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悪役が抱える重い罪


 エヴァーグレースの湖の近くにある小さな小屋の中。


 ヴィクターはあの後、突然寝てしまったセシルをベッドに運び、そのベッドの端に腰を下ろしてその寝顔を見て考え事をしていた。


──全く…一体どういうつもりなんだセシルは…



 セシルがここへ通うようになったのは、3ヶ月前、ヴィクターがここへ住み始めてからだ。

 この小屋は、元々弟であるエドモンドが長年住んでいた場所だった。彼はここを離れ王都に行くことになった為、ヴィクターが譲り受けることになった。


 セシルは、エドモンドの恋人であるクラリスの姉だ。

 だが、これまで全く面識がなかった。

 そもそも、エドモンドはヴィクターの弟とは言えど、ヴィクターが原因で彼が家出をしてから約15年間、ずっと会っていなかった。

 この町で再会はしたが、その再会は彼からすれば最悪だっただろう。


 原因は、ヴィクターがこの場所を訪れた理由だ。

 ヴィクターは、それまで王の顧問に就き、騎士を引き連れこの森にやって来た。

 その目的は、この森の湖の底にある『神の世界へと続く扉』だ。


 今でこそ、人間は魔法を取り戻しているが、その当時は、全ての者が魔法を失っていたどころか、神により魔法の存在を忘れさせられていたのだ。

 そんな世界で唯一と言っていいだろう──クラリスとエドモンドは魔法を使うことができる貴重な存在だった。

 そして、ヴィクターはとあることから、魔法の存在を知り、神の世界へ通ずる扉があるという情報を見つけていた。

 

 ヴィクターはその扉を通じ、神の世界へと侵入して魔法の力を取り戻すどころか、”自らが神に成り代わる”つもりだった。


 だが結果として、そんな無謀な計画は失敗に終わった。


 扉に触れる資格のなかったヴィクターは、青い鱗に覆われ、光る黄色い目を持つ生き物に変えられた。その姿になると、水に触れていない箇所が焼けたように熱く感じる。

 ヴィクター自身が湖の水を汲み上げる指示をした為、湖の底には殆ど水が残っていなかった。

 そのせいで、彼は泥の中でもがき苦しんだ。声も出せず、死ぬこともできず。焼けるような苦痛の中、時間の感覚さえ曖昧になって──それは、永遠にも思えるほどだった。


 そこから彼を救ったのは、セシルの妹である、クラリスだ。

 彼女の前世は、アリシアという女性で、神と人間を結ぶ『神の使者』としての役目があった。

 そして、今世でクラリスの恋人であるエドモンドの前世も、アレクサンダーという男性で、その神の使者を守る『守護者』として、共に選ばれていた。

 二人は前世でも恋人同士だった──”神に選ばれし者”、まさに”運命の者”だった。


 一方、ヴィクターにも“カイン・グリーヴス”という前世がある。

 カインは、その選ばれし者二人と同じ時代に生き、今世と同じように神の世界への侵入を試みた。

 彼が今世でしたことは、前世と同じ過ちだったということだ。記憶がないにも拘わらず、皮肉な運命だ。


 カインの引き起こした過ちは、神の怒りを買い、神は人間から魔法を奪った。

 人々はその後、数百年もの間、“魔法を失った世界”で生きることを強いられた。


 そして、ヴィクターの前世であるカインには、もう一つ重大な罪があった。

 クラリスの前世であるアリシアの腹に魔法を撃ち込み、彼女を殺したのは、他でもない──カインだったのだ。


 つまり、ヴィクターは二人の敵。

 いや、二人のみならず、“人間の敵”と言っても過言ではないだろう。


 だが、クラリスはそんなヴィクターを助けた。

 それだけではない。彼女はヴィクターを──"赦した"のだ。


 そんな彼女の選択により、神は人間を祝福し、人々は再び魔法を取り戻した。

 やはり彼女は、"選ばれし者"だと言うことを、ヴィクターは痛いほどに突きつけられた。


 今、魔法を取り戻したばかりの世界は、どこも喜びに満ち溢れている。


 そんな世界に相反して、ヴィクターはこの森の小屋でひっそりと暮らし始めた。


 その一件の後、王の顧問は辞めた。

 彼は今や誰にも必要とされない人間。


 だが、だからと言って命を手放すことは許されず、この場所でひっそりと人知れず暮らしていた。

 それが彼の罪滅ぼしだ。大き過ぎる罪に、軽過ぎる罰が、返って彼を苦しめていた。

 ヴィクターが必要最低限しか食事を摂らないのも、その罪の意識が理由だった。


 だが、そこに定期的に食事を届けに来るようになったのが、今この小屋で一つしかないベッドで気持ち良さそうに眠っているセシルだ。

 彼女はクラリスから様子を見に行くよう頼まれているようだった。

 最初のうちは一週間に一回程度だったものが、5日、3日と縮まり、今は毎日顔を出している。

 妹から任された義務感にしては、重く考え過ぎだとヴィクターですら思う。


 それに、先程も話していた通り、セシルは結婚を考える年頃だ。こんな所に頻繁に通って無駄にする時間があるとは思えない。

 しかも、世間から見れば“悪者”のヴィクターが一人で暮らす小屋に、頻繁に出入りしている──そんな噂が立てば、セシルの評判にもきっと影を落とす。

 ヴィクターは、彼女のことを疎ましく思いながらも、そのことが心配だった。


 セシルは、確かに少し騒々しいし、妄想が過ぎて突拍子もない行動にでることもあるが、根は優しく、とても良い子だ。


──そんな彼女の側に、私のような者がいるべきではない──。



 ヴィクターは自身の左手首にはめられた、手枷のようなブレスレットに視線を落とす。

 これは、普通の人より魔力量の多いエドモンドが、魔法を取り戻したヴィクターが変なことを出来ないよう、魔法を紡いで作り出したブレスレットだ。これをしていると、本来持っている魔力の三分の一程度しか発揮できない。

 尤も、普通に生活をする上では、このブレスレットをしていたところで、元々魔法のない世界で生きてきたヴィクターが不便を感じることは殆どない。

 むしろ、このブレスレットが、彼の罪に課せられた唯一の業だと思えば、どこか安心感さえ覚えた。



「……んぅ…ヴィー………ふふふ…」


 何の夢を見ているのか、セシルが笑いながら寝言を言っている。


「……よだれが出てるぞ…」


 ヴィクターが苦笑しながら、魔法を紡いでセシルの口元を浄化した。


──自分のような者が、できるだけ彼女に触れるべきではない──。


 そんな小さなことを、魔力制御のブレスレットをつけたヴィクターがわざわざ魔法を使って対処する──それは、彼なりのセシルへの気遣いだった。


 暑いのか、薄い掛け布団を蹴飛ばし始めたセシルの為に窓を開けようと、ヴィクターはベッドから立ち上がった。


 季節は夏。

 だが、木で生い茂るエヴァーグレースの森の中には爽やかな風が吹き抜ける。

 小屋の窓を開けるとその風が吹き込んで来て、いくらか部屋の中が涼しくなった気がする。


 3日後には、ヴィクターの母である、キャサリンの命日だ。

 母の墓は王都の実家に近い場所にある。この田舎町からそこへ行くのはかなり時間を要する。

 魔法が使えるようになった今の世界では、転移の魔法があり、それを使えば一瞬で移動できるのだが、その魔法を得意とするのは水か光の魔力を使いこなす者だ。

 ヴィクターは、地の魔力が得意だった。

 水と光の魔法が得意な者だけが転移の魔法を使えるという訳ではないが、苦手なものを使うには、それが得意な者よりも、多くの魔力を消費する。

 魔力制御のブレスレットを着けた今のヴィクターにとって、転移の魔法など使えるはずがなかった。


 ヴィクターは、履いているスラックスのポケットから金色の懐中時計を取り出して、その表面の装飾を指で撫でる。


 これは彼が幼い時に、今は亡き母キャサリンからもらった物だ。

 彼が、グリーヴス家の後継としての厳しい生活の中で、怒りや緊張で落ち着かない時はそれを握りしめ、表面を撫でるという行為が、彼の心を落ち着かせる”まじない”のようになっていた。

 それは意識して行うと言うより、本当に無意識のものだった。


 かつては、これに幼いエドモンドが触れただけで、ヴィクターは激昂し、暴力を奮ったこともあった。

 それが原因となり、キャサリンは命を落とすことになったのだ。

 当時はその事実が受け入れられず、目を逸らすようにエドモンドを責めた。


 だが今は、母の死も自分のせいであったと認めている。

 もしもあの時、自分の感情がもっと上手くコントール出来ていれば、違った未来があったのかもしれない。

 母は今も生きていたのかもしれない──そんな考えが、彼の中に、今まで何度浮かんだことか分からない。




──セシルが起きたら、本気で二度とここに来ないよう分からせないといけない…


 ヴィクターは懐中時計を再びポケットにしまって、テーブル出しっぱなしになっている食べかけの食べ物を片付け始めた。


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