暴走
「…ヴィー!」
エヴァーグレースの森の入り口でセシルとヴィクターが顔を合わせる。1ヶ月前から、新たに当たり前になった二人のルーティンだ。
セシルがヴィクターの胸に飛び込んだ。その香りを嗅いでいると、ヴィクターがセシルの腰にグッと手を回した。
「…私もセシルに会いたかった…」
いつもはあまり言わないヴィクターの一言に、セシルの頬が緩み笑顔が溢れる。
すると、ヴィクターはいつものように地属性の魔法でスルスルと森の奥へと進み出した。それもいつもよりもスピードが早い気がして、セシルはヴィクターを見上げる。ヴィクターはセシルを見下ろして柔らかく微笑んだ。
だが、その微笑みには、どこか仄暗いものを感じてセシルは首を傾げる。
そうこうするうちに、二人は小屋に辿り着いた。
「…わ、早いね…新記録じゃないかしら?」
そんなことをセシルが言ったかと思うと、ヴィクターは何も言わずに突然、片手でセシルを抱え上げた。
セシルは慌ててヴィクターの肩に掴まった。ヴィクターはそのまま、魔力の圧で扉を開き小屋に入り込む。
「ど…どうしたの?ヴィー…自分で歩けるわ…」
セシルは、ヴィクターの顔を見ようとするが表情がよく見えない。
小屋のドアがバタンと音を立てて閉まった。何故かその音に、セシルの背にぞくりとしたものが走った。
しかも、小屋に入ったてもセシルを下ろす気配のないヴィクターに、セシルは更に不安を煽られる。
「ヴィー…?降ろさないの?一体どうしたのよ。」
「………」
ヴィクターからは返事がない。
そのままヴィクターは、ズカズカと小屋の奥に進み、セシルをベッドの上に降ろした。
二人の間にまだ身体の関係はない。
ヴィクターは自分の手に職をつけることが先だと硬い意志があるので、普段は迫るセシルをヴィクターが理性を働かせてあしらうことが多い。
そんなヴィクターが一直線に、セシルをベッドに連れて行く──そこでようやく、彼女はヴィクターの様子がどこかおかしいことに気がついた。
「ヴィー…?」
セシルは身体を起こし、ヴィクターの顔を覗く。ようやく確認できた彼の琥珀と深緑の目の奥には、何か不穏な黒いものが覗いていた。
ヴィクターが無言でセシルの上に覆い被さる。そして指をセシルの顎から首、胸元へと滑らせ、そのボタンを一つ外した。
突然のことにセシルも驚きが隠せない。
──………ヴィー…いつもなら私が自分でボタンを外すことも咎めるのに……
「…ヴィー?急にどうしたの?…ようやく私と結ばれる気になったの?」
セシルが少し期待を込めて、ヴィクターの指先を追っていた視線を上げて彼のことを見上げる。
すると、ヴィクターはセシルを見てニヤリと笑った。
「…あぁ…そうなんだ…」
「………」
ヴィクターが決心してくれたことが嬉しいはずなのに、セシルの中に先程からある違和感に、彼女は素直に喜べないでいる。
ヴィクターはそのまま続けた。
「…ところで……あの男は誰だ…?」
「………あの男?」
唐突な質問に、セシルはそのまま疑問を返す。
「…しらばくれるのか?お前が微笑みかけてたあの男だよ。」
そう言われて、セシルの中に今日ジュリアン先生に詰め寄られていたことを思い出す。
──…今日のジュリアン先生…いつもよりもかなり距離が近かったし……少し怖かった…
そんなことを考えているセシルの顔を見て、ヴィクターが続けた。
「…心当たりがあるような顔をしてるな…」
ヴィクターは、クラリスが赦しを与えてから、この森の外へ出ることは殆どない。そのことはセシルもよく知っていた。
──ヴィーは、私が料理を持って来てくれるから、わざわざ町に出る必要がないって言っていたわ。
そのことを考えると、セシルとジュリアン先生とのやりとりをヴィクターが見たとは、セシルには思えなかった。
「…な…何のことを言ってるのか分からないわ…」
セシルがそう答えると、ヴィクターの醸し出す空気がさらに重くなった。
彼からは、わずかに魔力が漏れ出ているように見える。
怒りなどの大きな感情が動くと、本人の自制が効かず、魔力が漏れ出ることがあるのだが、まさにそれだ。
「…ほう…知らないで突き通すつもりか?」
そう言って、ヴィクターはニヤリと笑った。
「…あぁ…セシルがその気なら、別にいいんだ…」
ヴィクターがそう言うと、小屋の中の温度が僅かに下がった気がする。
「…あんなやつに盗られるくらいなら、先にセシルを私のものにしてしまえばいいんだ…」
「………」
いつもの優しさを一切感じさせない、何かを決意したヴィクターの鋭い瞳に、セシルの心が警報を鳴らしている。
セシルが戸惑っているうちに、ヴィクターは次のボタンを外し始めた。服の隙間から微かに冷たい空気が入り込み、セシルは身を固める。
「…ヴィー…?盗られるって何?…私はもうヴィーのものだけど……なんか今日のヴィー怖いよ…」
「………怖い?セシルはずっとこうしたかったんだろう?…せっかくだから楽しもうじゃないか。」
そう言ってヴィクターは、セシルの身体に手を這わせていく。そして、セシルの口をその唇で塞いだ。
「…ん…んぅ……!」
セシルが恐怖からヴィクターの胸を叩くが、彼は止まらない。
ヴィクターと触れ合った口から、セシルの中に彼の魔力が流れ込んでいく。まるで、彼の魔力がセシルを侵食して行くようだ。
──…ヴィーの魔力は気持ちいいの……でも…違う……こんなヴィー…いつもと違う…
「…いっ…痛っ…」
やがて、ヴィクターに首のあたりに噛みつかれたセシルが、痛みに声を上げる。彼女の身体はいつからか震えていた。
「ヴィー…痛いよ…」
「………」
だが、ヴィクターはそれでも止まる気配がない。
──ヴィー……いつも優しいのに……あんなに私との初めてを大切にしたいって言ってくれてたのに……何で…?何でこうなっちゃうの?……私何かしちゃったの?
普段なら絶対に、セシルが嫌がることはしないヴィクターのセシルの気持ちを無視した一方的な行動に、ついに彼女の目から涙が溢れた。
「……うっ……うぅ…ヴィー……やだよぉ……ぐすっ…いつもヴィーは…優しすぎるくらい…優しいのっ……こんなの…ヴィーじゃないっ…」
「……っ」
セシルの言葉に、ヴィクターがハッとしたように目を見開いた。
その手を止めて、自虐的な笑みを浮かべる。
「……はっ…これがヴィーじゃない?………違う、これが本当の私だ………私は心に、こんな化け物を飼ってるんだ…」
ヴィクターはそう言ってセシルから距離を取ると、ベッドの端に腰掛けうずくまった。
セシルが身体を起こして彼のことを見る。
その背は震えていた。
セシルは、自身の震える身体をさすりながら、その背に向かって静かに問いかける。
「…ねぇ、ヴィー…もしかして……ジュリアン先生と私が一緒にいるところを見たの…?」
「………あいつはジュリアンと言うのか…」
その声は、さっきまでと打って変わって弱々しい。
そしてセシルは、ヴィクターがやはりジュリアン先生と一緒にいるところを目撃したのだと理解した。
「………ヴィー…何を勘違いしてるのか知らないけれど…私とジュリアン先生の間には何もないわ…」
セシルがそう言っても、ヴィクターは顔を上げる気配すらない。
「………………のか?…」
「………え?」
「………セシルもあいつの所に行くのか?…あいつを選ぶのか?…」
「………」
まるで、今までにも自分じゃない人を選ばれた経験があるようなヴィクターの言葉に、セシルは全て悟った。
──…あぁ……私…怖がってちゃダメだわ……本当に怯えてるのは彼の方なのよ…




