元伯爵令嬢の華麗なる履歴書
輪廻転生の概念がないこの世界では誰に言っても理解されないが、私には前世の記憶がある。
今の姿になる前の私は貧乏でバイトと就職活動に苦戦する女子大生だった。
その私に何があったのかはさっぱり思い出せないのだけど、気がついたら私はこの世界に生まれ変わっていて、リーザ・デア・ブレアなる伯爵令嬢になっていた。
今生における私の父、ブレア伯爵の領地アルタは辺境だ。
辺境伯ではない。辺境の伯爵だ。辺境という言い方では誤解を招くというなら僻地と言ってもいい。
お金がなくて母は協議の末実家に帰ってしまった、それほどの僻地だ。元々産業も資源もないところに不作が続いて婚姻を継続できるだけの収入がなくなってしまったのだ。
つまり私は前世に引き続いて貧乏なのだった。
父は窮状を何とかしようと苦慮していて、当面の支援を得るために近隣の領主ラスター侯爵様の子分みたいになっている。
十五歳の私は貴族の子弟の通う学校でモブ令嬢をやっていた。
私がモブなら主役は誰かと言えば、これは決まっている。
国王陛下の第一子、リオン王太子殿下だ。
この学校には今のところまだ聖女とか庶民出身の特待生とかは見当たらない。キラキラ王子様はこの学校の一人だけのスターなのだった。
御年十六歳におなりの王子様は麗しくて背が高くて魅力的で、おまけにまだ婚約者がいない。
こんなに好条件な王子様なものだから上級貴族の令嬢方はみんな婚約者の座を狙っていた。
特に熱心なのがラスター侯爵家のリビア様だ。私は父の言いつけで彼女の腰巾着の一人をやっている。
ここでの私は言うなれば悪役令嬢の取り巻きCくらいの役どころだ。ゲームや漫画ならセリフもろくにないどころか顔もまともに描写してもらえないモブだ。
私と取り巻きAとB、そしてリビア様はカフェテラスの側で王子様のお出ましを待ち受けていた。この学校には校内にもカフェテラスが設置されている。さすが貴族の学校だ。
「リビア様、今日もお美しくていらっしゃいますわ」
モブ仲間Aが心にもないお世辞を言った。リビア様は常に褒め称えられていないとご機嫌を斜めにされる。私も追従した。
「そうですわ。今日こそうまくおいきですわ」
「あ、いらっしゃいましたよ」
モブ仲間Bが囁いた。今日の王子様は特に仲のよろしいご学友お二人とお出でだ。
「あの、よろしいですか?」
私たち取り巻き一同は王子様ではなくそのご学友たちに声を掛けた。王子様からお二人を引きはがすためだ。
「あなたたち、殿下のお友達を誘ってらっしゃいな」なんて、ご命令の通りに。
モブ仲間Aが率先して行ってくれた。助かる。
「お茶でもご一緒なさいませんこと?」
「いいね。──殿下、少し失礼するよ」
「どうぞ」
モブ仲間Aは最近このご学友A様といい感じだ、ちゃっかりと。おかげで簡単なミッションだった。
この積極性、私も見習いたい。
私たちはカフェテラスに移動した。
お金がなくて普段は利用できないんだけど、今日は王子様のご学友様のおごりだ。わーい。
私は淑女らしくお茶を一杯だけ、澄ました顔で注文した。
リビア様は少し離れた席で王子様と二人きりだ。モブ仲間Bがハラハラしながらお二人のご様子を伺っていた。
「リビア様、大丈夫かしら?」
「彼女も頑張るね。無理だろうけど」
ご学友B様が呟いた。お二人も事情はとっくにご承知だ。
「殿下がそうおっしゃったのですか?」
「リオン──おっと、殿下は女性評をぶしつけに他言なさるような方ではないよ。でもまあ、見ていればわかるよね」
私たちはお二人を見た。リビア様は熱心に話しかけているけど、お気の毒に適当にあしらわれてしまっている。王子様はお優しいので無下に突き放すことまではされないけれど。
モブ仲間Bが頷いた。
「そうですわね。──あ、こんなこと私たちが言っていたなんておっしゃらないでくださいね?」
「もちろんだよ」
私はお茶で口を塞いでいたけど、リビア様に脈がないのは誰の目にも明らかだった。
ふと、王子様がこちらをご覧になって微笑まれた。気さくに手なんか挙げていらっしゃる。取り巻き仲間がキャーと黄色い声を上げた。
いやご学友に向けてに決まってるでしょ。
リビア様は今日もやっぱり上手くいかなかった。おかげで大変に不機嫌でいらっしゃって、私たちは腫れ物に触るように接していた。
「──リーザ」
「はい、何でしょうか?」
あー、今日は私が八つ当たりを受ける番だったか。モブ仲間A、Bはほっとした顔を見せた。残念だけど、どうせ明日はあなたたちの番よ?
「あなた、その頭染めなさいな。黒がいいわ」
「はあ……」
私の髪はキンキラキンの金髪だ。モブには不釣り合いなド金髪だ。
父方の遺伝が強く出たのだ。私の父ときたら「金がないなら頭から持ってくればいいのに」などと揶揄されるほど豪華な金髪なのだから。
この世界では金髪は珍しい。庶民ではまず見ないし貴族でも一握りだ。目の前の侯爵令嬢様も茶色い頭をしていらっしゃる。
リビア様は険のある目つきで私を睨んだ。
「返事は?」
「今日中に染めてまいります」
ようやく学校が終わった。校門の外に迎えの馬車が並んでいる。その中に我が家の馬車もあった。
貧乏とはいえ仮にも伯爵令嬢だ。登下校も自分の足でというわけにはいかない。もっとも専用の御者を雇う余裕なんてないので、家令たちが順繰りにその役を務めている。その家令の操る手綱で馬車は走り出した。
古い馬車だ。サスペンションもへたってしまってガタガタの路面の振動を忠実に拾っている。
貧乏とはいえ仮にも伯爵家の馬車がはげちょろけというわけにはいかないので塗装だけは定期的に塗り直しているのだけど。化粧でごまかしている老婦人ね。
こんなところに余計な出費を強いられるおかげで我が家は、というよりこの国の貴族は九割がた困窮しているのだ。
私は帰るなり髪を染めた。
「せっかく綺麗なおぐしですのに……」
浴室に白髪染めを持ってこさせるとメイドは残念そうに言ったけれど、リビア様のご命令では仕方ない。
髪を染めずに学園に行ったりしたらあの侯爵令嬢様は間違いなく癇癪を起こす。丸坊主にされてもおかしくない。
イガグリ頭で金髪なんてまるで前世紀のパンクファッションじゃない? 染める方がまだましだ。
メイド服に着替えて、メイドキャップに髪を押し込んで姿見を覗き込む。うーん、髪を染めてみたら完璧にハウスメイドね。
え? 何で伯爵令嬢のクローゼットにメイド服があるのか、ですって?
我が家はあまりにも貧乏で時にはご令嬢も掃除に回らないと人手が足りないからよ! 悪いか!
トイレを掃除しながら前世でもこんなことをしていたなーと思い出した。
苦学生だったあの頃はいろんなバイトをしたものだ。バイトに時間を取られ過ぎたせいで就職活動は苦戦していたのだから、本末転倒というものだけど。
最期の記憶は曖昧だ。何しろバイトを入れ過ぎたせいで睡眠不足で頭がまるで働いていなかったのだから。事故にでもあったのか脳の血管でも切れたのか、そんなところだろう。
「経験は無駄にならない」なんて言われたことはあるけど、前世の記憶が役に立ったことは、今のところまだない。
……あー、トイレ掃除に抵抗がないことだけは助かってるかな?
日暮れ前にようやく帰ってきた父はひどく青い顔をしていた。
メイドに混ざって料理をしていた私は厨房から出て声を掛けた。
「お父様、どうなさいましたの? ずいぶんとお加減が悪そうですわ」
「ああ。かなり困ったことになった。すぐにまた出かけないといけない」
そこで私の髪を見て父は動きを止めた。
「その髪はどうした?」
「気分転換ですわ」
「そうか。それは後にしよう。とにかく大変なことになった。お前を侯爵令嬢などと付き合わせるのではなかった。セバス──」
父は家令を呼んで馬の支度を言いつけた。
「もう学校には行かなくていい。いや、行くな。なるべく早く──そうだな、今夜のうちに領地に帰れ。いや、ダーラムの、お前の母親のところを頼れ。わかったな?」
父がこんな風に言うからにはよほどのことがあったのだろう。
「お父様がそうおっしゃるのなら。事情はお聞かせくださいますよね?」
「後でな」
父は再び家令を呼んで今度は私のための馬車の支度を言いつけて、自分は馬に跨って慌てて出かけた。
その夜私の家は襲撃された。
「王宮の詮議である! 開門しろ!」
激しく正門が打ち叩かれた。兵士らしい男たちの大声、金属の擦り合う音が塀の外から響いてくる。
何事なの? どうしたらいいの?
私は途方に暮れた。
でも使用人の男たちは冷静だった。一瞬覗き窓で外を伺って、すぐに閉めた。
「王宮? 馬鹿なことを」
「それなら近衛隊が来るはずだ。あれはどこかの私兵だ。騙りだろう」
父が家を出てから一時間と経っていない。私はまだメイド服を着替えていなかった。
家令はそんな私の姿を見てとっさに機転を利かせた。
「お嬢様、私が正面から馬車で出ます。いえ、お乗りになってはいけません、すぐに捕まります。メイドたちに紛れて裏口からお逃げください。さあ、お早く!」
私は裏口に走った。正面側から激しい音が聞こえてきたのを合図にして、悲鳴を上げるメイドたちに紛れて外に出た。
兵士たちは私たちを押しのけるようにして裏口に吸い込まれていった。
私とメイドたちは隣の別の伯爵家の邸宅に駆け込んでかくまってもらうことにした。
私たちは広間に押し込まれて温かいお茶と毛布を与えられた。こちらのお家も困窮していらっしゃるのにありがたい話だ。
「いったい何があったのですか?」
毛布を運んできた使用人の男にメイドの一人が取りすがるようにして尋ねた。
私は他のメイドたちと聞き耳を立てていた。
使用人も困惑していたようだけど、自分の知っている限りの事情を答えた。
「よくわからないのだが、何でもブレア伯爵が国王陛下の暗殺を企てたらしい」
メイドたちが裏返った悲鳴を上げた。
お父様……なんて大それたことを考えていらっしゃったの?
家族としては本当にやめてほしい。
だって反逆罪は一親等内、つまり本人と親と子と配偶者までが死刑と決まっている。
捕まったら私も刑に処されてしまうじゃない!
とりあえず落ち着こう。私は深呼吸した。
前世で偉い人が言っていた──「生きるか死ぬかの場面ではまず『生きる』ことを考えるのだ」、と。
そうよ、父が悪いことをしていたからって、私まで死刑になることはなくない?
お父様には悪いけど、私はまだ死にたくない。前世でもよくわからないうちに若くして死んで、今また十五歳で死刑になるなんて、そんなのはご免こうむりたい。
とりあえず逃げよう、逃げて生きよう。
その後のことはその後に考えよう。
翌朝、メイドに庶民の古着を持ってきてもらった私は早速着替えた。髪も黒いし、これでどこから見ても庶民の娘のはずだ。
「こんなことになってしまってごめんなさい。あなたたちに累が及ぶことはないはずよ」
「お嬢様……」
ポケットに小銭を突っ込んで、庶民が使う布製の鞄にメイド服をぎゅうぎゅう押し込んで肩に掛けた。
これで慣れ親しんだ町とも使用人たちともお別れだ。
「さようなら、みんな。元気でね!」
「お気を付けて……」
早朝の王都はもうせわしなく動き出している。
メイドたちに見送られた私はその人混みに紛れて時に徒歩で、時に乗り合い馬車に乗って、急いで王都を離れた。
ゴトゴトと馬車に揺られて、塗装もされていない内壁に頭をもたれかけさせて、私はぼんやり考えていた。
父はどうなっただろう。伯爵領はどうなるだろうか。
……知りたい。
でも故郷には戻れない。誰だって私はアルタに向かうと思うだろう。母のいるダーラムも駄目だ。
父はきっと捕まってしまっただろう。領地は没収だろうか? でも母にまで罪が及ぶことはないはずだ。
両親が離婚していて良かった、と初めて思った。
ひたすら故郷とは逆方向へ向かった私は三日目には国境を越えていた。
こちらの国はグレアム王国という。
言葉が違うから気をつけないと。前世で言えばフランス語とイタリア語くらいには違う。
私は国境の手前辺りからグレアム人のふりをしてグレアムの言葉でしゃべった。高等教育を受けていて助かった。
国境の通行料を払って、グレアムの首都まで移動したらお金はすっかりなくなってしまった。
早く就職先の一つも見つけないと早晩飢えて死ぬわね。
でもこの国はパルミラとは違って好況に沸いている。仕事を選ばなければすぐに見つかるだろう。
鞄からメイド服を取り出してグイグイしわを伸ばす。ちょうどいい、メイドになろう。
私は就職斡旋所の扉を潜った。
「あなた、名前は?」
「リズです」
「前はどこに勤めてたの?」
「パルミラですけど、伯爵家で教育を受けました。こちらの国は景気が良くてお給料も相場が違うと聞いて参りました」
物価も高いけどね。
私は自分の名前を庶民風に縮めて名乗りながら紹介状を差し出した。
紹介状は自分で書いた。前世で言えば履歴書に相当するものだ。貴族が書いたものだから本物だ。
この中で私は伯爵家に勤めていたメイドということになっている。経歴詐称ね。
その伯爵家の名前も母の実家のものを勝手に借りたし。これでおまけに文書偽造だ。
でも死罪に余罪が一つ二つついたところで可愛いものじゃない?
「ふーん……」
斡旋所の係員は不躾な目で私と紹介状をジロジロ見比べた。
とりあえず就職先が決まった。家族経営の小さな商家だ。
前世の記憶を思い出す。苦学生だった私は学費生活費を捻出するためにいくつものバイトを掛け持っていたものだ。飲食系はもちろんコンビニ、清掃、引っ越しまで。
この記憶はきっとメイドの仕事に生かせるだろう。「何であれ経験は無駄にはならない」とは言われたけど、まさか転生してから役に立つとは思わなかった。
よーし、前世の経験を駆使して、この国でメイドとして成り上がるぞー!
──あれから一年が経った。
私は小さな商家を皮切りに順調にステップアップを重ねていた。
商家勤めを二度経由して主人の覚えもめでたく、この度推薦を得て首尾よく公爵家に潜り込むことに成功したのだ。
何しろ私には前世のアドバンテージがある。おまけに仮にも伯爵家出身のメイドだ。立ち居振る舞いも知識も違う。公爵家の面接も一発で通った。
メイドのリズの人生は順風満帆ね。伯爵令嬢のリーザは親もいないしパルミラに帰ったら死刑だけど。
私の新しいご主人様はギムレー公爵という。この国でも屈指の大貴族だ。当然ご住居も大きくてご立派だ。私はハウスメイドとして雇われたけれど、なかなかに掃除し甲斐のあるお家だ。
もっともメイドだって人間だ。常に働きっぱなしというわけではない。例えば公爵ご夫妻やお子様方お付きのメイドは夜勤があることもあって二交代制だし、ハウスメイドやキッチンメイドも五日に一度は休日がある。
休日の過ごし方は思い思いだ。実家に顔を見せに帰る者もいればメイド仲間と町に繰り出す者もいる。
お給料の使い方もそうね。まずは生活費、それから実家への仕送りとか、自分の将来のために貯蓄したり、あとは遊興費が多い。
そして休日の私はカフェにいた。パルミラの学校ではおごりでしか入れなかったカフェだけど今の私は自分のお給料で入り浸っている。庶民の方がいい暮らしできてるってどうなんだろう?
もっとも私のお目当てはお茶ではない。外の馬車に動きが見えたので会計を済ませてお店を出た。
私の行きつけのカフェは劇場やオペラハウスに隣接しているところばかりだ。今ちょうど演劇が終わって貴族のご婦人方がぞろぞろと退出なさるところだ。
私はそのご婦人方のドレスや髪型をチェックしていた。最新の流行の確認だ。
貴族相手のメイドとして成り上がろうと思ったらこの国の貴族の研究をしないとね。メイドのお給料で買える値段の本なんて売っていないので実地調査するしかないのだ。
公爵様はグレアムの重鎮だ。国内の貴族だけではなく外国の使節をもてなすこともある。
今日はパルミラの賓客の接待だ。わァ……ぁ……。
まさかバレないとは思うけど、見つからないようにコソコソしておこう……。
コソコソ来賓の部屋をセットしていたら大輪のダリアが生けられているのが目についた。
綺麗──だけど、少し問題があった。
五代目の国王陛下の暗殺に関わる話だ。「ダリアの花が綺麗に咲きましたよ」と呼び出された国王陛下は花畑で刺客に襲われたのだ。
以後パルミラの王侯貴族ではダリアはタブーとなっている。
私は花を生けたメイドにこっそり隣国の逸話を教えてあげた。
「だからダリアはやめた方がいいわ」
「へぇー、ありがとう。お客様がいらっしゃる前でよかったわ。それにしてもリズは物知りだねぇ」
「それほどでも……あるけど!」
パルミラって数代に一度は誰かが謀反を起こしてるの。ほんの一年前にもどこかの伯爵が暗殺計画を企てていたそうだし。私の故国って血生臭いことばかりだな。
公爵家に就職して三か月。貴族の知識が豊富な私はメイド仲間からの推薦もあったおかげでレディーメイドに任じられた。
私、すごい! 貧乏伯爵家ならともかく公爵家のレディーメイドなんてなりたくってもなかなかなれないんだから。
自分で言うのも何だけど、私はメイドとしての資質は高いと思う。貴族の令嬢としては落第点だったけど。
「いかがでしょうか、奥方様」
私は公爵夫人の髪型をセットした。
一年ちょっと前までの私は年頃のご令嬢だったから、年相応に髪型やドレスの研究に余念がなかった。モブ仲間たちとああでもないこうでもないと日夜議論したものだ。
まあリビア様が着飾っているのを指をくわえて眺めているのが私たちの現実だったけどね。
この国の流行を観察した私はその頃考えていた理想のファッションとまぜこぜにして流行の先を行く髪型を公爵夫人に試した。
鏡を覗き込んだ公爵夫人はご満悦だった。
「あら素敵。こういう髪型は初めて見るけど、これはいいわ。貴女、いいセンスしてるわね」
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
髪と言えば私の髪もそろそろ染め直さないと……。
私の地毛は金色だ。何度も言うけどこの世界では金髪なんて貴族以外ではまずいない。貴族ですら少数派だ。もし金髪の庶民がいたら「あの子どこかの貴族のご落胤ね」と一目でわかってしまう。
私の場合落胤ではないがどこからどう噂が回るとも限らない。用心するに越したことはない。
髪を染めるのは人目を盗んでしないといけないけど、ここでは部屋もお風呂も共同でなかなかチャンスがない。おかげで同室のメイド仲間には私の地毛のことがバレている。
幸い頭のてっぺんはメイドキャップで隠されているので仕事中はごまかしが効く。
「あら──」
壁際に控えていた私に公爵夫人が目を止めた。
「ちょっとこっちにいらっしゃいな」
何だろう?
「貴女、本当は金髪なのね」
案の定公爵夫人にもバレてしまった……。もうごまかしが効かないほど金髪の部分が長くなって、メイドキャップの裾から地毛の色が覗いていた。前世だと染めた髪が伸びて来て根元が黒い状態をプリンなんて言ってたけど、今の私はカラメル70%の逆プリン状態だ。
「もっとよくお見せなさい」とおっしゃるので仕方なく私は公爵夫人の前で跪いてキャップを取った。
公爵夫人は私の頭のつむじ付近の髪をつまんでもてあそんだ。
「綺麗な色ね。もったいないわ、どうして染めているの?」
「この頭ですといろいろと詮索されるもので……」
特にパルミラの捜査機関とかにね。
私は公爵夫人の言いつけで仕方なく髪の色を落とした。根元の方は金髪だけど脱色した先の方は麦藁色になってしまった。
「リズって金髪だったのね!」
「もしかして、どこかのお貴族様の隠し子とか?」
「あはは、まさか! きっと公爵家のお食事が合ってたのよ」
ものすごく目立つものだからメイド仲間たちも次々と見物に来た。動物園のパンダになった気分だ。
「それであんまり美味しかったものだから私もつい食べ過ぎてしまったの。でも伯爵夫人ったら私以上でね? とうとう動けなくなってお付きのメイドたちが四人がかりで運んで行ったのよ! ──あら、この話前もしたかしら?」
「いいえ、初めてお伺いいたしますわ!」
私はしばしば公爵夫人の話相手になった。私って目上の女性と会話するのは得意なの。リビア様で鍛えられてるから。
公爵夫人は話が弾んで弾んで止まらないタイプだ。どこそこの劇場に誰それと行ったとか、いついつの舞踏会で誰がどんなドレスを着てたとか、今度は地方の観光地に公爵様とお出かけの予定だとか、ひっきりなしにしゃべりっぱなしだ。
……と思っていたんだけど、メイド仲間たちには何だか感心されていた。
「あなた、よく奥方様とあんな風にしゃべれるわね」
「え、何が?」
「結構難しい方なのよ?」
そうなの? まあ私には前世のチート知識があるからね。
「さすがは奥方様ですわ!」(さすが)
「奥方様のお力によるものですわ」(実力ですね)
「まあ、すごいですわね奥方様!」(すごい)
「奥方様の見識にはかないませんわ」(センスいい)
「存じませんでした。勉強になります」(そうですか)
──
大事な相槌さしすせそ! 私は無双した。
「貴女、親はどうしているの?」
他のメイドたちは頻繁に里帰りしているのに私が全然宿下がりしないものだから、ある時公爵夫人がお尋ねになった。
私は首を振った。
「父は、もう……」
「あら……。お母様は?」
「母は生きているはずですが、もう何年も会っておりません」
両親が離婚してから数回しか顔を合わせていない。最後に会ったのは五年前だったか、六年前だったか。
「寂しくないの?」
「いいえ。ここでは本当に良くしていただいておりますので。実の母より奥方様の方がよほど母親のようですわ」
「まあ!」
「も、申し訳ございません! 失礼なことを申しました……」
「いいえ、嬉しかったのよ」
公爵夫人は驚いていらっしゃったけど私も自分の中にそんなお世辞の言葉が眠っていたことに驚いた。私って幇間の才能があったんだな。
……まあ、顔も忘れがちな実の母は私の中で希薄な存在だ。毎日お顔を合わせている公爵夫人の方に親近感があるのは確かだ。
それにリビア様の時にはそんな言葉は全然出てこなかった。
結局のところ私はこの公爵夫人のことが好きなのだろう。
「ねえ、貴女。私の娘にならないこと?」
ある日おしゃべりの終わりに公爵夫人は唐突にそんなことをおっしゃった。
「この前からずっと考えていたのよ。そうね、ええ、是非そうするべきだわ!」
「それは光栄ですわ」
私はにっこり微笑んだ。
それからはトントン拍子に話が進んだ。私は公爵様の早世された弟君の忘れ形見ということになった。市井で暮らしていたのがこの度見つけられたので養女として迎えられるという筋書きだ。
──え、待って。娘ってそういうこと?
そういう設定での話し相手かと思ったのに、本当に娘にされるとは思ってもみなかったんだけど!
「すみません、無理です! 恐れ多いです!」
私は抵抗した。相当に抵抗した。今更貴族に戻るつもりはなかったし、それに貴族って公の場に出ることが多いじゃない? 外国の使節を招いた園遊会でパルミラの知人とばったり──なんてことは充分に考えられる。
抵抗はしたんだけど……。公爵夫人の善意によるありがたいお話を一介のメイドが断り切れるはずもなく……。
結局受けざるを得なかった。
聞くところによれば、グレアム王国には平民を貴族にする仕組みが二種類ある。
一つは民会代表あるいは庶民院議長を経て貴族の仲間入りをする方法。もう一つは養子だ。
庶民でも見どころがあればまず適当な下級貴族の養子として迎えて、そこから「実は我が家の縁者でした」という形で本式に貴族として迎える。
この国にはそういう経歴ロンダリングの方法があるのだ。女性はまず代表にも議員にもなれないので養子の形を取ることになる。
こういうやり方が成立するのはこの国では身分は血統よりも家に付随するものと考えられているからだ。血統主義のパルミラではあり得ない話だ。
私は自室を与えられて、これまでの私の上司の一人が私のレディーメイドになった。
「えーっと……。こんなことになってしまって……。何て言ったらいいのかわからないけど、よろしくお願いします」
「いいえ、私どもは奥方様の思い付きには慣れておりますからねぇ。こちらこそよろしくお願いいたしますよ」
それから私は公爵様にお目通りした。
公爵様は私の実父よりも少し年上だ。背が高くて、綺麗に揃えたお髭がダンディなミドルエイジだ。
「私と妻の間には息子ばかり三人いてね」
公爵様はお声も渋かった。
「妻がどうしても娘が欲しいと寂しがるものだから、我が家ではしばしば養子を迎えているのだよ。君で三人目だ。君の姉たちはもう他家に嫁いで、ここにはいないがね」
「貴女の嫁ぎ先もきっと見つけてあげますからね!」
公爵夫人は何だか鼻息が荒かった。
つまりご夫妻でプロデューサー業を営んでいらっしゃるというわけね。前世で言えばマイ・フェア・レディの原作が近いのかしら?
「君の名前はリズだったかな?」
「はい」
「ならこれからはリーゼにしよう」
私の本名はパルミラ語でリーザ、庶民風に名乗ればリズ、グレアム語ならリーゼだ。結局同じ名前になってしまった。
こうして私は公爵家の令嬢リーゼ・ド・ギムレーとなった。
私は公爵令嬢としての教育を受けることとなった。学問から礼儀作法まで、何もかもがきちんとしていた。やはり田舎の貧乏伯爵家とは違うわね。
今日の私はティータイムにいそしんでいた。休憩ではなくこれも教育の一環だ。
執務中の公爵様がお越しになった。こちらはご休憩だ。私は席を立って挨拶した。
「これは閣下、御機嫌よう」
「父とは呼んでくれないのかね?」
「お父様。ご機嫌麗しくていらっしゃるようですわね」
「おかげでね」
公爵様が腰かけるのを待って私も座った。
そんな私を見て公爵様は訝しげな顔でおっしゃった。
「君は本当はどこかの貴族の令嬢なのかね?」
「──え?」
心臓がドキリと跳ねた。えっ、何故?
「私の家臣たちがそう噂しているんだ。最初に言い出したのは妻だがね。髪だけを見てそう言っているのかと思っていたが、今君の振る舞いを見て私もそう思った」
「な、何かご不審でしたかしら?」
「良きにしろ悪しきにしろ、身についた素養というものはふとした瞬間に出るものだ。椅子に腰かけるときの仕草、カップを操る手つき、表情、口調──君の身に染みついた動作はいずれも貴族のものだ」
あ、あわわわわわわ……
「お、お考えすぎです! 私はしがないメイドでございます。貴族のご令嬢にトイレ掃除なんてできるはずがございませんわ!」
「君の所作がただのメイドにできるとも思わないのだがね」
公爵様は怪しむ顔で私を見ていた。
あ、危ない……。そんなところからバレそうになるなんて……。
かといって仮にも公爵令嬢が意識して貴族らしからぬ振る舞いをするわけにもいかないし。どうしよう?
公爵夫人は新しい娘を連れ回すのが最近のブームでいらっしゃって、私は観劇やら食事会やらあちこちに出席して大勢の貴族に紹介された。特に年頃の紳士の卵たちに。あの、私まだ社交界デビューも済ませていなかったんですけど……。
隣国のそんな無名の小娘をご存知の貴族がいらっしゃるとは思わないけど、一応は警戒しておこう。私は時々相槌を打つ以外はただ黙ってニコニコとしていた。
おかげで「今度のお嬢様は奥ゆかしくていらっしゃる」などと変な勘違いをされた。
研鑽を積んではや一か月。貴族としておかしくなかろうということで私は貴族の子弟の通う学園に入学した。
久しぶりの学校生活だ。
「リーゼ・ド・ギムレーです。よろしくお願いいたしますわ」
自己紹介する私を見つめる十二の瞳が好奇心で揺れていた。
パルミラでもそうだったがクラスは階級や性別で分けられている。私が編入したのは上級貴族の女性クラスだ。
もっとも実情はパルミラとはずいぶんと違っていて、平民出身の子も一人いたし親が平民から貴族になったという子は二人いた。
さすがにメイド上がりの公爵令嬢は私しかいなかったけどね。おかげでかなり目立ってしまい、クラス外からも会いに来る生徒がひっきりなしで対応するのに忙しい。
私は親睦を深めようとクラスでお茶会を開いた。
オフィシャルでない、カジュアルなものだ。
「ええ、以前の勤め先は小さな商家でしたの。経営者のご夫婦は仲はよろしかったのですけれど、お互い相手に隠してへそくりを貯めていらっしゃったのね。ある時私が掃除していたらへそくりを見つけたのですけど、お互い自分の物だと主張されて喧嘩になってしまわれたの。それで私、『へそくりはご夫婦の見つけた方の物にする、とお決めになってはいかがでしょう』と提案したの。それからのご夫婦は家中を血眼で掃除されるようになったものだから、いつお客様がいらっしゃっても大丈夫なほど綺麗になったの。でもそのおかげでメイドがいらなくなって私はお払い箱になってしまったのよ」
学園付きのメイドに給仕してもらいながらメイドジョークを披露するとわっと笑い声が上がった。
「リーゼ様って面白い方ね!」
ロゼという子がクスクス笑った。
ロゼは今では伯爵令嬢だが出自は平民だ。つい昔の癖が出たのだろう。笑いながらメイドの置いたポットを取って自分のカップにお茶を注ごうとした。
「あ」
侯爵令嬢のフィオレが思わずと言った様子で声を上げるとロゼは固まってしまった。自分で自分にお茶を注ぐというのは貴族としてはなかなかのはしたない真似だから。
フィオレも気まずそうな顔をしている。意図せず失敗をあげつらうような形になってしまったものね。
ついでにメイドも青い顔をしている。だって「貴族の令嬢にサーブさせるなんて、メイドは何をしていたの?」ってことになるし。彼女もきっと怒られるだろう。
「あなた、私にももう一杯くださいな」
メイドに声を掛けると彼女は慌ててロゼの手からポットを取って私のカップにお茶を注いだ。
「急に環境が変わると戸惑うことばかりですわね。ほら、私も先日までお茶を注ぐ側だったでしょう? 養子にはなりましたけど、公爵閣下を父と呼ぶのは恐れ多くて……。ですから私、いつもつい閣下とお呼びしてしまいますの。昨夜も『閣下』と声をお掛けいたしましたら閣下ったら『親子で閣下はないだろう』なんておっしゃいましたの。そこで次は『旦那様』と申し上げたら『私は君の夫かね?』とおっしゃって、奥方様も『娘が私の夫を取らないで頂戴』なんておっしゃいましたの。それで今度は『ライオネル様』と申し上げたら『私の呼び名はいくつあるのかね?』なんて拗ねておしまいになられて、仕方なく『お父様』と呼んで差し上げたらようやくご機嫌を直されましたの。でも一晩経ったらそんなことすっかり忘れてしまって、今朝もまた同じやり取りをしてまいりましたのよ」
私が長々と失敗談を打ち明けるとまた一同笑った。みんなロゼのささやかな失敗なんて忘れてしまったようだ。
「あの、先ほどはありがとうございました」
後で二人きりになったとき、ロゼに頭を下げられた。
「上手に取り繕っていただいて……」
「そんな大層なことをしたわけではありませんよ。助け合うのはお互い様ですわ」
「それは同じ庶民の出身同士だからですか?」
「いいえ」
私は首を振った。
「私たちは貴族同士ですもの。助け合いませんとね」
上級貴族女子クラスの同学年は七人しかいないので、いつも同じメンバーでお茶会を開いている。
私が澄まし顔でお茶を飲んでいるとフィオレが不思議そうな顔で尋ねてきた。
「リーゼ様がメイドをしていらしたって本当ですの?」
「ええ。私、今でも刺繡よりもほころびを繕う方が得意ですのよ?」
フィオレは首を振った。
「私の目には生まれながらの貴族のようにしか映りませんわ」
クラスの雰囲気は終始和やかだった。
こう言っては何だけど、パルミラよりこちらの貴族社会の方がずいぶんと過ごしやすい。多分経済の余裕が心の余裕を生んでいるのだろう。
前のような利害や上下関係ではなく、対等に尊重し合える友人関係を築き上げられたように思う。
何だか人生が順調だわ……。私、この先もこの国で生きていくわ!
しかし好事魔多しというか人間万事塞翁が馬というか……ピンチはある日突然訪れた。
私は学園長に呼び出された。何か不手際があったかしら?
「失礼いたします」
執務室をおとなうと学園長はデスクの向こうで待っていた。
「うん、よく来てくれた。──君に頼みたいことがあってね」
学園長は開口一番そんなことをおっしゃった。
「何でしょうか?」
「実は、今度パルミラの王太子殿下が留学でいらっしゃることになったのだ。短期間だがね」
ヒッ……。血の気が引いた。
「そこで君に殿下の案内役を依頼したい」
私は笑顔を繕おうと顔中の筋肉を全力で動員していた。
うん、全力でお断りしよう。だって私、王子様とは何度も顔を合わせているんだもの。
もう二年近くも経つし、まさか私みたいな木っ端令嬢のことなんて覚えてはいらっしゃらないでしょうけど、万が一ということもある。今までで一番危険な相手だ。
「申し訳ございませんがお断りいたしますわ。私には荷が重うございます」
「君に荷が重いというなら誰なら背負えると言うのかね? 君は公爵家の令嬢で、素養は高く機転も利く。その上パルミラ語も堪能だ。君以上の適任者はいないだろう」
何しろこの新しい公爵令嬢は教養が深くていらっしゃってパルミラ語もペラペラなのだ。だってそっちがネイティブだし!
私は何とか断る口実を探した。
「公爵家の養女とは申しましても、ご存知の通り卑しい出自でございます。グレアムではともかくパルミラではあり得ない話ですわ。失礼に当たるかと」
「そうとも、我が国では貴賤とは振る舞いによって決まるのだ。もしかの国の王太子を前に礼を欠けばそれこそ失礼に当たるだろう。もちろん我が国も恥をかくことになる。君以上の適任者はいない。決まりだ」
返答に窮して頬が引きつった。
ど、どうしよう……?
結局案内役は引き受けざるを得なかった。
当日私は王子様がいらっしゃるのをハラハラ待っていた。どうか正体がバレませんように……。
「初めまして」
そしてご登場なされた王子様は相変わらず素敵だった。いえ、以前より成長された分余計魅力的になっていらっしゃった。
その素敵な王子様がにこやかに微笑みかけてこられた。
「パルミラ王国の王太子、リオンだ。よろしく──」
言いかけて王子様は動きをお止めになった。うわ、見られてる……。見られてるんだけど!
「君は……」
王子様は絶句なさっていた。
「どこかで会ったことがあるだろうか?」
「あらお上手ですこと。お初にお目もじ致します、王太子殿下。ギムレー公爵ライオネルの三女リーゼでございます。以後お見知りおきを」
澄まし顔で自己紹介しながら私は内心冷や汗をかいていた。
リーザとリーゼじゃ同じ名前じゃない。違う名前にしておけばよかった……。
私は案内役なので王子様に学園の説明をすることにした。私たちはメイドやら護衛やら、お供をぞろぞろと引き連れて校内を練り歩いた。
伯爵令嬢だった頃は遠くから眺めるのが関の山だった方が隣にいるなんてね。変な感じ。
「こちらが私どもの学ぶ教室ですわ──」
でも、校内を案内していても王子様はどこか上の空で、教室よりも私の顔をずーっと見ていらっしゃった。やめてほしい。
「あら、そんなにご覧になって。私の顔に何かついておりますでしょうか?」
「見とれていたんだ。君があまり綺麗だから」
私は自分のことをお世辞の達人だと思っていたけど、上には上がいたようだ。
案内役と言っても四六時中王子様とご一緒というわけではない。そんなの息が詰まってしまう。私は友人たちとカフェテラスにいた。ああ、くつろぐ。
「ねえ皆様、お聞きになって?」
フィオレは珍しく浮き立った様子だった。
「リオン様ってお妃様を探しにいらっしゃったのですって!」
キャ──!
周囲の令嬢たちから真っ黄色の歓声が上がった。いやいや、ないでしょ。
「そんなこと……。あちらにも年頃のお相手は大勢いらっしゃるでしょう」
私は否定したけどフィオレはプルプルと首を横に振った。この子にしては随分浮かれてるわね……。
「それがいらっしゃらないらしいのですわ。お父様がおっしゃるには、年頃のいいお相手はみんないなくなっておしまいなのですって。詳しいことはわからないのですけど」
……え、パルミラに一体何があったの?
「きっと第一候補はリーゼ様ですわね!」
なんてロゼがはしゃいで言うとフィオレも嬉しそうに頷いた。
「きっとそうですわ!」
勘弁して欲しい。
──何だかんだそのまま三か月も王子様とご一緒してしまった。楽しいことは楽しいのよね……。素敵なお方だし、お話も上手だし。ここまで来て気づかれていないのだからさすがにもうバレないとは思うし。
王子様はこちらでも如才なくご学友をお作りになってパーティーなどにもさかんに出席していらっしゃる。
にもかかわらずご令嬢方とはちっとも交友を広めようとされなくて私にばかり構われるものだから、フィオレもロゼもずっとニコニコしている。
そして私は初めての舞踏会に臨んでいた。社交界デビューだ。
パルミラでは結局出ず仕舞いだったな……。あちらでは貧乏貴族同士でお金を出し合って、令嬢たちを集団でデビューさせたものだ。
ところが今日は私が主役の、私一人のための舞踏会だ。
私ってダンスはあまり得意じゃないので、集団に紛れてた方が良かったかな……?
エスコート役はリオン様だ。こういうのって普通もう少し年かさの方がお務めになるのでは?
──と思ったけど王子様のリードは完璧で、踊りながら見える壁際のご婦人たちはみんな眩しそうにこちらを見ていた。羨望のため息まで聞こえてきそうだ。
王子様は絢爛たる舞台の真ん中でキラキラ輝いて、今日の私はその光の反射でいつになくピカピカしていたことだろう。
「誰もが君を見ているよ。君は世界の中心で咲き誇る花だ」
「どうも、ありがとう、ございます」
踊りながら王子様が語り掛けてこられた。あまり余裕がないんですけど。
王子様へのお礼として私は食事にご招待した。レストランの個室を取って、まるでデートみたいね。
まあ部屋の中に双方のメイドはいるし外には護衛も控えてるし、全然雰囲気ないんだけど。
いえ雰囲気を作りたいってわけでもないけどね?
「踊る君も素敵だったよ」
「いつもお上手ですこと。きっと殿下のリードがよろしかったからですわ」
私たちの会話はいつも王子様のお世辞から始まる。
しかし今日の王子様からはなかなか次の言葉が出てこなかった。じっとこちらを見つめていらっしゃる。どうされたんだろう?
「あの……?」
「失礼。君はやはりよく似ている」
「まあ。どなたにですか?」
「少し気になっていた子がいたんだ。昔ね。何もないまま彼女は消えてしまったけど」
「まあ、殿下ともあろうお方が」
「だからね、今度はもう躊躇しない」
そうおっしゃると王子様は自分のメイドに合図した。メイドは私に包装された小箱を渡した。
「是非受け取って欲しい」
「はい」
促されて開けてみたらプレゼントはガラスの置物だった。高級そうではあるけど、意図がよくわからない。一応お礼だけは言っておこう。
「ありがとうございます」
「良かったらこれを君の枕元に飾って欲しいんだ」
「かしこまりました」
「見に行ってもいいかな?」
「は」
──って、ええ? 淑女の寝室に上がり込もうというの? 王子様ってこういう方だったかしら?
私の作り笑いはまたも引きつっていたはずだ。
「え、ええ……」
帰宅した私はメイド頭に王子様のプレゼントを渡した。
「ベッドの棚に飾っておいて頂戴」
恭しく受け取ったメイド頭は何だか神妙な面持ちだった。
「どなたがくださったのですか?」
「パルミラの殿下に頂いたの」
そう答えるとメイドたちは何故か一斉にざわめいた。
その夜私は何故か、何故かメイドたちに寄ってたかってメイクを施されていた。せっかく入浴したのに、何故?
「もう眠るのだからメイクは落としてよ」
そう言ったのにメイド頭は全然手を緩めなかった。
「寝るときは化粧するものですよ」
メイドたちがそそくさと退出した。明かりはついたままだ。何で?
あーもう、自分で明かりを落としてもいいのかな?
ベッドヘッドの棚に例のプレゼントが鎮座して明かりに照らされている。何なんだろうこれ、本当に。
メイドが誰か戻ってこないかとじーっと待っていたらようやく寝室の扉が開いた。やれやれ……
…………?
──!
全身の血の気が引いた。
寝室に入ってきたのは王子様だった。
えっ、何で? 何で?
どうやって入ってきたの? メイドは? 警備は何をしてたの?
慌ててしまう。逃げようとしたけど逃げ場なんてない。扉は王子様の後ろにある。
王子様はキラキラした笑顔を見せた。ま、眩しい。──じゃなくて!
「約束通り見に来たよ」
「でっ、殿下! み、未婚の女性の寝室に忍び込むなんて、紳士のなさる振る舞いとは思えませんわ!」
「ベッドの枕元に贈り物を飾るのは寝室に入る許可なんだろう? 知らないとは言わせないよ」
──はぁっ?
「パッ、パルミラにそんなしきたりはございませんでしょう?」
「こちらの国ではそうだと聞いている」
えぇー? わ、私この国で育った人間じゃないんだから、そんなローカルな風習知らないわよ!
しかしそこで私はメイド頭に言われたことを思い出した。
『寝るときは化粧するものです』
あ、あのメイド頭、うら若き乙女になんて下世話なジョークを……。
そんなどぎついこと言われてたのにピンとこなかったわ……だって私、ピュアなんだから!
そりゃメイドも来ないし警備もスルーよね。同意の上だと思われてるんだから。
王子様が近寄ってきた。逃げようとしたって逃げるスペースなんかなくて、最大限距離を取ろうしたらベッドに寝そべる形になった。押し倒されちゃってるじゃない、私……。
キラキラ王子様は素敵だし、素敵なお顔は迫ってくるし……。
ああ……もう、どうにでもなれ!
私は口づけにこたえた。
……王子様は私の髪を撫でながら「リーザ」と呼んだ。
「リーゼですわ、殿下」
「君の名前はパルミラではリーザだ。ねえリーザ、私の国に来てくれるね?」
「お戯れを……」
「公爵家の姫君に遊びでこんなことはしないよ」
ウッソだあ。夜中に淑女の寝室に忍び込む手際なんて、まさに遊び慣れた感じだったじゃない。私なんて前世から数えても初めてだったのに。
「それと殿下は辞めてくれ。名前で呼んで欲しい。リオンと」
「……」
どうお呼びしたら良いのか判断に困ったので代わりにきゅっと引っ付いてごまかした。
もう一回求められてしまった。
明け方、王子様は人目を忍んで帰って行った。ドアは全部鍵が開いていたし外には馬車が待ってたけどね。
去り際に王子様は私の髪を取って口づけした。
「君のことはきっと国に連れて帰るよ」
──なんて言い残して。
弄んだだけで終わりにしてください!
王子様は留学を切り上げて早々に帰国された。かと思ったらほとんどすぐにパルミラ王家から正式な婚約の申し入れが来てしまった。
ああ、恐れていたことが……。
執務室にお邪魔すると公爵様は何やら書き物をしていらっしゃった。……それ、もしかしなくても承諾書ですわよね?
「あの、閣下」
「父と呼んではくれないのかね?」
「ライオネル様」
公爵様は無言でデスクに向かっていらっしゃった。カリカリとペンの先が紙を引っかく音だけが響く。
「……お父様」
「なんだね?」
公爵様はようやくペンを置かれた。
「このお話はお断りしてくださいませ」
「何故だね? 願ってもない話だろう。第一お断りする理由がない」
「身分が──」
「ギムレー公爵家の娘では不足かね?」
「いえ、血筋が──」
「そんなことは先方も当然調査済みだ。それでもいいと仰せだ」
ああ、もう理由の作りようがない。私は観念した。
「……こうなってしまっては仕方ありません。本当のことを申し上げます。実は私はパルミラの……ブレア伯爵家の者なのです」
私は実の父が国王陛下への反乱を企んで、巻き込まれそうになったので逃げた話をした。
さすがに公爵様も驚かれたようだった。
「君は侯爵家のご令嬢だったのか」
「いえ、私の実家は伯爵家です」
「?」
「?」
私たちは揃って首を傾げた。
「……ともかくそういうわけでございます。私は国に帰れば死罪となる身なのです」
私は深々と頭を下げた。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「今までお世話になりました。ご恩を仇で返すようで心苦しいのですが、これ以上のご迷惑をおかけする前に姿を消そうと思います」
「待ちたまえ」
退出しようとした私を公爵様はお呼び止めになった。
「どこへ行こうというのかね?」
「また隣の国にでも。どこに行ってもメイドの口はあると思いますので」
「何故またメイドなどに……」
「私、貴族としては本当に駄目で……。でもメイドの適性はあると思うんです」
「そうかね? 君は誰が見ても貴族だったと思うが」
「礼儀とか作法とか、そういう表面的なことだけなのです。貴族ならどれだけ不服でも刑には服すべきなのでしょうけど、私にはどうしてもできませんでした。今こうなってもやはり死にたくはありません。心が貴族ではないのです。平民として生きるのが私にはお似合いのようです。それでは失礼いたします……」
「だから待ちたまえ。君の話は私が聞いているのと違う」
どういうことだろう?
公爵様はギムレー家の外交部の男性をお呼びになった。
「政変があったのです」
彼はそう言った。
何でも二年前、王太子殿下を擁する改革派は慢性的な不景気の原因を取り除くための構造改革に着手しようとしていたそうだ。
しかし改革が実行されれば既得権益者は莫大な不利益を被ることになる。例えばラスター侯爵だ。
「侯爵は初めは娘を王太子と結婚させて外戚として改革を妨害しようとしていたようですが、これは上手くいきませんでした」
あー、リビア様にはそういう事情があったのね。私ったらポケポケ生きてたからそんなことちっとも知らなかった。それではリビア様の魅力がどうこう以前に相手にしてもらえるわけがない。
彼の話は続いた。
そこで侯爵は今度は王弟を担ぎ上げて国王の首をすげ替えようとした。ところが陰謀を話し合っていたところを第三者に聞かれてしまったのだ。資金援助の陳情に来たブレア伯爵その人だ。
陰謀を耳にした伯爵は驚き、慌てて王宮に参内して注進に及んだ。伯爵に聞かれたことを察知した侯爵は兵を動かしたが間に合わなかった。
王室を詐称して王都で武装した私兵を動員、しかもその理由が計画段階とはいえ国王を交換しようという陰謀を聞かれたからというのでは救いがない。伯爵は無事に保護されて侯爵一党は一網打尽、逮捕された侯爵は簡単な裁判の末すぐに死刑となった。
──ってことは待って、リビア様も? 反逆罪は子供も一緒に縛り首だ。
気になって尋ねると彼は首を横に振った。
「娘は行方不明らしいです」
「そうですか」
いい人では絶対になかったけど、あの年で吊るされるというのも気の毒だ。私のようにうまいこと逃げられているといいけど。
それにしても、全部勘違いだったのね……。
あ、あの隣のお家の使用人がデマを言わなければ、私逃げなくて済んだんじゃない?
……いや、人を責めるのは筋違いだ。グレアムに逃げずにアルタか、最低でも母のところに行っていれば真相はすぐに判明していたはずだ。
というかそういう理由でラスター侯爵が父を狙っていたのなら、私はどうせ眼中になかっただろう。お隣にしばらくいさせてもらえばそれで解決した。
それにこっちにいたってちゃんと調べていたらわかっていただろうし。過去から逃げ回っていた自分が悪い。
何してたんだろう、私……。
でもこっちに来なかったら公爵様ご夫妻や友人たちとの素敵な出会いもなかったよね?
もうどう判断したらいいのかわからない。
何だか力が抜けてしまった。
それから公爵様は更に事件の顛末を調査してくださった。
陰謀に加担していた貴族たちは侯爵に連座して軒並み失脚、貴族の主流はごそっと入れ替わってしまったようだ。
おかげで私がいた頃に王子様狙いだった令嬢たちの家は軒並み没落してしまった。王子様は新興貴族たちの政略結婚の争いを封じる目的で隣国まで婚活にやってきたというわけだ。
そしてブレア伯爵はずっと行方不明の娘を探していた。メイドたちの証言でどこかに逃げたことはわかっていたが、目撃情報すらない。二年間も見つからないのでパルミラでは死んだものと考えられていた。
「まさか君がここまでの行動力の塊だとは誰も考えなかったようだ」
そうおっしゃって公爵様はお笑いになった。
まあ普通は十五歳の娘が隣国まで逃げてメイドになって、その上公爵家の養子に収まっているとは思わないだろう。
「それと、君は貴族らしさに囚われすぎではないかな? もし私が反逆罪で捕まったとしたら妻たちだって逃げるだろう」
「そうでしょうか……」
「そうだとも。それより君は自分の運と力量を誇るべきだ。誰に頼らずともここまで来て、公爵令嬢にまで成りおおせたのだからね」
結局私は結婚を承諾した。あっちに行ったりこっちに行ったり転がる石のような二年間だったけど、きっと収まるべきところに収まる時期が来たのだろう。
帰国した私は逃亡したのではなく、王家に輿入れする箔をつけるために隣国の公爵家に養子に入っていた──とそういうストーリーになっていた。
リーザ・デア・ブレアだったのは十五年間、メイドのリズとして一年半、リーゼ・ド・ギムレーとして半年。そしてパルミラ風に名前を変えてリーザ・デア・ギムレットと名乗る期間が一番短い。私は間もなくリーザ・デア・パルミラになる。
伯爵令嬢から始まって、小さな商家のメイド、大きな商家のメイド、公爵家のメイドを歴任して男爵家の養子から公爵令嬢に転身。そして今度は王太子妃だ。
前の私には学歴くらいしか書くことがなかったけど今の私が履歴書を書いたらなかなか賑やかなことになりそうだ。
これから私はきっと母親になる。王妃にもなるかもしれない。おばあちゃんになる未来も待っているかも?
そんな感じで、この先も良い履歴だけを書き連ねて行けますように!