解けて結ばれて
──クラリスを………前世で、ヴィーが彼女を殺した…?
たった今、ヴィクターが多少の悪事があっても、悔い改めようとしている彼の側にいる──そう決心して想いを伝えようとしていたところだ。
それを上回る衝撃的な事実に、セシルの心は再び揺らいでいた。
ヴィクターの持つ、琥珀にも深い森の奥にある木陰のようにも見える神秘的な瞳のその奥を覗き込むように、セシルは真っ直ぐに彼の目を見つめていた。
今度はヴィクターの方も、先程のように目を逸らさなかった。
──これはいい機会だ…このことを知って彼女が離れて行くのなら、それでいい………この事実を隠して、これ以上彼女の側にはいられない…
その場に居合わせるティエリーとルノーも、何も言わずに二人の成り行きを見守っている。
それは、永い永い沈黙だった。
やがて、セシルが心決めたようにようやく口を開いた。ヴィクターの目は彼女のふっくらとした愛らしい唇が何と発するのか、それを微塵も見逃さんと釘付けになっている。
──彼女はなんて言うんだ?………怖い……答えを聞くのが怖い………彼女に拒絶されるのが怖い……
ヴィクターの足は、緊張でがくがくと震えていた。
それに気がついたセシルが、抱きしめたままだった彼の背中を優しくさすった。
「…ヴィー…大丈夫だから落ち着いてね……」
「………っ…」
セシルの唇から奏でられた優しい声音に、ヴィクターはくしゃりと顔を歪ませた。
「…あなたはそのことをとても悔いている。そうよね?」
「………」
「クラリスは…そんなヴィーのことも“赦した"のよ。」
──あぁ……眩しい…セシルの優しさが眩し過ぎる…
ヴィクターの頬を一筋と涙が伝い、夕日を受けてきらりと光った。
「クラリスがあなたを赦したのは、あなたが一生自分を責める姿を見るためじゃないわ。……あなたが自分を赦して、笑ってくれること。それが本当の『赦し』の完成なのよ。 だから、その重い荷物を降ろすお手伝いをさせて?」
セシルが伝えたのは肩の荷を共に背負うことではない──"肩の荷を降ろすのを手伝わせて欲しい"と言ったのだ。
あなたは赦された──だから、もう少しだけ楽になってと──。
ぽろぽろと、ヴィクターの目から次から次へと涙が溢れる。それに気がついたティエリーは、酷く動揺していた。
セシルはそんなヴィクターの両頬を包むと、そのまま続けた。
「それにね…」
「………」
「…それってもう前世のことなのよ?……あのね、ヴィー。神様があなたを今世に連れてきたのは、過去の精算のためじゃなくて、『今』を新しく生きるためよ。 前世のヴィーが何をしたかなんて、今の私には関係ないわ。私が愛しているのは、今ここで小さな子供のように震えて涙を流している、あなたなんだから。」
「………………」
セシルは少し口を尖らせて、何でもないと彼の罪を吹き飛ばした。それをヴィクターの眉が下がり、くしゃりと顔を歪めて笑った。
── あぁ…セシルの前じゃ、どんなに黒く汚れた罪も、まるで陽だまりに溶けていくみたいに、静かに消えていくんだな…
「…ふふ…ヴィーって結構泣き虫よね………これで、もう諦めて私と恋人になってくれる?」
セシルはそう言うと、包んだままだったヴィクターの顔を引き、自身も精一杯背伸びをして、その唇にキスをした。
「…んなっ!…セシル!」
それを見たティエリーは再び荒ぶっている。ヴィクターもまさかのセシルの行動に驚いて涙が止まったようだ。
「……セシル……だから、何でそんな軽々しくキスを…」
彼の耳は、ほんのり赤くなっている。
そこでようやく、ルノーが口を開いた。
「まぁ、こんなところではなんだ。うちに上がっていったらどうかな?……君の弟さんも、うちで夕食をご馳走したことがあるんだよ。」
顔こそ笑ってはいるが、その言葉にはどこか棘を感じる。
だが、それを聞いたセシルは眉をひそめた。
「父さん!ヴィーは結構繊細なところがあるの!いじめたりしたら許さないわ!」
弟さんもうちで夕食をご馳走──と聞いて、セシルの中に浮かんだのは、クラリスがエドモンドを連れて来た時のことだ。
途中までは、和やかに進んでいたが、途中でルノーがエドモンドの生家"グリーヴス家"について言及したことで雰囲気が一変し、最終的にエドモンドは追い出されるような形で帰り、クラリスは外出禁止令を出された。
セシルは心配でヴィクターのことを見上げる。
「ヴィー大丈夫?無理しなくていいのよ?」
彼女はそう声をかけたが、ヴィクターは涙を拭うと佇まいを正して、その視線をルノーに向けた。
「貴殿がセシルさんのお父上ですか。改めまして、私ヴィクター・グリーヴスと申します。こんな姿をお見せして、お恥ずかしい限りです。」
たった今まで小さな子供のように涙を流していた人物とは思えないヴィクターの変わりように、ティエリーは動揺しておろおろしている。ヴィクターは構わず話を続けた。
「こんなに何日も、娘さんを連れ回してしまい、さぞ心配をおかけしたことでしょう。申し訳ありません。実は3日前は、私の母の命日だったのです。母の墓は王都の近くにあるのですが、セシルさんはその墓参りに付き添ってくださいました。私は魔力制限のブレスレットを着けているので、満足に魔法を使うことができず、帰宅に時間がかかってしまいました。その間、宿に泊まる機会もあり、セシルさんの意向で同室しましたが、誓って何もしてません。そこだけはどうかご安心ください。」
ヴィクターはそこまで一気に言い終えた。
だが、それを聞いたセシルは、口を尖らせて不機嫌な態度をあらわにする。
「あ!ヴィーなんで何もないって言っちゃうの!?何かあったことにして責任取ってもらう方向に持って行こうと思ってたのに〜!」
ヴィクターが、ちらっとセシルを見てニヤリと笑った。彼もようやく、少しだけセシルの扱いが分かってきたのだ。
そんな二人のやり取りを見て、ルノーは態度を和らげて笑った。
「はぁ…うちの娘に目をつけられると大変だな。私もよく分かるよ。同じような経験があるのでね。」
ルノーの目線は家のキッチンの窓に向いている。それに気がついたティエリーが、嫌そうな顔をした。
「え?まさか、母さんもこんな感じで父さんに猛アタックだったってこと?うわ〜あんまり親のそういう話聞きたくないんだけど。」
そう言って肩をすくめている。
ヴィクターが、ルノーに同意するように頷いた。
「はい、確かにセシルさんの予想外の言動に毎回驚かされます。ですが、今も見ていただいた通り、同時にとても救われています。」
「……ヴィー…」
「お父上、せっかくのお誘いですが、突然のことでご迷惑をかけてしまうと思いますし、今日は遠慮しておきます。日を改めまして、近いうちにまたお伺いすることになると思います。」
ヴィクターはそう言うと、セシルから離れた。
「………………ヴィー………それって…」
"近いうちにお伺いする"──それは、これからもセシルとの付き合いがあり、何かしらの挨拶に来ると宣言しているようなものだ。
それを察したセシルのレッドブラウンの瞳が、きらきらと輝いている。
たった今ヴィクターが離れたと言うのに、セシルは再び彼に抱きついた。
「……ヴィー…大好きよ!愛してるわ!」
「………セシル…」
ヴィクターもセシルを優しく抱きしめ返した。
「ありがとう…」
「……うっ…ぐすっ…」
「…はっ…セシルこそ泣き虫じゃないか。」
彼を見つめるセシルの瞳には涙が溜まっていた。
ヴィクターはそれを、指で優しく拭う。
「…帰っちゃうの?」
「…あぁ…今日は帰るよ。」
「……やだ〜!まだ離れたくない!」
セシルがぐりぐりと、ヴィクターの胸の辺りに頭をすりつける。
ヴィクターは困ったように眉を下げて、その頭を優しく撫でた。
「…セシル……また明日小屋に来てくれるか?」
それは、「来なくていい」と拒否し続けたヴィクターが、初めて自分からセシルを誘った瞬間だった。
「……っ!……うん!もちろんよ!」
「時間が分かれば、森の入り口まで迎えに行く。」
「…迎えに来てくれるの!?……あぁ〜!やっぱりヴィーって王子様みたい!」
再びキスでもしそうな勢いのセシルをなんとか離して、ヴィクターはルノーとティエリーに軽く視線を送ると帰って行った。
「あぁ…ヴィー帰っちゃった…やっぱり私も小屋に一緒に住もうかしら。」
「セシル、あんまり彼を困らせてはいけないよ?さ、私たちも家に入ろう。」
ルノーがそう言ってセシルを家の中へ促したので、彼女もそれに従った。
家に入った後、ティエリーは「なんか思ってたのとイメージが違う。あの余裕な感じが腹立つ。」とどちらにしろ気に入らないようで、結局荒ぶっていた。




