8.王宮にむかう
「ジュード坊ちゃん、観念して下さい」
朝の光に包まれたヴァルトロメオ公爵家一室の入り口を何故かソフィアが塞いでいる。
真珠色の壁紙に紫色の絨毯。天井からはシャンデリア。そこは贅沢を極めたドレッサールームだ。
まぶしい程、大きい鏡台の前では櫛をもったアレクサンダーが仁王のごとくたってる。
彼の存在だけが異様に浮いていた。
「ジュード来いよ」
「嫌です。今日も、髪を結うのは勘弁してください」
ジュードは干渉されるのは嫌いだ。
アレクサンダーはそれを理解して、なるべくジュードの体に触れたり、一人の時間を奪ったりしない。
いつも遠くで見守っている。
しかし、髪を結うのだけ、譲らないのである。
「王宮は、呪いが強いんだ。たのむ、毎日の積み重ねが、祈りとなって、お前を守る。今の俺は謹慎処分で王宮にはいれない」
今日は、女王白薔薇との謁見だった。
王宮には、悪神と名高い緑の炎、怨霊ピエリス・コルチカム。百八十六人の、呪い付き。
真摯なアレクサンダーの眼差しにジュードは断れず、ビロード張りの椅子にこしかける。
「しょうがありませんね…」
漆の螺鈿彫りがされた、豪奢な鏡台の前に座らせれた。ため息をつく。
アレクサンダーは嬉しそうに、それは丁寧に丁寧に手際よくジュードの亜麻色の髪を編み込んでいく。宝物を扱うように…。
「ほら、出来た。どうだ?」
「…冠のようですね。有難うございます」
ふと香る、アレクサンダーの匂いにトロンと表情が溶けそうになるのを必死の理性で抑えこんだ。
運命の番とは、こうも多幸感があるものか、悟られないように、ジュードはワザと眉間にしわを寄せる。
「もっと、いちゃついて結構ですわよ」
ソフィアが入り口でニヤッと笑う。
「うるさい!」
毒づくアレクサンダーの横で音声AIサービスが朝のラジオニュースを流す。
予想外の声が部屋を通り抜ける。あろうことか、モナークの声だ。
何かのコマーシャルだろう。
男性にしては高い歌声が流行りの曲調にのせて短歌を歌う。
女王白薔薇の側近であり、アルゼントュム国の宣伝塔であるソル侯爵家のモナークは独自の舞踏団を持っている。
東の大陸で彼の声を知らない者はいない。
「背の君よ この世は地獄 それなれど 立春の日に 百年後会わん」
モナークの歌声に思わず、アレクサンダーが吹きそうになる。
「愛しいあなたよ、この世は地獄のような場所かもしれませんが、立春の日にはまた会いましょう、百年後のその日に。でしょうか…モナークに返歌したらいかがですか?」
ジュードが和歌を訳しながら、冷たい視線をむけてくる。アレクサンダーが、一本たじろぐ。イタズラを見つけられた子供のように。
東大陸の貴族は、天界、鬼界、龍界の住人達と交渉する為に和歌を使う。教養として必須だ。
「この歌は俺の別れの手紙への、和歌の返歌だ。俺の番は、ジュードだ。俺はあんたを愛すると決めた」
アレクサンダーはその視線を跳ねよけて言い返す。一度、決めたことを覆す性格ではない。
「別れの手紙?」
ジュードから自分が思ってるよりも冷たい声がでる。自分の知らない所でアレクサンダーがモナークと連絡を取っていたことに、何故か心が騒ぐ。
「それは嫉妬か」
アレクサンダーの視線がジュードを真正面から見つめる。獲物を観察するように。
「いえ。違います。一人にしてください!」ジュードは声を荒げて部屋を出た。
胸が熱い。
彼の居場所になると宣言したが、誰に執着されるのも、執着するのも否定して来たはすだ。自分の感情の変化にジュードは付いていけない。
バタンと大きな音で扉がしまる。
「若いですねぇ~」
ソフィアが二人の姿に微笑む。
シャイで恋愛に不器用なアレクサンダーと、警戒心がつよく人間嫌いのジュードが感情を表に出し合うのは、良い傾向だと見守る。
「アレがお前の番か?アレクサンダー!」
突然、部屋の温度が氷のごとく低下する。
背後を見ると窓際の日光の中に、目に焼き付くような黒づくめの若い少年がたっていた。
ソフィアは一瞬で状況を把握して、首を垂れる。ヴァルトロメオ家の守護者、齢い三千年の吸血鬼、椋鳥である。
「この時間に時計塔からでてくるとは、珍しいな。酒でも取りにきたか?」
アレクサンダーは子供の頃から兄のように側にいる、この吸血鬼が大好きだ。
「カルロスに口止めされていたが、アイツの体に限界が来た。風帝碧蘭との制約がきれた。警戒しろ。俺たち吸血鬼は、天界との戦争協定で下手に動けない。Ωのジュードを取られるな!」
緊張感をともなった、椋鳥の忠告にアレクサンダーは問いかけようとするが、そこには椋鳥の姿はもういない。
「なんで、天界一の支配者がジュードを狙っているんだ?」
「わかりません。ただ、『橋』の高級楼閣からジュードを見受けする時に、碧蘭様の使者である聖僧達とヴァルトロメオ家の私兵が衝突しました。」
ソフィアは、これ以上は知らないと首をする。アレクサンダーは、顔をしかめた。
聖僧は、この東の国の上空にある聖域と呼ばれる月のような丸い巨大要塞にすんでいる。
天界と人間界を繋ぐ役割を担っていた。
「まずいな、神には番契約は理解できない」
何か手立てを考えなければ、アレクサンダーは目線を下げると、手には母の形見が身につけられていた。
タントラ枢機卿と女王白薔薇への謁見の為の準備が着々と進む。
ジュードの亜麻色の長い髪はアレクサンダーにより美しく編み込まれ、そのうなじには噛みついた痕がある。
「これで侯爵位を維持できる」
カルロスがジュードのうなじを確認する。
「問題は、ジュードのΩの特徴以外の能力の高さがタントラ枢機卿と女王白薔薇にどう受け止められかだ」
カルロスの言葉にアレクサンダーは引っかかる。
ジュードの能力?
王宮から迎えの車がきた。
それをヴァルトロメオ侯爵家のシンボルカラーである深緑りの多脚機甲戦車ヴァルトラウテの一個師団ヴァルトシュタインが王宮からの送迎の車を囲う。
多脚機甲型戦車ヴァルトラウテのハッチが開く。
ヴァルロメオ家の紋章をつけた深緑に金色の縁取りの軍服姿のアレクサンダーが現れる。
「親父、白薔薇が何をやらかすか分からないからついてく」
「お断りします」
アレクサンダーの声にジュードが反射的に答える。
朝の一件からジュードとは口を聞いていなかった。
「伝えただろう。ジュードは公務員だが、ヴァルトロメオ家の特殊部隊の二軍にて、軍人としての訓練を受けている。呪力ならお前以上の使い手だ。
例え、女王から『洗礼』を受けたとしても、コレは強い。」
アレクサンダーはカルロスを軽くにらむと。王宮までは送ると一声はさみ、ビトリアの機内に戻っていく。
「ジュード坊ちゃんが心配なのですよ」
ソフィアが微笑んだ。
ヴァルトロメオ侯爵家の一団は王宮に到着。
アレクサンダーは、一時的にに国家反逆の罪に問われ凱旋門で警備隊に囲まれ待機となった。
ソフィアは女王の番であり、側近のモナークに憑いている、呪いつき『千本腕のアリス』を恐れており王宮には入れないと言う。
彼女は呪いつきを恐れて、ソル侯爵と離婚してモナークとの関係を切ってしまっと、小さな声で告げた。
王宮は死臭と瘴気で渦巻いてた。
「コレは…」
車から降りたジュードは、慣れない臭気で口を塞ぐ。その口に、突然、アレクサンダーが飴を放り込んだ。
「慣れるまで舐めてろ。俺は常備してる」
その飴は懐かしい味がした。男娼時代に親友がくれた飴だった。
「遺伝子相手120%とは、このことを言うのでしょうか…ありがとうございます」
同じ味が好きなのだ。
それが、心に響いた。
ジュードは、今日初めてアレクサンダーと視線を合わせた。
カチンと符号のようにその視線は絡み合う。
アレクサンダーはジュードの手をそっと触ると、その手に指輪をのせた。
金の土台に紫色の石が嵌め込まれていた。
「これは?」
「母親の形見だ。指輪は、強いか守護の石が付いている。守られるのは嫌だろが、何かの時に役にたつ」
戸惑うジュードにアレクサンダーは、その声に熱を込める。ジュードの安全と帰還を願う、強い気持ちが感じられた。
「ありがとうございます」
大切に受け取ると、ジュードは指輪を身につける。薬指にさす自信はまだなかったが、彼の感情が体に染み渡った。
臭気はもう感じない。
「さぁ、王宮のことを説明します」
ソフィアが、感情をけして口を開いた。
臭気の原因は、夜になると守護神緑の炎に殺された東の国がの旧王族ピエリス・コルチカムの怨霊が夜な夜な徘徊するのが原因だと。
薔薇の形のを模した美しい王宮は、悪神、緑の炎と、貴族達の権謀策略にあふれ、今は怨霊と百八十六人の呪い付きが住む特殊な場所だと、ソフィアの声はくらかった。
緑の炎については、大福の別作品、「白銀の国物語 緑の炎と女王白薔薇 少女ローズのおいたち 短編」
ほか、
同シリーズの、少女ローズの思い、黒髪の婚約者
があります。よかったらご参照ください。