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陽だまり


「ヴィー…私はどこにも行かないわ…」


 狭い小屋の中。

 この小屋に一つしかないベッドの端に腰かけ、うずくまり震えているヴィクターを、セシルは後ろから優しく抱きしめた。

 彼女の服は、先ほど乱されたままではだけているし、彼女の首元には、先程ヴィクターがつけた痛々しい跡が残っている。

 だが、セシルには自分のことよりも、今は目の前で震えるヴィクターのことが優先だった。



──ヴィーは、ジュリアン先生と私が一緒にいるところを見かけて、不安になっちゃったのね…


 セシルは優しく、震えるヴィクターをなだめるように彼の身体を撫でる。


 そんなセシルの優しさに堪えきれず、ヴィクターの目から涙が零れた。


──…セシル……セシルは何でこんなに優しいんだ……たった今自分が怖い目に遭わされたというのに…


 すると、ヴィクターの後ろから、セシルが彼を包み込むような優しい声で言った。


「大丈夫よ…私はここにいる…ヴィーはどうしたら安心できる?………ヴィーが安心できるのなら、本当にこの身を捧げてもいいわ……私にはヴィーしかいないもの…こんなことをしたいと思うのもヴィーだけ…」

「………………」


 ヴィクターは、自身に回されているセシルの腕をそっと剥がすと、彼女に向き合った。


「……それは嫌だ…」

「………」

「…こんな理由でセシルの初めてをもらうなんて嫌だ…」


 泣きながらそんなことを言うヴィクターを見て、セシルは顔をくしゃっとして笑った。


「…本当にヴィーって真面目ね…」


 そう言ってセシルは、ヴィクターの頬に優しくキスをした。


「…ヴィーは何が不安なの?…私はヴィーのこと何でも受け止める覚悟ができてるわ。今のあなたの心の中にあるのは何?聞かせて?」

「………」


 ヴィクターが迷うように視線を揺らす。

 だが、セシルはそんな彼もお見通しとばかりに続けた。


「私は、もうあなたが私の妹を前世で殺したってことも、知ってて受け入れてるのよ?それ以上にまずいことある?」


 ヴィクターは、ビックリしたように目を見開いた後、静かに笑った。


「……そうだな…今更セシルに何を隠したところで…何ににもならないな…」



 そうして、覚悟を決めたヴィクターが、自身の中にある気持ちを語り始めた。

 前世でセシルに似た赤毛の少女に想いを寄せていたこと、それをエドモンドの前世であるアレクサンダーに奪われたこと、セシルとジュリアンが二人に重なって見えたこと、そこから、セシルまでもが自分の前から去って行ってしまうのではないか、という不安にかられたことなどだ。


 セシルは、ヴィクターが語り終わるまで、全てを黙って聞いていた。


「…そうなのね…まさか、ヴィーにそんな前世があるなんて…」

「………」

「…分かったわ…」


 そうして、改めて向き合ったセシルは不機嫌そうに眉を寄せた。


「まず…私をその思わせぶりな女と一緒にしないで欲しいわ!」

「………」

「その女なんなのよ。絶対ヴィーに特別な感情を抱いてたのに、ちょっとカッコイイからってそんな軽薄そうな男になびくなんて。」

「………」

「私のヴィーをそんな風に傷つけるなんて許さないわ!」

「………」

「…あ…でも…ヴィーの心をその女にとられなくて良かったかも…だって、クラリスやロザリーみたいに、前世の運命とかいって、ヴィーをとられたらたまったもんじゃないわ!」

「………」

「ヴィー?聞いてるの?」


 セシルの怒りはヴィクターに対してではなく、彼を傷つけたアニカに対してだった。

 予想外の反応にぽかんとしているヴィクターの顔を、セシルが覗き込む。


「あ…あぁ……本当に……セシルが考えることは読めないな…」


 ヴィクターが眉を下げて笑った。


「…さすがはセシルというか……本当に……君の前では、どんな罪も、トラウマも、すごくちっぽけなことなのかもしれない、と思えてくるな…」


 ヴィクターの発言に、セシルはたちまち慌て始めた。


「…え…え!…私、別にヴィーが心配して落ち込んでること、バカにしてるわけじゃないのよ!?」


 そんなセシルに、彼は吹き出した。


「…ふっ……セシル…ちゃんと分かっている…」

「…本当に?」

「あぁ…私はこんなに懐の大きい聖女に見つけてもらえて…本当に幸せ者だ…」

「…ヴィー…」


 二人は見つめ合い、どちらともなく顔を近づけてキスを交わした。それはすぐに自然と深いもの変わり、しばらくして離れた時には二人とも息が上がっていた。

 互いを見つめる目には、隠しきれない熱が籠っていた。


「…はぁ…ヴィー……本当にこのまましちゃう?」


 そんなセシルの甘い誘惑に、ヴィクターの心がぐらぐらと揺れる。


「………ダメだ…まだ……仕事の目処が立ってない…」

「………ヴィー……?…そんなこと言いながら……どこ触ってるの?」

「…え?」


 ヴィクターは、セシルに指摘されて、初めて無意識に彼女の身体を触っていたことに気がついた。


──セシルの肌が…触り心地が良すぎるのが悪い………あ…これは…


 そして同時に、健康的なセシルの肌につけられた噛み跡に気がついた。先程ヴィクターが暴走した際につけてしまったものだ。


「…あぁ…ごめん…痛かったな…」

「…大丈夫よ…ヴィーがつけたものなら、全部嬉しいの…」


 セシルはそう言って笑うが、ヴィクターはその跡に優しくキスをすると、そこから魔力を送り込んだ。じんわりとした温かく心地よい感覚に、セシルは酔いしれる。


──…これだわ…いつものヴィーの魔力…大好き…


 しばらくして、ヴィクターが離れた。


「…ヴィー…もっと…」


 もっと、と強請る可愛らしいセシルの誘う。

 ヴィクターは、その誘いに再び乗ってしまいそうになりながら、なんとか踏みとどまって言った。


「…ほら、これで治った…」

「…え?」


 ヴィクターにそう言われて、セシルは先程噛まれた所を撫でる。確かに痛みは消え、跡のようなものは綺麗になくなっていた。


「…すごい…ヴィー…」

「…治療魔法だ…私は簡単なものしか使えないが…」

「ヴィーって本当に、何でもできちゃうのね!カッコイイ!天才!」


 そう言ってセシルは思い切りヴィクターに抱きついた。

 そしてヴィクターは、セシルの肌が際どい所まで見えていることに気がついた。


「…セシル?……その…自分で脱がさせておいてなんだが……服をきちんと着てくれないか?」

「……あはっ…そうだったわね……別に…もっと見てくれてもいのに…」


 セシルが、上目遣いでヴィクターを見上げる。

 彼は、目線を合わせないようにしながら両手を上げた。


「………ダメだ………工房が出来たから、仕事を始められる日も近い…だからもう少し待ってくれ…」

「…え…完成したの!?何で来る時教えてくれないの!?見たいわ!」

「じゃあ、今日の帰りに見に行くか?」


 ヴィクターがセシルの頭を優しく撫でる。


「うん、一緒に見に行きたいわ。」

「……じゃあ、とりあえずセシルが持って来てくれた食事を一緒に摂ろう。」


 ヴィクターがベッドから立ち上がった。

 セシルも自身の服を整えると、得意の火の魔法で食べ物を温め直し始めた。


 ヴィクターも、テーブルのセットを手伝いながらタイミングを見て、セシルに袋を渡した。


「……え?これ何?」


 小さいが重そうな袋だ。


「ずっと気になってたんだ。毎日食事を運んでくれるが、その食費はセシルが出してくれていただろう。馬鹿にならないと思って。これは、昨日町に行った時に用意してきた。受け取って欲しい。」

「え…」


 重そうな袋の中身は、大量のお金だった。


「こ…こんなに受け取れないわ!それに、これは私がしたくてしてることだもの!」

「それでもだ。男として、セシルに甘えっぱなしなのは恥ずかしい。今までの分と、これから先の一ヶ月分くらいだ。もし足りなければ言ってくれ。」


 ヴィクターは、断固として譲る気はないらしい。セシルの手に袋を握らせている。


「でも…ヴィーは、今仕事にしてないし…」

「…セシルは私の前職を忘れたのか?」


 ヴィクターの前職──それは王の顧問だ。


「そこそこのいい稼ぎはあって、貯蓄は結構あるんだ。私を情けない男にさせないでくれ。」

「………ヴィー………正直、助かるわ。ありがとう。でもさすがに多過ぎるから、半分貰っておくわね。」

「セシル。」


 ヴィクターは咎めようとするが、セシルは首を振って笑った。


「だって、私こうして楽しい時間を過ごさせてもらってるんだもの。その分お金をもらったら罰が当たるわ。」

「………セシル…」


 ヴィクターが、言葉の続きを遮るようにヴィクターに抱きついた。


「いいの…ヴィーの気持ちはちゃんと伝わったわ…」


 その声音は、まるで子どもを宥めるような優しさを含んでいた。


 しばしの沈黙のあと、セシルが顔を上げて微笑む。


「……ほんと、ヴィーって優しくて真面目で、かっこよくて……間違いなく私の王子様だわ!」


 それを聞いたヴィクターは複雑そうな顔をしている。


「……私はその真逆にいると思うが…」

「え〜どこが?……でも、いいのよ!ヴィーがカッコイイことは私だけが知ってればいいの!私の独り占めよ!」


 二人は目を合わせて、ほんの少し照れくさそうに笑い合う。


 いつの間にか小屋の空気は、張りつめていたものがすっかりほどけて、陽だまりのような温もりに包まれていた。


 ヴィクターは、そっとセシルの頬に触れる。


「……ありがとう、セシル。本当にいつも君の存在には救われているよ。」

「……ふふ…私も、ヴィーと一緒にいられて幸せよ。」


 その言葉に、ヴィクターの心の底にあった黒く重たいものが、音もなく溶けていく。


 もう、過去に縛られなくていい。

 彼女はすでに、そのすべてを受け入れてくれているのだから。


 今はただ、この小さな小屋で心を寄せ合って生きていくこと。

 それだけで、十分だ──。


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