小さな歪み
二人の想いが通じ合ってから1ヶ月が経過した。
セシルは、相変わらず毎日小屋に通っていたが、変化もあった。
ヴィクターが、毎日セシルが来る時間に合わせて森の入り口まで迎えに行き、帰りも明るいうちに森の入り口までは送るようになっていた。
しかも、ヴィクターは得意の地属性の魔法で、森の中を高速移動できる魔法を身に着けていた。これは、地の魔法が得意なヴィクターには魔力量の消費が少なくて済むので、魔力制御のブレスレットがあっても問題なかった。
セシルとヴィクターの関係は恋人と言っても過言ではなかったが、ヴィクターからの提案で、二人が恋人であることはしばらく伏せることになった。
理由は、現在彼が無職であることだ。
だが仕事に関しては、幸いなことに、ヴィクターには前世のカインとしての記憶がある。
カイン時代、彼は魔法の高度な教育も受け、王に仕えるような立場に就いていた。よって、そこそこ生計を得るのに役立ちそうな知識がいくらかあった。
その中から、ヴィクターの得意な地の魔法を活かして、印宝飾師としてエヴァーグレースに工房を建てるのがいいのではないかと思いついた。
印宝飾師とは「地に宿る力と想いを石に籠める職人」だ。そしてそれを、アクセサリーなどにして身につける。
それには、精密な刻印の技術や、魔力の流れの調整が必要になる。前世での経験があるヴィクターには自信があった。
工房の場所は、エヴァーグレースの森の入り口辺りに決めた。
他の魔法が得意なヴィクターは、建築も出来た。
ただ、今は魔力制限があるので一気には進められないが、セシルの手伝いもあり、順調に進んでいた。
「…これで最後だ…」
工房の最後の仕上げをする。
──今日セシルが来て、完成してるのを知ったら驚くだろうな…
セシルの反応を想像して、ヴィクターの顔に笑みが零れる。
彼がこんなにも急いで仕事を始めようとする理由の一つは、堂々とセシルの恋人であることを周りに宣言する為だ。
だがもう一つの理由は、早くセシルと堂々と深いスキンシップをするという、ちょっと不純な動機だ。
そもそも、あれだけ分からせたと思っていたのに押しと意志の強いセシルによって、まだ最後まで身体を結んではいないものの、二人の関係はかなり際どい状態ではある。
──いつセシルの押しに負けて、進んでしまえばいいと思ったか分からない…
ヴィクターは、ここ最近あったセシルとのスキンシップを思い出して、身体に熱が込み上げてきそうになり頭を振った。
切り替えるように、スラックスのポケットから金の懐中時計を取り出して時刻を確認する。
早朝から作業をしていた為、セシルがいつも小屋を訪れる時間には、まだ時間があった。
──装飾用の器具に、ベースとなるちょうど良いものの扱いがないか、町に見に行ってみよう。
ヴィクターはそう考え、あの演説以来、初めて町に向かうことにした。
「セシルさん。」
「あぁ、ジュリアン先生。」
いつもの通り、セシルは父の手伝いで学校に来ていた。
そんな彼女に声をかけたのは、新任教師であるジュリアン・アルヴェールだ。
彼はハニーアッシュブロンドの髪をさらりとなびかせ、綺麗なスカイブルーの目を柔らかく細める。
「毎日早くから、本当に偉いですね。尊敬します。」
「それは…午後から用事があるので、早めに来て仕事を終わらせたいだけなんです…」
セシルが早くから仕事に出ているのは、他でもない、ヴィクターのところに行くためだ。実情を知れば、全く褒められたものではないと、こうしてジュリアンが褒める度、セシルはいたたまれなかった。
「でも…ジュリアン先生こそ早いじゃないですか。生徒想いなんですね。子供たちからも大人気ですものね。私もジュリアン先生みたいにカッコイイ先生に教わってたら、もう少し成績も良かったかもしれないわ。」
そう言ってセシルは肩をすくめた。
「セシルさんにそう言っていただけるなんて光栄です。僕にはセシルさんの方がよっぽど出来た人に見えます。」
「…まぁ!ジュリアン先生、見る目があるのねぇ!」
「ふふ…そうやって謙遜しないところも僕は好きです。」
ジュリアンが、笑いながらも真剣な目でセシルのことを捕える。
セシルは、その美しいスカイブルーの瞳に吸い込まれそうになりながら、ぱちぱちと瞬きをした。
「……もう…ジュリアン先生って人たらしってよく言われません?」
「…そう思ってくれるんですか?…でも…その言葉はセシルさんにそっくりそのままお返ししますよ。」
いつの間にか、ジュリアンはセシルのすぐ側まで迫っていた。
「セシルさんはいつも明るくて、ユーモアがあり、優しくて、とても細やかなことに気がつく…その美しい情熱的な赤い髪も、赤い瞳も…あなたそのものを表すようにとても美しい………そんなあなたに…僕はとても惹かれています。」
「………」
二人の周りには、甘いゆったりとした空気が流れているようだ。
何を考えているのか、ジュリアンがこうして口説いているように迫ってくることはよくあり、セシルは困っていた。
──ジュリアン先生…本気なのかしら?
確かに、ジュリアン先生は性格も優しく、穏やかで、教師という職業に就くだけあって頭もいいし、金髪碧眼の王子様を具現化したような見た目で、文句のつけようのない人だわ………
だけど、なんでかしら…心が動かされないのよね…
私の中にいるのはヴィーだけだわ…
セシルは、そっとジュリアンの胸を押すと、距離を取った。
その時──セシルは、視線を感じてそちらに顔を向ける。
視線の出先は、通りに物陰からこちらを見るローブを着てフードを被った人物だ。その身長の高さから、おそらく男性なことが分かる。
だが、その視線には、ただ見ていると言うより、何か”突き刺さるような念”を感じて、セシルは身体を震わせた。
──誰かしら…
少し怖くなり、セシルは自分の身体をさすった。
すると、突然あごを掴まれ、ジュリアンの方を向かされた。
「セシルさん…こちらを見てください。私は真剣です。セシルさんと結婚を前提にお付き合いしたいと思っています。まだ、新任な故、至らぬ点もあるかと思いますが、どうか私との関係を考えていただけませんか?」
セシルは、顎に添えられたジュリアンの手に嫌悪感を抱いて、振り払った。
「………」
「…ごめんなさい………ジュリアン先生の気持ちには答えられません。私には大切な恋人がいるんです。」
セシルの言葉を聞いて、ジュリアンが傷ついたような顔をする。
少しの間の後、セシルは自分の仕事に戻るべく顔を逸らした──が、ジュリアンは引き留めるように、言葉を続けた。
「その恋人が悪人で、町の人たちに受け入れられそうもなくてもですか?」
「………」
セシルがジュリアンの言葉に凍り付いて、彼の顔を見る。
ジュリアンの顔には何を考えているのか読み取れない穏やかな表情が浮かんでいた。




