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燃えるような赤と白旗


「…ん……れ……」


 セシルが目覚めたのは、いつもと違う部屋だ。

 それはここ最近、彼女が毎日通っているエヴァーグレースにある小屋だった。


 まだ少し重たい瞼を持ち上げれば、こちらに背を向けて椅子に腰掛けるヴィクターの姿が見えた。

 その後ろ姿には、セシルが初めて見た彼に感じた覇気は一切感じない。とても寂しい背中だ。

 それを見ていると、セシルの胸は強く締め付けられた。



──私…いつの間にか寝てしまったのね…


 セシルは、自分がお酒に弱いことは自覚している。

 それでも、今日はヴィクターが少しでも楽しんでくれればいい、と思ってベリー酒をこっそり持ってきたのだ。

 ヴィクターは一人でいると殆ど食事を取らないし、セシルが何を持ってきても、不味いとも美味しいとも言わない。

 だが、まだお酒は試したことがなかったと思いついて持ってきたのだ。

 結果は、残念ながら、セシルが醜態を晒しただけであまり効果はなかったようだ。



──さっきの彼、ビックリしたけどカッコよかったなぁ…私ったら被虐趣味があるのかしら…!


 セシルは酔っ払ってはいたが、先程のヴィクターの膝に乗ったり、テーブルの上に押し倒されたこともきちんと記憶している。

 もちろん、彼の行動に驚きはしたのだが、彼は「嫌だと言っても、こういうことを無理強いするような男だぞ。」と怖がらせるようなことを言いながらも、セシルをテーブルに乗せる際に頭をぶつけないよう配慮があったし、セシルの脚を撫でる手は震えていた。

 それに、こうして寝てしまったセシルに、自分用のベッドを貸し、それだけでなく、わざわざそこまで運んでくれるのだ。


──彼は、あんなことを言って…優しいところがちゃんとあるのよ…ちょっと分かりにくいだけ…それに気づいてくれる人が今までいなかっただけ………………私、イビキとかかいてなかったわよね?






「…ヴィー?」

「………ようやく起きたのか。」


 セシルが、椅子に座るヴィクターの後ろから抱きつく。

 彼は、絶対にその気配に気がついているのに、あえて何も言わずにセシルの好きなようにさせている。


「…うん、ごめんなさい。まさか自分でも寝ちゃうとは思わなくて………あの後、私たちの間に…何もなかったわよね?」

「………………」



 "あの後"と言うのは、ヴィクターがセシルをテーブルに押し倒して「こう言うことを無理強いする男だぞ。」と言った出来事の後のことだ。

 気がつけばその後、セシルは寝てしまったようなので、その辺りは記憶が曖昧だ。


 セシルの問いかけに、ヴィクターが何かを案に示すように、頭を軽く動かして黙っている。


「………え?まさか私の記憶なくしてるだけで、本当に何かあったの?」

「………はぁ…」


 ヴィクターがため息をついた後、セシルの方を振り返った。


「…記憶がないのか?あの楽しい時間を?残念だな…」

「………え……えぇ…本当に!?」


 セシルは、わざと冗談を言って絡んだのだが、ヴィクターの返答に、顔を赤らめながらそんな記憶がないことを悔やんでいた。

 だが、ヴィクターは、そんなセシルを見てニヤリと笑うと額を小突いた。


「…冗談だ。セシルは本当に馬鹿だな。」

「………………」


 セシルはヴィクターの珍しい笑顔に真っ赤になりながら、レッドブラウンの瞳をきらきらさせて見つめていた。

 だがヴィクターは、すぐに居心地が悪そうにして、その視線から顔を逸らした。

 そんな彼の行動に、セシルは少し寂しくなり、彼女も視線を別の所に向けた。


 そして、テーブルの上が片付けられ、セシルが持ってきたカゴの中にものが整頓されているのに気がついた。


「………あれ……食事片付けてくれたのね。きちんと食べれた?今日のメニューはお口に合ったかしら?」

「…あぁ…美味かった…酒は久しぶりに飲んだな…」

「……………え……今……美味しかったって……初めてだよね!…ヴィーが好きなら、毎日でもお酒持ってきちゃう!」


 それは、ヴィクターが初めて、セシルの持ってきたものに対して"美味しい"と言った瞬間だった。


──わぁ…試してみて良かった!…嬉しい!……彼が喜んでくれたら嬉しいわ!


 たったその一言で、セシルは舞い上がっている。

 だが、ヴィクターが何かを堪えるように息を吸った後に発した一言で、セシルは、一瞬でどん底に突き落とされたような気分になった。


「いや、明日からはもう来なくていい。もうここには二度と来るな。迷惑なんだ。」

「………………」


──………………え………?………今、彼なんて言った?……今、美味しいって言ってくれたよね?…なんで?…美味しかったらもっと食べたいなって…なるよね?………私の聞き間違え?


 ヴィクターは、何も言わないセシルの方を見ずに話を続けた。


「今までも、何度も必要ないと言ったはずだ。ずっと我慢していたが、今日酔っている君のことを見て、心底嫌気が差した。もう二度と来ないでくれ。もし、エドモンドたちが何かを言っても聞く必要はない。私からも話しておこう。」


 セシルは、何て言ったらいいのか分からず、ヴィクターの後ろに立ち尽くしていた。


「………………」


──…違う…違う……きっとこんなの彼の本心じゃない………だけど、本当に?………私そんなに酷かった?………確かに…自分でも、ちょっと強引かなって思うところはあったけど…ヴィーは、そんなに私のことが嫌いだったの?


 セシルの目から溢れ出した涙が、床の木板に何個もシミを作る。

 ヴィクターは、背後からセシルが泣いてる気配を感じながらも、気持ちを押し殺して黙っていた。


 小さな小屋の中に、暫しの沈黙が訪れる──だが、その沈黙を破ったのはセシルだ。


 彼女は涙を拭うと、自身の方に背を向けて椅子に座るヴィクターの前に回り込んだ。そして、彼に抱きつく。

 ヴィクターがセシルの濡れた頬を見て、苦しそうに眉間にしわを寄せる。


「………嫌………嫌よ!そうやって私まで突き放して、独りになろうとしてるんでしょ?そんなことさせない!明日も明後日もその先も、ずっとずっと来てやるわ!」


 セシルは顔を上げると、ヴィクターのことを真っ直ぐに見つめる。彼女のレッドブラウンの瞳が、強い意思を宿し、燃えるように煌めいていた。


「私が年頃の娘だから遠慮してるって言うのなら、そんなの必要ないわ!もう既に、ラヴェル家の娘が、今度は悪い男に入れ込んでるって町中の噂よ!こんな私に求婚する人はおろか、デートに誘う人もいないわ!」


 そこまで一息に言い合えると、セシルは何かを決心するように深呼吸した。


「…もう遅いのよ!責任を取りなさい!」


 そう言って、ヴィクターの頬を両手で包んで、その唇にキスをした。


「………!?」


 さすがのヴィクターもその予想外の行動に驚いて、何も対処ができなかった。

 だが、すぐに気を取り直してセシルの肩を掴むと引き剥がした。


「……セシル…お前は本当に……何を考えてるんだ!?」


 本当に何をするか読めない女だと思いながら、こんな風に人にぶつかられるのが初めてのヴィクターの胸には、わずかに安堵と喜びが生まれていた。


 セシルは引き剥がしたヴィクターの意思に従うように距離をとり、彼の目の前に立った。


「…ヴィーもそんな驚いた顔するのね……ふっ………これを見たらもっと動揺してくれるかしら?」


 彼女はそう言いながら、まだ強い意思を灯した目で薄く笑う。

 いつもの"明るく天真爛漫"と言った感じのセシルとは違った雰囲気に、珍しくヴィクターの背筋にぞくりとしたものが走る。


 セシルの手がゆっくりと、その胸元に伸びてゆく。まるで、その手に目が釘付けになったかのように、ヴィクターは彼女の一つ一つの動きを凝視していた。


「……私、悪い男に汚されちゃったの………だから、ヴィーは責任取るしかないのよ?」


 そう言いながらセシルは、自身が着ているワンピースのボタンを胸元から外していく。


 ヴィクターは、いつもは見えることのない部分のセシルの肌が目に入り、慌てて視線を逸らした。


「………ま…待て待て!………………分かった……分かったから………それ以上服を脱ぐのはやめてくれ!」


 そう言われて、セシルはピタッとその手を止めた。


「………何が分かったの?…」


 ヴィクターが逸らした顔に、顔を近づけてセシルが問う。

 彼は、呼吸を整えるように一拍置いた後、答えた。


「……分かった。明日からも食事を頼むよ。」



 それは、ヴィクターが前世も含め、初めて完全な白旗を上げた瞬間だった。



「………いいの!?…ヴィー!明日もお酒持ってきちゃうわね!」


 そう言ってセシルが、はだけた服のままヴィクターに抱きつく。


「…セシル…せめて前は閉めてくれ。それと、食事を持ってくるのを許可しただけだ。結婚の責任は取らないし、今のキスもなかったことにする。」

「…えー…ついでにそれも認めてくれたらいいのに。」


 セシルは、ヴィクターに服のことを指摘され、素直にボタンをとめながら口を尖らせている。


「……さっきの…町の噂になってるって言うのは…」

「………へ?…あぁ…それは嘘よ!」


 そう言って、可愛らしくにっこりと笑った。


 ヴィクターは、恐ろしい者に目をつけられてしまった、と前世も含め、初めて人に対して恐怖を感じていた。


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