彼のトラウマ
──セシルは父親が教師として勤める学校で、手伝いをしてると言っていたな…少し覗いてみようか…
町に来たヴィクターは、ついでと思い、学校に行ってみることにした。もし、ここでセシルに会えなくても、また後で会える──そんな軽い気持ちでふらりと立ち寄った。
ヴィクターは、遠目の木の陰から学校の方を観察する。
すると、すぐにセシルの姿を見つけた。
──セシルの赤い髪は目立つ…ふ…彼女は仕事も全力なんだろうな…
セシルの姿を確認できて満足したヴィクターは、その場を立ち去ろうとした。
だが、セシルに寄って来た金髪の長身の男が視界の端に入り、立ち止まった。
男が微笑みながらセシルに話しかける。セシルもそれに楽しそうに笑いながら返している。
セシルのその笑顔に、ヴィクターの中にどろどろとした重たく黒いものが湧きあがる。
──職場に他に男がいるのは分かってる……だが、そんな笑顔を向けなくてもいいのではないか?
そんなことを思っていると、男がセシルにどんどん詰め寄って行く。
その会話の内容は、ヴィクターの所からでは分からないが、親密な者同士がするような距離に、彼の心は嫌な音を立て始めた。
その二人の姿には、かつてヴィクターが見た嫌な思い出を甦らせた。
それは、ヴィクターの前世、カインだった時のことだ。
彼は、代々王の近くに仕えるグリーヴス家の長男として生まれ、幼い時からたくさんの期待を背負い、周りのものからの彼に対する羨望のような眼差しや態度もあり、自身は特別で選ばれし者だと信じてやまなかった。
だが、彼が学校の初等部に通い始めてから、それは変わり始めた。
カインの一つ下の学年に『神の使者の守護者』に選ばれたアレクサンダーがいた。
アレクサンダーは、選ばれし者なだけでなく、魔法の技術や、成績にも秀でていた。
それにも拘らず、彼の性格は、それを鼻にかけるようなところがなく、人当たりが良いので、彼の周りには男女関係なくいつも人が集まっていた。
”本当の選ばれし者”──カインには、アレクサンダーの存在が鼻について仕方がなかった。
だが、二人には特に接点もなく、直接ぶつかり合うようなこともなかった。
それが壊れたのは、一人の少女が絡んだ、ある出来事がきっかけだ。
──彼女は、火の魔法を使うことが得意だった………セシルのように。
カインは、いつも人から隠れるように、人の出入りが殆どない書庫に一人入り浸っていた。
そこに現れたのが、赤毛が印象的なアニカだった。
彼女は、カインが相手をしなくても勝手に通い詰めて来た。
そしてある日、彼女は言った。
「あなたってとても努力家よね。あなたが誰よりも努力してるの、私知ってるわ。」
その言葉に、カインは生まれて初めて、本当の自分を見てもらえたような気がして、心を動かされた。
それからも、アニカは書庫に通い続け、二人の距離は少しずつ近づいていった。
ヴィクターが読む少し難しい本をアニカも一緒になって読んだり、本に書かれた難しい魔法を試してみたり、アニカが持って来たお菓子を一緒にこっそりと隠れて食べたりした。
想いをハッキリと口にしたことはなかったが、二人は同じ気持ちだ──そう思っていた。
だが、カインはある日、アニカがアレクサンダーに告白をするところを見てしまった。
アレクサンダーは、その人当たりの良い性格と美しい造形で、アプローチする女子は後を絶たなかった。しかも彼は、それを断ることなく受け入れているような奴だった。
それはもちろん、アニカに対してもそうだった。
アニカとアレクサンダーが消えてゆく後ろ姿を眺めながら、カインの心には黒々とした感情が芽生えていた。
毎日書庫を訪れていたアニカは、その日から3日間顔を出さなかった。
そうして、4日目に彼女が書庫に来た際、カインは怒りをあらわにして追い払った。
それ以来、彼女とは口を聞いていない。
カインはアニカに酷く裏切られた気分だったし、元々気に入らなかったアレクサンダーに対しても、憎しみが湧いていた。
そのアニカとアレクサンダーの姿が、セシルと金髪の男に重なった。
金髪の男はアレクサンダーよりは一見誠実そうで、アレクサンダーと同じようにとても人当たりの良さそうに見える。
──セシルも…あいつを選ぶのか…?
ヴィクターの中にどろどろとした黒いものが湧き上がって止まらない。彼は胸が苦しくて、無意識に着ているローブの胸元をくしゃりと握った。
金髪の男と一緒にいるセシルが、何かを感じたのかこちらを見た──一瞬、目が合った気がする。
だが、男はセシルの顎に手を添えて、自身の方を無理矢理向かせた。
──…!……触るな!…セシルに触れていいのは私だけだ!
ヴィクターはハッとして、そこで我に返る。
──…セシルは、こんな私を見たら今度こそ幻滅するはずだ…
そこに、ヴィクターの前世の記憶が、彼の不安を煽った。
──…セシルは、かつての彼女のように、もう小屋に来ないかもしれない…
そう思うと、どうしようもなくこみ上げる怒りと共に、この世界に一人取り残されたかのような絶望感が彼を襲った。
──でも…もし…セシルが今日も来てくれるのなら…
ヴィクターの中で、今まで自制していた、彼女に対する独占欲がじわじわと溢れ出す。
──彼女の全てを奪ってしまえばいい…
ヴィクターは、当初寄ろうと思っていた店に立ち寄らず、森に帰り、いつもの時間に森の入り口でセシルが現れるのを待つ。
気がつけば、セシルと過ごすようになってから殆ど触ることのなくなっていた母からもらった懐中時計を、スラックスのポケットの中で撫でる。
セシルが現れるまでのその短い時間は、ヴィクターにとって永遠のようだった。
そして、ようやく姿を現したセシルを見て、彼はほの暗いものを抱えながらニヤリと笑った。
──…セシル……君がずっと欲しがってた私を全て君にやろう………
だから……セシルも私に全てを捧げるんだ…
そんなヴィクターの内情を何も知らないセシルは、いつもと変わらずヴィクターに抱きついた。
──何も知らずに…無邪気なものだな……今全て私のものにしてやるからな…
彼は自身から湧き上がる黒いものを押し殺し、セシルの腰に手を回すと、可愛らしくヴィクターの胸に鼻を擦り付け匂いを嗅いでいる彼女を見下ろして、静かに微笑んだ。
「…私もセシルに会いたかった…」




