1.愛と呪いとαとΩ
広い部屋のなかで、白いうなじをスルリとなでた。
痛いくらいに肌が泡立つ。
「運命の番か長年の恋人か、あなたはどちらを選びますかね?」
元男娼のジュードは呟やいた。
ヴァルトロメ侯爵、子息アレクサンダーがΩのモナークと国外逃亡末、つかまり王宮から返還された。
番契約を成立させる為に、催淫剤を自ら飲んだΩのジュードとαのアレクサンダーは、密室に二人きりにさせれる。なぜなら、女王白薔薇がヴァルロメオ侯爵家の領地の存続の証明にアレクサンダーに新しい番を作る事を強制したからだ。
「愛の無い番契約をすれば地位と名誉が手に入る」
Ωのジュードは、服を脱いで寝台の冷たいシーツの上でアレクサンダーを待つ。
「素肌は慣れないですね」
カツン、カツンの赤い被毛の絨毯に軍靴の音。
ジュードは敏感にその音に敏感に反応した。
「あんたが親父が用意したΩかよ」
一方、深緑の軍服を見に纏う特級αのアレクサンダーは勇ましい。高い階級章と幾つもの勲章で飾られていた。
裸のジュードと軍服に身を包んだアレクサンダー。二人の立場の違いが際立つ。ジュードはその不釣り合いに皮肉を感じ、苦笑いを浮かべた。
「お初にお目にかかります、次期当主様。ジュードと申します。」
翠玉に縁どられた知性溢れる一対の瞳。妖艶な肌に亜麻色の長い髪が膝の上で流れる。
「話に聞いてた以上に、あんた、凄い美人だな」
アレクサンダーが、恥ずかしげに眼差しを伏せる。
「ありがとうございます」
Ωとα、二つの種は決して平等でない。それでもΩはαをそのフェロモンの香りで魅了する。
「遺伝子相性120%の運命の番って、本当らしいな…俺の好きな柑橘系の紅茶の香りがする!」
アレクサンダーは、紫がかった珍しい黒髪をかきむしる。
「寝台にどうぞ」
「誰が寝るもんか!あんたが親父の選んだΩかよ……正直、俺のタイプで驚いたよ。あいつも抜け目ないな」
高級男娼を経験した、ジュードは冷静に観察する。精悍な顔立ちと彫刻のような鍛えられた肉体。軍人としては優秀そうだ。
「私の誘惑になびかないとは、理性的な方とお見受けします。その首の電子錠は?」
ヴァルトロメオ侯爵家は東の国で珍しい人体改造推進派で、長男アレクサンダーもサイボーグである。
彼の首の電子プラグには電子錠が差し込まれ、自身での神経を操作を封印されていた。彼は、いま無力にちかい。
「番契約すれば、これは解除できるんだそうだ」
アレクサンダーの吐き捨てるような口調に、ジュードは手招きする。
「首を噛んでどうぞ。貴方は自由になる」
「俺の自由と引き換えに、あんたの首をかむなんて悪趣味だ。Ωにとって、それは大切な物だろ!!」
アレクサンダーの正義感の強い真っ直ぐな瞳に、ジュードは一瞬けおされた。その言葉には迷う。二十四年間守ってきた大切な首。
「自分の尊厳か他人の自由かを天秤にかけることに疑問があると?
私は、高級男娼として自由を奪われた経験から、電子錠に怒りを感じます」
ジュードの声は強い意思を含んで鋭い。
「はっ!?あんた、公務員の他にそんな経験があったのか。なおさら首なんて噛めない!」
アレクサンダーが、麗しい装飾の壁に背中をつけて後退した。首を噛むつもりは無いらしい。
「首を噛んでいただいて、構いません。これは務めです」
ジュードは紫のシルクの天蓋に象牙の柱のある寝台で、長い足を組んで悠然と寝台で構える。
まるで、玉座にすわる王族のように。
「強気だな。信念でもあるのかよ?」
「私は目の前で誰かが犠牲になるのを見るのが嫌。Ωが社会の中で追いやられて、酷い目にあっているのも見てきた。
貴方はαだけど、今は被害者です」
ジュードは強い上昇思考がある。
元男娼からヴァルロメオ侯爵家の長男の婚約者になれる。この決意は、侯爵家に買われた時から決めていた。
「何を企んでる?それに、催淫剤を飲んだのに余裕だな」
ジュードは、胎にじわじわと鈍く広がる痛みにも似た快感を堪えて冷静を装う。
高級娼館でどれ程の屈辱を味わったか…貴族のαには分から無いだろう。
寝台から立ち上がる。
しなやかな腕が、ゆるりと近づく。
「触るな!」
強い拒否反応。このαは自己を犠牲にしてまで愛したΩを忘れないだろう。
「では、貴方から噛んで下さい」
ジュードが優美な仕草で髪をかき上げれば、アレクサンダーはごくりと喉を鳴らした。
彼が高級男娼からヴァルトロメオ家に身請けされた理由は、アレクサンダーとの遺伝子相性の高さだ。
「フェロモンに騙されるか!それに、電子錠までつけられて、清々しい気分だよ」
意外な発言にジュードは思わず呟いた。
「清々しい…?」
「これで、自分の気持ちに正直になれる。俺は人工義体だから、脳にトラッキング機能を持っている。それを利用して、愛する者に『愛してる』と言えないバグを自分に埋め込んだ」
ジュードは、驚いた。αはΩの謙信的な愛情を食い散らかすのは見てきた。
「αの貴方は、Ωに献身的な愛を捧げた。どうしてバクを自分に?」
「モナークと両思いになり、『愛してる』や『好きだよ』と相手が告白した途端、死ぬ。という呪いがあった。
だから、今なら言えるんだ。俺はあいつを愛してたって…」
アレクサンダーが苦々しく呟いた。
「なんて呪い….愛してたって過去形ですか?」
「振られた。モナークは番の女王白薔薇の元へ戻った。女王は、ある事情でモナークの発情期の相手ができない。俺は八年間一緒にいた。アイツは俺のΩで相棒だと思った…」
アレクサンダーの独白。このαは他人の番を本気で愛して謙信的な愛を捧げた。
「関係を終わらせるには、何か大きな原因があったんですね」
ジュードが冷静に判断する。
「俺なりに頑張ったよ。呪いに負けないように、『愛してる』って言わなくても、気持ちを行動で伝えてきた。
だけど、呪いには勝てなかった」
アレクサンダーは涙を堪えるように上を向いた。
「もう一つ呪いがあった。愛する相手と一緒にいると、その相手の寿命が短くなるんだ」
「そんなひどい呪いが…」
その言葉は背筋に氷が滑るような冷たさがあった。
「モナークは、俺との南大陸への逃亡を諦めて、女王白薔薇の番に戻る決断をした。俺の寿命はその時点で八年間に半減していた。
それでも一緒にいたい。寿命をあげるから共に逃げようと伝えたんだ。」
「モナークは、逃亡より貴方の寿命を優先した」
アレクサンダーの言葉に、ジュードの心が痛み、涙が溢れた。
アレクサンダーの独白にジュードが涙を流す。
「ごめん……後悔はしてないんだ」とアレクサンダーが小さな声で謝る。
「貴方のせいじゃない。謝らないでください」
ジュードも涙を堪えた。アレクサンダーはモナークとの八年間を少しも後悔していないのだろう。
「極めつけは、亡命中に女王白薔薇に捕まった時だ。呪いは呪い付きの者同士には反応しないと言われた。
そして、モナークは呪いつきの同胞である。白薔薇を選んだ。俺は振られた。そしてアイツは、涙を流しながら「幸せになって』といった。俺は何も言えなかった」
アレクサンダーの告白に、ジュードは胸が締め付けられた。自分が彼の立場だったら耐えられただろうかと考えた。
「女王はある事情でモナークの発情期の相手ができなかった。だから五年間、俺が世話をしてきたんだ。俺は、モナークが自分のΩ、で戦友で恋人だって勘違いしてた…」
アレクサンダーは流れ落ちる涙を拭いながら、苦しげに言った。
「電子錠はさ、カルロスの親父なりの配慮なんだ。俺が自分の気持ちを誤魔化さないように。湿っぽい話はここで終わりな」
口の端を上げてアレクサンダーが真っさらに笑う。彼の愛情深さが分かるような清らかな笑みだった。ジュードの心にパッと火が灯る。彼に愛されたモナークが羨ましい。
「はい。承知いたしました」
ジュードもつられて笑う。このαは、ジュードが今まであったどのαより強い心と覚悟がある。
ジュードは決断した。
「首を噛んでください。それで、侯爵家の爵位と領土は維持できます」
さぁ。どうぞと、アレクサンダーの視線の先に白い首をさらけ出す。
彼の視線が痛いほど突き刺さる。
「嫌だね」
「なぜ?」
ジュードの瞳が問いかける。
「俺はカルロスの親父のような貴族主義じゃねぇ。好きな奴としか番たくねぇし、催淫誘発剤で乱暴に抱のは、もっての他だ。なぁ、アンタ、俺に愛される自信はあるかい?」
アレクサンダーは、紫色の瞳孔を獣のように細めて試すかのように見つめる。
愛など、ジュードは信じない。
「私は男娼から公務員に這い上がった。ただし、誰かに支配されるなんて真っ平だ。人は美貌に騙されて、理想を押し付けては絶望する。
私は、恋や愛より、自分の野心と努力だけを信じてます。ただ、貴方の心の強さと覚悟には敬意を払いましょう」
心臓を射抜くような瞳にアレクサンダーは魅了された。
ジュードは、自分の理想を実現できる強い意志と行動力を持っている。
恋人に亡命中に意思を曲げられたアレクサンダーには響く物があった。
「アンタのその目……気に入った。俺の名前はアレクサンダー。名前の意味は守護者。アンタが俺を愛するまで口説く。覚悟しとけ。俺は一度きめた番に愛を貫く」
アレクサンダーは不敵に笑った。
「はい。私は簡単に口説かれません」
ジュードも負けじと微笑む。
「ジュードが大切な首をくれた今日を忘れない。
俺の番はアンタだけだ」
長い白い腕でアレクサンダーを抱きしめながら、ジュードは静かに囁く。
「静かに」
形の良い唇を覆ってアレクサンダーの口を塞ぐと、ジュードの胸の内には嵐が巻き起こる。
悲しみ、喜び、後悔、そして罪悪感—さまざまな感情が次々と胸をよぎった。
「ジュードは誇り高いんだな」
耳元で、アレクサンダーの声が優しくささやく。白い歯が丁寧に首筋にあてられ、痛はなくむしろ優しさがしみこむんでくる。
ジュードは、アレクサンダーにいくつかの秘密を隠したまま。瞳をとじた。
自分は敵国の王族の末裔だ。
守られるのは性格に合わない。
自分の名前はジーク『勝利』だから。どんなに抱かれても、心は抱かれない。