写真の話
なんで鹿原家なんだ?
自宅に帰った私は鹿原家の家族写真を見て純粋にそう思った。普通の家族と何か違うのか。
鹿原という名字は確かに珍しいが、珍しい名字だからと言って取材するほどでもない。ネットの情報では『鹿原』という苗字は青森県に多いらしい。青森と言われても緑もゆかりもない。
里村からもらった写真には父親とおもしき厳格そうな中年の男性、母親らしき中年女性。小学生くらいの男の子と赤ん坊。小学生の男の子は恐らく長男の名生さんだろう。赤ん坊はサクラさん。普通の家族写真だ。一体なんで鹿原家なんだ。
私はこの家族のことを考えながら何故か父親のことを思いだしていた。
今からちょうど一年前、父親が胃がんで亡くなった。里村から「両親のいる感覚がない」という言葉が出た時、確かに里村より両親の感覚はあるが、正直よくわからない。いや、父親が居なくなって余計に親の価値に気づかされたのかもしれない。恋人も居ない私にとって家族は未知の領域だ。自分の子供なんて想像すらできない。
父親の死に際の「悔いなく生きろ」という言葉は心に突き刺さった。里村は私が片親になったことを当然知らないだろうし、言うつもりもなかった。
この年齢になってようやく親のありがたみがわかるとは情けない話だ。
改めて鹿原家の取材に気合いをいれようと思った。
まじまじとこの写真を見ていると妙な違和感がある。小学生の名生さんの顔だけ加工修正されているようにも見えるのだ。
「気のせいか・・・」