうど辿り着いた町で宿を見つけた。
ヴィクターには、仕事をしていた時の給金はまだある。あまり無駄遣いはしたくはないが、今日はあまりにも疲労困憊だった為、野宿はやめて宿を借りることにした。
宿の中に入ると、一階は食事処になっていた。
ヴィクターは、ついでに食事も済ませよう、とカウンターにいた女性に声をかけて簡単に注文した。
ここまでの道中、彼は本当に簡単な保存食を数回に分けて少し食べただけだった。とても、お腹は空いていたが、注文した料理は少なくした。
食事のこととなると、ヴィクターの頭には、どうしてもセシルのことが浮かんでいた。
彼は、自らそれを選んだのにも拘らず、セシルに何も言わずに出てきたことを気にしていた。
──今日もまた食事を持ってきてくれたのだろうか…私がいなくてセシルならショックを受けるだろうな…昨日の昼間のことがあってのこれだ…怒っているだろうな…
そんなことを考えながら、食事を待つ間、店内をチラリと見渡す。店内はちょうど夕食時ということもあり賑わっている。
その時、ヴィクターの視界に、見慣れた燃えるような赤毛が映った。
その女性はヴィクターに背を向けて座っており、その特徴的な赤毛を後ろで一つにまとめている。
──…一瞬、セシルかと思ってしまった……ダメだ…彼女の側にいるべきではないと思いながら…彼女の面影を探してしまうなんて…
孤独な生活を送るヴィクターの中で、太陽のようなセシルの存在は、排除しきれない程大きなものとなっていた。
その後、ヴィクターは、その赤毛の女性の方を見ないようにしながら、出された食事を食べ終えると二階の部屋に上がった。
「……はぁ……」
部屋に入った途端、緊張が解け、強い疲労感がヴィクターを襲う。
そのままベッドへ倒れ込もう──とした時、部屋の扉がノックされた。
──…誰だ?こんな場所に知り合いはいないぞ…誰か部屋を間違えたのか?
ヴィクターは、かなり警戒をしながら振り返り、扉の向こうに声をかける。
「誰だ?部屋を間違えているんじゃないか?」
だが、扉の向こうから返事はなく、代わりに再びノックされた。
ヴィクターは、仕方がなく警戒しながらそっと扉を開けた。
「……セシル…?」
扉の前に立っていたのは、いつもは下ろしている赤毛を後ろで一つにまとめたセシルだった。
「…ヴィー…会いたかったわ。部屋に入れてくれる?」
そんな可愛いことを言いながらも、セシルからは断らせないという圧を、ヴィクターは感じていた。
「…な…何でお前がここにいるんだ?……どうやってここを知った?」
「…そんなことより、私にまた食事を頼んでおいて、何も言わずに出て行ったことについてはどう考えてるのかしら?」
セシルはそう言いながら、扉に手をかけて部屋に入り込もうとする。
一応、ヴィクターもそれに抵抗するように扉を押さえているが、セシルの力が思った以上に強く押され気味だった。その様子から、ヴィクターはセシルがかなり怒っているであろうことを察した。
「……それは……すまなかった………だが、ここは私の部屋だ…疲れているから、話はまた明日にでも改めないか?」
ヴィクターはそう言ったが、もちろんそれで引き下がるセシルではない。
「それは困るわ。私もこの部屋に泊めてもらうことになったの。一緒に仲良く、一つのベッドで寝ましょう?」
「………は?」
ヴィクターが、セシルの一言に一瞬気を取られているうちに、セシルは扉の隙間から部屋に入り込んだ。
そして、ヴィクターに抱きついている。
「……セシル…どういうつもりだ。」
「なんで?いいでしょ?いつもあなたの小屋で二人きりで過ごしてるわ。何も変わらないわよ。」
「いや、変わるだろう………それに、この部屋は一人用の部屋だ。一緒に寝るなど…」
ヴィクターはそう言ったが、セシルはなんてことはないと笑って口を開いた。
「大丈夫よ。私が宿屋のご主人にお願いして二人部屋にしてもらったから。」
またしても、セシルの衝撃的な発言に、ヴィクターは後ろにあるベッドを振り返った。
確かに、一人用のベッドにしては大きいサイズだ。
「………」
「ね、このベッドならヴィーと私が二人で寝られるわ。それに、私ヴィーが疲れてると思って、マッサージもするつもりなの!結構母さんたちに腕前褒められるのよ。任せて!」
何が任せてなのかさっぱり分からず、ヴィクターは引っ付くセシルの身体を引き剥がした。
そして、セシルの顔を覗き込んだ。
「…セシル…男女が同じ部屋に泊まること、同じベッドに寝るという意味が分かってるのか?」
そう言われて、セシルは顔を赤らめた。
「…そんなの…さすがに私も18なのよ。分かってるわ…」
その意味を頭に浮かべて、頬を染めてもじもじとしているセシルの姿は、とても可愛らしい。
だが、ヴィクターは心を鬼にして、話を続けた。
「…君は年頃の未婚の娘なんだぞ?未来の恋人や結婚相手に、私なんかと一夜を過ごしたと知られたらどうなる?」
「…え…そういうこと?どちらもあなただけど?……でも、もし誰かに知られたら……ちょっとだけ、恥ずかしいわ…」
「………」
ヴィクターが言っている意味が分かってるのか、分かっていないのか、わざと惚けているのか、セシルは顔を赤らめたまま、変わらずもじもじしている。
ヴィクターは、ため息をついて続けた。
「…はぁ……そうではなく。君の名に傷がつくと言ってるんだ。」
「………」
ヴィクターがそう言った瞬間、セシルは傷ついたように顔を歪めた。その顔は、今すぐにでも泣き出しそうに見える。
「…傷って何……何であなたと一夜を共にしたら傷がつくの…私…もう18歳だし…成人もしてるし……ちゃんと心の準備もしてきてるから大丈夫よ?……あ…もし、ヴィーが"無理強いする"ようなプレイがしたいなら、私も協力するわ………………あれ…でもそれって…無理強いじゃないかしら…」
セシルがいつものことながら、色々突っ走って訳の分からないことを言い始めたので、ヴィクターは困ったように眉を下げて、セシルの頭を優しく撫でた。
「…セシル……自分のことをもっと大事にしろ…もう一度、宿屋の主人にお願いして部屋を変えてもらうから…」
そう言ってヴィクターは、部屋を出るべくセシルから離れた。
だが頑固なセシルは、そんなことでは引き下がらなかった。
「嫌!」
部屋を出て行こうとするヴィクターの背中に、セシルが再び抱きついている。
「………明日話をしようって言ったって…そんなの信じられない……どうせヴィーはまた私のことを置いていくのよ…」
「………」
「……ご飯だって…またちゃんと食べてないんでしょう?…さっきのお料理だって…あんなの少なすぎるわ…」
「………」
やはり、先程ヴィクターが一階の食事処で見かけたのはセシルだったのだ。セシルはヴィクターが見ていないタイミングを見計らってこっそりと彼の食事内容を確認していた。
セシルは、ヴィクターが何も言わないのをいいことに、話を続ける。
「…独りになろうとしないでって言ったわ……ヴィーに独りになって欲しくないけど…」
セシルのヴィクターを抱きしめる腕の力がさらに強くなる。
「…私のことも独りにしないで……一緒に生きてよ…」
「………………」
──あぁ……セシルはなんでこんなに優しいんだ……
ヴィクターは、背を向けていたセシルの方を振り帰って抱きしめ返した。セシルは泣いていた。
「…ふふ…ヴィーが抱きしめ返してくれたわ…」
「……あぁ…セシル…」
──何でセシルはこんな私のことを………でも嬉しい…私は嬉しいと感じてしまっているんだ…
二人はそのまま、離れていた十数時間を埋めるように抱きしめあっていた。
そのうち、急に腕の中のセシルがふらついたので慌てて支えると、彼女はあろうことかよく眠っていた。
実はセシルは、エドモンドに連絡を受けた後、ヴィクターの先回りをしていたのだが、ヴィクターに会うまで心配で、昨夜は殆ど眠れなかった。
ようやくヴィクターに会えた安心感と彼の腕の中の心地良さに、セシルは寝てしまったのだ。
「…これでは追い出せないな…」
困ったように眉を下げながらヴィクターは小さく笑うと、セシルを抱き上げてベッドに寝かせた。
ヴィクターもその隣に横になって暫くセシルの寝顔を見つめていたが、元々疲労困憊だったこともあり、気がつけば彼も、セシルの隣で穏やかな眠りについていた。




