三話 父親は常に頭を悩ませるもの
同時刻、ローレル家の屋敷にて。
(なにやっとんじゃあの馬鹿娘はぁぁぁぁあああああああっ!!)
アルフォン・ローレルは心の中で絶叫していた。
いや、口にしてこれでもかと言わんばかりに叫びたい気持ちではあったものの、そこは貴族の当主。自分を抑えながらも、ことの詳細を整理することにした。
簡潔に今回の出来事を言葉で表すとしたら、こうだ。
『娘が婚約破棄を言い渡されたら、もう一人の娘が王子の顔面に鉄拳をぶち込んだ』
…………うん。これは叫びたくもなる状況だろう。
とはいうものの、正直なところ、アルフォンはいつかこんな日がくるかもしれないとは思っていた。
(あの馬鹿がリリアンのことを超超超絶可愛がっているのは知っていたし、だからこそその婚約者であるフレン王子を気に食わないと思っているのは分かっていた。いつか何かが起こるかもしれないとは、確かに思っていたけれど……!!)
流石に、夜会の場で顔面に拳を叩き込むのは想定外すぎる。
(というか、フレン王子も何で夜会で婚約破棄とか言い出すかなぁ!? そういうのを本気でやりたいんならもっとこう、裏工作とかしてよ!! 何で宣言したら解決、みたいな感じでやっちゃうの!? 以前から思ってたけど、やっぱり頭がお花畑なのか!?)
およそ王族に対して失礼極まる考え。しかし、それだけ今回、フレンがとった行動はあまりにも幼稚で愚かとしか言いようがない。
あれで次期国王なのだから、先が思いやられる。
(いやホントはさ? 私だってあんな奴に可愛い娘をやりたくはなかったのよ? だってどう考えたって阿呆だし。考え無しだし。でも、国王様がどうしてもうちの娘を王族に迎え入れたいっていうから、フレン王子とリリアンの婚約を認めたわけだけど……)
国王たっての頼みともなれば、いくら名家であるローレル家であっても断れるわけがない。しかし、今となれば、何が何でも断るべきだったと心底思う。
何せ、今回の件で、一番心を痛めているのは、リリアンなのだから。
「お父様……」
言われ、ふとアルフォンはリリアンの方を向く。その姿はどこか疲れ果てているようであった。いや、ようだ、ではない。事実、彼女は心身共に疲れ切っているのだ。特に心の方に、大きな傷を負っている。
大勢の前で婚約破棄を宣言されたのは、女性貴族としてある種の死刑宣告に近い。今後、どんな夜会へ行っても、「婚約者に見捨てられた女」というレッテルを張られてしまうわけなのだから。
だが、今の彼女にとって、重要な疑問は別にあった。
「どうして、お姉様は、殿下を殴ったのでしょうか……」
どうして、とリリアンは言った。
普通なら、何故、何のために、フェリシティがこんなことをしたのか、誰にだって分かるだろう。
だが、リリアンに至ってはそれが理解できなかった。
「そ、それは、単純にお前のことを思っての行動で……」
「嘘です!! お姉様は私のことが嫌いなはずです!! 私はお姉様に恨まれているはずなんです!!」
「だ、だからいつも言っているだろう? そんなことはないと……」
「あるんです!! それはお父様もご存じのはずです!! 私、知っているんですよ? フェリシティお姉様に私に近づくなと言っていることを!!」
「うごっ!? な、何故それを……」
「以前、書斎で二人がお話ししているのをこっそり見たんです。その時、よく会話は聞こえませんでしたが、お父様が『リリアンにもう近づくな』と言っていたことだけははっきりと聞こえました」
言われ、言葉が詰まるアルフォン。
それは違う、と反論したいところだが、実際事実なので、否定しようがない。
とはいえ、その意味合いは全く別のものになるわけだが。
(い、言えない……フェリシティがずっとお前をストーキングしてたとか、それをやめさせるために色々と策を弄してきたとか、その策をものともせず、毎日お前につきまとっていて、いやもうほんといい加減にしろよこの馬鹿娘と怒っていただなんて……!!)
ただでさえ、今厄介な状況だというのに、これ以上の厄介ごとをバラすことなど、できるわけがない。
「でも、フェリシティお姉様が怒るのも無理ないです。私は、物覚えが悪くて、何をしても失敗ばっかりで、そんなだからいつもいつも物陰からこちらを睨んできて……」
いや、それはお前のことがあまりにも好きすぎて凝視してるだけで……。
「会話だってロクにしたことがありません。きっと口だってききたくないのでしょう」
いや、それはお前のことがあまりにも好きすぎて緊張しているだけで……。
「何より、私に対してお姉様が笑っているところなんてみたこともありません!!」
いや、それはお前のことがあまりにも好きすぎて(以下略。
否定しようにも、それが全てフェリシティの奇行のせいであり、その理由が言えないために、返す言葉が全くなく、アルフォンは心の中で呟く他なかった。
そもそもにして、問題があるのは、何もフェリシティだけではない。
(リリアンは昔からちょっと思い込みが激しいところもあるからなぁ……)
先ほどの反応からして分かるように、彼女は『自分はフェリシティに嫌われている』と思い込んでいる節がある。まぁ、彼女の生い立ちと境遇、常日頃からのフェリシティの奇行を考えれば無理もないのだろうが……。
と、そんな時であった。
「―――失礼する」
ふと、執務室の扉が開かれる。
と同時にアルフォンの視界に入ってきたのは。
「こ、国王様!?」
この国の王、ローレンツ本人であった。
この時、アルフォンの頭の中には多くの疑問がよぎっていた。
どうして国王が直々にやってきたのか、この状況下でどうやってきたのか、そもそも何故国王が来たというのに屋敷の者が誰も知らせに来なかったのか、等々。
思うところは無数にあるものの、しかしアルフォンはそんな疑問を全て取っ払った。
そして。
「この度は――――うちの娘が、申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」
床に顔面を激突させながらの、見事なまでの土下座。
それに対し、ローレンツは困った表情を浮かべながら、アルフォンに言う。
「頭を上げてくれ、アルフォン。謝らなければならないのはこちらの方だ。うちのバカ息子のせいで、迷惑をかけてしまった」
そして、今度はリリアンの顔を一度見て、その場で頭を下げた。
「リリアン嬢も。本当にすまなかった。まさか、アレがここまで馬鹿だったとは……」
「へ、陛下……」
その謝罪の言葉は嘘偽りのない本物。それに対し、リリアンは複雑な心境だった。当然だ。何せ、今まで散々尽くしてきたはずの王家から婚約破棄を言い渡されたと思えば、今度はこの国の頂点にいる人物が真正面から謝罪してきたのだ。何と言葉にしていいのやら。
だが、今問題するべき点は別にある。
「し、しかし、うちのばか……フェリシティが王子を殴ったのは事実。いくら公爵家の娘とはいえ、王族に手を出したことは許されざることで……」
「ああ。本来ならそうなる。だが、余はフェリシティ殿に感謝しているのだ」
「感謝、ですか?」
「彼女の一発が、この老いぼれの曇った眼を覚ましてくれた。いや……ある意味遠ざけてきた現実と向き合う決心をさせてくれた、というべきか」
「? あの、国王様。仰っている意味がよく分からないのですが……」
アルフォンの言葉に、国王は苦笑しながら。
「何。単純な話だ。ようは、フェリシティ殿の拳は、この国の未来を救う要因になった、ということだ」
そう言い放つ国王の言葉に、アルフォンとリリアンは揃って意味が分からないと言わんばかりに首を傾げることしかできなかった。